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第9話「会社で交際疑惑が広まりました」
午前九時十五分。
営業企画部では仕事が始まっていた。
ただし。
相沢直人と森野リリカだけは、仕事どころではなかった。
「まだ付き合ってません」
相沢がそう言ってから五分。
その言葉は恐ろしい速度で解釈されていた。
「『まだ』ってことは、告白前?」
田中美咲が聞く。
「違います」
森野が答える。
「じゃあ森野さんが返事待ち?」
「違います!」
「相沢さんが返事待ち?」
「仕事してください!」
森野の顔は真っ赤だった。
耳も髪の中で動き続けている。
相沢はパソコンへ向かう。
笑ってはいけない。
ここで笑えば確実に怒られる。
「相沢君」
部長が呼ぶ。
「はい」
「ちょっと」
相沢は部長の席へ行った。
部長が小声で聞く。
「本当に付き合ってないの?」
「付き合ってません」
「じゃあ何で手つないでたの?」
「それは」
監視です。
とは言えない。
エルフの秘密を守るため、森野が相沢の監視役になっている。
そしてなぜか監視に手をつなぐ行為が含まれるようになった。
説明できるわけがない。
「いろいろありまして」
「若いな」
「そういう話じゃありません」
部長が笑う。
「まあ社内恋愛は禁止じゃないから」
「だから違いますって」
「仕事に影響させなければいいよ」
「話聞いてます?」
席へ戻る。
森野がこちらを見る。
「何言われました?」
「仕事に影響させるなって」
「何を?」
「社内恋愛」
森野が机に額をつけた。
「終わりました」
「だから大げさだって」
「私は静かに人間社会で暮らしたかったんです」
「かなり目立ってるね」
「誰のせいですか」
「田中さん?」
田中が遠くから言った。
「ごめんなさい!」
午前十時。
メールが来た。
差出人は総務部の女性社員。
件名。
『おめでとうございます』
相沢は固まった。
本文。
『森野さんとの件、聞きました!』
「早い」
思わず声が出る。
「何がですか?」
森野が来る。
相沢は画面を見せた。
森野の顔から表情が消えた。
「田中さん」
「私、総務には言ってない!」
田中が遠くから叫ぶ。
「じゃあ誰ですか!」
「部長じゃない?」
全員が部長を見る。
部長が顔を上げる。
「俺?」
「言いました?」
森野が聞く。
「経理の佐々木さんには」
「言ってるじゃないですか!」
「いや、雑談で」
森野は頭を抱えた。
神崎レオンが隣で淡々と仕事をしている。
「レオン」
「何?」
「何でそんなに落ち着いてるんですか」
「私には関係ないから」
「元婚約者でしょう!」
営業企画部が静まり返った。
相沢が固まる。
神崎も固まる。
森野も固まった。
三秒。
田中が言う。
「元……婚約者?」
森野の顔色が変わる。
「違います!」
「今、自分で言ったよね?」
「言ってません!」
「言ったよ」
「聞き間違いです!」
田中が神崎を見る。
「神崎さん?」
神崎は少し考えた。
「昔の話です」
「認めた!」
「レオン!」
完全に失敗だった。
午前十時五分。
営業企画部に新しい情報が追加された。
森野リリカには元婚約者がいる。
しかも。
その元婚約者が現在同じ部署にいる。
そして。
現在交際疑惑がある相沢も同じ部署。
田中が小声で言った。
「すごい」
「何がですか」
「ドラマみたい」
「違います!」
「元婚約者と今彼が同じチーム」
「今彼じゃありません!」
「まだ、ね」
「その『まだ』やめてください!」
神崎が笑っている。
「レオン!」
「ごめん」
「全部あなたのせいでもありますからね」
「私?」
「どうして出向してきたんですか!」
「仕事だよ」
「本当に?」
神崎は少し黙った。
「半分くらい」
「半分?」
「残り半分はリリカ」
全員が「おお」と声を上げた。
森野は両手で顔を覆った。
「もう帰りたい」
まだ午前十時七分だった。
昼休み。
相沢と森野は会社から少し離れた公園に逃げた。
ベンチに座る。
コンビニのおにぎり。
森野は鮭。
相沢はツナマヨ。
「社員食堂行かなくて正解だったね」
「行ったら質問攻めです」
「人気者だな」
「嬉しくありません」
森野はおにぎりを食べる。
しばらく沈黙。
相沢が聞いた。
「でも神崎さん」
「はい」
「半分は森野さんが理由だって」
「そうですね」
「知ってた?」
「知りませんでした」
「どう思った?」
森野はおにぎりを見る。
「申し訳ないと思いました」
「それだけ?」
「それだけです」
耳は動かない。
本当らしい。
相沢は少し安心した。
森野が横目で見る。
「今、安心しました?」
「してない」
「しましたよね」
「してない」
「顔に出てます」
「森野さんに耳があるみたいに?」
「あなたの場合、顔全部が耳です」
「どういう意味だよ」
森野が笑った。
少し間を置いて。
「相沢さん」
「何?」
「昨日のこと」
「昨日?」
「手」
相沢は森野を見る。
「会社で噂になったから?」
「はい」
「もうつながないほうがいい?」
森野が黙る。
耳が。
ぴく。
「どうする?」
「……会社の人がいないところなら」
相沢は笑った。
「何ですか?」
「いや」
「変な意味じゃありません」
「分かってる」
「監視です」
「まだその設定続けるんだ」
「設定じゃありません!」
午後二時。
三人の企画会議。
相沢。
森野。
神崎。
神崎が資料を配る。
「競合分析、まとめました」
相沢が見る。
「早いね」
「この程度なら」
「仕事できるなあ」
「百年以上働いてますから」
「そんなに?」
「途中で休んでますけど」
森野が言う。
「レオンは仕事だけはできます」
「だけ?」
「恋愛は下手です」
神崎が笑う。
「リリカに言われたくないな」
「私は普通です」
「六十八年前に置き手紙一枚で逃げた人が?」
「昔の話でしょう」
「今だって好きな人に何も言えない」
森野の手が止まった。
相沢も止まった。
神崎だけ資料を見ている。
「レオン」
森野の声が低くなる。
「何?」
「余計なこと言わないで」
「何も言ってないよ」
「言いました」
相沢は黙って資料を見る。
聞こえなかったことにする。
しかし。
ものすごく聞こえている。
午後四時。
森野がコピー機のところにいる。
相沢も資料を持っていく。
二人きり。
「森野さん」
「はい」
「神崎さんが言ってたこと」
「忘れてください」
「まだ何も」
「忘れてください」
「好きな人に何も言えないって」
森野はコピーされた紙を取る。
「レオンは適当なことを言うんです」
ぴく。
「耳」
「コピー機の音です」
「そんなわけないだろ」
「聞こえません」
「森野さん」
「仕事中です」
逃げた。
午後六時。
神崎が帰る。
田中も帰る。
部長も帰る。
午後六時半。
相沢と森野。
また二人になった。
森野がパソコンを閉じる。
「帰りましょう」
「監視?」
「はい」
「今日は会社の人に見つからないようにしないと」
「絶対です」
二人で会社を出る。
駅へ向かう。
会社から百メートル。
まだ手はつながない。
二百メートル。
つながない。
三百メートル。
森野がちらっと相沢の手を見る。
相沢は気づく。
しかし何もしない。
さらに歩く。
森野がまた見る。
「何?」
相沢が聞く。
「何でもありません」
ぴく。
「何かあるだろ」
「ありません」
「じゃあいいけど」
歩く。
十秒。
二十秒。
森野が突然言った。
「監視します」
「どうぞ」
「ちゃんとしてください」
「何を?」
森野が相沢の左手を見る。
相沢はわざと分からないふりをする。
「何?」
「……」
「言わないと分からない」
森野の顔が赤くなる。
「手」
「手?」
「だから」
森野は小さな声で言った。
「手、出してください」
相沢は笑いながら手を差し出す。
森野が握る。
「最初からそう言えばいいのに」
「監視です」
「はい」
二人で歩く。
「森野さん」
「何ですか」
「付き合う?」
森野の足が止まった。
相沢も止まる。
「……今」
「うん」
「何て言いました?」
「付き合う?」
森野の耳が激しく動く。
「どういう意味ですか?」
「普通の意味」
「普通って」
「恋人になる?」
森野は完全に固まった。
相沢も緊張してきた。
冗談ではない。
勢いでもない。
神崎に言われたこと。
寿命。
時間。
別れ。
全部考えた。
答えが出たわけではない。
でも。
「俺、森野さんが好きだと思う」
森野が相沢を見る。
「思う?」
「いや」
相沢は言い直す。
「好きです」
森野の耳が。
髪を押し上げるほど動いた。
「……」
「返事は?」
森野は黙っている。
「森野さん?」
「待ってください」
「何を?」
「百四十三年生きてきて」
「うん」
「こんなに急に告白されたことありません」
「急だった?」
「急です!」
「かなり前から分かりやすかったと思うけど」
「それとこれとは違います!」
森野は両手で顔を覆う。
相沢は待つ。
一分。
長い。
「森野さん」
「はい」
「嫌なら」
「嫌じゃありません」
即答だった。
相沢が笑う。
「じゃあ」
「でも」
森野が顔を上げる。
「一つ条件があります」
「何?」
「私より先に死なないでください」
相沢は黙った。
森野も黙る。
そして。
自分で言ったことがおかしくなったのか。
森野が笑った。
「無理ですよね」
「かなり難しい」
「ですよね」
「でも」
相沢は森野の手を握り直した。
「できるだけ長く生きる」
森野の目が少し潤んだ。
「それでいい?」
森野はうなずいた。
「はい」
「じゃあ」
「はい」
「今日から付き合う?」
森野はもう一度うなずいた。
「はい」
相沢は笑った。
森野も笑った。
耳が動く。
ぴくぴく。
「すごい動いてる」
「今それ言います?」
「だって」
「最悪です」
そう言いながら。
森野は手を離さなかった。
駅まで歩く。
恋人になった。
三十一歳の人間と。
百四十三歳のエルフ。
年齢差。
百十二歳。
相沢は思う。
おそらく会社史上最大の年の差社内恋愛だ。
駅の前。
森野が言った。
「会社では秘密ですよ」
「何で?」
「これ以上騒がれたくありません」
「もうほとんどバレてるけど」
「正式には秘密です」
「分かった」
「絶対ですよ」
「はい」
翌朝。
午前八時五十八分。
相沢が出社する。
森野はすでにいる。
目が合う。
「おはようございます」
「おはようございます」
敬語。
完璧。
誰にも分からない。
相沢は席へ座る。
田中がやってくる。
「相沢さん」
「何?」
「昨日、森野さんと一緒に帰った?」
「たまたま」
「ふーん」
森野は仕事をしている。
神崎も出社した。
「おはようございます」
「おはようございます」
神崎が森野を見る。
相沢を見る。
もう一度森野を見る。
そして。
ため息をついた。
「付き合った?」
営業企画部が静まり返った。
森野の耳が。
ぴく。
田中が立ち上がる。
「えっ!」
「レオン!」
森野が叫ぶ。
神崎は笑った。
「やっぱり」
「どうして分かるんですか!」
「耳」
「最悪!」
田中が相沢を見る。
「本当に?」
相沢は森野を見る。
森野は必死に首を横に振っている。
秘密。
相沢は思い出した。
「付き合ってません」
森野の耳が。
ぴく。
田中がそれを見ることはできない。
しかし神崎には分かる。
神崎が笑う。
「なるほど。秘密なんですね」
「レオン!」
結局。
交際開始から。
十二時間も経たず。
少なくとも一人には完全にバレた。
コメント
1件
わあ、ついに告白! しかも「私より先に死なないでください」って森野さんらしい条件が出てきて、じーんとしました…。年齢差の重みを感じさせる一方で、耳がぴくぴく動く森野さんが可愛すぎて、もうデレデレです。そして最後は神崎さんに一瞬でバレて終わるオチ、最高でした(笑)。おめでとうございます、nashirinさん! この二人の行方をこれからも追いたいです🤍