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【現実世界・旧本社地下/B1保守区画】
梯子を登り切った先は、配管だらけの狭い機械室だった。
壁はコンクリのはずなのに、ところどころに黒い石の筋が混じっている。
まるで“縫い糸”。
木崎がケースを抱えたまま、耳を澄ませた。
遠くの足音。無線。ライトが金属を舐める気配。
「……上はまだ探してる。ここで息は整えるな、動きながら整えろ」
ハレルは頷き、サキの肩を軽く押した。
「大丈夫。足元だけ見て」
サキは強くうなずく。
「うん。私、ちゃんとついてく」
木崎が配管の陰に手を伸ばし、錆びた非常扉を見つける。
鍵は――掛かっていない。代わりに、扉の縁が“少しだけ冷たい”。
ハレルのネックレスが、微かに脈を打った。
「……この扉、通れる」
「通れるって何だよ」
木崎は小声でツッコミながら、扉を押した。
ギ……。
外へ続く細い通路。
風が吹き抜け、鉄と潮の匂いが戻ってくる。現実の匂いだ。
だが、安心は一瞬だった。
通路の床、黒い石の筋が“引き潮”みたいに細くなりながらも、まだ残っている。
「……まだ繋がってる」
ハレルが呟いた瞬間、背後で誰かの声がした。
「そっちだ!」
ライトが跳ね、白い円が通路を走る。
木崎が歯を食いしばる。
「走る。右、排水路の影に入れ!」
三人は身を低くして走った。
水たまりを踏む音が大きすぎて心臓に悪い。
サキの呼吸が乱れかけるたび、ハレルが手を伸ばして背中を支える。
「サキ、目の前だけ」
「うん……っ」
排水路の影へ滑り込んだ瞬間、ライトが頭上を横切った。
木崎はケースを抱えたまま息を止め、三人は“影”になった。
足音が過ぎる。無線が遠ざかる。
ようやく、木崎が小さく吐いた。
「……抜けるぞ。海側に出て、回り込んで帰る」
ハレルはネックレスを握りしめる。
熱は残っている。けれど、さっきの“引き戻す熱”じゃない。
――今は、守れと言われている気がした。
◆ ◆ ◆
【現実世界・海沿い/工業地帯】
潮風が強い。街灯の光が波打って見える。
それでも、地上の空気は地下よりずっと軽かった。
木崎が歩きながらケースを確認する。
「割れてない。音もしない。……中、固定されてるな」
ハレルはうなずく。
「“持ち運び”を想定してた……最初から」
サキが小さく笑って、すぐに顔を引き締めた。
「……ねえ。家に帰ったら、開けるの?」
「開ける。でも――触り方は慎重に」
ハレルは言いながら、自分の声が少し震えているのに気づく。
木崎が肩越しに言う。
「帰ってからだ。ここじゃ光が目立つ。あと、今夜は“見られる”」
「見られる?」
「この辺り、警備カメラ多い。……それに」
木崎の視線が、路肩の“黒い筋”に落ちた。
アスファルトの割れ目に、黒い石が一瞬だけ混じっている。
次の瞬間には、ただの亀裂に戻った。
「境界が、追いかけてきてる」
ハレルは答えず、歩幅を少しだけ速めた。
◆ ◆ ◆
【異世界・ミラージュ・ホロウ/外郭通路】
心臓室から離れた途端、空気の重さが少しだけ抜けた。
それでも、ミラージュ・ホロウは“島そのもの”が歪んでいる。
リオは壁に手をつき、短く息を吐いた。
「……まだ痛むな」
アデルが横目で見て、ぶっきらぼうに言う。
「黙って歩け。倒れたら引きずる」
「それは遠慮したい」
リオは苦く笑い、呼吸を整えた。
イヤーカフが淡く光る。ノノの声。
『二人とも生きてる!? 心臓室、閉鎖ログが出た! 黒霧の密度が……やば……!』
「生きている」アデルが短く返す。
『よ、よかったぁ……! じゃなくて! いま島の外縁、潮流が乱れてる!
小艇ルート、霧で遠回り! 座標補正は腕輪で——』
「わかった。指示を続けろ、ノノ」
『うん! えっとね、脳フル回転させるから黙って聞いて!』
ノノらしい早口に、リオが小さく息を吐く。
「……助かる」
「今は感謝してる場合じゃない」
アデルは言いながらも、歩調を落としてリオに合わせた。
通路の角を曲がると、遠くで黒い布が擦れる音がした。
“追ってくる”気配ではない。
ただ、まだ近くにいる。――この島に、黒が残っている。
アデルが低く言う。
「……撤退を急ぐ。次に備える」
リオはうなずく。
「ハレル側が回収してる。……なら、俺たちは帰って、解析だ」
◆ ◆ ◆
【現実世界・ハレル宅/深夜】
玄関の鍵を閉めた瞬間、全身の力が抜けそうになった。
サキが靴を脱ぎながら、やっと息を吐く。
「……帰ってこれた……」
木崎がケースをテーブルへ置いた。
「開けるのは、落ち着いてから——」
「今だ」ハレルが言った。
「“今のうち”じゃないと、次が来る」
ネックレスが、微かに熱い。
テーブルの上のケースも、同じ温度を持っている気がした。
木崎がうなずく。
「……じゃあ開ける。手袋」
サキが台所からゴム手袋を持ってくる。
「これでいい?」
「十分」
木崎が留め具を外した。
パチ、パチ、と乾いた音。
蓋の内側は黒い緩衝材。
そして、五つ。
小さなカプセル――結晶みたいに硬い透明体の中に、淡い光が“眠っている”。
それぞれの表面に、細い刻印が走っていた。数字。記号。波形。
サキが声を落とした。
「……これが……行方不明の人たち……?」
木崎が目を細める。
「“意識信号”を固定してる媒体……ってやつだな。
物理で残ってるのが厄介だ」
ハレルは、真ん中の一つに目を奪われた。
他より、反応が強い。
ネックレスの熱が、そのカプセルに近づくと増す。
(ユナさん……)
その瞬間、スマホが一度だけ震えた。
画面は真っ黒のまま、短いノイズが走る。
《……回……収……?》
声は、言葉になり切らない。
でも――確かに“向こう”の必死さが混じっていた。
ハレルは息を止めて呟く。
「……リオ。アデル。生きてるんだな」
次の瞬間、沈黙。
境界は、また不安定に戻った。
木崎がケースの中を見つめたまま言う。
「回収はできた。……でも、これで終わりじゃない。むしろ始まった顔してるな」
ハレルはうなずいた。
「……次だ」
テーブルの上で、五つのカプセルが静かに光っていた。
そのうち一つだけが、ほんのわずかに“偏って”見えた。
まるで、どこかを指し示すみたいに。
次の座標が、もう――こちらを呼んでいる。