テラーノベル
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あの夜の喧騒が嘘のように、
取調室は冷たい静寂に包まれていた。
若井は、パイプ椅子に座り、自分の拳をじっと見つめていた。
元貴を引き剥がされたときの、あの指先の冷たさと、最後に握り返された微かな熱。
それが、今の若井に残されたすべてだった。
「……若井くん。君のしたことは犯罪だ。
でも……」
担当の刑事が困ったように言葉を濁す。
学校側に提出された、藤澤涼架による証言記録と、あの音楽室に残された壮絶な演奏の痕跡。
それが、この事件を単なる「誘拐」として処理することを躊躇わせていた。
「もういいよ。……元貴は、どこにいるんだ」
若井の声は、枯れ果てていた。
「彼は、大学病院の集中治療室だ。
面会は一切許されていない。……君は、もう彼に近づくことはできないんだよ」
若井は、絶望に目を閉じた。
守りきれなかった。あいつの「またね」に、自分はまだ何も応えられていない。
その時、取調室のドアが開き、解放されたばかりの涼ちゃんが入ってきた。
ボロボロの制服、目の下には深い隈。
けれど、その瞳だけは以前よりも強く、透き通った光を宿していた。
「……滉斗」
「涼架……お前、大丈夫だったのか」
「それより、これを見て。
……僕たちが警察に押さえ込まれる直前、元貴が僕のポケットにねじ込んだもの」
涼ちゃんが取り出したのは、血の気の引いた指で折られた、一枚のボロボロの譜面だった。
そこには、あの夜演奏した曲の最後の一節と、元貴の筆跡で殴り書きされたメッセージがあった。
**『若井、聞こえてる? 卒業おめでとう。……僕、もうすぐ全部忘れちゃうけど。でも、若井が弾いてくれたあの曲が、僕の「心臓の音」になったよ。』**
若井の喉が、ヒクッと震えた。
「……心臓の音……?」
「元貴はね、自分の脳が壊れても、音楽として刻んだ記憶は消えないって信じてたんだ。
……滉斗、元貴の意識は今、深い眠りの中にある。
医師は、もう目覚めないかもしれないって言ってる。
……でも、僕は信じてる。あいつの『心臓の音』を止められるのは、君だけだよ」
涼ちゃんは、若井の手に一つのボイスレコーダーを握らせた。
「病院のセキュリティは厳しいけど、僕がルートを作った。……もう一度だけ、あいつの耳元で、あの曲を届けて。……それが、僕たちの本当の『卒業式』だ」
若井は立ち上がった。
足は震え、心臓は破裂しそうだった。
けれど、元貴が残した「心臓の音」という言葉が、若井を突き動かした。
「……涼ちゃん。お前、本当に最高のサポーターだな」
「……当たり前でしょ。僕も、あいつの曲を完成させたいんだから」
二人は、夜の病院へと向かった。
それは、誰にも祝福されない、けれど世界で一番気高い、二人だけの「再試験」の始まりだった。
コメント
2件
ここまで一気見させてもらいました! もう最高すぎて仕方ないです...... これからも頑張ってくださいー、!