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男が去ったあと、指月に命じられ、夏菜は大量の封筒に封をしていた。
軽く気が遠くなりそうな作業だ。
「夏菜さん、大丈夫ですか?
お茶でも淹れましょうか?」
と笑った上林に言われてしまう。
余程目がうつろだったらしい。
「えっ? あっ、すみません。
私が淹れますよっ。
……眠気覚ましに」
と白状して二人で笑った。
「此処のだけじゃなくて、社長にも持ってった方がいいんですかね?」
と夏菜は言ったが、
「待て」
とパソコンを打っていた指月に止められる。
「私が淹れる」
「えっ、でも……」
「なんかお前、絶対的にまずいものを淹れそうだからだ」
いやいやいや、なんですか、その決めつけ、と夏菜は思ったが、まあ、確かに自信はない。
「えーと。
お抹茶なら点てられるんですけどね」
とせめてなにかできることのアピールをと思って言うと、
「本当か?
ミキサーとかで点てそうな奴だが」
と隅にある流しでお茶の準備をしながら、指月は言う。
「ま、たまにそういうときもありますけどね。
あっ、アイスとかにかけるときですよ」
と夏菜は慌てて言った。
指月は冷ややかな目で見てはくるが、口調が敬語でなくなっているのに気がついた。
少しは気を許してくれたのだろうかな、と思う。
っていうか、社長。
恋愛には不器用なのか。
……意外だな。
っていうか、不器用なのに、いきなりキスしてくるとか。
不器用だからか?
いや、別に私のことを好きでないからか……。
って、いやいやいやっ、好きでないのにキスしてくるとかっ!
と思いながら、指月がお茶を淹れるのを見ていた。
「なんだ。
見て学んでるつもりか?」
と指月が言ってくる。
「はい。
なんでもまず見て学べと祖父に言われるので」
「……見て学んで、あんなに強くなったのか。
すごい道場だったが」
と指月が呟く。
「えっ? 道場なんですか?
夏菜さんのところ」
と言う上林に、そういえば、この人の方が敬語なのおかしいがと思いながら答える。
「そうなんです。
主に護身術とか教えてるんです。
噂を聞きつけて訪れる生徒さんたちも多いんですけど。
あの山と罠をくぐり抜けてうちの道場に着く頃には勝手に強くなってますけどね」
「どんな道場だ……」
と言った指月は、
「藤原、このお茶は持っていくな」
と言う。
「え?」
「今、俺が淹れた通りに、一から淹れてみろ」
「はいっ、師匠っ」
と思わず癖で言うと、
「……誰が師匠だ」
と言いながら、指月が少し赤くなったように見えた。
社長室の扉をノックすると、
「入れ」
と言われる。
「失礼します。
お茶をお持ちしました」
と夏菜は頭を下げた。
うん、とパソコンの画面を見ながら言う有生のデスクにお茶を置くと、有生はそれを手に取り、画面を見たまま飲んだ。
そのままデスクに置こうとして、こちらを見る。
「お前が淹れたのか?」
「えっ、やっぱり駄目でした?」
と夏菜が訊くと、
「いや、いつもの味とほぼ変わりなかったが、お前がじっとこっちを見てるから」
と言って、ちょっとだけ笑う。
笑いましたよっ、今、社長がっ。
笑いかけられましたよ、私っとちょっと動揺しながら、
「指月さんに教えてもらって私が淹れたんです」
と言うと、有生はもう一口飲んで、また、うん、と頷き、
「悪くない。
これからはお茶はお前が淹れろ。
指月の仕事がひとつ減る」
と言ってきた。
ありがとうございますっ、と免許皆伝な感じがして、夏菜は頭を下げた。
指月はまだまだだと言っていたのだが、それでも、ちょっと嬉しい、と思ったとき、扉が開いた。
さっきの男が立っていた。
「……何度も言うようだが、うちの警備はどうなってるんだ」
と有生が呟く。
男はツカツカ有生の前に来て言った。
「あんたに教わった男のところに行ってきた。
あの男で間違いなかった」
「やっぱりか……」
と困った友人に、有生は苦い顔をする。
「だけど、ずっとあんたを殺そうと思って付け狙ってたんで。
本人を目の前にしても、なんの感慨もなく」
そうかもしれませんね……。
「口頭で文句を言ったら、口頭ですみませんと返されて、
……話は終わった」
「そうか。
まあ、ケモノじゃないんだからな、口で揉めたらすむことだったろうが。
気がすんだら帰れ」
と有生は言うが、
「……あんたを殺ろうと思って、この一年生きてきたんで、なんか目標を見失って」
と男は困ったように有生を見て言う。
「お前も自分探しにハワイにでも行ってきたらどうだ」
ものすごいエンジョイして、なにも探せなくなりそうだ、と夏菜が常夏の島のバカンスを思い浮かべたとき、男が言った。
「そうだな。
そうしようか。
だが、金がない」
有生が口を開きかけたとき、いきなり扉が開いて、指月が現れた。
「もう駄目ですよ、社長っ。
これ以上雇えませんよっ。
自分を狙ってきた奴を次々雇うのやめてください。
会社がパンクします!」
どうやら、他にも何人か雇っているようだ。
……もしや、意外と人がいいのか? と思ったが、有生は、
「俺が拾うのは優秀な奴だけだ。
なにか優秀なところを見せてみろ」
と男に言う。
わかりましたっ、と男は言った。
いや貴方、人生を見失うほど、ずっと付け狙っていた相手にそんなに雇われたいのですか?
と思ったのだが。
まあ確かに、有生に命じられると、何故か、はいっ、閣下! とか言って、下僕のように働きたくなる雰囲気がある。
たぶん、若造なのに、やけに落ち着き払ったこの男についていけば、この先の人生、きっと大丈夫っ、的な雰囲気を有生が醸し出しているからだろう。
迷える子羊たちが無条件に従いたくなる貫禄とカリスマ性が有生にはあった。
今も新たな子羊が、有生に認められようといろいろと考えているようだったが。
夏菜の見たところ、人殺しにもスパイにも向いてない感じだ。
ナイフを持ったときの構えがなってないし、足腰の鍛え方もいまいちだ。
第一、こんな簡単に敵に丸め込まれるようでは。
いや、私も丸め込まれている気もするが……。
考えあぐねて、
「特技です」
と手品でも披露してきそうな雰囲気になったとき、男は夏菜を見て言い出した。
「そうだ。
この人も殺しに来て雇われた人ですよね?
どのようなところが優れているのですか?」
先程までの態度とは打って変わり、希望する会社にいる大学の先輩に話を訊きに来た、みたいになっている。
「……それは」
と有生は珍しく口ごもった。
「それは……体術に優れているからだ」
「そうですか。
ではちょっと身体を鍛えて参りますっ」
と最敬礼して言う男に、指月が、
「いい道場がありますよ。
行ってみてはどうですか」
とうちの道場を教えていた。
「ありがとうございますっ」
と男は出て行ったが。
いや、まずたどり着けるかどうか……。
男が消えた扉を見ながら、
「これでしばらく静かだな」
と指月は呟いていた。
うっかり、可愛いところ、と言いそうになってしまった……と有生は真面目な顔で消えていく男を見送りながら思っていた。
いやいや。
別にこのなんだか訳のわからない女が好みだとか言うわけじゃないし。
秘書室にもひとりは女がいた方が仕事上いいかなと思っただけだ。
うん。
今は女性が羽ばたく時代だと言うしな。
うん、と再び、心の中で頷き、おのれを納得させる。
まあ、この忍者の隠れ里みたいなところからやってきた女がオフィスで役に立つかは謎なのだが……。
「はーい、今日は秘書様のおごりー」
と利南子が京料理の店の個室で叫ぶ。
「お金ありませんってば」
と利南子たちとランチに来ていた夏菜は泣きを入れる。
「逆玉狙いの秘書様のおごりー」
「逆玉狙いじゃありませんし、お金もありませんってば」
と言ったが、美鳥たちも笑っている。
別に本気でおごらせようと思っているわけではないようだが。
この間、歓迎会という名のもとにおごってもらったから、おごり返してもいいか、と夏菜は思う。
……いや、よく考えたら、全員分ひとりでおごったら、割りに合わないのだが。
やってきた店員さんに、
「しょうがないですねー」
と呟きながらも、現金の持ち合わせがそんなになかったので、カードを渡す。
それを見ていた利南子が目をむいた。
「ちょっ……!
あんた、何気にブラックカードッ!?
何者っ?」
「いえいえ。
私自身はカード持っていないので、これは家族カードですよ。
だから、こういうのしかなくて」
「山奥の道場で暮らしてるんじゃなかったの?
道場ってそんなに儲かるの?」
「道場やってるのは、お祖父さまですよ」
「……なんか納得いかないわ~」
とおごったうえに、利南子に噛みつかれる。
車は利南子が出してくれていたので、駐車場にみんなで歩いていったのだが。
見合いの身上調査でも、こんなに訊いてこないだろうと思うくらい利南子が突っ込んで訊いてくる。
適当に交わしていたが、話に夢中になっていたせいか、利南子が側溝に向かい、足を滑らせた。
あ、という顔をした利南子の腕をぱしっとつかんで、こちらに引っ張ると、利南子は目をしばたたいたあとで、
「……ありがとう」
と言う。
「格好いいじゃない。
さっと助けてくれるとか。
あんた、男ならよかったのに」
「は?」
「あんたのおにいちゃんは何処?
おにいちゃんはいるの?」
美鳥が微笑み、
「訊く順番が逆ですよ、利南子さん」
願望が先に来てますよ、と言う。
「弟でもいいわ」
はは、と苦笑いして夏菜は言った。
……小学生の弟まで狙われている、と思いながら。
「兄が今、何処にいるのか私も知りません
七代目が嫌で何処かに逃亡しちゃって」
「七代目?
なにそれ、歌舞伎役者?」
……利南子さん、この世の中にはたくさんの七代目がいるのですが。
「あんたんち歌舞伎もやってるの?
どうりでアクションがでかいと思った」
やってませんうえに、衝撃的な新事実ですね、それ。
私、身振り手振りが大きかったのか……。
しかし、何故、助けたのに、この言われよう。
いろいろと納得いかない、と思いながら、夏菜は秘書室に戻った。