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なんだか階下が騒がしくトニーを見に行かせると、陛下が先触れ無しに現れ、出迎えを待たずに行方がわからなくなったと伝えられた。アンダルに何かあったのか?それなら使者を出せばすむ話だ。何がどうなってる?キャスリンが無事か確認すべく急ぎ部屋へ走る。扉を叩くとキャスリンのメイドが顔を出す。僕の慌てた様子に驚いていたがキャスリンの居場所を聞くと、日課の散歩で庭に出ていると言う。護衛騎士を共にしているだろうが探してみようと庭へ向かうと、前からキャスリンが変わった様子もなく現れ、事の経緯を説明してくれる。陛下が庭を?キャスリンが嘘を吐いているようには見えない。彼女は花が好きで最近は庭師とも仲良くしていると聞いた。陛下に褒められるのは庭師の誉れだろうが、王宮の庭の方が広く美しい。臣下の庭に花を見に行ったなど今まで聞いたこともない。なぜ庭に行くんだ。僕はキャスリンを見る。ゾルダークの庭を散歩する日課を持つのは彼女のみ。それを知った陛下はキャスリンに会いに行った。
「庭の話だけ?」
キャスリンは首を横に振り、笑顔で話す。
「閣下が探しにこられて陛下を邸へ案内していったわ。閣下にご用があったみたいね。陛下はお花に詳しいのね。ペラルゴニウムを切ってくださったの」
キャスリンは護衛騎士に持たせている花を指差す。陛下が花を切って渡す?何故そんなことをする。意味がわからない。釈然としない僕はキャスリンに今からお茶でも飲もうと誘ってみた。最近は昔の様に話すことができている。キャスリンは承諾してくれて部屋へ共に向かう。花をメイドに渡し、その間にキャスリンが紅茶を入れてくれる。僕の目に刺繍枠にはめられたハンカチが見え、手を伸ばし取ってみると、ゾルダークの家紋が途中まで刺してあった。
「この前やっと一枚完成したのよ。初めてだったからあまり上手にできなくて。それは二枚目。恥ずかしいからしっかり見ないでね」
紅茶を僕に渡しながら教えてくれる。
「一枚目はどうしたの?」
僕が聞くと、あげたわと答える。
「誰に?」
キャスリンは微笑みながら話す。
「ソーマよ。あまり上手くできなかったからあげる相手に困ってしまったのだけど、ちょうどソーマが用事で来てね。もらってちょうだいって押しつけたの」
悪かったかしら、とキャスリンは申し訳なさそうに話す。ソーマか、彼なら家政や諸々の用で会うのはおかしくないな。
「何枚作るつもりなんだい?」
キャスリンは少し考えて答える。
「上手くなるまでかしら。時間のある時に刺してるだけだもの。馴れない柄にいつまでかかるのか心配だけど」
「次は僕にくれる?」
これを?と僕の持っているハンカチを指差す。
「それならもっと上質なハンカチにするんだったわ。練習用なのよ」
それでもいいの?と聞くので僕は頷いた。キャスリンの入れる紅茶は久しぶりに飲んだけど相変わらず美味しい。
「カイラン、アンダル様とリリアン様は王宮の夜会へいらっしゃるかしら」
キャスリンからいきなりその名前が出て驚く。アンダルからは手紙が届いた。男爵領に無事着いたこと。やはりリリアンがへそを曲げ機嫌をとるのに大変なこと、周りは静かで穏やかで過ごしやすいこと、早く子が欲しい、と書いてあった。だが王宮の夜会に来るとはなかった。
「来ないと思うよ。王都の邸は引き払ってしまったし、遠いからね」
キャスリンは頷いている。
「残念ね。リリアン様が遠くに行かれて寂しいでしょ?あんなに愛していたものね」
それを聞いて動けなくなる。まだキャスリンは僕がリリアンを好いていると愛していると思っている。
「一人の女性を生涯愛するなんて物語のようだわ」
キャスリンは微笑んで僕に話す。自分の吐いた言葉が返ってきている。キャスリンの中で僕はリリアンを一生愛する男として存在している。このままでは夫婦になれない。伝えなければならない。本当のことを言わなければいけない。嘘を吐いてキャスリンから逃げたことを、何度も傷つけたことを謝らなければならない。なんて伝えたら僕を嫌いにならないでくれるか。
「カイラン様そろそろお時間が」
トニーに言われ立ち上がる。正直助かった、言葉が出てこなかった。
「また夕食で」
ええ、とキャスリンが答える。トニーを連れ部屋に戻る。
「僕がキャスリンに本当のことを言うべきなのはわかってる。けどなんて言えばいい?許してくれるだろうか」
トニーはなかなか答えてくれない。考え込んでいるようだ、それほど難しいことなのか。
「許してくれなければどうなさるので?」
キャスリンが僕を許さない。許さないと言われたらどうするかなど考えたこともない。許されなければ僕らはどうなる?閨も共にせず子もおらず親類から子をもらい共に育てるしかないだろう。許してくれても僕は閨をできるのか?あの日は足が震えた。今は?震えないかもしれない。閨をする緊張から悪夢を見ていたが今は見ていない。良く眠れる日だってある。このままでいいわけない。
「わからない」
トニーは黙ってしまった。情けない、次期公爵がこの様。未熟過ぎる。
「今日風呂から上がったらキャスリンの部屋へ行く」
黙していたトニーは驚いていた。
「会いに行くだけだ。足が震えないかどうか確かめたい」
「部屋の中へ入るので?キャスリン様が誤解をなさるのでは?」
「それは…ならば部屋の前に行くだけ」
それならばキャスリンに迷惑はかからない。確かめたい。夕食の後、紅茶を飲みながらキャスリンと話す。二枚目のハンカチを渡すことを渋っている。渡すことになるなら僕の好きな色の糸で縫いたかったと、可愛らしいことを言う。湯に浮かべる花の話、今度街へ行ったら庭師にお土産を買いたいなど機嫌良く話してくれる。足が震えないといい。震えてしまったら、当分リリアンを愛してると勘違いさせたままでいるしかない。
湯を浴び夜着の上からガウンを着込み部屋から出る。足は震えない。キャスリンの部屋へ歩いていける。母上の声は聞こえない。扉の前まで着いてしまった。このまま叩いて湯上がりのキャスリンが出迎えてくれたら。叩こうと手を上げるがトニーに掴まれる。振り向くと首を振り、駄目だと告げる。夜に湯上がりの僕が来たら驚くだろう。僕は部屋に戻る。
「足は震えない」
トニーに告げる。上手くいけば本当の夫婦になれる。婚姻で神経質になっていたのか。婚姻してしばらくは悪夢を見たがキャスリンが変わらず接してくれたから最近は見ない。
「カイラン様、夫婦の寝室も平気ですか?」
そうかあの時はあの部屋に向かっていた。確かめたくて近くにある扉へ向かう。この扉を開けるのもつらかった。夫婦の寝室につながる扉を開ける。中は薄暗い、月明かりだけが光源になっている。使ってなくても綺麗に維持されている。中に入り夫婦の寝台に座る。心は落ち着いている。ここで寝てみるか。トニーに相談すると、使用人が混乱すると言う。誰か眠った形跡があれば、どちらが眠ったのかここで何をしたのかと思うだろう。
「僕らが閨を共にしてないことは一部の使用人しか知らないだろ?」
トニーは驚いた顔をして頷く。
「父上がそうしているだろうとは思ってたよ。公爵家の醜聞だ。それに甘えてしまったな。それももう無理だろう。いつ呼ばれて何を言われるか。父上が養子を許すと思うか?」
トニーは首を横に振る。
「今まで放って置いてるのがおかしいくらいだ。外に子供でもいて僕は切り捨てる気か、それならそれで構わないとも思ってしまう」
「ならば出ますか?私は付いて行きます」
トニーはそう言ってくれる。
「出ていくのは最後の選択だ。それしか残されていないならば」