テラーノベル
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……来ました。
復讐するために。
翌朝、夏菜は有生の会社の玄関ロビーでエレベーターを待っていた。
「あっ、あんた、なに急に秘書に異動してんのよっ」
とその姿を見つけた利南子が言う。
「止めないでください」
閉まったままのエレベーターの扉を見つめ、夏菜は言った。
「……いや、別に止めないけど。
なに急に入ってきて、いいことしてんのよと文句が言いたかっただけなんだけど」
夏菜は覚悟を決めた瞳で、いまだ開かない扉を見つめ、拳を作る。
「私は私の意思で、今日こそ、社長を仕留めますっ」
「なによ。
あんた、最初から社長狙いだったの?」
「そうですっ」
利南子は、
「気に入った」
と夏菜の肩を叩く。
「今までこんなにハッキリ言った奴は居なかったわ。
正直、社長はガードが固そうだし。
おうちもなかなか大変そうだし。
私は降りるわ。
頑張って」
「ありがとうございますっ」
「……ひとつも話が噛み合っていないのに、違和感ないのが不思議ですよね」
といつの間にか横に居た指月が呟いていた。
「失礼します」
と言って、ノックのあと夏菜が社長室に入ると、何故か有生は少しホッとしたような顔をしていた。
ツカツカとそのデスクまで行き、
「社長、殺しに来ました」
と言うと、有生は読んでいた書類から目を上げ、
「……ペットボトルで、ポコリじゃなかったのか」
と訊いてくる。
「いいえ。
今度はペットボトルごときではすみませんっ。
貴方を今、殺したい理由が、ご先祖さまでも七代目の祟りでもないからですっ」
私は私の意志で、貴方を殺しに来ましたっ、と夏菜は宣言する。
「夕べ、寝られなかったんですっ!
――あなたのことばかり思い出して!」
「……恋ですね」
と指月がぼそりと後ろで言った。
「勝手にキスとかされたからですっ!」
「……恋ですかね?」
と有生の側で書類を手に上林がちょっと照れたように言ってくる。
「……なのに、どうして、あのまま、ぼんやり帰って来ちゃったんだろうって」
「恋ですね」
と指月が反論を許さぬ口調で言ってくる。
「違いま……」
と振り向きかけたとき、バアン! と派手にドアが開いた。
「御坂ーっ!」
ナイフを手にした若い男が飛び込んでくる。
「うちの警備はどうなってんだ」
と有生が溜息をいた。
指月はまたも動かない。
夏菜は有生めがけて突っ込もうとした男の足を軽く払い、その男が前のめりに倒れると、すかさず、その上に飛び乗った。
「順番は守ってください!」
と夏菜は男の上に座って叫ぶ。
「私がこの人殺すんです!」
と言いながら、ナイフを男の手から手刀で弾き飛ばすと、後ろで指月が言っていた。
「あ~、楽でいいですねー。
これで本来の業務に戻れます」
……秘書が本業だったのか。
夏菜の下敷きになっているのは、あの日殺しに来た若者だった。
おやおや、とその顔を確認して、指月が言う。
「殺しに戻ってきたやつ始めてじゃないですか?
だいたい、一回やったらスッキリするから。
大抵の場合、八つ当たりですしね」
「……捕まったあと、二度とやる気がおきないように、お前がこんこんと説教してるしな」
地下の狭い密室とかで、指月とふたりきりになり、正座させられ、過去のすべてまで洗いざらい調べられ、問題点を指摘され、二度と殺しに来る気がおきなくなるまで、説教されるおのれの姿が浮かんだ。
……生き地獄だ。
「いやいや、お前の洗礼を受けても、戻って来た奴いるじゃないか。
三顧の礼で雇ってやった」
三回めげずに殺しにきたらしい。
「誰なんですか?」
「ドライバーの黒木だ」
「……危険じゃないですか」
とあの四角い顔で無口な運転手を思い出しながら、夏菜は言った。
ドライバーは乗った人間の命を預かっているようなものだからだ。
だが、それを聞いて、有生は笑う。
「お前、俺が殺された方がいいんだろう?
なにを心配することがある」
そう言われてたじろぎながら、
「い、いや、だって私も乗ってるかもしれませんしね」
とうっかり言ってしまい、
「ほう。
秘書は続ける気なのか」
とまた面白そうに言われてしまう。
上林まで、
「続ける気なんですね」
と間髪入れずに念押ししてくる。
……上林さん、すっかり社長の犬ですね。
悪徳企業で社長秘書をしていた上林だが、会社を有生に乗っ取られ、居場所がなくなり、逆恨みしていたようなのに、あっという間に、有生を心酔している。
二人に詰め寄られ、うっ、しまった!
と思ったとき、男を押さえつけている手が緩んだ。
いきなり起き上がった男に夏菜が振り落とされ、有生が立ち上がる。
夏菜はひょいと猫の子のように、指月につままれて引き起こされていたが。
「姉の仇!」
と男はナイフを有生に向けた。
え? 姉? と全員がナイフを持った男ではなく、有生を見た。
「姉さんはお前に騙されてっ」
いやいやいや、と指月と上林が無言で手を振る。
「ありえません。
この方に限って」
と指月が言い、
「なさそうですよ。
ものすごく不器用そうですから」
と上林が言った。
指月は男に向かい、
「社長は、こう見えても、そういうことには不器用で、騙されることはあっても、騙すことはないと思いますよ」
とかばっているのか、失礼なのかわからないことを言う。
「社長は、そもそも女に興味がないので……
ああいや、なかったので」
と何故か指月は言いかえた。
「女性同伴のパーティでも私を連れていくから、あらぬ噂が立って、私が困っていたくらいなのに」
立ちそうだな……と夏菜は思う。
「嘘をつけっ。
その顔で、女に不器用とかあるかっ。
第一、女の方から寄ってくるだろうっ」
「いや、寄ってはくるんですけどね~。
好み、うるさいんですよね、この人」
と指月は言ったが、男は、
「いや、俺は信じないっ。
姉さんはお前に騙されて、ストレスから食べ続け、ついには――!」
ついには……?
「あの美しかった姉さんが別人のように肥え太り。
自分探しに行くと行って、家を出て行ってしまったんだっ」
「何処行ったんですか?」
「ハワイに!」
食べまくってハワイ。
ある意味、楽しそうなんだが……。
「ほんとうに落ち込んでる人がハワイに行きますかね?
あそこ、幸せそうなカップルでいっぱいですよ」
と指月が言うと、
「今、別居してる妻のところにいる、うちの娘もそんなでしたよ。
彼氏にフラれたあと、もう体重制限はしないとか言って、友だちと食べ歩いたり、旅行に行ったりしてましたが」
と上林も言う。
「おい、シスコン」
と有生が男を呼んだ。
振り向くな、青年……。
「お前の姉貴をだました奴の詳しい話を聞かせろ」
と有生が言うと、男は身振り手振りを加え、堰を切ったように語り出す。
「……なるほど、わかった」
と言った有生はデスクを振り向き、メモすると、男に渡した。
「たぶん、そいつだ。
行ってこい。
よく俺の名前を語って女を引っ掛ける俺の大学時代の友人だ」
ありがとうございますっ、と男はメモを手に出て行った。
ぱたん、と閉まった扉を見ながら夏菜は訊く。
「いいんですか? ご友人殺されちゃいますよ」
「大丈夫だ。
簡単に死ぬようなタマじゃない」
と言いながら、有生は何処かにスマホで電話していた。
「広田か。
そっちにお前を狙ってる奴が行ったから。
いや、女じゃなくて、殺し屋」
とだけ言って、その殺しに行った人間の特徴も教えずに、有生は電話を切った。
「よし」
「……よしですかね? 今の」
と夏菜は呟く。
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