テラーノベル
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五年生の冬。
その夜、悠翔は眠ったふりをしていた。
眠くなどなかった。いや、むしろ怖くて、目を閉じることしかできなかった。
廊下の足音がゆっくりと近づいてくる。いつもの誰か。
ドアは開けられたまま、空気が揺れる。
そして、布団が――はがされた。
「起きてるの、わかってるぞ」
その声に反応することはできなかった。声は低く、無感情で、どこか優しげだった。
陽翔の声だった。
身動きが取れなかった。押さえつけられたわけではない。ただ、声を出したらすべてが壊れる気がして、喉が固まっていた。
「泣くなよ。これは、いいことなんだ。……なあ?」
何をされているのか、正確にはわからなかった。ただ、服がめくられ、肌が冷える感覚と、指先が這うような重さが、全身を固めていった。
「誰にも言うなよ。言ったら、もっとひどいことになる」
それが、最初の夜だった。
そのあとの夜は、名前で呼ばれることすらなかった。
中学一年の夏。
その夜は、ふたりだった。笑い声が先に聞こえた。
「もう寝てんのか、こいつ」
「いや、起きてんだろ? ほら、反応してんじゃん」
冗談のように交わされる会話に、布団の中で肩が強張る。声の主は、蒼翔と蓮翔だったと思う。
蒼翔は乱暴だ。すぐに怒鳴るし、力も強い。蓮翔は逆にやさしい声で言葉をかける。だから余計に怖い。
「動くなよ、こっちは見ない。……そう、それでいい」
腕を押さえられたまま、布団の中で身体が冷えていく。何がされているのか、何をされるのか――もう言葉では説明できない。
けれど、終わったあとに残る痣や擦り傷は、教えてくれる。昨夜もまた、「何かがあった」のだと。
「声ひとつ上げなかったな。優等生じゃん」
兄の声が、褒めるように響いた。
アパートに戻った朝。スマホを開くと、匿名のSNSに新しい投稿が上がっていた。
“昨夜の弟くん、またお兄ちゃんと楽しい時間だったらしい”
そこに添えられていたのは、見覚えのある後ろ姿。アパートの入り口に立つ、影。顔は写っていない。
でも、写っていなくてもわかる。あの夜、確かに誰かがいた。
ゼミでは誰もその話題に触れないふりをしながら、どこかで視線が刺さってくる。
「また投稿されてたな。……兄弟って仲良いんだな」
その言葉に、机の下で手が震えた。
笑いながら誰かが机に落書きする。“今夜もがんばれよ”。
別の誰かはレポートに“感謝文”を書き加えてくる。
“兄に抱かれて、安心した夜でした。ありがとう”
教授は見て見ぬふり。時に薄く笑う。
日常が、少しずつ壊れていく。体ではなく、心の内側から。
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