テラーノベル
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駅前の大型書店は、休日ということもあって多くの客で賑わっていた。平台には「今週の話題作」と書かれた札が立ち、色とりどりの新刊が積み上げられている。星凪美夏(ほしなぎみか)は人混みの中をゆっくりと歩きながら、芸能誌の並ぶ棚を横目に見た。
テレビではまだ見習いアイドル。だが現実では、自分はただの十八歳の少女に過ぎない。帽子を深くかぶっていれば、誰も振り向かない。そのことが、今は少しだけ心地よかった。
文芸書の平台の前で、美夏はふと足を止める。ひときわ目立つ場所に、一冊の本が平積みされていた。白い空を見上げる少女のイラスト。帯には大きく、『書籍化決定から大反響! Web発、衝撃のSF青春ファンタジー』と書かれている。タイトルは──
『君が消えた世界はまだ続いている』
著者名は、No.404。
美夏はゆっくりと、その一冊を手に取った。
紙の感触。インクの匂い。新品の本だけが持つ、わずかな重み。
そのタイトルを見つめた瞬間、胸の奥が小さく痛んだ。
(……世界は、まだ続いている)
回帰前のあの世界で、自分は死んだ。だが、世界そのものは終わらなかった。
自分の死を報じるニュースが知れ渡っても終わりはない。翌日も、翌々日も新たなニュースは報道される。電車は走り、車も走る。人は学校に行き、会社に向かう。そして、自分を知る人も、知らない人も、それぞれの日常を生き続ける。
自分だけがいなくなって、世界だけが続いていく。
美夏は本の表紙をそっと撫でた。
(月城さんは……)
自然と、一人の青年の顔が浮かぶ。
月城律(つきしろりつ)。あのあと、彼はどうしたのだろう。アザゼルの話によれば、彼もまた天導隆一(てんどうりゅういち)に殺されたという。彼は何故、父の遺稿を自分に渡したのだろう。まさかあんな結果になるとは彼も思っていなかったはずだ──
(……ううん、もう関係ない)
美夏は静かに首を振る。
あの世界は、自分が生きる世界ではない。今、自分が守るべきなのは、この世界だ。そして今は、復讐を果たすことだけを考えて動けばいい。
本の帯に視線を落とす。
人気インフルエンサーのデビュー作。Web文芸賞受賞。Web小説投稿サイトで圧倒的人気。
どれも、回帰前に見たものと同じだった。ただ一つ違うのは、今の美夏は、その『結末』を知っているということだけ。
作者のNo.404は、書籍化からほどなくして、タレント兼映画監督の寿志清純(ずしきよすみ)から著作権侵害で訴訟される。寿志によると、No.404は寿志の映画の元アシスタントスタッフであり、この小説は制作中の映画の脚本を盗作したものだったという。ネットニュースは連日その話題で埋まり、SNSは「盗作者」「詐欺師」と罵る言葉で溢れ返った。やがて作者は活動を停止し、自ら命を絶った。当時のワイドショーは、悲劇のクリエイターとして数日だけ騒ぎ立て、すぐに別のニュースに移っていった。
美夏は一連の騒動をどこか遠い世界の出来事として受け止めていた。
だが、今は違う。
Studio Aster──美夏は、ジャーナリストの月城智明(つきしろともあき)の遺稿で初めてその名を知った。Studio Asterは無名のコンテンツ制作会社だが、彼らの手がけた作品は日本中で広く知られている。映画、ドラマ、小説、漫画、ゲームなど、数え切れないヒット作の裏側で、実際の企画や制作を担っている会社だからだ。世間は監督や脚本家、作家の名前しか知らないが、そのブランドを作っているのはStudio Asterのスタッフだった。
寿志清純は「天才映画監督」として知られているが、現場で彼が担う仕事は、完成した映像を眺めて気まぐれに注文を付けることだけ。脚本は脚本チーム、演出は助監督、編集も現場スタッフが形にする。彼らは皆、Studio Asterの契約社員だ。それでも作品は「寿志監督の最新作」として世に送り出される。
それを可能にしているのが、Studio Asterと同じ経営陣を持つ芸能事務所ASTER ENTERTAINMENTだった。テレビで語る苦労話、妥協を許さない鬼才という肩書き、SNSで見せる人間味──世間が見ている『寿志清純』は、事務所が設計した一つのブランド、作られた商品、架空のキャラクターに過ぎない。
実際の寿志清純は、Studio Asterの経営者の親族。コネで企業に寄生する、引きこもりの社会不適合者だった。しかし滑稽なことに、ASTER ENTERTAINMENTの作り上げた『天才映画監督・寿志清純』という虚像を、寿志本人も信じ込んでいた。月城智明の遺稿によると、寿志にはセルフ・プレゼンテーションや役割同一化という現象が起きていたという。人は演じ続けると、演じた人格を『本当の自分』だと思うようになる。自分は特別な才能を持つ天才であり、若いクリエイターや女優は成功のために従って当然だと疑わないのも、パワハラ、モラハラ、性的行為の強要を繰り返しながら、それを「才能ある人間の厳しさ」と本気で信じているのも、自身の演じる虚像に飲み込まれたからだという。
美夏の脳裏にふと、かつて見たニュースの一文がよぎる。
専業プウタ
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2,027
『No.404氏は、映画監督・寿志清純氏の作品でアシスタントスタッフを務めた経験がある』
当時は、それ以上何も考えなかった。
映画業界ではよくある経歴だと思っていた。
しかし──
──違う。
アシスタントスタッフではない。
もしもNo.404が、本当はStudio Asterの社員だったとしたら。
社内で企画を書き、他人名義の作品を作っていた彼が、会社を通さず、自分の名前でWeb小説を投稿した。そしてそれが大ヒットした。だから寿志は、彼に盗作の汚名を着せた──
美夏の背筋を冷たいものが走った。
これは推測に過ぎない。証拠は何もない。それでも、USBメモリの中にあった情報と、回帰前の記憶が一本の線で繋がっていく。
No.404は、口封じのために社会的に抹殺されたのではないか。
美夏はゆっくりと本を閉じた。今、この本を買えば、天導に知られる可能性がある。自分の住むマンションは、Dream Gateに所属するタレント用の寮だ。管理人も、防犯カメラも、出入りする業者もDream Gateの息がかかっている。どこまで会社の、天導の目が届いているか分からない。
──証拠は部屋に置かない。
それが、回帰して最初に決めたルールだった。
美夏は名残惜しそうに表紙を見つめると、静かに本を平台へと戻した。
◇
書店を出て数分。駅前のチェーンのカフェに入る。
昼下がりの店内には穏やかなジャズが流れ、コーヒーの香りが漂っていた。
美夏はカウンターでアイスコーヒーを注文すると、窓際の席に座った。そしてスマートフォンを取り出し、大手書籍販売サイトの検索欄に打ち込む。
『君が消えた世界はまだ続いている 電子書籍』
すぐに販売ページが表示された。これなら紙の本は残らない。部屋を探られても見つからない。購入ボタンを押すと、すぐにダウンロードが始まる。進捗を示す小さなバーが、ゆっくりと伸びていく。美夏は画面を見つめながら、小さく息を吐いた。
このNo.404という人も、業界の闇に葬られた被害者なのかも知れない。
この人を助けなければ。その思いが義憤なのか、打算なのか、自分でも分からない。
電子書籍のダウンロードの完了を告げる通知音が、静かな店内に小さく響く。美夏は画面を開き、最初のページに指を伸ばす。冒頭の一文を読んだ瞬間、美夏の呼吸が止まった。
「君がいなくなっても、世界は何事もなかったように朝を迎えた」
その一文だけで、胸が締めつけられた。
自分と同じだ。そう思った。
物語の主人公は、大切な人を失う。けれど世界は止まらない。時計は進み、電車は走り、人々は笑い、泣き、昨日と同じように生きていく。ただ、一人だけがいなくなった。ただそれだけ。
美夏は無意識に唇を噛んだ。
自分の死後に流れたであろうニュース映像が脳裏をよぎる。
自分の名前。笑顔の宣材写真。画面下には「アイドル殺害事件」の文字。キャスターは沈痛な表情を作り、コメンテーターは「未来ある若者が……」と語る。けれど翌週には、その時間帯は別のニュースで埋まっている。誰も悪くない。ニュースとはそういうものだ。だからこそ、この小説の一文は、あまりにも痛かった。
美夏はふと思う。この人も、同じ景色を見たのだろうか。誰かを失い、それでも続いていく世界を。それとも、作者自身が自分の未来を無意識に書いてしまったのだろうか。
美夏はページを読み進める。文章は驚くほど静かだった。派手な展開はない。涙を誘う台詞もない。それでも、一文一文が胸の奥へ染み込んでくる。美夏はアイスコーヒーに一度も口をつけていなかった。
店内では学生たちが楽しそうに笑っている。会社員がノートパソコンを開き、商談の資料を作っている。窓の外では親子連れが手をつないで歩いていた。誰も知らない。この平和な国のどこかで、一人の作家が、人生を奪われようとしていることを。そして、その数年後には自分もまた、同じように消される運命だったことを。
気づけば窓の外は、茜色に染まり始めていた。
一冊を読み終えた美夏は、薄まったコーヒーを飲み干し、席を立つ。長居した店内を出ると、夕方の駅前は仕事帰りの人々で賑わっていた。信号待ちをする会社員。買い物袋を提げた主婦。制服姿の高校生。誰もがそれぞれの日常を歩いている。
そのとき、駅前広場に設置された巨大な街頭ビジョンから、ニュース番組のジングルが流れた。
『続いてはエンタメニュースです』
何気なく顔を上げると、画面いっぱいに一人の男が映し出されていた。黒いジャケットに身を包み、満面の笑みを浮かべる映画監督──寿志清純。美夏の足が止まる。
『映画監督・寿志清純さんが本日、緊急記者会見を開きました。会見では、現在話題となっている小説『君が消えた世界はまだ続いている』の映画化を正式発表しました』
「……え?」
思わず声が漏れる。画面が切り替わり、記者会見の映像が映る。フラッシュが焚かれる中、寿志はマイクを握り、五十代半ばとは思えないような無邪気な笑顔で語っていた。
『初めて読んだ瞬間、この作品を映像にしなければならないと強く感じました。作者のNo.404先生にも快くご承諾いただき、最高のスタッフと共に映画化へ向けて動き始めています』
画面下には大きくテロップが躍る。『話題作、異例のスピード映画化決定』──通行人の何人かが足を止め、「すごいな」「もう映画化?」と感心したように見上げている。だが、美夏だけは顔から血の気が引いていた。
──違う。こんな未来は知らない。
回帰前の世界では、この作品は映画化されるどころか、盗作騒動によって世間から葬られた。作者のNo.404は寿志に訴えられ、すべてを失った。それが、自分の知る未来だった。なのに、今、寿志は笑っている。まるで原作者を称賛する理解者のように。あるいは、新たなおもちゃを手に入れた無邪気な子供のように。
「どうして……」
夕暮れの雑踏が遠のいていく。
アザゼルの言葉が脳裏によみがえった。
──未来の記憶は武器になるが、その未来は変化する。
美夏はようやくその意味を理解した。
未来はもう、自分の知る未来ではない。
いったい何が原因なのか見当もつかないが、歴史は確かに書き換わり始めていた。
コメント
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第4話、めっちゃ重くてエモかった…!美夏が本屋で『君が消えた世界はまだ続いている』を手に取るところ、もう胸がギュッてなったよ。自分が死んだ後の世界が続く感覚、一文一文が刺さる…。No.404の裏に隠されたStudio Asterの闇とか、寿志清純の仮面の正体が明らかになる展開、マジで引き込まれた。最後の未来が変わったって気づくシーン、鳥肌立ったわ…これからどうなるの!?続きが待ちきれないよ😭💕