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「いつき~、おきゃくさまぁ~」
ゆうたの締まりのない声が、教室の喧騒を切り裂いて響いた。身体は小さいくせにクラス一番のボリュームを誇るその声に、俺は顔をしかめる。いい加減にしてほしい。何度言えばわかるんだ。
「「どっちのいつき」だよ!!」
見事に重なった。少し離れた席にいたもう一人のいつき――いつきくんと声が揃ったことに苛立ちつつ、俺は視線を廊下へと向ける。
「え、知らん。どっち?」
ゆうたはヘラヘラと笑いながら廊下側の誰かと会話を交わしている。なんだその気持ちの悪いエセ関西弁は。生粋の関西人であるしゅうとに怒られるぞ。いや、むしろ今すぐ怒られてほしい。
「あの……えっと、いつき先輩を」
その瞬間、思考が停止した。
今、今の声。空気が一瞬だけ甘い匂いに包まれたような、ミルキーピンクの響き。
「……俺じゃね?!」
気がつけば椅子を蹴り飛ばす勢いで立ち上がっていた。机の端に肘をかけてスマホを眺めていたともやが「うぉっ!?」と声を上げ、スマホを宙に放り投げる。悪い、今はそれどころじゃねぇ。
「うわぁ、可愛い。一年生? 俺、神崎しゅうと言うねん。よろしくぅ」
背後の席でサッカー談義に花を咲かせていたはずのしゅうとが、獲物を狙う獣のような速さでドアへと躍り出る。くそ、先を越された。いや、うさちゃんが呼んでんのは俺だ。俺のはずなんだ。
ドアの外で、ミルキーボイスが控えめに「はい」と鳴った。
心臓がうるさい。一歩踏み出しながら、不意に冷や汗が背を伝う。もし違ったら? クラスの笑い者になる? いや、それはまだ耐えられる。問題は、あいつ――いつきの、あの鼻につくニヤニヤ顔だ。
「……で、どっちだ」
拳を握りしめ、低い声で念じるように呟く。背後でスマホを拾い上げたらしいともやが、小走りで俺の横に並んだ。そう、俺の複雑な心中を汲み取れるのは、この心の友しかいない。
いかつい見た目のともやは、精一杯の猫撫で声でその子に問いかけた。
「きつね顔か、たぬき顔。どっちのいつき先輩?」
動物に例えられるのは気に食わないが、今はなりふり構っていられない。頼む、うさちゃん。きつねさんを選んでくれ。
「……え、あ……きつね……」
「おっし!!!」
勝利の雄叫びが喉から飛び出る。その横で、りゅうせいが「いっちゃんだって、いつきくんざんねーん」と間の抜けた声を出し、当のいつきくんも「はぁ~い、そんな感じしてましたぁ」とあっけらかんと笑った。
あいつのいつもの、へらへらした顔が歪むところが見たかったのに。いつきくんは我関せずと、またりゅうせいと昨日のサッカーの話に戻っている。
くそ。必死になってたの、俺だけかよ。
鏡を見なくてもわかる。今の俺の顔、たぶん最高にカッコ悪い。
「あ、あの……」
「ここじゃアレだから。外、行こっか?」
なるべく低く、精一杯カッコつけた声を作った。返ってきたのは、消え入りそうな「……はい」という返事。
痺れる。いや、実際はさっき拳を握りしめすぎたせいで手のひらがビリビリしているだけなのだが。
993
中庭へ続く廊下。背後の気配があまりに希薄で、不安になる。足音が聞こえない。ちっちゃい女の子っていうのは、地面との設置面積が少ないからこんなに静かなのか? それとも、俺が一人で虚空に向かって喋りながら歩いているのか?
「……ごめん、歩くの早かった?」
恐る恐る振り返ると、彼女はちゃんとついてきていた。安堵を隠してクールな表情を取り繕うと、彼女はふるふると首を振り、顔を真っ赤にして俺を見上げている。
……ちっちぇー。かわいー。抱きしめてぇー。
「……そう。よかった」
何が「よかった」だ。語彙力が死んでいる。もっとマシな台詞を用意しておけよ、俺。
「あ、あのっ!!」
中庭に足を踏み出した瞬間、彼女が声を上げた。
いい。実に初々しい。これがいわゆる「初めての告白」というやつか。雲一つない晴天。今日は俺たちの記念日になるんだな。
「ん?」
何も気づいていないフリをして、ゆっくりと彼女に向き直る。ドラマで見たやつだ。今、俺はまさに青春のど真ん中にいる。
「……違うくって。その……きつねとかたぬきってどちらがですか? って聞き返そうとして……あの……」
……あー。察した。
これだ。これが「人生はドラマじゃない」ってやつだ。呼びたかったのは、俺じゃなくて「もう一人のいつき」だったパターン。
「……あー、えっと。どうしよっか? 呼んでくる? いつきくん」
急激に冷えていく心臓を無視して、引きつった笑顔で提案する。
「あ、いえ、いつき先輩に何度もご迷惑をおかけする訳には……」
「……どっちの? あー、あっちか。当たり前か。えー、そんなに好きなの?」
半分ヤケクソだった。恥ずかしすぎて、どうやって教室に帰ればいいのか、どんな顔をして友達に報告すればいいのか、もう脳内パニックだ。
「あ、えっと、好きとかそういう話は別で……今はいつき先輩に……あ、きつねの方の」
……え?
思考が一周して止まる。さっきから薄々気づいていたが、この子、めちゃくちゃ「いい子」じゃないか? 普通、人違いだと気づいた時点で指摘するはずだ。でも彼女は、俺に恥をかかせないために、そして勘違いしたままの俺を傷つけないために、ここまでついてきたんだ。
「うわぁ……めっちゃいい子。そんなん惚れるわぁ」
思わず本音が漏れた。
「そそそ、そんな、勿体無いです! いつき先輩のファンの方に何言われるか……」
「ん? ……でも、いつきくんのことは独り占めしたかったんだよね?」
彼女が大事そうに持っている、端っこからチラリと覗く白い封筒。それを指さして笑うと、彼女の顔がさらに一段階赤くなった。
なんだ。フラれたはずなのに、めちゃくちゃ癒やされている自分がいる。もう、どうだっていいや。