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休憩小屋に消えたヴェローニカとノワールの姿を、呆然と見詰めていたピーアは我に返ったかのように叫ぶ。
「ずるいわ! 私を先に治癒すべきでしょう?」
「貴女にその価値があると?」
「当然でしょう! 私だってあんたみたいに着飾れば領主の妻ぐらい簡単になれるわ」
ない胸を張り自己主張をするピーア。
外見を飾ったところで領主の妻が勤まるはずもないのに。
クレメンティーネが領主の妻でいられるのは、その能力が高いからだ。
領主であるエックハルトをころころと掌の上で転がしている。
ピーアが相手であれば逆にエックハルトが転がすだろう。
その手間を考える以前に、ピーアに手を出すなんてあり得ないと思うが。
恐らく研鑽を続けているクレメンティーネと、努力が辞書にないピーアでは器が違うのだ。
「元が違うし、クレメンティーネの領主妻としての実績はすばらしいものなの。奇跡が起きて貴女が領主妻になったとしても、クレメンティーネの実績を超える日は永遠にこないでしょうね」
何処までも身の程を知らないピーアに、つい口を出してしまった。
クレメンティーネがきらきらとした眼差しを向けてくる。
妖艶な美女にそんな目を向けられたら、誰だって頑張ろうと思うよね。
だからエックハルトは羨ましそうな表情をしないでほしい。
「や、やってみなければわからないでしょ?だいたい関係ない人間は口をださな!」
ピーアの発言が不自然に止まる。
彩絲と雪華の我慢が限界を迎えたようだ。
ピーアに飛びかかった子蛇と子蜘蛛が彼女を昏倒させた。
「愚物が! これ以上話をさせるだけ無駄じゃな」
「本当に! 恥知らずはどこにでもいるけれど、彼女はずば抜けているわね。懺悔のやり方すら知らなそうだわ。シスターのくせに」
「……そういえばシスターって誰にでもなれるものなの?」
「教会によってはなれるぞ。シスター以上になるためには試験もあるし、その品位も問われるがの」
「彼女は破門をお願いしたいですわ!」
彩絲と雪華がぎろりと院長を睨みつける。
土下座体勢のまま飛び上がった院長は空中にいる一瞬の間に叫んだ。
「手配いたします!」
この世界で破門がどの程度の効力を持つのかはわからないが、教会関係には頼れなくなるだろう。
「して。院長よ。何ぞ言い訳でもあるかぇ」
院長を睥睨した彩絲が問う。
「は。ございません。人の欲に弱すぎる自分が全て悪いのでございます」
飛び上がった際に崩れた土下座体勢を直した院長は言い訳をしなかった。
情緒酌量の余地なし! と判断していたが、その従順さに首を傾げる。
「人の欲に、弱い、と?」
雪華も私と同じ意見だったのか改めて問うている。
「はい。両親も知らぬ孤児でございました。ゆえに愛を知らず、神の愛に縋りました」
不憫な過去を持っていたようだ。
宗教に縋る多くの者は家族関係に問題があるという意見も多い。
それはあながち間違っていないとも思う。
私自身夫に出会えなかったら宗教を盲信した可能性が高い。
私も貴女に会っていなかったら教祖にでもなっていたかもしれませんねぇ……。
夫がしみじみと意見に賛同してくれた。
しかし教祖になっていたかも? というのが夫らしい。
「神の愛を得たいがために、一心不乱に修行を積んでまいりました結果。院長となれました」
意外だ。
正直いってそこまでの苦労人には見えない。
「しかし……エッダが来る数年前から徐々に、人としての欲望……特に性欲が抑えられなくなってまいりました」
「そ、そうですわ! その男はエッダに悪戯を……」
今まで存在を忘れていたメヒティルトが大きな声を上げる。
しかしハイデマリーが間髪入れずに返した。
「院長は! 悪戯はしないわ。無理強いだってしない。シスター メヒティルトもシスター ピーアも自分から院長に媚を売っただけじゃない!」
おぉ。
しかもハイデマリーがかばっている。
エッダの魅了に囚われる前までは、そこまで悪人でもなかったようだ。
周囲のシスターに問題が多かった。
もともと弱者に対して慈悲深い心を持っていたのかもしれない。
だからこそ、女性に対して強くは出られなかった。
「媚を売られたからと誘いに乗ってはいけないのが聖職者です。ですが私は誘惑に負けてしまいました。エッダの魅了にも……自ら進んで囚われたようにも思います。ここで……明らかになって幸いでした。どうか私めに罰をお与えくださいませ」
顔を伏せていた院長はここで一端顔を上げた。
先ほどの何かを隠し通そうとする、何処か卑屈な色は綺麗さっぱりなくなっている。
純粋な、澄んだ瞳になっているのだ。
ここまでの変化は珍しい。
「……心より反省する者に、相応しい贖罪を与えると約束しよう」
ひどく厳かな声でエックハルトが言い渡す。
院長は再び床に額ずいて感謝の言葉を述べた。
「誠にありがとうございます」
晴れ晴れとした声だった。
院長としての復活はなくとも、このまま教会で奉仕させても良い気がしてきた。
子供たちが安堵の眼差しを院長に向けているのも、そう思わせる一因だ。
「さて。彩絲殿。糸を外していただけるだろうか?」
「口だけならばよかろう」
「ええ。暴れそうなので口だけでお願いします」
ここでようやく本命だ。
まだ子供なので、多少なりとも反省の態度が見られればいいのだが。
マスクのように口を覆っていた糸が、はらりと滑り落ちる。
大きく息を吸い込んだエッダは彩絲を睨みつけながら罵声を浴びせた。
「何なのよ、この糸は! あんた蜘蛛人間なの? 気持ち悪い。蜘蛛人間とか生きている価値がな! きゃああ!」
彩絲は表情一つ変えないでエッダの罵声を聞いていたが、子蜘蛛は許せなかったようだ。
エッダの拘束された体を天井から吊り下げた。
ぷらーんぷらーんと蓑虫のように揺れる体を見ても、助けようとする者は一人もいない。
魅了に囚われていそうな孤児も、揺れる糸の動きに合わせて体を動かしているだけだった。
「ちょっと! 誰か助けなさいよ!」
「いやだよ! エッダちゃん。いじわるばっかりするからきらいだもん!」
静かに様子を見守っていた幼女が一人、声を上げる。
「そうだよな。おれのごはんをとるの、もうやめてくれよ」
「にどと、かってにかみのけをきらないで!」
「おもちゃのひとりじめは、だめだとおもう!」
ここぞとばかりに声が上がる。
幼女だけでない。
男児も声をあげた。
魅了に囚われているというよりも、自分が被害に遭うのを恐れて従順なふりをしていたのかもしれない。
「えぇ? 私は特別なの! だから私は優先されるべきなのよ」
なんでわからないの? とばかりに憤慨している。
暴れるので余計に体が揺れた。
糸が体に食い込んで痛くないのだろうか。
興奮しているので、落ち着いたら痛みに叫きそうだ。
「……誰がそなたを特別じゃと言ったのか? 神の声でも聞こえるとでも申すのか?」
「神の声? 聞こえるわけないじゃん! 誰がって……私! 私が特別だって決めたのよ」
「へー。じゃあ私が特別だって決めれば、私は特別なんだね?」
「そ、そんなことがあるわけないじゃない。私だけが特別なのよ」
「そなたは特別ではない。ただの魅了スキルを垂れ流す孤児ですのよ?」
幼い子供に言い聞かせるような口調にエッダはかちんときたようだ。
「おばさんがうるさい! あんたも私の言うことを聞きなさい」
びしっと無礼にもクレメンティーネを指で差す。
クレメンティーネは優雅に扇子で己の頬を仰いだ。
「私にそのネックレスを献上するのよ!」
ふんと胸を張ってえらそうに命令するエッダ。
当然クレメンティーネは動かない。
口元に甘い微笑を浮かべて扇子を泳がせるだけだ。
「ちょっと、いうこと、聞きなさいよ」
「……特別とはのぅ。我が主のような人物に対して使われるべきなのじゃよ。主?」
彩絲が頑張るのじゃぞ? と流し目を寄越した。
夫の介入もない。
私は大きく溜め息を吐いた。
「己の罪を述べ、謝意を示せ」
努めて威厳のある声でエッダを凝視した。
エッダの体が天井から地面へと落ちる。
ずたんと音がした。
「特別な存在で申し訳ございませんでした……って、どうして特別な存在なのに謝っちゃうの? え、どうして私が謝罪とかしてるの?」
「これが、本物の特別じゃよ。貴様には真似できまい?」
彩絲が鼻で笑う。
エッダはぐるっと周囲を見回して、最後に私の目を見詰めた。
哀願の眼差しに、私は冷笑で応える。
ここにきてやっと、エッダの目に恐怖が浮かんだ。
がちがちと歯を鳴らすエッダを引き続き睥睨する。
「魅了スキルは忌避されるスキルの一つ。何故そうなのかわかるか?」
「わかるわけな! ぎゃああ!」
ごんと激しく頭が床に打ちつけられる。
見れば子蜘蛛と子蛇が全身に纏わりつきエッダの全身を制御していた。
「特別な存在には敬意を払うものじゃ。敬語が使えぬのなら、最低限丁寧な言葉使いにせよ」
「わかりません、が無難かしらね。さ、言い直して」
彩絲と雪華の言葉に温度がない。
子供とはいえ許されない領域に達してしまったようだ。
「ふ、ふざけない! ふぎぃ!」
おぉ、新しい。
子蜘蛛が糸を使って変顔をさせている。
頬肉を思い切り引っ張った。
痛みはそこまでなさそうだが、難とも間抜け顔になっている。
大人たちは素知らぬ風情を装っていたが、子供たちは容赦がない。
「えっだのかお、へん!」
「うん、おかしい。いつもいじょうにおかしいよ」
「ねー。かわいくないのに、かわいいとかいってるもんねー」
や、そこそこ可愛いだろう。
魅了にかからない私でも、可愛いか可愛くないかの二択を迫られれば可愛いと答える。
「だいたいいつもおこってるし」
「わらってるときも、にやぁってきもちわるくわらうから、かわいくないのよ」
幼子たちの容赦のなさに、大人もくすくすと笑った。
一部の人間に褒め称えられるだけでは物足りないのだろう。
だから何時も不満げな顔をしていた、と。
「わたしは、可愛いわ!」
「もっとかわいいこ、いっぱいいるよ?」
「だよねー。わたしたちのきょうかいはかわいいこがおおいって、えーと? しんじゃさんたちがいってた!」
「かっこういいおとこのこもおおいんだぞ!」
貴族のご落胤が多いからねぇ。
追放されなかった子の顔も整っている。
この中では一番可愛いのは……それでもエッダではない。
好みもあるけどね。
「魅了スキルで思い込ませているだけの勘違い女なのよ、貴女は」
「ほれ、その顔の何処が可愛いのじゃ?」
またしても変顔にされたエッダの前に姿見が出される。
「う、う……誰だって頬を引っ張られれば、可愛くないし!」
「じゃあ、糸を解除してやろう。どうじゃ?」
本当に可愛い子は怒ろうが泣こうが愛らしく見えて困るのだが、エッダはそこまで美形ではない。
憎々しげに姿見を凝視する顔は不細工に映る。
「うん。可愛いわ!」
しかしエッダはぶれない。
自分は可愛いという思い込みが酷いのだ。
「……顔の作りが調っているだけで、特別にはなりえませんわ」
「そうだな。王族や高位貴族には整った顔立ちの方が多いが、特別と思っておられないようだ。むしろ当たり前、と」
「え?」
あー、確かに。
特別よりも当たり前、美しくない方がおかしい。
美しくて当然と思われている。
難儀よね。
華やかに見えても、裏側はいろいろあるのが高貴な人たちの日常だから。
「貴様が高貴な方たちと肩を並べる機会は永遠にないが、あったとしても浮くじゃろ。特別が当たり前の方々の中にあっては」
「え? え?」
理解できないらしい。
他の子供たちは何となく、こんなことを言っているらしい、程度には理解できているのに。
「主よ。例の物を」
「あら駄目よ。これは……そうね、院長の最後の仕事にしてもらいましょうか」
私は魅了の封印具を取り出した。
ノワールを通して使い方は宮廷魔導師の館に送ってある。
齎される魅了を調節できるという規格外の封印具だ。
ちなみに封印具の検証は、御方様の手による物なのでよく考えてから挑戦するように! と告げてある。
さすがの宮廷魔導師たちも解体してまで検証はしないだろう。
さくっと死ぬと理解しているからだ。
夫は不正使用をさせないために徹底的な細工を施している。
その秘密を暴こうとするならば、数多の細工が無謀者たちに牙を剥くだろう。
「院長。これを彼女の手首に」
私はおずおずと近寄ってきた院長にブレスレットを手渡す。
繊細な銀細工が美しいブレスレットの何処に、高性能な封印機能が備わっているのか気になる。
気になるがそれ以上を考えない方がいいのだ。
「……エッダ。憐れな娘。そなたに神の御慈悲があらんことを」
院長は静かにそう言って、糸で身動きが取れないエッダの手首にブレスレットを装着した。
きん! と金属が触れ合うような音がする。
恐らく封印具がその力を発揮した証なのだろう。
「ひぃ!」
エッダが糸の力を撥ね除けて大きくのけぞった。
火事場の馬鹿力。
それだけ悍ましかったのかもしれない。
一瞬だが巨大な蛇が浮かんだのだ。
本物を見たわけではないが、たぶんウロボロス。
未来永劫スキルを自在に封じ続けるという意味合いがあるのだ、と推察してみる。
その通りですよ、さすがですね。
夫の言葉があった。
間違っていなかったらしい。
さて院長の慈悲は彼女に届くだろうか。
神の慈悲は残念ながらないと思うので、せめて届いてほしいと思う。
院長が不憫なので。
「あら! 素敵。やっぱり私は特別なのだわ。ね、院長?」
エッダの顔が笑顔になる。
悪役がよくやる、にたぁ、という粘着質な笑いだ。
「……愚かだな、エッダ。私も人のことは言えないが」
院長は予測していたのだろう。
静かな諦観を浮かべて、エッダを否定する。
「愚かなのは、院長でしょう! ほら、私の言うことを聞きなさい。こいつらを全員破門にするのよ!」
「院長として最後の仕事をしてもよろしいでしょうか、御領主様」
「うむ。構わぬよ」
「では、失礼して……シスター ピーア、シスター メヒティルト、エッダを破門とす。また私は院長の地位を返上し、一従者として教会に尽くします」
「嘘よ!」
「酷すぎますわ!」
「え……なんで私が破門されるの? 破門されるのは、私じゃなくて! 院長! 私の言うことをききなさいよ」
ブレスレットがきらきらと輝く。
スキル魅了発動中! といったところか。
「ま、まぶしい! きれいだけど、まぶしすぎるよ……院長、ほら! 早く!」
「今まで話を聞いていて理解できていないのですか? 貴女の魅了はそのブレスレットによって封じられたのですよ。ですから私が貴女の発言に賛同することはありませんし、盲目的に従うこともありません」
院長は丁寧に説明をしている。
エッダは呆然とし手からブレスレットを引き千切ろうとした。
当然、取れるはずもない。
「ブルーノ! カール! クルト! このブレスレットを引き千切ってちょうだい!」
「いやだねー」
「お前の言うことなんて二度ときかねぇからな!」
「本当に馬鹿だよな、お前。最愛様が手配した物だぞ? 俺らがどうこうできる代物じゃ、ねぇんだよ。そもそも不敬だろうが」
名前を呼ばれた三人は三者三様に拒絶する。
エッダはまたしても呆然としたあとで、もう一度院長を睨みつけた。
「外しなさいよ、ゴットリープ!」
「……その名前も返上しましょう。領主様、新しい名前をいただけますでしょうか?」
そんな名前だったらしい。
しかし院長を名前で呼び捨てとか、大人に対する敬意は微塵もないんだね。
「ふむ。一からやり直すのなら、それもよかろう。では、今後ヴォルデマールと名乗るがよい」
「よろしいのでしょうか?」
「今のお前になら許されるであろう」
「では今後はヴォルデマールと名乗り、神の僕として、信者に尽くしましょう」
院長……ヴォルデマールが深々と頭を下げる。
ヴォルデマールは過去教会に尽くした聖人の名前なのだ、と雪華がそっと念話で教えてくれた。
「では、エッダは地下牢で引き取り人が来るまで懺悔を。ピーアとメヒティルトは破門の手続きが終わるまで同じく地下牢で懺悔を。ヴォルデマールは新たな院長が来るまで代理を務めて、教会の建て直しを図るように」
「嘘でしょう?」
「いやよ! 離しなさいっ!」
「この、ブレスレットさえ外れれば! 皆私の奴隷になるのにっ!」
罪を犯し、反省の色がない者たちが地下牢へと引き摺られていく。
彼女たちに虐げられた人々が憎悪の眼差しではなく、憐憫の目を向けているのが印象的だった。
コメント
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うわっ、ついにエッダちゃんにざまぁキター!🔥 でも個人的に刺さったのは院長ゴットリープ改めヴォルデマールの心境変化だわ。自分の弱さを認めて「名前すら返上する」って覚悟、単なる断罪話で終わらせない深みがある。子供たちが口々にエッダへの不満ぶちまけるシーンも痛快だったな。魅了で無理やり従わせてたツケが回った感じがしてスッキリ。封印具のブレスレットも最愛様の仕込みが効いてて笑ったわw