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PM17:45
井浦和寿との待ち合わせの時間が刻一刻と迫っている。朋美の胸は、緊張と期待でざわついた。
朋美は女性らしい、黒のキャミソールワンピースに、レースのブラウスを羽織って出掛けた。タクシー乗務員ではなく一人の女性として見られたかった。夫には友だちと会うと言った。いや、夫はもうただの同居人でしかない、罪悪感は微塵もなかった。朋美が待ち合わせの場所に行くと、黒のクラウンが停まっていた。後部座席のドアが自動で開いた。井浦和寿は会社から買い取った黒塗りタクシーに乗っていた。
「なんだかドキドキするね」
「はい」
ルームミラー越しの彼の笑顔はとてもリラックスしていた。ハンドルを握る手も軽やかで、アクセルを踏む足はご機嫌だった。ふと見ると、井浦和寿の左手の薬指に指輪はなかった。ただ、朋美はタクシー乗務員は洗車で傷がつくので指輪を外す人が多いことを知っていた。それに彼はいつもシワひとつないワイシャツを着て、手作りの弁当を食べていた。家庭がある身なのだと思っていた。
「所長には奥さん、いらっしゃるんですか?」
「15年前までいたよ、離婚したんだ」
朋美は彼が妻帯者でないことに安堵した。けれど、他の乗務員に見られないように隠れて下さいと、後部座席で身を潜めた。少し寂しかった。革のシートは冷たく、彼との距離を感じた。年季の入った車のエンジンは低い音を立てて郊外へと向かっていた。どこに行くかと言われ、人目につかないところにと答えた。井浦和寿は、人目を避け家電量販店裏の、静かな搬入口でエンジンを止めた。夕暮れは、黒い車を覆い隠した。
「で、なんの話?」
運転席で振り返った井浦和寿は目を細めとても嬉しそうに微笑んでいた。朋美は本当に指輪がないか見せて欲しいと言った。すると彼の目は真剣なものに変わり、シートベルトを外すと後部座席のドアを閉めた。シートのスプリングが軋んだ。彼は大きくて分厚い手を開くと朋美の前にかざした。
「ほら、ないでしょう?」
「ないです」
井浦和寿の手はゆっくりと朋美の髪を撫で、愛おしそうに朋美の目を見た。彼女は恥ずかしさに顔を背けたが、井浦和寿はその頬に口付けた。
「好きです。ずっと好きでした」
熱い告白に朋美の胸は高鳴った。
「履歴書を見た時、一目惚れしたんです」
「そうなんですか?」
「大好きです」
指と指が絡み合い、温かな気持ちが全身に伝わった。抱きしめ合い、口付けあった。それは軽く、小鳥が啄むような軽い口付けだった。
「結城さん、旦那さんとは・・・」
「離婚します」
その言葉を確認した井浦和寿は朋美に覆い被さった。見つめ合うと軽く口付け、それはやがて深く互いを確かめ合った。彼の指先が肌を撫でると、朋美の息が止まった。首筋から胸へと落ちてゆく彼の唇に彼女は身をよじった。キャミソールの紐が肩から滑り落ちた。2人は強く抱きしめ合い、浅く、深く繋がった。情熱が甘い吐息となって車の窓ガラスを白く曇らせた。
やがて身体が離れ、朋美が名残惜しそうにワイシャツの袖を掴んだが、井浦和寿はボタンを留め、もう帰りましょうと後部座席のドアを開けた。湿り気を含んだ夜風を感じた。
「もう、帰るんですか?」
PM18:50
そんなに急いで帰る時間でもないだろうと、朋美は悲しげに目を伏せた。すると、遊びじゃないんです、本気なんですと言いながら井浦和寿はエアコンを最大にして窓の曇りを取り始めた。
「姉が待っているんです」
朋美は違和感を感じた。40歳にして姉が待っているから早く帰るとはどう言うことなのだろう。朋美の胸に小さな不安が芽生えた。