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子供の頃は共働きの両親に代わって、一番上の姉――七味と一緒になって、幼い大葉によくアレコレ作って食べさせてくれたものだ。
家では旦那のために手料理を振る舞っているだろうに。
そう思って苦笑したら「たまには人が作ったものを食べたいのよ」とニコッとされた。
まぁ、確かにそういう気持ちも分からなくはなかったので、炊飯器に米を二合セットしてから、「焚けたら適当に食え」と言い置いて羽理とともに家をあとにする。
鍵はとりあえずオートロックの暗証番号タイプのキーレスキーだから、忘れ物がないようよく確認して部屋から出てくれと頼んだ。
***
「暑くないか?」
結局下着を着ていないと言う気恥ずかしさに勝てなかったのか、羽理は大葉が出してやったブランケットを持ち出したいと要求して来て、今も助手席で身体を覆い隠すようにすっぽりと被っている。
ビジュアル的にその方が大葉も運転に集中できて有難いのだが、何ぶんそろそろ梅雨に差し掛かろうかという時分のこと。
窓は少し開けてあるけれど、さすがに暑くはなかろうか?と心配になる。
「平気です。――あ、でもっ。変なのが横に座っててすみません」
そろそろ十八時になろうかと言うところ。
あと一時間もすれば日没だが、今はまだ西の空に傾いた太陽が辺りを茜色に照らしていて明るい。
まぶしさに目を眇めてサンバイザーを下ろした大葉だ。
意識すれば対向車や二車線で横に並んだ車から、助手席に座る羽理の姿が良く見えるだろう。
それを気にしての言葉に、大葉は「構わねぇよ」とつぶやいた。
実際、人からどう見えようと知ったことじゃない。
羽理が自分の隣にいること以上に心躍る状況なんてありはしないのだから。
「正直俺は……お前と一緒にいられればそれだけでいい」
今までは恥ずかしくてほとんど口にしなかった心の声を正直に声に出せば、羽理が眉根を寄せて「いっ、いきなりそういうことを言うのは反則です……。し、心臓に負担が掛かっちゃいますっ」と胸の辺りをギュウッと押さえるようにして抗議してくる。
斜陽に照らされてまるで頬を赤く染めているように見える羽理の様子に、大葉は(ホント可愛いな)と思って吐息を落とす。
自分だってさっきから心臓がドキドキしっぱなしだ。
「なぁ、お前のその胸の痛みだがな……」
「……?」
ハンドルを握る自分の横顔を羽理がチラチラと見つめてくる視線を感じながら、大葉はほぅっと吐息を落とした。
そうして「いや、やっぱいい。全部ひっくるめて後で話すわ」と曖昧に言葉を濁してしまう。
羽理の顔をまともに見られない状況で告げるのは何だか嫌だと思ったからだ。
どうせなら手とか握って……もっともっと大葉と一緒だと〝胸が苦しい〟と自覚させてから理由を思い知らせてやりたくなった。
「き、気になるじゃないですかっ」
ソワソワと落ち着かない様子で瞳を揺らせる羽理を横目に、「だったら大いに気にしとけ」とクスクス笑ったら、羽理が「意地悪っ!」と唇を突き出すから。
「ホント可愛いな、お前」
今までは口に出さなかった言葉を、あえて羽理にも聞こえるように伝えた。さっき柚子に叱られたことをふと思い出したからだ。
(思ってるだけじゃダメみてぇだからな)
羽理は恋愛が絡むとめちゃくちゃ鈍感だ。
仕事関係なら一言えば十知るような優秀な女性なのに、自身の色恋ごととなると同一人物とは思えない察し力の低さを発揮する。
「か、かわっ!?」
そのくせこうやってちゃんと気持ちを伝えると、びっくりするぐらい動転してオロオロするから。
それがたまらなく〝愛しい〟と思ってしまった大葉だ。
(これからはちゃんと伝えていくか……)
過去の恋愛では大葉が黙っていても相手が一方的に〝好き〟だの〝愛してる〟だの囁いてくれた。
だけど、今回の恋では――。
それは大葉の役目だと思った。
***
倍相岳斗から同僚の荒木羽理の、恋心に起因する動悸について口止めされた法忍仁子は正直ムカムカしていた。
上司から呼ばれて行ってみれば、「会議室で話しましょう」とわざわざ移動させられて。
何の話かと思ったら、開口一番そんな言葉。
羽理から『約束を破られた』と泣きそうな顔で言われていた仁子は、岳斗の言動に何となくカチンときて。
思わず上司なことも忘れて彼に詰め寄ったのだ。
「羽理とのランチの約束をすっぽかしたって本当ですか!?」
と――。
だが、それに対する岳斗の反応は予想に反して「え?」という間の抜けたもので……。しかも二人でのランチはちゃんとしたと言う。
(どういうこと? じゃあ羽理が言ってた相手って誰なの? すっぽかされた約束ってなに?)
仁子は混乱しまくって、すぐにでも真相を知りたくなった。
でも、残念ながらそれは目の前の上司とは関係ない話のようだったから。
仁子は羽理に直接聞こうと思ったのだけれど。
それと同時、いくら上司に口止めされたからと言って……羽理に『あなたの不整脈は病気じゃなくて恋のときめきだよ?』と教えないのは〝友達として〟どうなの?とも思ってしまう。
「やっぱりちゃんと教えてあげよう」
早退した羽理に様子うかがいのメッセージを送っておよそ三十分後くらいにそう決意した仁子は、善は急げとばかりに羽理に電話を掛けてみたのだけれど。
携帯からは『おかけになった電話は電波の届かないところにあるか、電源が入っていないためかかりません』。
そんな無情なアナウンスが流れるだけで、一向に繋がらなかった。