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将臣が去った後の麒麟堂には、重い静寂と冷えた空気が残されていた。
凪は一人、静かに箒で店を掃いていた。
(兄様は……将臣様の身代わりだった……。それを背負って、将臣様はずっと苦しまれていたのね……)
箒を動かす手が、ぴたりと止まる。
(だから……また『罪悪感』から、私を迎えにきてくださったの……?)
箒の柄を握る指に、ギュッと力が入った。
「凪。終わったか」
源一郎が入ってきた。凪はすぐさま背を向け、掃き掃除を再開する。
「もう少しで終わります」
源一郎はその強張った背中を見つめ、小さく温かいため息をついた。
「……安藤殿を、許してあげなさい」
凪の肩が跳ね、動きが止まる。
「軍医という誇りも、地位も家も捨てて追ってきたのだ。簡単にできることではない。……信じてあげなさい」
父の穏やかな声が胸に染み渡る。だが、それを振り払うように、凪は目をぎゅっと瞑った。
「私は……ここを継ぎます。この店から、離れることはしません」
背後で、源一郎の寂しげな息遣いが聞こえた。
「……そうか。お前が決めることだな」
父はそれだけ言うと、静かに奧の部屋へ戻っていった。
※
朝、凪が打ち水をしに外へ出ると、少し離れた将臣の仮設医院の前に、人が溢れかえっていた。
(開設してまだ一週間も経たないのに……あんなにたくさんの人が……)
柄杓を持ったまま、凪は立ちすくんだ。
後ろから、木製の長椅子を運んでいく男たちの会話が聞こえてくる。
「貧乏人も分け隔てなく診てくれる医者だなんて、本当にありがたいよな」
「だが患者を一人で捌くのも、こりゃ大変だぞ」
「過労で倒れなきゃいいがねぇ」
(……人手が、足りていないんだ……)
水を取り直しながらも、凪の目は吸い寄せられるように医院を追っていた。
男たちが置いた椅子に、集まった患者たちが身を寄せ合って座っていく。
そこへ、白衣姿の将臣が出てきた。
凪の心臓が、ドクンと大きく跳ね上がる。
将臣は手伝いの男たちに深く一礼すると、手前の患者を温かく中へ招き入れた。
(少し前まで、私もあの人の隣で手を貸していた……)
凪の顔が、段々と陰りを帯びていく。
振り向き、一人で立つ麒麟堂の暖簾を見上げた。
「ここを……私一人で……」
父・源一郎がいてくれるからこその自分だ。それは重々わかっていた。
(私の苦労の何倍もの重荷を……将臣様は一人で背負おうとしている……)
「……そこまでして……なぜ……っ」
柄杓を握る手に、ぎゅっと力がこもる。