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カイランが寝付いた後、トニーは人を探していた。使用人棟へ向かう後ろ姿を捉え声をかける。
「ハロルドさん!少し話せますか?」
ハロルドは頷き自室へと招いてくれた。多分ハロルドはこの状況をソーマの次に知る人物。ゾルダーク領に同行したのも監視のためだったと考えれば納得する。ソーマよりハロルドの方が捕まえやすい。
「ソーマさんに話してくれますか?カイラン様はキャスリン様とのことに前向きに動いていると、ハロルドさんは知っていますよね?」
これで実は知らなかったでは大変なことになるが。ハロルドは淡々と告げる。
「遅すぎる。今さらという意見しか出ないな」
ハロルドの言葉にトニーは、ここにもカイラン様を見限る者がいると愕然とする。
「カイラン様のつらいお気持ちを知らないでしょう?閣下は何もしてあげなかった。幼いカイラン様を助けもしないで」
何も知らないくせにどうしてそんな冷たいことが言えるんだ!ゾルダークには旦那様のような思考の人間しかいないのか!
「軽く聞いたよ。酷い話だとは思うけど、旦那様は報告されないとわからないんだよ。旦那様が子供の成長を見守ると思うか?報告されたらゾルダークの後継を守るために対処してたさ。カイラン様の幼い時はまだ雇われていないからわからないけど母親が亡くなられた後は知っている。ちゃんと後継として学び精神に何か抱えてる様には見えなかった。キャスリン様のことも何年婚約者だったんだ?婚約期間に絆を深めるんだろ?何度傷つけた?忙しくて会えなかったは言い訳だよ。卒業後は忙しくてもスノーには会ってた、三人でな。婚姻してまだ二ヶ月経ってないんだぞ。それでキャスリン様に理解してくれは都合が良すぎる」
ハロルドは心に積もっていた思いを吐き出す。ハロルドは一歩離れた位置からこうなる様を見ていた。カイランはゾルダークを継げる人物ではない。ゾルダークとは国の要、貴族を纏めることのできる家。王家にも諫言できる者にならなくてはいけない。守るべき人を守らず、頼るべき時に逃げる。重要な節目で正しい判断ができなければゾルダークは継げない。
「カイラン様はゾルダークのために邪魔な人物は消すくらいの覚悟があるか?」
こんなに話すハロルドは初めて見るので呆気にとられていたトニーにハロルドは問う。トニーは答えられない。今のカイランには無理だからだ。自分のことに振り回されてる。
「旦那様がお前に言ったのは旦那様の都合がいいように導けではなく、ゾルダークのために導け、なんだよ。違えるなよ。カイラン様を守るだけではだめだった。失態を隠蔽せず報告していれば旦那様も動いたよ。婚姻まで時間はあったんだ」
トニーは何も言えない。ハロルドの言う通りだからだ。俺はゾルダークの後継を相手にしなければならなかった。離れた場所から見ればカイラン様はゾルダークに相応しくない。俺は助けるのではなく諌めて、上に報告をしなければならなかった。
「どうしたらいい?」
ハロルドは軽蔑の目でトニーを見る。この男がカイラン様の行動を解雇覚悟で諌めていれば、この事態は避けられた。執事は寄り添い守るだけではない。時に主を諌めゾルダークのために導くのが仕事だ。
「今からでも遅くないと思わせるな。もう遅いんだ、キャスリン様は見限ってる。お前のすることはそれを主に理解させることだよ」
トニーはハロルドの言葉を正しく呑み込むため、自室で眠らず己がこれからなすべきことを考えていた。カイラン様は間違えすぎた。それを理解していても認めていない。だから繰り返した。それにセシリス様の呪いは関係ない。眠れない、悪夢を見ると弱々しいカイラン様に同情するべきではなかった。対処に動くべきだった。軟弱だと思われようがここまでにはならなかった。キャスリン様が早々に主に見切りをつけたことを話すべきだ。伝えた時の主の反応次第で諌めるのか報告するのか動けばいい。ハロルドさんが従者だったらこうはなってなかった。ソーマさんを継ぐからカイラン様に付けられなかっただけ。俺は解雇覚悟で動くしかない。
固い決意を胸に早朝カイラン様の自室へ赴く。扉を小さく鳴らし開けるとまだ寝ていると思っていた主が夜着姿のままソファに座っていた。その姿に何かを感じ尋ねる。
「夜中に目が覚めてしまったから、これからのことを考えてまた夫婦の寝室へ入ったんだよ。ただ寝台に座って月明かりを見ていたんだ」
トニーは動揺する。まさか、旦那様がキャスリン様のもとへ来ていたのか。そんなことを聞いていないぞ。
「キャスリンの部屋から話し声が聞こえて、高い音と低い音。護衛騎士はこんな夜中まで侍るものなのか?」
夫婦の寝室は防音性が高い。廊下へ出るにはどちらかの居室を通らねばならない。厚い壁で作られていたことに救われた。カイラン様には誰の話し声かはわからなかったんだろう。
「キャスリン様のメイドでは?護衛騎士とはディーターからの付き合いですから、気心が知れてます」
苦しいがこれで今は納得してもらうしかない。カイラン様の心を整理させてから真実を知ってもらわねば、さらに拗れてしまう。
「そうだな。キャスリンもあの二人には心を許してる。信じきっているように見えるからな」
切り替えていただかなくては今日はカイラン様に俺の話を聞いて貰わなくてはならない。
「まさかそれから眠られてない?」
カイランは頷く。
「寝台に入ったけど眠れなくてね。目が冴えてしまった。時間があるならと仕事をしていたよ」
ならば寝てもらったほうがいい。今の状態では己を省みることができないかもしれない。
「ならば今から眠られては?睡眠不足で倒れたら大変ですよ」
「一日くらい平気だよ」
「カイラン様、お願いです。横になって、眠れなければ起きればよろしい」
いつにないトニーの言葉に違和感を持つが、心配してくれていると素直に聞き寝室へ入る。日の光を遮るため布を引き薄暗い中、横になる。目を閉じると意識が消えていく。
トニーは主が眠りに落ちたのを確認して、今日の日程を調整する。溜まっていた仕事は夜中に片付けられている。それを適所に送り届ける。主が眠りについてから一刻と半時、トニーはカイランを起こす準備に入る。紅茶を用意し、服を置き窓の布を取り払う。カイランは日の光を瞼に感じ起き上がった。
「深く眠れたよ。やはり疲れてたんだな」
主の着替えを手伝い、固く絞った布を渡して顔を拭いてもらう。すっきりとした主をソファに座らせ紅茶を差し出す。自分は一歩離れ主に話しかける。
「よく眠れてよかったです。昨日はいろいろ考えて疲れてしまったのでしょう。仕事の調整は済ませておきました、私に少し時間をいただけますか?」
主は目を丸くし黙ってしまった。
「昨夜カイラン様はキャスリン様の部屋へ向かわれ、今までのことを話し許しをもらいたいと仰っていましたね」
主は頷く。俺がいきなりこんなことを話し始めて警戒しているようだ。
「キャスリン様はカイラン様を許さないと思います」
主は握り込んだ手を震わせている。今まではここまではっきり言ったことはない。
「カイラン様は傷つけ過ぎました。キャスリン様は見切りをつけたと私は思います」
主は顔を上げ俺を見る。
「なぜわかる?そうキャスリンが言っていたのか?」
トニーは首を横に振る。
「普通ならば許せません。婚約時代から他の令嬢へ懸想し夜会では忘れられ、初夜のあの言葉。婚姻して初めての夜会であの失態。カイラン様なら許せますか?」
主は言葉を出せなくなる。俯いてしまった。
「どうすればいい?」
小さな声だが俺には届いた。
「三年も婚約していて婚姻しても傷付けたんです。キャスリン様がカイラン様を夫と認めるまで何年でも待つ必要があります。キャスリン様に何が起ころうとも支え守る夫になる。カイラン様の過去や初夜の言葉の真相を話されてもキャスリン様は怒りはしないと思いますが、許してはくれないでしょう。カイラン様はあまりにも身勝手でした。私が強く諌めお止めしていればと後悔しかありません。早くに旦那様に報告していれば、今とは違う状況になっていたでしょう」
主は黙って聞いている。
「キャスリン様に嫌われたとしても、許されなくとも、全て話し今までの愚行を真摯に謝るか、このままリリアン様を想うカイラン様でいるか、お決めください。ゾルダークを継ぐ者がこのような些末なことで悩んでいてはいけません。それぐらい覚悟を持たなければ当主にはなれない」
決定事項を告げる。キャスリン様に嫌われるならそれでよし、リリアン様を想い続けるならそれを生涯通す。もう、足が震えるなど言っていられない。そんなことを言っているようではゾルダークなど継げない。できなければ逃げるしかない。
カイランは俯いたままトニーに問う。
「何か言われたのか?」
そう思われても仕方ない。昨日の今日でこの変わりよう、誰かに何かを言われたと思うのは当然。
「カイラン様の為されようを離れた位置から見た者の意見です。私はカイラン様に仕えるのではなく、ゾルダークの後継に仕えるべきでした。拒絶されても諌めるべきところを誤りました。申し訳ありません」
頭を下げ謝る。リリアン様の存在を知った時からの俺の愚策。カイラン様の側に侍るのが俺ではなかったらと後悔は尽きない。
「そこまでか。僕は愚か者に見えているんだな。父上もソーマにもキャスリンにも見限られたかな」
カイランは長い髪を掻き上げため息をつきトニーを見る。
「悪かったなトニー。甘えすぎたな。僕はキャスリンに想いを悟られた時点で後継の道を踏み外していたんだ。直せるところでまた外す。愚かの極みだな。僕は消されるのか?」
トニーは首を振りカイランを見る。
「消しはしないか。僕の他に継ぐ者を用意できなければ、種馬として働かされるかな。薬でも盛られてアンダルのようにされるかもしれない」
カイランは自身で言っておぞましくなる。アンダルの告白を思いだし震える。キャスリン相手にそんなことさせるだろうか、ディーターの耳に入りでもしたらおしまいだ。ならば何処かで見繕って…消されるより惨い。カイランは決断しなければならないところに立っている。己の未来がここで変わる。