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翌日の昼休み。教室の窓から差し込む初秋の陽射しが、机の上を輝かせている。氷室と一緒に弁当を食べ、彼が生徒会室へ向かう背中を見送ったあと、俺は林田と他愛もない話をしていた。
陽射しが眩しくてカーテンを引くと、ふわりと入り込んだ風が布を揺らす。その揺れの向こう、廊下から近づいてくる足音が乾いた床を軽く叩いた。
「奏、少し……話がある」
低く抑えた声。健ちゃんだった。普段より口数が少なく、どこか震えを含んだ口調に、否応なしに胸の奥がざわつく。
「うん……わかった」
そう言った瞬間、林田が俺の肩を掴んで引き止めた。
「おまえ……大丈夫なのか? なんか、空気が変だぞ」
林田の視線が、俺と健ちゃんの間を何度も往復する。その心配を笑顔でひた隠し、俺は首を横に振った。
「大丈夫。健ちゃんは幼なじみなんだよ。きっと……積もる話があるんじゃないかな」
そう口にしながらも、胸の奥では昨日の図書室の光景がチラついていた。彼のあとを歩きながら、俺は心の中に厚いバリアを幾重にも張り巡らせる。
廊下の突き当り――窓から射す光が、舞い散る紅葉を映し込んで白く床を照らす場所で、健ちゃんは立ち止まった。周囲には誰もいない。外の風が、閉ざされた静寂に細い音を運ぶ。
「……奏。俺さ、中学受験に誘った本当の理由、ちゃんと言ってなかった」
その言葉に、呼吸が一瞬止まる。
「理由……?」
「奏の将来を考えたとか、そういう綺麗ごとじゃなかったんだ」
健ちゃんの視線が、床の一点に落ちる。握られた拳が小さく震えていた。
「俺……奏を見下してた。ありえないくらいドジで、成績も俺よりもずっと下で、いつも笑ってごまかすおまえを“下”だといつも思ってた。なのに……氷室の隣にいるおまえを見た瞬間……ずっと俺の隣にいた奏が、誰かに奪われたみたいで。悔しくて、惨めで、どうしようもなく嫉妬した」
“見下してた”――その言葉が、胸に鋭く突き刺さる。心臓が強く脈打ち、指先まで熱くなった。
「でもな……俺はそれを絶対に認めたくなくて『昔の奏に戻ってほしい』なんて、歪んだ気持ちを抱いてしまった。あのとき告げたあの言葉は……その醜い本音が漏れた結果だ」
彼は深く息を吐き、ゆっくりと顔を上げる。その目には悔恨と羞恥と、そしてわずかな安堵が混ざっていた。
「奏……ごめん。本当に、ごめん」
そう言って、健ちゃんは突如としてその場に正座し、深々と頭を下げた。床に額が触れる音すら、静寂の中で鮮やかに響いた。
俺はしゃがみ込み、両手で健ちゃんの肩を押して、強引に顔を上げさせる。
「健ちゃん……わかってたよ、なんとなく。でも……こうしてちゃんと自分の気持ちを言ってくれて、ありがとう」
言葉が震えた。だけど、それは悲しみじゃなく、少しだけ心が軽くなった証だった。
健ちゃんの口元が、微かに綻ぶ。
「……ありがとう、奏」
ふたりの間に流れる空気が、昨日までの刺々しさから柔らかな温度を帯びていく。そのタイミングで昼休み終了のチャイムが鳴り、現実へ引き戻された。
けれど俺の胸の奥には、透明な風が吹き抜けていくような清らかな余韻が残っていた。