テラーノベル
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夜の町は、昼とは別の顔をしていた。灯りは少なく、足音だけがやけに大きく響く。
「……こっちだ」
裕也が先に立って、細い道へ入る。
普段は近寄らない裏道だ。
でも今は、その暗さがありがたかった。
千代は、懐に抱えた小さな荷をぎゅっと抱きしめている。
何を持ってきたのかは分からない。
ただ、置いていけなかったものなのだろう。
「なあ、翔」
裕也が、歩きながら小さく言った。
「お前のいた時代じゃ……」
一瞬、言葉を探す。
「俺みたいなやつ、どうなる」
俺は、正直に答えた。
「……生きてる人も、たくさんいる」
「でも」
「傷を抱える人も、少なくない」
裕也は、鼻で短く笑った。
「だろうな」
それ以上、聞いてこなかった。
町外れに差しかかったとき、遠くで声がした。
人の声。
探している。
千代が、ふいに立ち止まる。
「……こちらです」
迷いのない声だった。
「こっち?」
裕也が振り返る。
「はい。理由は分かりませんが……」
胸に手を当てる。
「今は、こっちじゃないと」
一瞬の沈黙。
裕也が舌打ちする。
「勘、かよ」
「……信じてくれますか」
裕也は、ちらっと俺を見る。
「お前は?」
「信じる」
即答だった。
「……ちっ」
でも、方向を変えた。
「外れたら、文句言うからな」
三人で、草むらの向こうへ進む。
その直後、さっきまでいた道に、灯りが現れた。
「……あぶな」
裕也が息を吐く。
千代の肩が、少し震えていた。
俺は、そっと声をかける。
「大丈夫か?」
「……はい。でも」
小さく笑う。
「怖いです。でも、」
二人を見る。
「一人じゃないから」
その言葉に、胸が熱くなる。
この時代に来て、
戦争から逃げて、
それでも——
俺たちは、確かに“生きる選択”をしていた。
遠くで、また鐘が鳴った。
今度は、追い立てる音じゃない。
——進め、と背中を押す音だった。
三人は、夜の向こうへ走り出した。
夜明け前の空は、まだ色を決めきれずにいた。
三人は林の奥で足を止め、息を整えていた。
「……ここなら、しばらくは大丈夫だろ」
裕也が周囲を見回しながら言う。
声は低く、いつもの荒っぽさが影を潜めていた。
千代は地面に膝をつき、ほっと息をつく。
「ありがとうございます……」
「礼はいらねぇ」
裕也はそう言いながら、自然と二人の前に立った。
背中で、道を塞ぐみたいに。
その仕草に、俺は気づく。
——位置が、変わっている。
「なあ、裕也」
声をかけると、彼は振り返らずに答えた。
「なんだ」
「さっきから、前に出てる」
一瞬、間があった。
「……癖だよ」
そう言い切る声は、少しだけ硬い。
遠くで、枝が折れる音がした。
千代が小さく息をのむ。
裕也は、即座に手を上げた。
「動くな」
振り返らない。
でも、確かに俺たちを庇っている。
「追手か?」
俺が小声で聞く。
「分からねぇ。でも——」
腰を落とし、視線を前に固定する。
「来るなら、俺が先に見る」
その背中は、逃げる人間のものじゃなかった。
千代が、そっと言う。
「……裕也さん」
「何だよ」
「無理、なさらないでくださいね?」
「無理してねぇ」
短く返す。
「ただ……」
少しだけ声が揺れた。
「もう、誰か置いてくのは嫌なんだ」
その一言で、全部分かった。
選ばれたとき。
逃げると決めたとき。
一人で背負うつもりだった恐怖を、
今は“守る理由”に変えている。
音は、結局、獣だった。
緊張が解け、裕也は大きく息を吐く。
「……チッ、脅かしやがって」
それでも、前に立つ位置は変えなかった。
千代が、小さく微笑む。
「裕也さん」
「ん?」
「今、とても頼もしかったです」
裕也は顔を背ける。
「……言うな」
でも、耳が少し赤い。
俺は思う。
この人は、もう逃げてない。
守るために、ここにいる。
空が、わずかに白み始めていた。
夜は、確実に終わりへ向かっている。
——でも三人の逃避行は、ここからだ
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