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「すみません、お店は開いていますか?」
白シャツにベストを着こなし、真鍮の丸眼鏡をかけた男性が、にこやかに立っていた。
「は、はい! いらっしゃいませ!」
凪は急いで柄杓を手桶に戻し、客を店内へ案内した。
「どのようなお薬をお探しでしょうか?」
「凪さん……ですよね。お久しぶりです」
「え……?」
(丸眼鏡……どこかでお会いしたような……?)
首を傾げる凪に、男性は苦笑しながら指先で眼鏡のブリッジをすっと押し上げた。
「以前、軍の祝宴でお会いした衛生曹長の宝生です」
「あ……! 大変失礼いたしました!」
「いえいえ。今日は『結菓子』を買いに来たんです」
(ああ……また、兄様の菓子が人を繋いでくれた……!)
「私は戦地で、安藤軍医の側近を務めていた者です。まさか本当にお二人がご結婚されるとは……驚きました」
「……ええ」
凪の胸に暗い影が落ち、声の調子も沈む。
「お兄様の朔也さんは……残念でした」
凪は小さく頭を下げた。
「あの夜襲の日のことを、今でも思い出すんです。辛い出来事でしたが……軍医殿が桐谷さんを救おうとしたことも、忘れられません」
「……救出?」
「軍医殿から、何も聞いておられないのですか?」
凪はただ、こくんと小さく頷いた。
宝生は少し驚いたように目を瞬かせたが、やがて静かに息を吐いた。
「夜襲のあったあの日──軍医殿は、ご自分の身も顧みず、桐谷さんを助けに飛び出していかれました」
「……!」
凪の肩が小さく跳ねる。
「頬の傷も……その時に弾丸がかすめた傷なんです」
「……っ! あの傷が……?」
思わず声が裏返り、凪の手が自分の頬へと伸びる。将臣の顔に刻まれた、痛々しい傷痕が浮かんだ。
「桐谷さんを救うためなら、命なんて惜しくない……そんな勢いでした」
宝生は、遠い記憶を辿るように目を細める。
「当時の私は、戦友だからこそ、あれほど必死になったのだと思っていました。ですが……今になって思えば、少し違ったのかもしれません」
「……違った?」
「ええ。軍医殿にとっては、桐谷さんは特別だったんですね」
宝生は小さく笑った。
「戦地にいる間、軍医殿は何度も桐谷さんに妹さんのことを尋ねていたんです」
「……妹?」
「はい。凪さん、あなたですよ」
「……私……?」
凪は呆然と自分を指差した。
宝生は頷き、懐かしそうに目を細める。
「『妹さんは元気なのか』『どんな娘なんだ』と……。それから、麒麟堂のことや、結菓子のことまで聞いていました」
凪の胸が、どくん、と大きく鳴った。
「軍医殿は──もうその頃には、凪さんに恋をしている顔でした」
(────────っ!!)
心臓が一拍、抜けたような衝撃だった。
(将臣様は……初めから、私を……?)
息がうまく吸えない。唇がかすかに震え出す。
「無事に帰国できたら、凪さんを迎えに行くとおっしゃって。桐谷さんも嬉しそうに笑っていました」
(兄様もっ……知っていた⁉︎)
凪の目から、涙が次々に溢れてくる。だが、凪は呆然としたままだった。
(身代わりの遺言なんかじゃない……!
初めから私を妻にしたいという話は──本当だったんだ……!)
凪はその事実に、心の澱が一気に流れていった。たまらず、嗚咽を上げて顔を手で覆った。
「ど、どうされました? 泣かせるようなことを言ってしまいましたか⁉︎」
慌てる男性に、凪は涙に濡れた顔を上げた。
「いいえ……っ! 真実を……将臣様の本当の気持ちを教えてくださって……ありがとうございます……っ!!」
男性は「参ったな」というように苦笑しながら頭を掻いた。
「……結菓子をお包みしますね!」
涙を拭き取った凪の顔には、もう悲壮感など微塵もなかった。
客を見送った後、凪は店の外へ飛び出し、将臣の医院をまっすぐに見つめた。
相変わらず、患者たちで溢れかえっている。
ザッ、と土を踏みしめる音。
気がつけば、自分の足が迷いなく一歩前へ踏み出していた。
凪の瞳には、もう何の翳りも迷いもなかった。
(私は、傷は読める──でも)
「あなたの心は読めていませんでした」
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