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ノンネットは綺麗な白い木綿の布に包んだ何かを胸に抱えている。
「その羊皮紙が魔導書なのですか? エイカさん。拙僧、初めて魔導書を見ました。ただの羊皮紙と変わらないように見えます。ですがエイカさん。救済機構の使命の一つに魔導書の駆逐というものがあるのです。どうかそれをこちらに渡してはいただけませんか?」
ユカリは首を横に振る、ベルニージュの顔を見つめて。
そのユカリの相棒ともいえる魔法使いが何か魔法的な力ずくでノンネットを押さえつけようと呪文を紡ぎ始めたことに気づいたからだ。ベルニージュは怪訝な表情をしながらも、ユカリの願いに応えた。
その否定を自分に向けられたものと捉えたノンネットは悲しそうに、しかし微笑みを浮かべて呟く。「それはあまりお勧めできません。救済機構には焚書機関という魔導書の厄災に対処する組織があり、その第四局は魔導書を所持する者を粛正する部局です。ずっとずっと、その組織につけ狙われることになるんですよ?」
「勘違いしてるよ、ノンネット。これはただの何の変哲もない羊皮紙」とユカリは早打つ心臓を堪えながら、冷静に答える。それが当たり前の行動であるかのように魔導書を合切袋に片づけながら、焦りから一息に言い切る。
「でも、魔導書だっておっしゃってました」と言うノンネットは何か辛そうな面持ちだった。
「それは、つまり、魔導書を見つけるぞって意味だよ、ノンネット。というのも、今まで隠していたけど、まさにその焚書官が私なんだよ。だから魔導書は回収し、回収して回収する。それが焚書官というものでしょう?」
ノンネットは心からその事実に驚いている様子だった。ベルニージュはその嘘に呆れている様子だった。
「そうだったのですか!」ノンネットはユカリとベルニージュの顔を交互に見比べる。「ですが、なぜそれを拙僧どもからも隠していたのか……あ! もしかして例の第二局の首席焚書官、チェスタ様の後任の方ですか? 史上最年少の首席焚書官が誕生すると噂に聞きました」
「そう! まさにそれです!」とユカリは同調する。
生家を焼いた首席焚書官チェスタは第二局だったらしい。
「申し訳ありません。お名前は寡聞にして存じ上げておりませんでした」
上手く騙せてしまったようだった。ノンネット自身には何の恨みもない、と前に言った自分の心に黒くて尖ったものが湧いてくる。
「まあ、私、就任したばかりだから。無理もないんじゃないかな。それにエイカは偽名みたいなものだから。何ていうか潜入捜査っていうのかな。だからあまり広めないで欲しいんだけど」
「偽名ですか。なるほど。第二局ですものね。首席焚書官が角獣の鉄仮面すら身に着けないのですから当然です。では、ベルニージュさんも?」
急に話を振られてベルニージュは慌てて居住まいを正す。
「え? ああ、うん。そう、焚書官。平の焚書官。とりあえずワタシたちとしてはここでの仕事は終わりだね。どうやら魔導書はなさそうだし」
ノンネットは少し迷ったようなそぶりを見せ、ユカリの合切袋の方に目をやる。
「あの、後学のために教えて欲しいのですが、どのようにして魔導書を見つけるのですか? 魔導書の正体はただの羊皮紙と変わらない見た目だと聞きました。だからこそ焚書官は焚書を行い、焼け残りの中から決して傷つくことのない魔導書を見つけるのだと学びました。しかしお二人はまだこの城砦で何も焼いていない」
素直な割に勘の良い子だ。しかし今回に限っては、気配を感じたとはいえ偶然としか言えない。偶然だからこそ、このような目に遭っているのだが。
「特定する方法はないよ。それはノンネットの学んだ通り」とベルニージュも苦心して答えている。「地道に魔導書と疑わしい現象を調べるしかない。尋常の魔法で可能な現象か判断し、絞り込んでいくのが鉄則だね。それにこんなにも動けない人がいるのに砦を焼き払えるわけがないじゃない。だからここ数日ワタシたちはずっと魔導書を探していたわけだよ、地道にね。まあ、結局無かったわけだけど」
ユカリが密やかに続ける。「そういうわけだから、ノンネットはとにかく自分の勤めに集中して、私たちのことは内密に、お願いね」
「はい。お任せください。エイカさん。聖人慈愛の微笑みの受難の如く口を噤みます」
「ああ、メヴュラツィエ。かっこいいよね」
「はい!」とノンネットは元気な返事をする。「それではお二人もこれからお手伝いしてくださるんですね?」
ベルニージュが淡々と否定する。
「ワタシたちの仕事は終わったから、もう立ち去るつもり。ねえ、エイカ首席焚書官?」
確かにもう長居はできなくなってしまった。嘘はいずればれる。
「そう、そうですね。報告とかありますし」
ノンネットが悲し気な眼差しを二人に向ける。その薄い唇をわずかに噛んでいるのが見て取れる。
「救済機構の僧侶がこのように苦しんでいる人々を見捨てて立ち去るのですか?」
ユカリは子供を納得させようとする時の声色で返す。
「そうは言っても、ノンネットのように優秀なわけではないから。私たちは医療魔術なんてできないし。足を引っ張るだけだよ。ね? ベルニージュさん」
「ワタシはそうでもないけど」
ユカリはベルニージュをじろりと睨む。
「そうかもしれませんが、とにかく私たちはあくまで焚書官なわけで」
ノンネットははっきりと言い返す。
「拙僧とて医術を修めているとはいえ、あくまで護女、一介の僧侶に過ぎません。そして救済機構の僧侶であれば、苦しむ人々を救う力があるのならば、それを行使するのは当然だと思います。お二人は焚書官、いえ、救済機構の僧侶なのですよね?」
ユカリが答えに窮しているとその場に加護官の一人が現れた。肩車の加護官だ。ユカリとベルニージュの存在は予想していなかったようで、威嚇するような鋭い視線を何度か送る。
「ノンネット様」加護官は少し腰を屈めて囁く。「病の件と一つお耳に入れたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」
「何か分かったのですか?」とノンネットは鷹揚に尋ねる。
「ええ、ですが」肩車の加護官はユカリとベルニージュをもう一度ちらと見る。
「ああ、気兼ねすることはありません。むしろ彼女たちにも聞かせてあげてください」ノンネットは朗らかに言った。「実は彼らは部外者ではなく焚書官なのです」
「ノンネット!?」とユカリ。
「これは他言無用です。気を付けるように」ノンネットは肩車加護官を信じ切っている。
対して肩車加護官のユカリたちを見る眼は不信から敵愾心のようなものに切り替わった。加護官は張り切った様子で報告する。
「では、病についてなのですが、デノク市民によると、どうやらアルダニではよく知られる土地の病、風土病であり、伝説によると土地そのものにかけられた呪いなのだそうです。起源も治療方法も明らか。分からないのは発症条件だけとのことで、彼らによると魔女の呪病、あるいは魔女の爪痕と呼ばれているのだとか」
「魔女の爪痕?」ノンネットにも肩車加護官にも聞こえる声でユカリは呟くが、顔を向けたのはノンネットだけだった。
「エイカさん。御存じなのですか?」
ユカリはこくりと頷く。
「うん、古代の魔女シーベラがアルダニ各地に残した魔法の痕跡を総称して魔女の爪痕っていうそうだよ。私が知っているのは魔女の牢獄っていう土地とか大昔にある国を滅ぼした隕石のことだけだけど」
ノンネットは首を傾げて言う。「隕石というと、一か月ほど前にも大河モーニアに隕石が墜ちたとか。まさかあの隕石もその魔女とやらの仕業なのでしょうか?」
ユカリは白を切る。「噂には聞いたけど、どうだろうね。あくまで古代の魔女の話だから」
「そうですか。それにしても恐ろしい存在がいたものです」ノンネットは呑気に感想を述べる。そして肩車加護官に目を向ける。「とはいえ、治療方法が明らかならば何も問題ないですね。それでお耳に入れたいことって何ですか?」
加護官はまたもやちらりとユカリたちを見るが、ノンネットは何も言わずにただ待つ。ユカリたちも怯まず構える。加護官は諦めたように小さく溜息をついて話をつづけた。
「ここでテネロード王国との戦があり、蛾の如き怪物が来襲し、その後に病が流行ったという話でしたが、それとは別に一人の強力な魔法使いが目撃されたそうです。怪物が暴れている最中にやってきて、怪物に負けず劣らず暴れに暴れて街を焼き尽くし、怪物が飛び去ると後を追うように去ったとか。それと入れ替わりに病が流行ったものですから、あれは古代の魔女シーベラが復活したのではないか、と噂する者もおり」
「その魔法使いの見た目は?」とベルニージュが詰問するような勢いで尋ねる。
肩車加護官は苛立ちを隠すこともなく、しかしノンネットに促されて答える。
「混乱の中での目撃情報でな。情報が錯綜していて一定していない。分かっているのは黒い天鵞絨の長衣に淡黄蘗の髪の女だということだ」
その特徴はベルニージュの母親と一致している。いったい何が目的でこの町にやってきてそのような凶行に及んだのだろうか。しかしそれは決まり切っている。何であれ、最終的にはベルニージュの記憶を戻す方法に関することのはずだ。ただ図書館に入るためだけに国を落とそうとした魔法使いに躊躇うことなど何もないだろう。
ノンネットは少しばかり思案して答える。
「現状その魔法使いを探る必要はないでしょう。噂通りならば我々だけでは敵いそうもありませんし。まずは呪病の治療方法を共有することとしましょう。先に向かっていただけますか?」
ノンネットにそう言われ、肩車加護官はユカリとベルニージュを睨みつけたのち、無数の矢狭間から差す無数の細い光に照らされた廊下を戻っていく。
ノンネットは鋭くない瞳で、信頼と期待に輝く瞳でユカリとベルニージュを見つめる。さっきまでしていた話、救済機構の僧侶としてまだここでやるべきことがあるという話を忘れてはいないようだ。
ベルニージュは歩き去る加護官を見つめたまま何かを考えている。当然母、そして記憶のことだろう。
ユカリはとりあえずこの場ではノンネットに話を合わせておくことにした。
「分かった。分かったよ。できる限り協力するからさ。それでいい?」
「はい!」元気な返事。「お互い頑張りましょう! では改めてこれをどうそ、エイカさん」
ノンネットが胸に抱えていた木綿布の包みをユカリに押し付ける。
ユカリは包みを受け取って尋ねる。「何? ノンネット。これは?」
「エイカさんのお衣装、寒そうですので、拙僧の僧服の予備をお貸ししようと思ったんです。もう秋も中頃ですから冷えてしまいます」
「いや、大丈夫だよ」包みを押し返す。「私、寒さに強いし、この裾も中で折っているだけだから、いざという時はほら」
そう言ってユカリは久しぶりに狩り装束の裾と袖の折り返しを戻した。
「それでも寒そうです。どうぞ、これはお手伝いしてくださるお礼です。差し上げますから」
そう言ってユカリに押し付けるとノンネットは加護官を追うように立ち去った。
心の内から戻ってきたベルニージュがいつの間にかユカリが抱えている包みを見る。「えっと、どうなったんだっけ?」
「できる限り手伝うことになっちゃいました」とユカリは呟く。
「別に、ワタシはいいけどさ。首席焚書官様に従うよ」とベルニージュが皮肉を言う。
「あと護女の僧服を貰っちゃいました」
「どうしたらそうなるの?」