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最悪だ。何が悲しくてこんな格好をしなくてはならないのか。
現在、蓮の姿は女性ものの服に身を包んでおり、化粧もバッチリ施されている。
最初は美月が一人で二人分のメイクを担当する事になっていたはずなのに、何処で聞きつけたのか、メイク担当のスタッフがやって来て、あれよこれよという間にこの様だ。
一体何処で手に入れたのか、衣装担当がぜひこれをと持って来たメイド服は、黒地に白のレースをあしらった所謂ゴスロリと呼ばれる類のもの。長身の自分に入るわけがないと思っていたのに、いざ着てみれば計って来たのか? と疑いたくなるレベルで体にフィットしている。
地雷系ファッションと呼ばれるその系統の服の存在は知っていたが、まさかこの歳になって自分が着る事になるなんて思ってもみなかった。フリルたっぷりのミニスカートから覗く脚にはニーソックスを履くように言われている。
頭には胸元まである黒髪ストレートのウィッグが乗せられ、可愛らしい猫耳カチューシャがつけられていて、鏡に写った自分の姿を見て絶望的な気分になった。
身長が高いせいで、スカートの丈が気になるところだがそこはプロの仕事。自然なまでに馴染んでいて違和感が感じられず、見事に誤魔化せている。
あれよあれよと言う間に完成した姿は、蓮自身でさえ、鏡に映る人物が自分であると認識するのに時間がかかったほど別人に仕上げられており人間はメイクでここまで変われるのかと思わず感心してしまうほどだった。
対する弓弦の方はと言えば、こちらもスタッフ総出でいじくり回され、見事な仕上がりになっている。
元々整った顔立ちをしているうえに、肌が白い為か薄らとファンデーションを塗られただけで女に見えるから不思議だ。
淡い茶色の髪を緩くふわっと捲いて、オフホワイトのワンピースに身を包み、上からピンクのカーディガンを羽織っているその姿はどこから見ても清楚系女子にしか見えない。
「やばっ、ちょっとちょっと! 二人とも可愛くない!?」
喜びの声を上げる美月に、他の女性スタッフたちも満足そうに頷く。
「いいじゃない二人とも。凄い! これは期待以上かも」
「……それは素直に喜んでいいのかわからないよ」
溜息交じりに呟いた言葉に、弓弦がウンウンと激しく首を振る。
「わかります。その気持ち。本当に不本意です」
「そう言わないの。ゆづ、すっごく似合ってるわよ」
「……」
嬉しそうに笑う美月に、弓弦が複雑そうな表情を浮かべ押し黙る。人気絶頂期のイケメン俳優を女装させるだなんて、そんなことが出来るのは姉である美月ぐらいだろう。
「じゃあ、早速みんなにお披露目と行きましょうか。きっとみんなびっくりするんじゃないかな」
美月の言葉に、蓮と弓弦が顔を強張らせる。
今この瞬間だけでも恥ずかしいというのに、これ以上恥の上塗りをする羽目になるとは……。
「たく、何が悲しくて好きな奴の前でこんな格好を晒さなければいけないんだ」
「全くです。姉さんの趣味を疑いますよ」
文句を言いながらも大人しくついていくのは、ここで抵抗したところで無駄だという事がわかっているからだ。
それにしても……。
「へぇ、草薙君にも好きな子がいたのか」
「っ! ……何の事だか分りかねます。さっきのは言葉の綾と言うか……」
「照れなくても大丈夫だよ。僕が協力出来ることがあれば何でもするからね」
「だから違うって言ってるでしょう!?」
顔を真っ赤にして否定する弓弦に、蓮が思わずクスッと笑いを漏らすと、結弦がキッと睨んできた。
「……何か?」
「ううん。なんでも」
ヤバい、面白い。もっと弄って相手が誰なのかを追求してやりたい。そんな悪戯心を必死に抑えながら歩いていると、
「二人ともいつの間に仲良くなったの?」と、言う美月の呑気な声が聞こえてきて、弓弦があからさまに嫌そうな顔をした。
「流石にそんな顔されると傷付くなぁ……。で? 弓弦君の好きな子は誰なのかな?」
「しつこいですよ」
ツンとした態度を取る弓弦に、蓮はますます笑みを深くする。
そうこうしているうちにスタジオに辿り着き、中に入ると、待機していたナギたちの視線が一斉にこちらを向いた。
「お待たせ―。美女二人連れて来たわよ」
「美女って……」
「どう考えても無理がありますよ……」
げんなりとする二人とは対照的に、ナギたちは口々に「おおっ!」と歓声を上げて駆け寄ってくる。
――その中で、一人だけ妙に冷静な人物がいた。銀次だ。
彼はすでにカメラを構えており、にやにやしながらシャッターを切っている。
「ちょ、銀次君!? なんで撮ってんだよ!」
「いやいや、どの企画がバズるかわかんないじゃないですか。念のためのストック映像ってことで」
「勝手にストックすんな!」
「撮らないでくださいっ!」
必死に抗議する蓮と弓弦を完全にスルーし、銀次は「はい撮れた〜」とご満悦。
「まぁまぁ、お兄さん、すっごく似合ってるんだし。めっちゃ可愛いよ!」
「草薙君は予想できたけど、オッサンも案外イケるじゃん。馬子にも衣装って感じ?」
「……ハハッ」
口々に似合うと言われたってちっとも嬉しくない。それなのにナギがあまりにも楽しげに「可愛い!」と連呼するから、恥ずかしがっている自分がバカみたいに思えてくる。
弓弦もさぞ戸惑っているだろうと思い、チラリと横に立つ男へ視線を向ければ――意外なことに、困った顔をしたまま頬を僅かに赤く染めていた。
一体何がそうさせているのか。疑問を抱きつつその視線の先を辿ってみれば、そこには雪之丞の姿があった。
「……弓弦君もいつもと雰囲気が違って、本当の女の子みたい。ろっぷちゃんと一緒に写真撮ったら凄く似合いそう」
「そうですかね……私にはよくわかりませんが」
雪之丞に微笑みかけられ、どこか気恥ずかしそうにしながらも、弓弦は満更でもなさそうな表情を浮かべる。
おやおや? さっき自分に向けた態度とはえらい違いじゃないか。
――これはもしかして?
蓮は内心でニヤリとほくそ笑む。そして隣にいる弓弦を見上げれば、それに気付いたのか視線が合ってしまい――
「……何ですか? 気持ち悪い」
「いや、別に?」
もちろん、自分が“別に”なんて顔をしていないことは自覚している。
何だか面白くなってきた、と心の中で舌なめずりしていると――突然、美月が手を叩き、みんなの視線をさらっていった。
「はいはーい。注目♪ これから二人には、写真を撮った後に配信で対決してもらいまーす!」
「……これで終わりじゃないのか……」
「当たり前でしょ? 勝負なんだから」
ガックリと肩を落とす蓮とは対照的に、美月はウキウキとカメラの位置を調整している。
「二人とも~、表情硬いよ。笑って、ほら!」
「……笑えと言われてもな……」
「……」
蓮が弓弦に視線を向けると、相手も同じことを考えていたのか、ばっちりと目が合った。
そこへ――
「はい次、距離もっと詰めて! 肩だけじゃなく腰もグッと! そうそう、顔はさらに寄せて!」
美月がテンション高く指示を飛ばす。そこに銀次もカメラを構えながら横から乗っかってきた。
「おーいいねぇ、その恥ずかしがってる顔! 堪んないっす。 じゃあ次は、ちょっと際どいポーズ行こうか。ほら、蓮さん、弓弦君の顎、クイってやっちゃってくださいよー」
「……おい。完全に俺たちをおもちゃにしてるだろ」
「同感です……」
諦め半分でぼやく二人をよそに、美月と銀次は生き生きと目を輝かせる。
「そんな事ないですって! こんな美味しいシチュエーション、俺が逃すわけないでしょ。大丈夫! 俺が万倍に面白おかしく仕上げてバズらせますから!」
「そうそう! これ絶対伝説回になるわよ〜!」
本人たちだけがズーンと沈み、美月と銀次は楽しげに盛り上がっている。
「……銀次君はともかく、君の姉さんは、随分とノリノリじゃないか」
言われた通りにポージングをしながら、蓮はげんなりとした表情で弓弦に話しかける。普段撮影をしている時も元気だとは思っ
ていたが、今日は一段とテンションが高い気がする。
対する弓弦も同じようなことを思ったのか、困惑気味に苦笑いを浮かべた。
「姉さんに悪気はないんです。番組を盛り上げるためにはどうしたらいいかを一番に考える人なので……大目に見てやってください」
自分たちの女装対決が番組の視聴率に直結するとは到底思えないが、そこまで言われてしまうと無下には出来ない。
「まぁ、この格好で街を歩けとか言われなかっただけでもマシか」
「ですね。あとは……放送事故にならないよう祈るばかりです」
「ああ、全くだ」
弓弦とアイコンタクトを交わし、お互いに小さく溜息をつく。
すると、突然、弓弦がプッと吹き出した。
何故笑うんだと、蓮がムッと眉根を寄せると、弓弦は慌てて表情を引き締めようとするが、堪えきれずにまたクツクツと笑みを零す。
「酷いな。笑うだなんて」
「すみません。……案外可愛いなと思ったら、急に可笑しくなって。良く似合ってますよ」
「……褒められた気がしないのは何故だろう」
「嫌味に決まってるじゃないですか」
なぜそんなことを言われなければならないのか。考えてみても理由が思い当たらず、釈然としない気分のまま撮影は進んでいった。
一通り撮り終えたところで、美月から指示が飛ぶ。
その言葉に従い、蓮と弓弦は再び位置につき、カメラマンのシャッター音がスタジオに響き渡る。
「お疲れ様。後は編集してHPにアップしておくわね。投票期間は一週間くらいでいいかな? どうなるか楽しみ」
上機嫌に笑う美月に、蓮と弓弦は引き攣った笑顔を返した。
「……黒歴史が一個増えた気分だよ」
「それについては同感です。大体、なんで私がこんな格好を……」
ブツブツと文句を言い合いながら、更衣室として使っている空き部屋へ向かおうとしたその時――。
突然、目の前の扉が開き、中から出てきた人物とぶつかりそうになり、蓮は思わず足を止めた。
「おっと、失礼」
「いえ、こちらこそ。考え事をしていたもので」
反射的に謝罪を口にすれば、相手の男も同様に返してくる。パチッと目が合い、一瞬の沈黙が流れた。
――どこかで見た顔だ。
だが、誰なのかがどうしても思い出せない。
「あの、俺の顔に何か付いてますか?」
「えっ? あぁ、何でもないんです。すみません」
どうやらじっと見つめてしまっていたらしい。不思議そうな顔をされて、蓮は慌てて誤魔化すと、余所行きの顔を作った。
「それならいいんですが、貴女みたいな綺麗な女性に見つめられると、悪い気はしませんね。どうですか? 折角のご縁ですし、これからお茶でも――」
……これは、俗にいうナンパというやつでは?
最初は誰に言っているのかわからずにキョトンとしていたが、自分に向かって差し出された手に、ようやく理解が追いつく。
(コイツ……本気で女だと思ってんのか?)
身長一八〇センチ越えの大女なんて可愛いわけがない。
骨格だって完璧に男だし、胸だって詰め物で誤魔化しているだけだ。見る人が見れば一発で分かるはず。
気付いた上でからかっているのか? それとも本気で節穴なのか――あるいは、ただの女たらしか。
「すみませんが、ツレを待たせているので」
いっそここでカツラを取ってしまおうかとも思ったが、それはそれで妙な趣味だと思われそうで、やんわりと断る。
「お連れの方がいるのですか? なら尚更一緒に――」
「――何やってるんですか。行きますよ、御堂さん」
「あっ、そうだね。……すみません、急いでいるので」
狙ったかのようなタイミングで弓弦に声を掛けられ、蓮はにこやかに立ち去ろうとする。
「あっ! 待って下さい。これ、俺の名刺です。連絡待ってますから」
「えっ、あっ! ちょっと!」
名刺を押し付けられそうになり、蓮は焦った声を上げたが――「お連れの方がいるんでしょう?」と、男はニッコリと微笑むとその場を離れていってしまった。
「……」
蓮は受け取った名刺を手にして立ち尽くす。
チラリと確認した名前に、息が止まりそうになった。
そこに記されていたのは――「塩田光彦」。
その苗字には見覚えがある。
いや、忘れたくても忘れられない名前。
(いや……まさか、な)
こんな場所でアイツに出会うなんて有り得ない。
蓮は頭を振ってその名を振り払うと、足早に弓弦の元へ駆け寄っていった。
彼は何故、あんな場所に居たのだろう?
偶然か、それとも狙って――?
東雲や兄の情報が正しければ、ヤツは番組を壊したいと願っているらしい。
だとすれば、自分たちがここにいることを事前に知っていた可能性もある。
昔スタッフとして働いていたのなら、撮影班に知り合いがいても不思議ではないだろう。
……いや、でも。いくらなんでも考えすぎか?
撮影場所が特定されるような情報の漏洩は、出演者を守るためにも固く禁じられている。それを破れば当然解雇だ。
となると、やはり偶然会ったと考えるのが自然か。
そもそも、全くの赤の他人だったという可能性だって――。
「……どうかしたんですか? 顔色が優れないみたいですが」
厚塗りのメイクを落とし、私服に着替えている最中に、視線を感じて振り返ると弓弦がそんなことを聞いてきた。
「え? いや……何でもないよ」
弓弦は事件のことを何も知らないはずだ。
言ったところで信じてもらえるはずもない。
「そうですか?」
「うん。大丈夫」
蓮はぎこちない笑みを浮かべ、脱いだばかりの衣装をハンガーに掛けて立ち上がる。
弓弦や美月、そしてナギたちは、言ってしまえば巻き添えを食らった被害者だ。
確証もない情報で混乱させるわけにはいかない。
……いや、せめてナギだけには教えておくべきか?
それとも、不安を煽るだけだろうか。
蓮は首を捻りながら私服に袖を通し、ファスナーを首元まで上げた。
鏡に映るのは、可愛らしさなど微塵もない、どこからどう見ても男の自分。
――塩田に出会ったのが女装姿でよかった。
しかも気付かれていなかったようだから、まだ好都合だ。
もし素の姿で会っていたら……考えるだけでゾッとする。
「さっきの人、御堂さんのこと、随分と熱心に口説いていましたね」
鏡越しに聞こえてきた声にギクリと肩を揺らす。
動揺を悟られまいと、振り向きざまにわざとらしく肩を竦めてみせた。
「中身が男だと見抜けない時点で、彼はモテない残念な人なんだろうね」
そういえば――奈々さんはどうしたのだろう。
彼女と一緒に来ているわけではなかったのか?
もし居るのに自分に声を掛けてきたのなら……ヤツは相当の浮気者に違いない。
「……まぁ、確かに。女性と勘違いしていたとしたら、かなりおめでたい頭してますよね」
「ははっ、だよね。僕が本当に女性だったとしても、いきなりあんな古典的な誘い方してくる男は御免だと思うな」
「私もです。あんな下心丸出しで近付いてくる男性なんて、願い下げです」
冗談めかして笑い合う二人。だが、蓮の内心は決して穏やかではなかった。
――もし、あの男が本当に“塩田”だとしたら。
早急に対策を練る必要がある。兄の耳にも入れておくべきだろう。
「草薙君、悪いんだけど……用事を思い出したから先に出るよ。夕食の時間には戻るから、皆にはそう伝えておいてくれる?」
「えっ? 蓮さん、ちょっと!」
引き止める弓弦の声を背に、蓮はひらりと手を振って部屋を後にする。
――ついさっきの出来事を東雲に送信しながら、兄の姿を探した。
凛は意外とすぐに見つかった。
休憩スペースのソファに座り、パソコンをいじっていたのだが、蓮が声を掛けると少し驚いた表情を見せる。
何か言いたげに二、三度口を開きかけては閉じ、最後には小さく溜息をつくと、隣に座るよう促してきた。
蓮はそのまま腰を下ろし、周囲を見回して誰もいないことを確認してから、兄の目の前に例の名刺を差し出す。
「……なるほど、アイツに会ったのか」
「確証はないんだけど、塩田って苗字、そうあるものじゃないし。それに……どこかで会ったことがある気がするんだよ」
「……」
凛は画面から目を離さず、沈黙を守る。
横顔をじっと見つめながら、蓮は言葉を継いだ。
兄は何かを考えているようだ。やはり、この男について知っているのか?
黙って答えを待っていると、やがて凛は思考の海から浮上したように蓮へと向き直る。
「偶然か、確信があってここにいるのか……そこが見えないのが痛いな。情報が少なすぎる」
独りごちるように呟いたその言葉に、蓮は眉根を寄せた。
「だが、アイツがいるかもしれないと分かった以上、このまま手をこまねいているわけにもいかん」
「何か、対策が?」
「いや……それはこれから考える」
短い答えに、蓮は落胆を隠せず大きく項垂れた。
「とりあえず蓮は、出来る限り俺の側にいろ。相手の狙いがお前である可能性が高い以上、襲われないとも限らないからな」
「……え……、それじゃあ僕の自由な時間は……」
「相手がここにいる目的が分かるまでは、暫く無いと思ってくれ」
「……」
蓮はがっくりと肩を落とした。
「なんだ? 俺と二人きりでいるのは不満か?」
「……そ、そういう意味じゃないよ……。でも――」
口を尖らせ、蓮はボソリと文句を漏らす。
「折角の遠征なのに……。ナギと部屋は別だし、オフでも一緒に居られないなんて、あんまりじゃないか」
「我慢しろ。あの子に何かあって後悔はしたくないだろ?」
そう言われてしまえば、言い返せない。
分かっている。これはただの我がままなのだと。
……それでも、やっぱり釈然としない。
「やっぱり、納得いかない。もしアイツが本当に僕に恨みを持っていて、ここにいることを知って同じホテルを取ってるっていうなら、今さらコソコソしたって解決にならない。それより、あの男を捕まえてボコって、奈々さんの行方をゲロさせた方が、よっぽど建設的じゃないか」
「――お前は、またそういうことを簡単に……」
呆れたように額に手を当て、凛は頭を振った。
「だってそうだろ? どうでもいい奴を追い詰めていたぶるのは得意だよ。
それに、現実から目を背けるのはもうやめたんだ。僕は、この仕事が好きだし、いいメンバーに恵まれてると思ってる。最後までやり切りたいんだ。
だからこそ――今すぐ近くにいるのがアイツなら、この手で決着をつけてやりたい」
真っ直ぐに前を見据え、真剣な顔で語る蓮に、凛は深いため息を吐き、ガシガシと頭を掻いた。
……どうやら、説得は無理そうだ。と、どうやら悟ったらしい。
「――お前は昔からそうだったな。一度決めたことは曲げないし、自分の意見を絶対に通そうとする。ある意味、我儘で、傲慢で、自己中心的だ。……彼に出会って、だいぶ丸くなったと思っていたのに」
凛の言葉に、蓮は苦笑しながら軽口を返す。
「それ、褒めてないよね。絶対」
「仕方がない。今回は折れてやる。ただし、接触するなら俺も同席する。一人で会わせたら、どうせめちゃくちゃにするだろうからな」
「大丈夫だよ。腕の一本や二本折れたって死にはしないし……ちょっと奈々さんの行方を聞き出して、お灸を据えるだけだから。ちょっと……ね?」
「――それが心配なんだ」
凛の口から大きな溜息が漏れる。その様子に、蓮はくすりと笑みを浮かべた。
「随分と面白そうな話してるねぇ」
不意に背後から声がして、ハッとする。振り向けば、そこにはナギが立っていた。その後ろには弓弦や雪之丞の姿もある。
「……盗み聞きとは感心しないな」
「お兄さんこそ。俺たちに内緒で危ないことしようとしてるじゃん」
「……」
蓮はバツが悪そうに視線を逸らす。
(先に戻っていてくれと頼んだはずなのに……)と弓弦に目をやれば、彼は申し訳なさそうに口を開いた。
「すみません。蓮さんの様子がおかしいのが気になってしまって……」
「弓弦君は何も悪くないよ。お兄さんのところに連れて行って欲しいってお願いしたのは俺だもん」
ナギはにこりと微笑み、そのままスタスタと蓮の隣へ腰を下ろした。そして――まるで心の奥まで覗き込むように、じっと見つめてくる。
「ちょっと水臭いんじゃない? 何勝手に危ないことに首突っ込もうとしてるんだよ」
「――別に、僕は……」
「そうですよ、御堂さん。私たちはチームでしょう? 一緒に乗り越えようって、みんなで決めたじゃないですか」
「うっ……」
そんなふうに言われると弱い。
彼らを巻き込みたくない気持ちはあるのに。
――今こんな苦労を強いられているのは、もしかしたら自分のせいかもしれないのだから。
「……蓮さん。一番年上だからって、全部背負い込む必要ないじゃないですか。アタシたち、そんなに頼りにならない?」
悲しそうな目を向けてくる美月に、蓮は静かに首を横に振った。
「違うよ、美月さん……そうじゃないんだ。もしかしたら、この一連の出来事は僕に対する個人的な恨みから来ているのかもしれなくて……それで、みんなに迷惑をかけたくなかっただけなんだ。頼りにならないなんて、思ってないよ」
「つーか! もう充分迷惑かかってるし! 今更じゃん?」
東海の言葉に全員が大きくうなずく。その様子を見て、蓮は胸に熱いものが込み上げてくるのを感じ、慌てて俯いて唇を噛み締めた。
この撮影が始まってからというもの、自分の知らない感情ばかりで困る。
打算も駆け引きもない純粋な言葉に、胸が詰まって泣きそうになるだなんて……今までの自分からは想像すら出来なかったことだ。
「話してくれない? お兄さんが何を抱えているのか。……一人より、みんなで考えた方がきっといい答えが見つかると思うから」
「私も、小鳥遊さんと同じ考えです」
「アタシも知りたい!」
「ぼ、ボクも……」
「……みんなが聞くって言うなら、オレも聞いてやってもいいけど」
ナギと弓弦が優しく語りかけ、さらにメンバーたちに囲まれる。
皆の優しさが心に染み、じんわりと目頭が熱くなったところで、凛がそっと蓮の肩に手を置いた。
「いいメンバーに恵まれたじゃないか」
「……うん。本当だよ……」
涙を拭いながら、小さく笑った蓮は顔を上げ、ゆっくりとそれぞれの顔を見渡す。
そして――ぽつりぽつりと口を開き始めた。
「それで? 蓮君はどうするつもりなの?」
「うん? そうだなぁ、折角名刺を貰ったんだから、呼び出して本人か確かめてから無理やりにでも口を割らせようかと」
雪之丞の質問に手に持ったコーヒーのカップを眺め、ゆっくりと視線を上げた蓮は笑っていた。
どす黒い何かが溢れだしそうな笑みをうかべ、口元は弧を描いているものの、目元は一切笑っていない。
「お、お兄さん……。お願いだから殺さないでよ?」
「やだなぁ、そんな物騒な事はしないよ。返答次第じゃ、腕の一本や二本ダメにするかも知れないけどさ?」
蓮の笑顔を見た三人は顔を青ざめさせ、彼の言葉を聞きブルリと身体を震わせた。
「マジで力づくで捻じ伏せそうだなオッサン」
「え? だってそうするしかないだろう? 他に方法でもある?」
そんな彼等の様子を見て小さく笑いながら、蓮は残りのコーヒーを飲み干した。
「取り敢えず、目的は奈々さんの居場所を聞き出すことと、これから先、僕らに一切関わらないようにしてもらう事。ですよね」
「監督の奥さんの説得も、じゃない?」
「いや、監督はまぁ、自業自得な気がするし……。塩田が関係しているかどうかはわからないから……」
雪之丞がそう言えば、全員揃って『確かに』という表情をする。それにしても――
「監督に関して言えば、タイミングが被っただけの可能性もありますからね」
「……うーん。でもまぁ、意外と動画配信の反響もいいし、ゆきりんのお陰でCGのクオリティも以前と遜色なく出来てるから、現状のままでもなんとか行けそうなんだけどね」
美月がぼそりと呟いた。その言葉に、場の空気がわずかに和らぐ。
だが――蓮はすぐに小さく肩を竦めて、口元に笑みを浮かべた。
「確かにね。撮影も今のところ順調だし、配信の数字も好調。……でも、それは“今のところ”に過ぎない」
不穏な言葉とともに、蓮の瞳が細く光る。
「後は塩田をとっ捕まえて奈々さんの居場所を突き止める。それから、もう二度と僕らの邪魔をしないように、釘でも打ち込んでおけば……ひとまず安心ってことだよね?」
腹黒さをにじませた笑顔でニッコリと微笑む蓮を見て、その場に居たメンバーたちは揃って頬を引きつらせる。
この男は本気で塩田を捻じ伏せるつもりなのだ。
――絶対に殺さないでくれよ……。
弓弦も、美月も、雪之丞も、東海でさえも。
その場にいた全員が同じことを思ったのは言うまでもない。
だが同時に――その不敵な笑みが妙に頼もしく思えたのも、また事実だった。
「……とにかく、計画を立てましょう」
弓弦が溜息を吐きながらも口を開き、雪之丞も小さく頷く。
こうしてメンバーは重苦しい空気を引きずりながらも、塩田を炙り出すための作戦会議へと進んでいった。