テラーノベル
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シンナーや覚せい剤に溺れ、人生を無駄にしてしまった仲間を嫌と言うほど見て来た。
今、目の前にいる子供たちがそうなるのかと思うと、言いようのない怒りが込み上げてくる。
煌は朱雀の腕を振り切り、迫る異形の懐へ、弾丸のように踏み込んだ。
背後で朱雀が愉しげに喉を鳴らす気配がしたが、今の煌にはそれを気にする余裕さえない。
(……ったく、どいつもこいつも、同じ過ちばっか繰り返しやがって!)
鼻を突く紫の煙の向こう側、かつての連中の顔が脳裏をよぎる。
好奇心、あるいは現実逃避。ほんの数秒の「快楽」のために、残りの人生すべてをドブに捨てた馬鹿な大人たち。
そして、そんな背中を見て育ち、同じ泥沼に沈んでいったガキども。
「こんなもんに、人生預けてんじゃねぇよ……!」
踏み込んだ一歩が石畳を叩く。
異形が咆哮を上げ、穢れの触手を槍のように突き出してきた。
燕花が「危ない!」と叫ぶが、煌の目にはその動きが、まるでスローモーションのように見えていた。
身体を捻り、紙一重で触手をかわす。
朱雀から流し込まれた「熱」が、煌の右拳の中で行き場を求めて暴れている。
「おらぁッ!!」
渾身の力で叩き込んだ右ストレート。
それは単なる打撃ではなく、煌の怒りが形を持ったかのような光の塊だった。
落雷のような衝撃音。
異形の核が煌の拳に触れた瞬間、眩い閃光が路地裏を真っ白に塗り潰した。
紫の煙も、おぞましい黒い影も、その圧倒的な「物理(パンチ)」の前では成す術もなく、音もなく蒸発していく。
「……たく、張り合いねぇな。一撃で終わりかよ」
掌の熱がまだ引かない。
煌は息をひとつ吐いて拳を振り払い、肩の力を抜いた。
「す、すごいです! 童殿!」
燕花が目を輝かせる。
「私との手合わせの時には手を抜いていたんですか?」
「手を抜いてたわけじゃねぇよ。……ただ、ムカついただけだ。柄じゃねぇもん見せられてな」
彼女の崇拝めいた眼差しが、どうにもこそばゆい。
それよりも、背中に突き刺さる“二つの視線”が、煌の肌を焼いていた。
ひとつは、壁にもたれたまま喉を鳴らす朱雀の、愉快そうなもの。
もうひとつは、丸薬を地面に落としたまま凍りついた静遠の、絶句そのものの目だ。
「……信じられん。神官たちが神法を組んでも数刻かかる増殖体を、拳ひとつで……」
驚愕を通り越し、彼の声はほとんど悲鳴だった。
異界の童が「拳で奇跡を起こす」たび、静遠の胃は確実に蝕まれていく。
「……ふ。やはりお前は、期待を裏切らぬな、煌」
背後から、悠然とした足取りで朱雀が歩み寄ってくる。
彼は荒い息をつく煌の肩に、再び無遠慮な手を置いた。
汗ばんだ煌のうなじを、朱雀の指先がわざとらしく愛撫するようになぞる。
「てめっ……離せっ! べたべたすんなっ、気色悪いっ!」
「熱いな。お前の内側で、わしの熱がこれほど心地よく暴れている……。これを見てもまだ、自分は巫女ではないと言い張るか?」
朱雀の黄金の瞳が至近距離で煌を射抜く。
その瞳には、獲物を追い詰めた肉食獣のような、どす黒い欲望が混じっているような気がする。
「……知るかよ。俺はただ、気に入らねぇもんを殴っただけだ」
煌は吐き捨て、朱雀の腕から逃れるようにして地面に視線を落とした。
そこには、異形が消えた跡に一つだけ、焼け残った小さな箱が転がっている。
(……ホウライドウ? また日本語……?)
煙草そっくりの呪薬に、日本語の印字。
偶然じゃない。そう思うほど、胸の奥がざらついた。
煌は箱を握りしめたまま、背後で胃を押さえている神官長を振り返る。
「なぁ、胃薬おじさん。この“鳳来堂”って名前、なんか知ってるか?」
「だ、誰が胃薬おじさんだ! 誰がっ!」
静遠が顔を真っ赤にして怒鳴った瞬間、
朱雀がくつくつと喉を鳴らし、燕花が小さく肩をすくめた。
「……都には数多の商人がいる。一介の神官長が、路地裏の塵商人まで把握しておると思うか?」
「なんだよ、つまり知らねぇのか」
煌が挑発的に眉を上げ、口角を吊り上げる。
その刹那、背後から低く笑う気配が近づいた。
次の瞬間、朱雀の逞しい腕が、ぐいと煌の肩を包み込む。
「よいではないか、煌。知らぬのなら、これから調べさせればよい。――なに、儂の巫女がこうして証拠を掴んだのだ。のう、静遠?」
「おい、だから近いっての! 離れろよ、ジジイ!」
煌は顔を真っ赤にして腕を押し返したが、びくともしない。
神の体は岩のように動かず、代わりに朱雀が喉の奥で楽しげに笑った。
低く響くたび、その熱が背中越しに波となって肌を焼く。
「よいではないか。先ほどはあれほど深く“繋がった”というのに、今さらつれない声を出すとは」
朱雀の声が、囁き混じりにかすれる。
「……まだ火の残り香が、お主の中に灯っておるぞ」
「言い方考えろ変態! あれは勝手に熱を流し込んだだけだろうがぁ!」
必死にもがく煌を、朱雀はまるで子犬でもあやすように片腕で押さえ込み、愉快そうに目を細めた。
金の虹彩の中で、燐光がゆるやかに揺れている。
その数歩離れた場所。
路地裏で繰り広げられる“主と新米巫女(仮)”の密着劇に、燕花は「あらあら……」と頬に手を当て、慈母のような笑みを浮かべていた。
一方で、傍らに立つ静遠は極めて対照的だ。
額に青筋を浮かべ、唇の端を引き攣らせながら、わなわなと震える指先で丸薬の小瓶を掴み上げる。
「……ほんとうに、この国は滅ぶかもしれん……」
燕花のほほえましいため息と、静遠の半ば悲鳴のような呟きが、路地の喧騒にまがまがしく混じり合った。
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