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当たり前じゃない世界
第1章 当たり前じゃない少年
第1話 人類を救う薬
「やっと、完成した。」
静まり返った研究室の中で、一人の男が小さなガラス瓶を手に取った。
ガラス瓶の中には、淡い青色に輝く液体が揺れている。
男の名は、イコル・ヤーレン。
世界最高峰の人類学者であり、数々の革新的な研究成果を生み出してきた天才だった。
彼は瓶を見つめながら、小さく笑った。
「これで人類は、もっと自由になれる。」
その言葉が、人類を救う希望になるのか。
それとも、世界を壊す始まりになるのか。
この時、まだ誰も知る由もなかった。
二〇二六年七月。
世界中が注目する記者会見で、イコル・ヤーレン博士は一本の小さなガラス瓶を掲げた。
「私は、人間に眠る未知の可能性を引き出す薬を完成させました。」
会場がざわつく。
記者たちは一斉にシャッターを切った。
博士はゆっくりと続ける。
「この薬は、人間に特殊能力を与えます。」
その瞬間、世界が止まった。
「人体実験だ!」
「そんなものは危険すぎる!」
「人間を改造するつもりか!」
世界中から反対の声が上がった。
政府、学者、宗教団体、市民団体――。
誰もが口を揃えて言った。
「人間は、そのままでいい。」
だが、人類はその誘惑に勝てなかった。
能力を得た人々は、次々と奇跡を起こしていった。
重機を使わずに瓦礫を持ち上げる者。
数秒で難解な計算を解く者。
炎を操る者。
風を操る者。
病気の植物を元気にする者。
動物と心を通わせる者。
もちろん、能力は自由に選べるわけではない。
人は生まれてすぐに「能力誘発薬」を投与される。
どんな能力が発現するのかは誰にもわからない。
完全な偶然だと言われている。
だが、一部の研究者たちの間では、こんな説も囁かれていた。
――人の願いや、本当の心が、ほんの少しだけ能力に影響を与えているのではないか。
その真偽は、今も誰にもわからない。
ただ一つ確かなのは。
能力を持つことが、この世界では当たり前になったということだった。
そして、十五年後。
二〇四一年。
能力を持たない人間は、一人も存在しない。
……はずだった。
「能力反応、確認できません。」
病室に、静かな声が響く。
医師は何度もモニターを確認した。
「もう一度、測定してください。」
看護師も慌てて装置を操作する。
けれど、結果は変わらなかった。
「能力発現……ゼロ。」
その日。
世界で初めて、「能力を持たない人間」が誕生した。
僕の名前は、朝霧湊(あさぎり みなと)。
十五歳。
世界で唯一の、無能力者だ。
「おい、朝霧。」
教室の後ろから声が飛んでくる。
「まだ能力出ないのか?」
教室に小さな笑いが起きる。
「逆にすごくない?」
「世界で一人だけらしいぜ。」
「レア能力じゃん。」
悪意があるわけじゃない。
でも、その言葉はいつも胸の奥に刺さった。
みんなには能力がある。
炎も、風も、怪力も、超記憶力も。
派手なものもあれば、地味なものもある。
それでも、能力を持っていない人間は僕だけだった。
「朝霧くん。」
担任の先生が少し申し訳なさそうに言う。
「今日の能力実技は……見学でいいから。」
「はい。」
僕は静かに返事をした。
慣れている。
そう、自分に言い聞かせながら。
その時だった。
校庭の方から、大きな歓声が聞こえた。
窓の外を見ると、空が一瞬だけ白く光る。
次の瞬間。
轟音とともに、一筋の雷が地面へと走った。
「うわっ!」
「すげぇ!」
教室中が窓際へ集まる。
「あれって……」
誰かが興奮した声で言った。
「神童輝羅(しんどう あきら)じゃね?」
その名前を聞いた瞬間、教室がざわついた。
神童輝羅。
雷を自在に操る、全国でもトップクラスの能力者。
同じ高校生とは思えないほどの力を持ち、能力者専門誌やニュースでも度々特集される存在。
誰もが憧れ、誰もが羨む、能力者の象徴。
窓の向こうで輝く雷は、とても眩しかった。
まるで、僕には絶対に届かない世界で光っているみたいだった。
「朝霧とは真逆だな。」
誰かが小さく呟く。
また、教室に笑い声が広がる。
僕は何も言わなかった。
言い返せないんじゃない。
ただ、自分でも少しだけ、そう思っていたから。
その日の放課後。
僕は能力実技で使われた道具を片付けるため、一人で体育館へ向かっていた。
夕日が窓から差し込み、誰もいない体育館を赤く染めている。
その時だった。
「……だから、大丈夫だよ。」
小さな女の子の声が聞こえた。
不思議に思って声の方へ歩いていく。
体育館の片隅。
跳び箱の陰に、一人の少女がしゃがみ込んでいた。
その目の前には、一匹の小さな野良猫。
少女は、まるで友達と話すように猫に語りかけている。
「今日は怖い思いしたね。」
猫が、小さく「にゃあ」と鳴いた。
僕は思わず口を開いた。
「……猫と、話してるの?」
少女は驚いたように肩を震わせ、ゆっくりとこちらを振り返る。
長い黒髪が夕日に照らされて揺れた。
「……聞いてた?」
「ご、ごめん。そんなつもりじゃなくて。」
少女は少しだけ困ったように笑い、腕の中の猫を優しく撫でた。
「変……だよね。」
「え?」
「みんなに言われるの。」 「そんな能力、何の役に立つのって。」
その言葉に、僕は胸が少しだけ痛くなった。
役に立たない。
その言葉は、僕も何度も聞いてきたから。
能力がない僕。
地味な能力を持つ彼女。
初めて会ったはずなのに、少しだけ似ている気がした。
「僕は、すごいと思う。」
気づけば、そう言っていた。
少女は驚いたように目を丸くする。
「……すごい?」
「うん。だって、僕にはその猫が何を考えてるのか、わからないから。」
少女はしばらく黙っていた。
そして、ふわりと笑った。
さっきまでの寂しそうな笑顔じゃない。
どこか、春の日差しみたいに優しい笑顔だった。
「この子ね。」
少女は腕の中の猫を見つめながら言った。
「君のこと、ちょっと変わってるけど、優しそうな人だって。」
思わず、僕は吹き出してしまう。
少女もつられて笑った。
その日、僕は彼女の名前を知った。
椿小春(つばき こはる)。
動物と話せる、不思議な能力を持つ少女。
そして僕は、まだ知らなかった。
彼女のその小さな力が。
いつか、この世界の運命を変えることになるなんて。
第1話 人類を救う薬 完
コメント
3件
わあ…めっちゃ良かった…!!😭💕 「世界で唯一の無能力者」っていう設定からもう刺さりまくりだったよ…! 朝霧湊くんの孤独感とか、教室でのちょっとした空気とか、読んでて胸がギュッてなった〜(泣) 最後の椿小春ちゃんとの出会い、優しすぎて泣くかと思った…!「僕にはその猫が何考えてるかわからないからすごいと思う」っていう湊くんの言葉、本当に沁みたよ…✨ 二人の「当たり前じゃない者同士」の距離感、これからどう変わっていくんだろう…! 次の話、マジで待ちきれないよ〜!!🔥