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#ワンナイトラブ
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9階まで上がると、そのまま企画のオフィスに向かった。
特に苦労も無くその姿を見付けたので
「本間さん」
と、名前を呼ぶと、ピン、と糸が張るように彼はこちらを振り向く。
旺くんは焦った様子で周囲を見渡し、小走りで私の元へやって来た。
「あの、」
「こっち」
言いかけようとする私の背中に彼は腕を回しオフィスから出ると、エレベーター脇の休憩スペースへと促された。
「どうしたの?」
少しだけぎこちない旺くんの表情。
多分、この先こんな笑顔しか見れないんだろうな、と、ぼんやりと未来を予想して、情けなくも少し震える唇を一度きゅっと噛み締める。
「私の荷物、処分して下さい」
「……処分って、使ってないのとか着てないの、結構ある」
「平気です、全て必要ありません。無意味なやり取りはもうやめて、今日で終わりにしましょう」
ポケットから自分のスマホを取り出して、短く操作するとメッセージアプリを開く。
先程受信した荷物をどうするか、その内容を皮切りに、『ごめん』『話そう』『別れたくない』そんな薄い言葉が綴られたトーク画面。
「…………どうして、旺くんが私と別れたくないか分かったの」
その画面をスクロールして言葉を零すと、「え?」と、旺くんは不思議そうに詰め寄る。
私の頭の中を埋め尽くすのは、
『だって、あの人にとって穂波さんは』
昨日聞いたばかりの言葉だった。
「だって、旺くんにとって私は」
穏やかなのに冷めた口調の声だった。
『財布』
「財布」
一言、突きつければ動揺したようにその瞳がゆらりと揺れる。
『家政婦、性欲処理、全部、都合のいい女』
「家政婦、性欲処理、全部、都合のいい女」
彼の口調を真似て言い切ると、旺くんは反論を聞かせてくれなかった。
だから私はお構い無しに続けた。
「付き合ってるのバレたくないのは、会社で浮気出来なくなるからだよね」
「…………」
やっぱり、そうなんだ。
反応が無いので肯定と取ると、どうしてか胸がすく思いさえする。
小さく会釈をすると胸の前に1つの髪の束がはらりと落ちた。
「さようなら」
穂波、と、背中に声がぶつかったけれど振り返らなかった。
一度たりとも、人目の着く場所だと下の名前さえ呼んではくれない人だった。
好きだったよ、ちゃんと、好きだった。
だけど、結局全部常葉くんの言った通りになっちゃった。
別れたよって言ったらきっと、ざまぁみろって笑うんだろうな。
男を見る目だとか、クズだとか、馬鹿にするんだろうな。
今、常葉くんの毒舌を浴びて、言い返す元気はあるだろうか。
私だって必死に、頑張ってるだけなのにな。
その一言で片付けるのって、常葉くんは言ったけど、元々華のある常葉くんや柿原さんとは違って、自信っていうのは私にとって、頑張らないとつかないんだよ。
残業中に、半ば無意識のうちに常葉くんへメッセージを送った。
彼はもう家に居るのだろうか、すぐに既読は付いたのに、返信は返ってこなかった。
三日歩いた道とは逆方向へと、どっぷりと暗くなった夜を一人、歩いた。
コンビニで必要最低限度を買い揃え、やたらと眩しい看板のネットカフェへ辿り着くと、一通り済ませてクッションの敷かれた床に寝転んだ頃返信が届いた。
彼にとって私の存在ってそんなもの。
既読スルーして、思い出した頃返信するような、そんな存在。
特別とは思ってはいけない。
勘違いしちゃいけない。
元々、私たちはその程度の関係なのだから。