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空が喪に服するように夜に包まれ、星々が嘆き悲しむように瞬く頃、ユカリたちの乗る船は、かつてガミルトンの王子たちが早駆けした草原のはるか頭上を航行している。遥か北の不思議の土地から吹いて来た風は生まれ故郷に負けずとも劣らない不思議な海に吹き寄せる。ガミルトン海の夜の波音は深海に潜む怪物のいびきのように不吉に聞こえた。
ユカリは暗い海面に消えゆく航跡を見つめる。水の下の泡の中のウィルカミドの街で火を焚くことはできるのだろうか、と考えていた。深海の暗闇の中の心細さをユカリは思い出す。せめて沢山の人たちが励まし合っていることを願う。
「ウィルカミドが見えるのではないかと思ったのですが、もう少し西でしたかしら」と隣のレモニカが言った。
「高さもあるし、篝火でも焚けていたなら見えたのかも。いや、でもどうなのかな。海の底で何かが光ったっとして見えるものなのかな」
「普通の光では届かないとしても届く光を輝かせるのがベルニージュさまですわ」
「そうだね。今頃脱出する方法か、でなければ海を蒸発させる方法を模索してるかも」
レモニカはその様を想像したのか楽しそうに笑う。「早まった真似をなさらないと良いのですが。念のために海が茹だってないか注視することとしましょう」
そこへモディーハンナがやって来て言う。「ジェスランが目を覚ましましたよ」
聖女の手先は帆柱に縛り付けられ、波に合わせて揺れていた。ジェスランは少しも抵抗することなく、見下ろすユカリとレモニカ、モディーハンナを見上げる。
「これはこれは、月も隠れる麗しい女性三人に見下ろされると気恥しいね」とジェスランは軽口を叩く。
ユカリは冷めた眼差しと口調で尋ねる。「ジェスランさんを尋問するのは二度目ですね。今度も正直に話してくれますか?」
「もちろん。おじさんはとても口が軽いからね」ジェスランはお世辞を言われたかのように微笑む。「むしろ君たちのために全力を尽くそう。おじさんはどんな難しい注文でも応えてあげるよ」
船は『深遠の霊杖』で探り当てた海を操る魔法の剣を追っている。魔法の剣は南下しているようだった。馬に乗った者によって運ばれている速さだ。
「まずはこの短剣とあの長剣、魔導書だと思うんですけど、どこで手に入れたんですか?」
「ああ、それとあれね。短剣は元々猊下の護身用の懐刀だよ。で、長剣は君に剣を壊されて、代わりに盗賊団の頭に――なんて名前だっけ?――貰ったんだよ」
「本当のことを言ってくれると思ってました」そう言ってユカリは虚空から魔法少女の煌びやかな杖を取り出す。「あの剣に触れればどんな剣か分かります。ドボルグさんがあれを誰かに譲るわけがありませんよ」
まるで暴力とは無関係そうな派手派手しい装飾に覆われた杖だが、既にこれまでの旅で何度となく人間を殴打してきた杖だ。
「いやいや、本当だって。ああ、分かった。剣じゃなくて宿っている魔法の方だね。そう言ってくれないと分かんないよ。魔法の方はね、シャリューレちゃんが持ってた真珠の剣から出てきたんだよ。いや、あれって確か元々は君の持ち物だったよね。正確には魔法の籠った羊皮紙だよ。突然に羊皮紙が現れて、おじさんの剣の中に呑み込まれたんだ。で、もう一枚は猊下の短剣に呑み込まれたってわけだ」
やはりベルニージュの言う通り、リンガ・ミルには魔導書が宿っていたのだ。それが最後の二つなのだろうか、と思い、そうあって欲しいとユカリは願う。
そして、ユカリは魔導書を、よりによって救済機構の寺院で取り落とし、その力で彼らはガミルトンを海に沈めたのだと思い知る。受け止めきれないほどの後悔と罪悪感が背中にのしかかる。しかしユカリは意識的にそれらを無視できる程度には罪深かった。
「次です。ガミルトン行政区に流れ込んだ海水は大地の上の何も押し流しませんでしたが、あなたが呼び寄せた海嘯はホールガレンの街の半分を滅茶苦茶にしました。その違いは何ですか?」
ジェスランは首を傾げる。「さあ、何でだろう。おじさんは、ただ海嘯こっち来いって思っただけだしね」
「じゃあどう思ったのかが重要なのかもしれませんね。ガミルトンを沈める時はどう思ったんですか?」
「ガミルトンを沈めたのはおじさんじゃないよ。第七聖女アルメノン猊下さ」
ジェスランの言葉に周囲で聞き耳を立てていた僧侶や水夫たちが息を呑む。しかし誰も口を挟みはしなかった。
海を操る魔法の剣はアルメノンのもとに戻っている、あるいは既にその手に戻ったということだろうか。
「あの場に、聖女はホールガレンにいたってことですか?」とユカリは尋ねる。
「そういうこと。だから猊下に聞いてみて。ガミルトンを沈める時にどう思ったのか。あ、でもあの人は思ったことを全部口にするからな。沈めえ、とか言ってた気がするけど。そこら辺が違うのかな。ただ沈めって思うのと、こっち来いって思うのと。ちなみにガミルトンを沈めた後はおじさんに剣を託してどこかに行ったよ。魔法少女が来るから魔導書を取り戻せってね。その後どうなったか聞きたい?」
その後どうなったかはこの場にいる者たち全員が知っている。
「あの、シャリューレはどうなりましたか?」とレモニカがおずおずと尋ねる。
「さっきから気になってたんだけど、何で一人だけ焚書官がいるの?」とジェスランも尋ねる。
「先にこちらの質問に答えてください」とユカリが遮る。
ジェスランは自嘲気味にため息をついて答える。「捕まってたらしいけど脱獄したんだよ。そこでおじさんとドボルグと偶然遭遇して、猊下もやって来て、なぜか真珠の剣から羊皮紙が出てきて。そのどさくさにまぎれて逃げきれたみたいだね」
「そうですか。ありがとうございます」レモニカは安心した様子で呟いた。レモニカはユカリの手を握る。「またわたくしを探しているやもしれません。ご迷惑をお掛けします」
「迷惑だなんて思っちゃいないよ」ユカリは手を握り返す。そしてまたジェスランと向かい合う。「ところで救済機構はずっと昔からガミルトンを沈めるつもりだった、みたいですけど。海を操る魔法の剣を手に入れたのはつい先日ですよね? 話が噛み合いませんね」
「いや、何も嘘はついてないって」ジェスランはかぶりを振って否定する。「元々ガミルトンを沈める魔術は用意されていたのさ。だけど上手くいかなかったらしい。詳しくは知らないけど、猊下が言うにはフォーリオンの海が言うことを聞かないんだってさ。そういう意味では猊下にとって僥倖だね。溟海の剣を手に入れるなんてさ。神に感謝してたよ、猊下。笑えるでしょ」
しかしユカリは冷めた表情で言う。「溟海の剣、と名付けたんですね」
つまらない名前だなとユカリは思った。ユカリの他に魔導書を読める者がない以上、その力の特徴で名付けるのは当然だ。
「そうそう。猊下がね。溟海の剣、大地の剣とそれぞれ名付けた。シャリューレが持って行ったやつも大体想像がつくから天空の剣って名付けてたよ。シャリューレの剣にも羊皮紙が呑み込まれたって話はしたっけ?」
ユカリは少しだけ心の内では驚いたが顔には出さずにいた。まだ二つあったのだから、三つ目があってもおかしくはない。むしろ残り三本だと思って油断してはならない、と気を引き締める。