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暖房の効いた部屋で、悠翔は机に突っ伏していた。眠っていたのか、ただ意識が遠のいていたのか、自分でもわからない。
インターホンが鳴る。
画面を確認せずに立ち上がると、足がもつれ、壁にもたれた。
何度も鳴るチャイム。まるで脈打つように、一定のリズムで。
ドアの向こうには、やはり陽翔が立っていた。
「久しぶり」
それだけ言って、靴を脱いで勝手に上がり込む。
この空間が、自分のものではないと悟るのに、時間はかからなかった。
ベッドの上に座る兄。その手が枕を整える。
まるで“最初の夜”と同じように。
「このアパート、鍵かけてても意味ねえな。どうせ、俺が来るんだから」
そう言いながら、背後から肩を抱かれる。体がこわばる。
だが、その反応すら、読まれている。
「ほら、泣くな。お前、昔より素直になったな」
何も返さずに、悠翔は目を閉じた。シーツの感触がざらついて感じたのは、自分の手が震えていたからだ。
兄が帰ったのは、深夜二時を回った頃だった。
部屋の明かりをつけたまま、悠翔は起き上がれなかった。
目覚めたとき、スマホに通知が溜まっていた。
一つを開くと、冷たい感覚が背中を這い上がった。
“深夜の侵入者(笑)やっぱ兄弟愛って強いね”
添えられた画像。アパートの前に立つ影のシルエット。
カメラの位置が不自然に高い。おそらく、向かいの建物からのズーム。
顔は写っていないが、悠翔にはそれが誰か、はっきりわかった。
リプライには、
「弟、素直になった?w」
「次いつ?実況してよー」
そんな言葉が並ぶ。
講義が終わると、ゼミの準備室で呼び止められる。
無視することもできるはずなのに、身体は勝手に足を向ける。
部屋には、数人の学生の姿があった。
「おい、お前、昨日の“兄ちゃんナイト”どうだったよ?あれ、ちゃんと日誌に書いとけって言ったろ」
誰かが笑う。誰も守らない。
机の上に置かれた、小さなメモ帳。すでに中には何かが書かれていた。
読み上げられる。
“あたたかかった。怖くなかった。思い出した。”
悠翔は首を横に振るが、誰も見ていない。
陽翔がいつの間にか背後に立っている。
耳元に低い声が落とされる。
「言ってみろよ、“ありがとう”って。昔みたいにさ」
口が開かない。だけど、心は過去をなぞっていた。
小学生の冬。布団をはがされ、笑われ、泣き声を喉の奥でつぶした夜――。
それが今、また始まっている。
ゼミ後、トイレの個室に逃げ込んで、鍵を閉める。
吐き気が止まらない。食べたものはほとんどなかったのに、胃が裏返るようだった。
スマホを開く。メモ帳に、なぜか一文が追加されている。
“兄に触れられた夜のほうが、まだ息ができた”
悠翔は自分の手で書いた覚えがなかった。
でも、そう思っていた気がした。
次の夜が来るのが怖い。