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「やっと来やがった……」
苦々しい顔つきで吐き捨てた彼は、ゆらゆらと身を揺するようにして一行のもとへ歩みを寄せた。
手には得意の握斧を提(さ)げており、その魂胆を知るのは易い。
伸び放題の草地を踏み分けるたび、それらが口々にたてる涸(か)れた葉音が、やけに騒々しく感じられた。
「ひと晩明けたぜ?」
「頭を冷やせと言った」
「冷えやしねぇよ。 それよか何やってんだあんた、正気かよ?」
たっぷりと幅がある野道の中央、広闊な地平線を背景に屹立(きつりつ)した男性は、ひとまず顔を顰(しか)めて老人を見た。
怨敵の身柄を背で守(も)るように構える知人の体(たい)が、いたく癇に障ったらしい。
みなぎる敵意を隠そうともせず、ギラギラとした気色はちょうど駆け出す間際の刃のようだった。
一触即発の事態だが、片方には年の功がある。
「八つ当たりで溜飲を下げたってお前さん、虚しくなるのは手前(てめえ)だぜ?」
この言い分が微(かす)かに先方の芯に響いたか、鍛鉄のような骨子にわずかな揺らぎが生じた。
──やはりこの男は、すべてを解った上で。
宮仕えの哀しさか、たとえ事が成ったとしても、この男に生きる道はあるまい。
規範に則(のっと)り誅戮(ちゅうりく)されるか、もしくは捨て駒らしく側溝に打ち捨てられるか。
哀れな話。 そう、いつの世にも付き物な、哀れな話だ。
「なんだよその顔……。 なにか? あんたが相手してくれんのかい?」
「なんでそうなるのよ? お前さんちょっと脳ミソ腐ってんじゃないの?」
思い余って差し出口をくれたところ、男性の目が強(したた)かに吊り上がった。
「……てめえ、もっぺん言ってみろ?」
「あ? 耳まで悪いん? 膝枕して穿(ほじ)ってやろうか?」
葛葉とて然程(さほど)に友人が多いほうではないが、友情の何たるかについてはきちんと心得ている。
老人の言動には、不器用ながらも誠意があった。
それを足蹴にするような言いざまに、無性に腹が立ったのだ。
「ケンカ売ってんのかてめぇは?」
「売りに来たんはそっちでしょ? んな斧(モン)ぶら下げてさぁ」
「話が早えなてめぇ。 今日こそきっちりケリつけてやっからよ?」
「あ? やってみろやコラ」
“コイツは私の獲物だ”
恐らく、葛葉本人ですら気づいていない。
どれほど綺麗事を並べても、そうした意固地が他の何物よりも突出している。
本来なら理性をもって帳尻を合わせるべき胸中の均衡を、かの底意地が極端な方向へ傾かせている。
これではただの猛獣だ。
事態を重くみた老人は、今にも爆発しそうな物々しい気配に呑まれぬよう注力しつつ、身を呈した防備に、より一層の重点を置いた。
あわせて、肩越しにひた向きな諫言(かんげん)を放る。
「お下がりあれ。 御身(おんみ)はそれほど軽くない」
「んなもん、他人(ひと)が決めることかい?」
しかし、目先に狙いを定めた当人には、これが一向に及ばない。
ギリギリと歯牙を軋ませ、今にも顫動音(せんどうおん)など発しそうな喉元は、まるで皮下を別の生き物が這いずるように、不規則な脈動が際立っていた。
手負いの獣ほど恐ろしいものは無いと言うが、その真実を目(ま)の当たりにした気がして、老人はいよいよ言葉を失った。
悍勇(かんゆう)と言えば何ともそれらしく聞こえるも、この姿はまるで……。
いや、それもその筈(はず)かと、人知れず愚暗に落つ。
──やっぱり、この嬢ちゃんは
「なぁ兄ちゃん。 私が何(なん)に見えるね?」
「クソ野郎」
「はッ? そら善(い)いや」
諍(いさか)いの種類によっては、端(はな)から選択肢など存在しない場合がある。
修羅場を踏まねば引っ込みがつかず。
もはや話し合いなど用をなさず、そもそも問題の根深さが、最初から話し合いによる解決を想定していない場合。
もしくは、対立する双方の内どちらかが、口よりも先に手を出すような輩(やから)であった場合。
あるいは互いに並々ならぬ意固地をもって、両耳に栓を施していた場合もそうだ。
それら、直情的な傾向をことごとく踏まえたこの戦場(いくさば)は
「おらぁッ!!!」
怒号とともにひた走った剣線は、その周囲に己の甲兵と化した気体を幾重にも巻き付け、目の覚めるような轟音に乗せて地割れを刻んだ。
遅ればせて殺到した圧縮波が、辺りに夥(おびただ)しい旋(つむじ)を呼び、ちぎれ飛んだ土塊(つちくれ)が活き魚のように跳ね回った。
「くそ……っ!」
その狭間を辛くも逃れた男性は、さらに数間(すうけん)跳んで後方へ下がり、手早く体勢の立て直しを図った。
頭がガンガンする。
まるで耳殻に仕込まれた炸薬が、一挙に破裂したような感覚だった。
「おい逃げんなよ」と、濛々と立ち込める土煙を振り払いつつ、相手のお株を奪った心持ちで葛葉がニヨニヨと笑んだ。
今にも炎の光背を顕しそうな佇まいは峻烈で、男性の内心は図らずも慄然とした。
しかし、彼にも意地がある。
面妖な組織に身を投じたのは、断じて青道心からではない。
「………………」
手のひらにしっかりと密着する握斧が、矢庭に奇天烈な働きを見せた。
柄の中ほどがポキリと折れたかと思うと、内部から妙な液体がとくとくと滴(したた)り落ちてくる。
草地に接したそれは、やがて炎を憑(たの)んで燃え始めた。
まるで魂を威(おど)しつけるような火炎は、物質界における五行とは別の、たとえば斎火(いみび)の類にも見える。
当の火中で、握斧に変化が起きた。
短寸の柄が炎に巻かれ、次第に硝子細工のように伸び上がってゆく。
小ぶりな刃が、数多重(あまたえ)の刃金を着込んで肥大した。
「打ち直し……」
老人が蕭(しめ)やかに発した語義を、葛葉の聴力は聞き逃さない。
「なんそれ!?」
するどく問うも、それらしい応答は得られず、かの内心はかすかに混迷の兆しをみせた。
やがて、草原の一角を焼いた炎は鎮まり、目鼻に堪える素灰がはらはらと舞うのみとなった。
状況を察した葛葉の眼が、再三の血気をはらんで赤みを帯びた。
「大っきくなっちゃった……」と、次いで犬歯の先を舌でチロリとやって唱えるも、冗語は返ってこない。
元のサイズを逸したそれは、見るからに重厚な鉞(まさかり)となって、男性の肩先にズッシリと乗載されていた。