問題の焼肉屋は真新しいビルの一階にある。
和風モダンな店構えのその店で、月花たちは個室に通された。
……うーむ。
この人と、こんな理由で来るのは嫌だが、やっぱり美味しいな、
とタレがいい感じに焦げた焼肉を食べていると、新田という錆人より少し上くらいの年の店員がすっ飛んできた。
「いらっしゃいませ。
あの、月花さんが来られたら、お友だちの分も含めてタダにしろと店長に言われているのですが……。
お、男の方の場合は――
どうしましょう、と今、困ってるところなんですが。
店長に連絡つかなくて」
と明らかに同僚と来ましたという感じではない錆人を見ながら、新田は困っていた。
「……またいないのか、店長。
もはや、すべてがお前の妄想のような気がしてきたぞ」
錆人は生ビールを呑みながら、そんなことを呟いている。
いや、妄想なら、私が来たら、タダとか店員さんが言うわけないじゃないですか、と思いながら、月花は新田に言った。
「あの、全額払いますから、心配しないでください」
あ~、いえいえ、という新田は、実のところ、そういう話題をわざわざ振ることで、月花が錆人とどんな関係なのか、確かめようとしているようにも見えた。
ここの店長と店員。
王様と忠臣みたいな関係だからな、と月花は苦笑いする。
結局、錆人が全部払って店を出た。
「いい店だったな。
だが――」
だが? と寒い夜道で月花は錆人を見上げる。
「焼肉屋にプロポーズされているという話は、やはり嘘のようだ」
錆人はお会計のときにもらったショップカードを見ながら言う。
なぜ、店のカードを見ただけで、そんなことがわかるのだろうか、
と月花はカードを覗き込もうとしたが。
錆人が車の前を通り過ぎたのを見て、声を上げた。
「あれっ?
代行で帰るんじゃないんですか?」
「いや、このビルはうちのビルだ。
車は置いておいても大丈夫だ」
錆人は焼肉屋の隣のビルの駐車場に車をとめていた。
ここは大丈夫というから、ちょっととめさせてもらうだけなのかと思っていたが。
ここは、錆人の一族が所有しているビルなのだという。
「……隣のビルも買っておけばよかった。
そしたら、お前にプロポーズする不届き者を脅せたのに」
今、あなた、プロポーズは私の嘘だとか、妄想だとか言ってましたよ……。
「そういえば、問題のスープ屋もこの近くだったな」
スマホで位置を確認しながら錆人は言う。
「ほう。
まだ開いているのか。
この店、朝も早いようだな」
「会社の行き帰りに寄れるように朝早くから夜遅くまでやってるみたいですよ」
それは感心、と言いながら、錆人はスープ屋に向かおうとする。
「お前もスープくらいなら飲めるだろ。
焼肉もいいが、ちょっと野菜が足りなかったからな」
そうですね、と言いながら、月花は出会ってからずっと、錆人がおごってくれていることが気になっていた。
スープ屋の小洒落た看板を見ながら、
「あの、ここは私がおごります」
と月花は言ったが、
「上司におごる秘書がどこにいる」
と言われてしまう。
「えーと……。
あっ、そうだっ。
夫におごる花嫁ならいるのではないですか?
いやっ、私がそうだと言うわけではないんですけどっ」
おごられっぱなしでは落ち着かないので、つい、そんな言い方をしてしまう。
すると、錆人はちょっと驚いたような顔をしたあとで笑い、月花に札を握らせた。
「じゃあ、これをやろう」
「なんですか、これは」
月花は押し付けられた一万円札を見る。
「今日付き合ってくれた日当その1だ。
これでおごってくれ」
「いや、意味がわかりませんが。
そして、スープ、そんなにしませんが」
「いいから、俺に恥をかかせるな。
早く並んで頼め」
確かに店の前で揉めては迷惑なので、とりあえず、その一万円は別にとっておいて、自分のお財布から払うことにした。
列に並び、レジの上にある写真入りのメニューを眺めていた月花に錆人が言う。
「また、店長はいないようだな」
小さめの店内に店長のネームプレートをつけた人間がいないのに気づいたらしい。
「そんな朝から晩まではいませんよ。
ここ、一店舗じゃないし」
「お前にプロポーズしているという男。
結局、誰にも会えないが。
お前、|担《かつ》がれてるんじゃないのか?」
いや、担がれてるのは俺か?
と錆人が言ったとき、月花は店内にいたその人物に気がついた。
「あ、店長」
「なにっ?
いたのか? スープ屋の店長がっ」
「いえ、焼肉屋の店長ですよ」
「なぜ、焼肉屋がスープ屋に……」
「焼肉屋はスープ買いにきちゃいけないのか。
おい、月花、誰だ、こいつは」
と月花たちの二人後ろに並んだ男が言う。
濃い顔のイケメンだが。
一歩間違えたら、ヤバイ職業の人かな、という感じだ。
今日は黒っぽいスーツを着ているので特にそう見える。
焼肉屋の店長、|西浦《にしうら》だ。
西浦の鋭い視線に触発されたように、わずかに西浦より背が高い錆人は、顎を突き上げ、見下すように西浦を見て言う。
「俺は月花の夫だ」
……言うなら、せめて、偽装の夫と。
この人、下請け工場の方々ではないですし。
そういう嘘はつかなくても。
っていうか、あなた自分と似た高圧的な人に出会ったら、とりあえず、張り合ってみるタイプですね。
二人とも血の気が多いようだ、と思いながら、月花は西浦に訊いてみた。
「あの~、なんで、今日はスーツなんですか?」
「ダチの結婚式だったんだよ」
……殴り込みに行くヤクザかマフィアみたいに見えるんですが。
「今、お店に伺ったんですよ」
「俺のプロポーズを受けにか」
「いえ、食事に。
あの……専務、何故、そんなびっくりしたような顔をされているのですか」
と月花は錆人を見上げた。
「いや、ほんとうにこの人にプロポーズされてたのかと改めて驚いて。
なかなかいい面構えの気骨ありそうな人だ。
喧嘩を売りながらも、こんな人がお前にプロポーズするだろうかと不思議に思っていたんだが」
いや、疑いながら喧嘩を売らないでください。
ほんとうに意外に血の気が多いなと思ったとき、西浦が錆人に言った。
「俺も小さな店とは言え、人を使う立場にある人間だからわかる。
あんたもなかなかの人物のようだ。
何故、月花の夫だなんて嘘をつく」
嘘なんですが。
どうしてすぐにわかりました、と月花が思っていると、
「二人でいても、雰囲気になんの色気もない。
上司とスープ屋でうっかり出会ったので。
仕方なく、今日は寒いですね~とか意味のない会話をしている程度の間柄に見える」
と西浦は言い出す。
ほんとうにこの人は見る目があるな……。
「月花」
「はい」
「この人、うちにスカウトしたくなってきた」
西浦の発言に大きく頷き、錆人は言う。
私の存在、何処行きましたっ!?
と思ったが、まあ、そもそも、その程度の関係だった。
「でも、そういえば、専務。
お前が焼肉屋にプロポーズされたというのは嘘だとおっしゃってましたが、何故なんですか?」
「……月花が焼肉屋にプロポーズされたと言ったのか?」
西浦が渋い顔をする。
「あっ、もしかして、ジョークでした?
真っ赤な薔薇を持って現れたりとかされて、何度もおっしゃるので、さすがに本当の話かと」
とホッとして月花は笑いかけたが、西浦は真顔で腕を組み、月花を見つめて言った。
「月花。
どうやらお前が知らないらしい大変な事実がある……」
一体、なにがっ?
と月花は怯える。
実は西浦さんと私は兄妹だったとか。
国家を転覆させるような秘密が焼肉屋の紙ナプキンに書かれてやりとりされていたとか。
ああ、それだと私へのプロポーズとはぜんぜん関係ないっ、と動転しながら月花は思う。
「月花」
「はい」
「焼肉屋の店長はお前にプロポーズしていない。
……うちは鉄板焼きをメインにした創作和食の店だ」
「えっ?」
「お前が焼肉しか食わないだけだ」
「で、でも初めてお店に伺ったとき、鞠宮さんが美味しい焼肉の店があるって、みんなを誘ってくださったんですけど」
鞠宮は派遣会社の先輩だ。
「鞠宮か。
あいつも焼肉しか食わないから。
うち、キムチとかナムルとかないだろうが」
「あ、私、焼肉屋さん行っても、肉だけで、キムチとか食べないんで」
ははは……と月花は笑ってごまかそうとする。
どうりでショップカード見た専務が、
『焼肉屋にプロポーズされているという話は、やはり嘘のようだ』
と言ったはずだ。
「あっ、でも、今まで連れていったみんなにも焼肉屋さんで通じてましたよ」
「メニューもロクに見ずにお前が焼肉しか頼まないから。
よっぽど、この店の焼肉が好きで、そう呼んでるんだろう、と思ってたんだろ?」
俺もそう思ってた、と西浦は言う。
「ほんとうに焼肉屋だと思っていたとは……。
うちは、創作料理の店だよな」
なあ? と西浦は、自分たちとの間に並んでいる女性ふたりに言い、頷かせていた。
別に常連とかいうわけでもないようだったが。
西浦の店はこの近くなので、来たことがあるようだった。
「というわけで、お前にプロポーズしているのは、焼肉屋の店長じゃなくて。
和食系創作料理の店の店長だ。
そんなことより、注文は決めたのか、もう順番回ってくるぞ」
三人で上のメニューを見つめる。
「お、新メニューがあるな。
『春の訪れを感じるスープ』」
と西浦が言い、
「……冬になったばっかりなのに?」
と錆人が突っ込む。
「客は先取りが好きだからな」
「っていうか、一体、なにが入ってるんだ。
『冬の寒さを吹き飛ばす灼熱の常夏スープ』
春飛び越えて夏になったぞ」
だから、結局、なにが入ってるんだ!?
と言う錆人に続き、今度は西浦が読み上げる。
「『暖炉の前にいる気持ちになるスープ』」
だからなにがっ!?
と二人は突っ込み、
「店長を呼べっ」
と同時に叫んだ。
店員たちが彼らの迫力に怯える中、
「俺を呼んだか?」
と声がし、奥から似合わぬカラフルな色合いの制服を着た男が現れた。
「待たせたな。
今帰った」
と店員に言う。
ここは任せろ、というように。
店長っ、とみなが彼を見つめる。
……なんだろうな。
この辺の店。
何処もご主人様な感じの店長と忠誠心厚い下僕みたいな店員ばかりのようなんだが。
端正な顔をした店長を見た錆人が顔をしかめる。
「こいつがスープ屋の店長なのか?
スープ屋というのは、温かくお腹にもやさしいスープに癒されに来るところだと思っていたのに。
なんだこの和みようもないクールメガネは……」
……いや、偏見ですよ。
この人のクールメガネは当たってますけど。
「俺はここの店長の船木だ。
店のことで文句があるなら、店員ではなく、俺に言え」
店長っ、と年配のおじさん店員まで、熱く船木を見つめる。
「……いい店だ。
メニューはかなり謎な感じだが。
お前、店を見る目はあるな」
と錆人が月花に言う。
「ところで今、うちのメニューで和まないと言ったか?
大丈夫だ。
確かに俺自身は和み系ではないが、うちのメニューは、ホッと一息つけるよう、計算され尽くしている」
確かに計算し尽くしてそうだっ、と客に信頼感を与える感じの眼差しだった。
料理人というより、理系の研究者っぽいが。
船木が少し身を乗り出して言う。
「月花。
お前のアイディアを採用して、新メニューは女子が好みそうなメニュー名にしてみた」
お前が犯人かっ、と錆人たちが月花を振り返る。
「いい名前ですね。
どれも飲んでみたくなります」
と微笑む月花に船木は訊いた。
「そうか。
よかった。
どれにする?」
「そうですね。
じゃあ――
いつもの『石のスープ』で」
新メニューじゃないのかっ、と錆人と西浦が突っ込む。
「いやあ~、定番のおいしさですよ。
石のスープ。
あと、私、昔、石のスープの絵本が好きだったので」
船木は一瞬沈黙したが、そんな月花に慣れているからか、熱い瞳を月花に向けたまま、
「……石のスープ ワン」
と淡々と言った。
「石のスープ入りましたー」
と店員たちが繰り返す。
コメント
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私も「石のスープ」のお話大好きです🩷