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東京都千代田区永田町。
日本国の権力の中枢、首相官邸。
その地下深く、核攻撃にも耐えうるとされる危機管理センターの大会議室は、一つの巨大なプロジェクトの節目を迎えた安堵感と、それ以上に重い次なるフェーズへの緊張感に包まれていた。
円卓を囲むのは、副島内閣総理大臣、内閣官房長官、外務大臣、防衛大臣、経済産業大臣、そして各情報機関のトップたち。
彼らの表情は一様に硬い。
だが、その瞳の奥には、かつてのような「持たざる国」の悲壮感はない。
あるのは、世界を盤面に見立て、駒を動かすプレイヤーとしての冷徹な光だ。
スクリーンの脇に立つ内閣官房参事官、日下部が手元のタブレットを操作し、最終報告を開始した。
「……それでは、フェーズ3『対米・対中工作』の総括を行います」
日下部の声は、機械のように淡々としていた。
「まず、アメリカ合衆国の動向について。
結論から申し上げますと……完全に、こちらの手に落ちました」
スクリーンに、ワシントンD.C.とニューヨークを結ぶ相関図が表示される。
そこにはホワイトハウス、CIA、そして軍産複合体の巨頭『タイタン・グループ』のロゴが並び、それらが日本というハブを中心に、強固なラインで結ばれていた。
「先日、キャンプ・デービッドにて譲渡した5本の『医療用キット』。
その使途は、CIA内部の協力者(エス)からの報告により、全て特定されました」
日下部は、指を一本立てた。
「1本は、NIH(国立衛生研究所)の極秘ラボにて、成分解析のために消費されました。
結果は想定通り。
『再現不可能』『ブラックボックス』という結論に至り、彼らは独自開発を断念。
日本からの供給に依存せざるを得ない状況を、確認させました」
二本目の指が立つ。
「もう1本は、ウォルター・リード陸軍医療センターにて、四肢欠損および内臓損傷を負った退役軍人——ジェームズ・マクラーレン軍曹に使用されました。
効果は劇的。
完全な再生と機能強化を確認。
これにより米軍上層部は『兵士の消耗を無効化できる技術』として、この薬に狂信的な価値を見出しました」
そして三本目の指。
「そして3本目。
これが最も重要な一手でした。
アーサー・マクドウェル率いる『タイタン・グループ』。
その唯一の後継者であり、不治の病に伏せっていた孫、ノア・マクドウェルに使用されました」
画面に、若く精悍な青年の写真が映し出される。
かつて死の床にあった少年とは思えない、力強い眼差しだ。
「彼は完治しました。
それだけでなく、ナノマシンによる身体機能の最適化を受け、次世代のリーダーにふさわしいカリスマ性と能力を獲得しています。
……現在、マクドウェル家はアメリカ政府に対し、そして間接的に日本に対し、絶対の忠誠を誓っています」
「『アメリカの海道サクラ』か」
官房長官が、満足げに頷いた。
「金や利権で繋がった関係は脆いが、命と血で結ばれた恩義は重い。
特に、溺愛する孫を救われた祖父の感謝は、核兵器よりも強い拘束力を持つ」
「はい。
すでに効果は表れています。
ノア・マクドウェルの指示の下、民間軍事会社『ブラック・オニキス』が動き出しました。
彼らは新木場周辺だけでなく、日本の主要な港湾、研究施設、そして海道重工の幹部たちの警護を、ボランティア同然の契約で引き受けてくれています。
名目は『日米安全保障協力の民間委託』ですが、実態はマクドウェル家の私兵による『日本守護』です」
日下部は、皮肉な笑みを浮かべた。
「皮肉なものです。
かつて日本を支配しようとしたディープステートの一部が、今や日本の最強の番犬となっているのですから」
「全て、計画通りに進んだな」
防衛大臣が膝を打つ。
これで中国の工作員がどれだけ浸透しようとも、アメリカの筋肉(マッスル)が物理的に排除してくれる。
日本の公安警察だけでは手が回らない汚れ仕事を、彼らが肩代わりしてくれるのだ。
「……いえ」
日下部が、わずかに表情を曇らせた。
「正確に言えば、一つだけ誤算がありました。
当初のシナリオでは4本目のキットを『ウォーレン大統領自身』が使用するはずでした」
会議室がざわめく。
最高権力者への首輪。
それが実現していれば、日本はアメリカを完全にコントロール下に置けたはずだ。
「大統領は、心臓に持病を抱えています。
通常なら目の前の『若返り』の誘惑には勝てないはずでした。
ですが……彼は拒否しました。
『個人の延命より、国家のシステムを守る』と」
「未使用か……」
総理が、感嘆と悔しさの入り混じった溜め息をついた。
「ウォーレン大統領の理性が勝ったか。
流石と言うべきだろうな。
自身より国家を優先する。
政治家として、見習うべき手本だ」
「うむ。素晴らしい精神です……。
敵に回すには惜しい。
いや、だからこそ厄介な相手だ」
外務大臣も同意する。
欲に溺れた独裁者なら御しやすいが、信念を持った愛国者は手強い。
彼は日本を「利用価値のあるパートナー」として扱ってはくれるが、決して日本の言いなりにはならないだろう。
「ともかく、大統領個人への首輪は失敗しましたが、結果として軍産複合体という『アメリカの腕力』には首輪が嵌められました。
政権が代わろうとも、マクドウェル家の恩義は消えません。
十分な戦果と言えるでしょう」
日下部は、結論づけた。
アメリカ戦線、異常なし。
むしろ想定以上の防御壁が構築された。
次なる議題。
東の脅威、中国だ。
「では次に、中国の動向について。
内閣情報官、お願いします」
指名された情報官が立ち上がり、資料を切り替えた。
そこには北京の中南海と、日本国内で暗躍する二重スパイたちのネットワーク図が表示されている。
「はい。
先日、我々が放った二重スパイ——コードネーム『黒猫』からのリーク情報は、中国指導部に激震を走らせました。
『医療用キットによる再生治療の証拠映像』および『日本政府が条件次第で2本を譲渡する準備がある』という偽情報です」
「反応は?」
「熱狂……いや、狂乱に近い状態です」
情報官は、傍受した通信記録を読み上げた。
「李総理をはじめとする幹部たちは映像を見て『神の薬だ』『日本の神秘だ』と歓喜しています。
特に党の長老たちの興奮ぶりは尋常ではありません。
『徐福や始皇帝の悲願がついに叶うのだ!』と涙を流して喜んでいるとの報告が入っています」
「……始皇帝か。
数千年の妄執だな」
官房長官が、呆れたように言った。
「さらに彼らを驚かせたのは『在庫数』の情報です。
『100本にも満たない』という情報を我々は『希少だ』という意味で流しましたが、彼らは逆の捉え方をしました。
『100本もあるのか!? そんなに!?』と」
「ああ……。
彼らの感覚では伝説の秘薬といえば世界に1つか2つ。
それが100個もあると聞けば、バーゲンセールに見えるわけか」
「はい。
『それだけあるなら我々の分も必ずあるはずだ』という希望的観測が、彼らの対日姿勢を軟化させています。
『保護区』という屈辱的な条件すら、『薬を手に入れるための通過儀礼』として飲み込む構えです」
会議室に失笑が漏れた。
プライドの高い中華帝国が、薬欲しさに頭を下げる。
それほどまでに、死の恐怖は絶対的なのだ。
「それで、総理」
防衛大臣が身を乗り出した。
「本当に渡すのですか?
『2本』を」
その問いに、全員の視線が日下部と総理に集まる。
約束は約束だ。
もし反故にすれば、騙されたと知った龍は、今度こそ怒り狂って暴れだすだろう。
「えっ?」
日下部は、キョトンとした顔で言った。
「渡すわけないでしょう?
ブラフに決まっています」
「……は?」
防衛大臣が絶句する。
「いや、しかし……。
何も渡さなければ交渉が決裂するぞ。
時間稼ぎだとしても、何らかの成果物(アウトプット)がなければ……」
「ラット利用分のサンプルぐらいは渡す予定ですよ。
使いさしの、空に近いインジェクターを一本。
『輸送中の事故で中身が漏れましたが、成分は残っています』とでも言って」
日下部は、平然と言い放った。
「流石に新品を2本渡す予定は、今の所なしですよ」
「しかし、それでは彼らが納得しないのでは?」
「そこは駆け引きです。
『今は在庫が切れている』
『アメリカの監視が厳しい』
とのらりくらり躱しつつ、
『指示に従ってくれるなら、将来的に2本ぐらいなら……』と、常に鼻先に人参をぶら下げ続けるのです」
日下部は、悪魔的な笑みを深めた。
「まあ、彼らの態度次第ですね。
もし彼らが本当に日本を『保護』し、アメリカの圧力から守る盾になってくれるなら……。
そして日本の内政に一切干渉せず、尖閣周辺からも完全に手を引くなら。
その時はご褒美として、1本くらい恵んでやってもいいかもしれません」
「……君は中国を飼い慣らすつもりか」
経産大臣が戦慄した。
14億の民を抱える超大国を、薬一本でペットのように扱おうとしている。
「ですが日下部くん。
渡さないにしても、彼らが独自に解析を進めるリスクはあるぞ。
ラット用のサンプルからでも、何かを掴むかもしれん」
科学技術担当大臣が、懸念を示す。
「そこなんですよ」
日下部が、パンと手を叩いた。
「むしろ、そこに期待しているんです」
「期待?」
「はい。
ラット分の残骸で解析して、技術的に無理でしょうが……万が一、再現できれば、それを頂きます」
日下部の目が、冷酷に光った。
「中国です。
彼らなら倫理規定など無視して、人権無視の人体実験を繰り返すでしょう。
死刑囚、政治犯……。
ありとあらゆる『材料』を使って、ナノマシンの複製実験を行うはずです。
日本やアメリカでは絶対に不可能な、数千、数万のサンプルを使った強制実験をね」
会議室の空気が、急速に冷え込んだ。
誰もが日下部の意図を理解し、そのおぞましさに言葉を失った。
「もし彼らが死体の山の上に『ナノマシンの複製法』や『代替生産法』を確立してくれたら……。
我々はそれをスパイ網を通じて、横から頂くのです」
日下部は続けた。
「現在の『医療用キット』は、工藤創一氏の工場(テラ・ノヴァ)に100%依存しています。
彼がいなくなれば、あるいは彼の気が変われば、供給は止まる。
これは国家安全保障上、極めて脆弱な状態です。
我々としても工藤氏に依存したくない。
独自生産のルートを確保したいのです」
「そのための実験台として、中国を使うと?」
「ええ。
日本人の手は汚せませんからね。
汚れ仕事は隣国に任せるのが一番です。
……まあ今の中国の技術力では無理でしょうけど。
宝くじを買うようなものです」
日下部は、コーヒーを一口啜った。
その仕草は、優雅ですらあった。
長い沈黙の後、副島総理が低い声で言った。
「……日下部くん。
君は悪魔かね?」
それは非難ではなく、畏怖の言葉だった。
国を守るために、ここまで冷徹になれる人間が、自分の部下であることへの恐怖。
日下部は、きょとんとした顔をした。
そして、にこりと微笑んだ。
「えっ?
官僚ですから、当たり前です」
その言葉に、部屋中の誰も反論できなかった。
官僚。
国家という巨大なシステムを維持するために、感情を捨て、法と論理と国益のみに従事する生き物。
彼は、その究極形なのだ。
「……分かった。
その方針で進めよう。
アメリカには『誠実な同盟国』の顔を。
中国には『気まぐれな神』の顔を。
そして工藤氏には……『良き理解者』の顔を見せ続けるのだ」
総理が締めくくった。
「はい。
工藤氏には、余計な心配をかけさせませんよ。
彼は工場のことだけを考えていればいい。
泥を被り、血を流し、嘘をつくのは、我々大人の仕事です」
日下部は、ファイルを閉じた。
第三部の幕が下りる。
硝子のカーテンは閉ざされ、黄金の賄賂は配られた。
だが、その裏で渦巻く欲望と策謀は、決して消えることはない。
テラ・ノヴァで工藤創一が拡張し続ける工場の煙突から、今日もまた新しい煙が立ち上る。
その煙の影で、日本という国は、したたかに、そして恐ろしく変貌を遂げていた。
——The Factory Must Grow.
その言葉は、今や一人の男のモットーではなく、国家生存のための絶対命令となっていた。
第三部 硝子のカーテンと黄金の賄賂編 完