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店先で辺りをきょろきょろ見回していると、白杖を持った樹が見えた。片手にはスマホがある。
店の少し手前で立ち止まった。きっとナビゲーションシステムを使っていたのだろう。
歩み寄り、肩をトンと叩く。
「樹、よく来たね。いらっしゃいませ」
僕に気づいた樹は、「ええ、なんかよそよそしい」と笑う。
「今日は美容師とお客さまだからね」
背中に手をまわし、店内までエスコートする。
「中、静かだね。俺と北斗しかいない?」
「いや…奥で店長が何かしてると思うんだけど。でも気にしなくていいよ」
樹は視覚がダメになっている代わりに、音やにおい、気配みたいなものがよくわかる。
席まで案内し、いつも使っているサングラスを外して白杖を立てかけた。
「じゃあ最初はカットから」
ふわりとケープを掛け、柔らかい髪に触れる。
「どのくらい切る?」
「北斗のおまかせでいいよ。似合う感じにして」
本人は見られないからしょうがない。どれが樹に似合うのか、考えを巡らせながらハサミを入れていく。
と、樹の手が僕の右手に伸びてくる。
「おっと樹、ハサミ持ってるから危ないよ」
「…北斗、腕時計してないね」
「ん?」
「いつもしてるでしょ」
「うん。仕事の時は邪魔だから外してる」
そんなところまで気づくのか…と内心驚いた。しかも毎日時計をして行っていることを知っていたなんて。
「ハサミってどんなの?」
「これはベーシックっていうタイプのシザー。一番よく使うやつね。ほかにもセニングシザーっていうのとか、色々あるよ」
触ってみたい、と言うので、刃が当たらないよう慎重に手の上に乗せる。樹もそっと、ハサミを持つ。
「細いね。普通のとは違う」
「まあプロ用だからね」
そしてカットが終わると、いよいよカラーだ。
「何色がいい?」
「えー、わかんない。おまかせ」
「はいはい笑。さすがに最初で金髪とかはちょっとアレかなあ…。じゃあブラウンが無難かな」
「おお、茶色か。どのくらいの濃さ?」
「どうしよう。樹なら明るめでも似合うと思うよ」
「じゃあそれで」
半ば適当な回答を聞き、調合を始めた。
「代金はいくら?」
「いやいらないって。弟から取るわけないだろ」
「…あ、そういえば今日財布持ってきてないんだった」
「なんだよ笑」
仕事をみたいとは言ったものの、これじゃ全然仕事モードではない。まあいいか、と割り切って、楽しくセットする。
しばらくして、カラーが終わる。
「終わったけど、ちょっと置いておく時間があるからね。15分くらいそのままだよ」
「はーい」
すると、樹は手を伸ばして、目の前のテーブルや椅子を触る。いつもとは違う場所だから、気になるのだろう。
「このテーブル、木だ」
「そう。鏡の枠とか、柱とかも木で出来てるよ」
ふーん、とうなずく。
「さっきから感じてるけど、ちょっといい匂いがする。フレグランス?」
「うん、店長さんがこだわりが強くてね。木のインテリアと合わせて、森林の匂いのやつを使ってるらしい。わかる?」
「うーん、なんとなく」
ちょっとでも気持ちよく感じてたらいいな、と思う。
時計を見ると、カラーが終わってから15分が経っていた。
「おっ、放置時間終わり。よし、出来たよ」
速やかに片付けを済ませると、ほかのお客さまにもやるように、手鏡を後ろにかざす。
樹は気づかないだろうけど。
染めたての栗色の髪が、ライトに当たってキラキラと輝いて見えた。その綺麗な髪を見つめていると、樹が口を開く。「なに見てんの?」
「え?」
「多分、今じっと見てたでしょ」
「……いや」
バレてたか、と苦笑する。なんでわかるんだか…。
樹は何も見えていないはずなのに、なぜか心の奥底まで見透かされている気がするときがある。
「でもね、我ながらいい色に染められたと思う。樹、めちゃくちゃかっこいいよ」
樹はまんざらでもない笑顔を見せた。
自分も帰り支度をして、樹とともに店を出る。外はすっかり日が落ち、暗くなっていた。
「暗くて危ないから、ちゃんと俺にくっついとけよ」
「子供じゃないんだからぁ。大丈夫」
そう言いながら、腕を絡ませる。そんな強がりなところも、大好きだ。
心なしか、樹の突く杖のリズムが軽やかな気がする。
「楽しかった?」
「すっごく。全部が新鮮だった」
明るく告げる。
なあ樹。
次来たときは、もっとかっこよくしてあげるからな。
新しい樹を、引き出してみせるから。
みとけよ。
終わり