テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
#刑事もの
鬼霧宗作
1,116
195
#死亡遊戯で飯を食う
ユイ
86
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
堀口の妻と娘は、飲酒運転のトラックにはねられて死亡した。
事故は、雨の日曜日の午後に起きた。
喫茶店で残りの仕事を終えた堀口は、家族と昼食をとるために席を立った。約束の時間に間に合うよう家を出た妻と娘は、下り坂を突っ込んできた大型トラックにはね飛ばされた。
下り坂。
交差点。
赤信号。
過去にも何度か事故が起きていた場所だった。
事故直後の調査によると、妻と娘は交差点から10メートル以上離れた場所で発見されたという。
集中治療室で、妻と娘は酸素マスクをつけられていた。
「内臓の損傷による出血がひどく……。できる限り輸血を続けていますが、心のご準備をなさったほうがいいかもしれません」
医療スタッフは、暗い表情でそう告げた。
「ふたりとも何してるんだ……目を覚ましてくれ。こんなところで死んじゃダメだろ。みんなで幸せに暮らそうって約束したじゃないか。頼む……死なないでくれ。目を覚ましてくれ、頼む……!」
堀口は、ベッドのそばに立ち尽くした。
妻と娘の足には、かろうじて体温が残っていた。
堀口には、その足を撫でてやることしかできなかった。
頼む。頼む。頼む。
死なないでください。
どうか生きてください。
どうか目を開けてください。
どうか、お願いします……。
10時間後、ふたりはこの世を去った。
最初に娘の心臓が止まり、あとを追うように妻も堀口のもとを離れた。
「22時15分。ご臨終です」
医師の死亡宣告を聞いた直後、堀口はよろめきながら集中治療室を出た。
医師の声だけが、頭の中でいつまでも鳴っていた。
警察が入手した防犯カメラの映像を見るには、大きな決意が必要だった。
妻と娘が命を奪われる瞬間の映像だ。
数日間、堀口はまともに食事を摂れなかった。
心身は疲れ果てていた。それでも、映像から目を背けるわけにはいかなかった。
夫として、父として、守れなかった家族の最後を見届けなければならないと思った。
大型トラックが、赤信号を無視して下り坂を走っていく。
ブレーキを踏む気配はなかった。
一目で、ドライバーが正常な状態ではないとわかった。
映像が切り替わる。
妻と娘が傘を差して立っていた。
ふたりは楽しそうに話しているようだったが、傘に隠れて顔は見えない。
次の瞬間、画面の端に大型トラックが現れた。
「やめろ!」
堀口は思わず叫んだ。
トラックは妻と娘を巻き込みながら、なおも走った。
遅れてブレーキがかかったが、すべてが遅すぎた。
ふたりが消えた交差点には、傘だけが逆さまに転がっていた。
堀口が妻の誕生日に贈った高級傘。
そして、娘が好きなアニメキャラクターの傘だった。
彼女たちが生きていた最後の瞬間。
それは同時に、死へと連れ去られる最初の瞬間でもあった。
堀口の時間は、そこで止まった。
妻と娘の香りが残る家に帰るたび、胸が締めつけられた。うまく息ができず、玄関で崩れ落ちた。
あの日、仕事で喫茶店に行かなければ。
ランチの約束をしていなければ。
妻と娘が1分でも遅く家を出ていれば。
もし、あの男が酒を飲んでいなければ!
後悔は時間を問わず堀口の胸をえぐった。
途切れることのない罪悪感と悪夢。
精神科医は、うつ病と診断した。
少しでも現実から逃れたかった。
やめていたタバコに手をつけ、水を飲むように酒に溺れた。
けれど、酒を飲めば飲むほど、心臓をナイフで刺されるように痛んだ。
妻と娘を置いて生きている自分が、嫌でたまらなかった。
ふたりに会いたくて、気づけばビルの屋上に立っていたこともある。
そんなある日、夢に妻が現れた。
耳から血を流しながら、妻は堀口にささやいた。
——死なないで。私たちが見守ってるから。これからもずっと一緒だから
夢から覚めた堀口は、しばらく天井を見つめていた。
そして、静かに体を起こした。
これ以上、アルコールに頼ってはいけない。
家族を奪った酒に、自分まで飲み込まれてどうする。
このままでは、あの運転手と同じ場所へ落ちてしまう。
堀口を踏みとどまらせたのは、飲酒運転への憎しみだったのかもしれない。
酒によって家族を奪われたからこそ、酒に酔った勢いで死ぬことだけは許せなかった。
立ち直らなければならなかった。
ようやく、堀口は働きだした。
目の前の業務を、ひとつずつ冷静に片づけていく。
休日にも出社し、同僚たちの仕事も積極的に支援した。
懸命に、無我夢中で働いた。
余計なことを考える隙間を、頭の中に作らないために。
そんな折、静岡県しそね町に「ビスタ」が建設されるという情報が入った。
堀口はすぐにプロジェクトへ志願した。
しそね町は、高校時代まで過ごした故郷だった。
会社は、堀口の努力を評価した。
粘り強さと誠実さが認められ、堀口は企画部の責任者として現場へ派遣されることになった。
「故郷に恩返しができる。少なくとも、これで誰かは幸せになるはずだ」
悲しみを消すことはできない。
それでも、悲しみの上に何かを築くことはできる。
堀口にとって、ビスタは希望だった。
故郷への愛情は、沈み続ける心をつなぎとめる細い糸となった。
彼はすべての情熱をビスタに注いだ。
ビスタが赤字になる予定であることは、すでに社内では周知の事実だった。ただ吾妻会長の意思を継ぐという、偽りの信仰心だけが人々を動かしていた。
だからこそ堀口は、昼夜を問わず地方都市の再生を考え続けた。
「スポーツ振興」というアイデアは、家族を失った堀口がようやくたどり着いた答えだった。
谷川所長に阻まれはしたものの、最後には吾妻グループの中枢に届き、こうして今日この場にいる。
天は、自分を見捨てていなかった。
目の前には、もうすぐ吾妻グループの総帥となる人物が座っている。
堀口はもう一度、感謝を込めて勇信を見つめた。