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専業プウタ
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2,027
生放送の音楽番組。その収録スタジオは、開演前から熱気に包まれていた。
無数の照明が天井に吊られ、巨大なクレーンカメラがステージ上を静かに旋回する。出演者の名前が貼られた控室の扉が並ぶ廊下では、スタッフがインカム越しに次々と指示を飛ばし、秒単位で進む進行表に目を走らせていた。
星凪美夏(ほしなぎみか)はWhite Noiseのメンバーと並んで歩きながら、胸の奥を押さえるように息を吐いた。
──今日だ。
回帰前の人生で、月城律(つきしろりつ)と初めて出会った日。
そして──今の美夏にとっては、再会の日になるはずだった。
美夏は最後に律と会った日のことを思い出す。時間にすると──廃遊園地のバックヤードに監禁されていた期間がどれほどなのかは分からないにせよ──、まだ一ヶ月も経っていないはずだ。しかしその隔たりは、宇宙の果てまで探しても辿り着けないほどに遠い。
……それは美夏があの廃遊園地に行く一週間前のことだった。
その日は握手会だった。イベントが終わった頃には、時計の針は午後九時を回っていた。スタッフ専用通路を足早に進みながら、美夏は肩越しに振り返る。
「いた? さっきまで入口に張り付いてた人」
美夏の問いを受けて、隣を歩く女性マネージャーが小さく頷いた。
「警備員が注意したら一度離れたけど、まだ近くにいると思う」
「……懲りない人ですね」
美夏は苦笑する。
White Noiseは、テレビ業界を干された。華やかな舞台を夢見ていた新人時代はとうに終わり、今ではライブハウスを巡る日々。唯一、朝霧舞白(あさぎりましろ)だけがブロードバンドTVの番組でレギュラーを務めているものの、それは配信会社のCEOが彼女に恩義を持つがゆえに獲得できた仕事であり、White Noiseそのものが評価されたわけではない。グループとしての活動は、地下アイドルと大差のないものになっていた。
それでも、わずかに残ったファンは熱心だった。熱心すぎる者もいた。メンバーの住所を特定しようとする者。待ち伏せする者。毎回同じ服で現れ、無言で見つめ続ける者。人気が落ちても、その手の人間だけは消えなかった。
「今日は地下駐車場から出ます」
マネージャーがインカムに短く告げる。
地上出口ではなく、地下。ストーカー対策として用意された退避ルートだった。
コンクリートの壁に囲まれた地下駐車場の一角で、一台の黒いタクシーが人目を避けるようにアイドリングしている。スタッフに促され、美夏は後部座席へと滑り込んだ。
「失礼しま──」
美夏の言葉が止まる。車内には、先客がいた。
「こんばんは」
見知った顔だった。聞き慣れた声だった。
柔らかな笑み。整った横顔。そこにいたのはPolarisの月城律だった。
「月城さん……?」
「ごめん。事情があって、今日は同じ車なんだ」
律は少し困ったように笑う。
助手席に座る彼のマネージャーが振り返る。
「説明は、移動しながら行ないます」
タクシーが静かに発進した。
地下駐車場を抜け、夜の街へと滑り出す。
「今日はPolarisも別会場でイベントだったんですよ」
律のマネージャーが言う。
「帰り道が重なるので、安全を考えてこちらに寄りました」
「そうだったんですね」
美夏は納得した。
律ほどの人気アイドルなら、ストーカー対策は自分たち以上に厳重だろう。窓の外を眺めると、街灯が流れていく。しばらく沈黙が続いた。
「……最近、仕事どう?」
律が静かに尋ねる。美夏は曖昧に笑った。
「それなりに順調……かな……」
本当は違う。テレビ局からは呼ばれない。大型フェスにも出られない。雑誌の取材も減った。寿志清純(ずしきよすみ)を怒らせて干されたことくらい、芸能界にいる人間なら誰でも知っている。Studio Asterは制作費の八割を広告宣伝費に割り当てる。広告収入頼りのテレビ局にとっては、大口の顧客だ。ゆえに局はStudio Asterの意向には逆らえない。『映画監督・寿志清純』がハリボテの虚像に過ぎないことに気づいている者は少なくないにも関わらず。
律はそれ以上は聞かず、車窓へと視線を向ける。
その表情が、ふっと険しくなった。
「……やっぱりか」
「え?」
「運転手さん。次の交差点を右へ」
律の声は緊迫していた。
運転手はルームミラー越しに頷いた。
タクシーが右折する。数秒後、後ろの黒いワンボックスも同じように曲がった。
美夏は首を傾げ、尋ねる。
「ストーカー系のファンですか?」
「いや。ストーカーなら、もっと近づいてくるだろう」
言われて初めて、美夏も気づく。
ワンボックスカーは一定の車間距離を保ったまま、追い越さず、離れない。まるで尾行の訓練でも受けた人間のようだった。美夏の胸の奥がざわつく。
「知り合い……ですか?」
「知らない相手だ。でも、多分──」
律は最後まで言わなかった。
前方の信号が黄色に変わる。タクシーは加速し、そのまま交差点を抜けた。直後、信号が赤へと変わる。追跡車は停止線の手前で止まるしかなかった。
「……今だ」
律は美夏の手を握る。美夏は抵抗しなかった。律はドアノブに手をかけ、言う。
「運転手さん、この先で降ろしてください。マネージャーさん、僕たちはここで降ります」
「分かりました。帰宅したら連絡してください」
「はい」
タクシーは交差点を曲がった先で減速した。
美夏は何が起きているのか分からないまま、律に続いて夜の街に降り立った。
目の前には、全面ガラス張りの巨大な吹き抜け空間が広がっていた。
夜空へ伸びるエスカレーター。幾何学模様に組まれた鉄骨。天井から幾筋もの光が滝のように降り注ぐアトリウム。人影はまばらだが、その幻想的な光景だけは、都会の喧騒から切り離された別世界のようだった。
律は周囲を一度だけ見渡し、小さく息を吐く。
「ここなら少しだけ時間が稼げる」
そう言うと、律はサマージャケットの内ポケットにそっと手を入れた。そして黒いUSBメモリを取り出した。キャップには傷がつき、メーカーのロゴも擦れて薄くなっている。どこにでも売っていそうな、何の変哲もない記録媒体。
律は美夏の手を取ると、USBメモリを握らせた。
「これを預かってほしい」
「え……?」
「父が残した取材データだ。誰にも見せるな」
律の声は落ち着いていた。
だが、その落ち着きがかえって不自然だった。
夜のガラス張りの空間は美しい。吹き抜けの天井から降り注ぐ光は幻想的で、恋人たちは写真を撮り、買い物帰りの人々は足を止めることなく通り過ぎていく。誰も、自分たちを見ていない。それなのに、美夏には周囲のすべてが敵に思えてくる。
心臓が早鐘を打つ。美夏は知っている。月城律の父・智明は著名なフリージャーナリストだった。しかし七年前に不慮の事故で亡くなったと報じられていた。
律は美夏の顔をまっすぐ見ながら言葉を続ける。
「父は死ぬ直前まで、ある件を追っていた。警察は父の死を事故だと言った。でも、俺はそうは思っていない」
美夏には何も言えなかった。今の律の顔には、テレビで見せる王子様キャラの面影はなかった。あるのは静かな確信だけ。
「もし俺の考えが間違っていなければ、追跡者の目的はこのデータだ。コレを表に出したくない連中に監視されている」
「どういうことですか?」
「このデータは父の遺品の中にはなかった。最近になって発見されたんだ。たぶん誰かが……父を殺した犯人が、父から奪ったんだろうね。追跡者が現れたのは、これを受け取ったすぐ後のことだ」
「そんな重要な物なら、私じゃなくて──」
「重要な物だから、君なんだ」
律は美夏の言葉を遮った。
「信じられるのは君だけだ」
美夏はてのひらの中にあるUSBメモリを握った。
小さく、軽い。なのに、とてつもなく重く感じる。
「……どうして私を信じるんですか?」
律は少しだけ笑った。
テレビで見せる営業用の笑顔ではない。
どこか疲れたような、力の抜けた笑みだった。
「信じたいから、だよ」
律の返事はそれだけだった。美夏の胸が熱くなる。こんな大切な物を、彼は自分に託そうとしている。彼の気持ちに応えたいと思った。美夏は穏やかに微笑んだ。
「……分かりました。預かります」
「ありがとう」
その「ありがとう」が、美夏には何故か別れの挨拶のように聞こえた。
嫌な胸騒ぎを覚え、美夏は律に確認する。
「でも、これ……預かるだけでいいんですよね?」
「もちろんだ。全部終わったら、受け取りに来るよ」
全部終わったら──その言葉の意味を、美夏は深く考えなかった。
このUSBメモリが原因で命を落とすことになるなど、このときの美夏は夢にも思わなかった。
……音楽番組の収録スタジオを歩きながら、美夏は目だけを動かして律の姿を探す。
未来はすでに変わり始めている。No.404の小説は映画化が決まり、舞白には説明のつかない違和感が生まれている。自分の知る歴史は、少しずつ別の形へと枝分かれしている。美夏の胸がざわつく。
──もしも今日、会えなかったら。
今生では、律と自分の運命が交わることはないのかも知れない。
そんな不安を抱えたまま歩く美夏の前で、出演者ラウンジの扉が開いた。
コメント
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うわ、しらなみさん! 第5話、めっちゃ読んだわ! タクシーの中での律の「信じたいから」ってセリフ、ガチで心臓持ってかれた。王子様キャラの裏にこんな覚悟があったなんて…。USBメモリの伏線も気になりすぎるし、美夏の「回帰前の記憶」と今の再会がどう交差するのか、続きが待ちきれない! 情景描写が細かくて、脳内に映像がバチバチ浮かんだよ。次回も楽しみにしてる🔥