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今より、はるか昔。
まだ朧が”守護の座”を継いだばかりの頃。彼は、感情を持たぬ”器”のような存在だった。
「⋯⋯また、境が揺らいでいる」
若き朧は、静かに霧の中を歩いていた。
その姿は今よりも鋭く、冷たく、どこか孤独だった。
「人間の世界と、こちらの世界⋯⋯なぜ、こうも交わろうとするのか」
彼は、”境”を守る役目を負っていた。異界と人の世を分かつ、見えない結界。
それを乱す者を、”排除する”のが彼の務めだった。
その日も、朧は境のほころびを修復していた。すると──
「⋯⋯あれ?ここ、どこ⋯⋯?」
霧の中から、ひとりの少女の声が聞こえた。
「誰だ」
「きゃっ⋯⋯!」
少女は、白いワンピースに身を包み、手には小さな傘を持っていた。
「ご、ごめんなさい⋯⋯!迷い込んじゃって⋯⋯!」
「ここは人の来る場所ではない。すぐに戻れ」
「戻れって言われても⋯⋯道が⋯⋯」
朧は溜息をつき、少女の手を取った。
「⋯⋯案内する。目を閉じろ」
「えっ、でも──」
「早く」
少女はおずおずと目を閉じた。
その手は、小さく震えていた。
(⋯⋯こんなに、柔らかい手だったか⋯⋯人間は)
霧の中を歩きながら、少女がぽつりと呟いた。
「⋯⋯ありがとう。名前、聞いてもいい?」
「⋯⋯朧」
「へぇ、きれいな名前。私はね、柚葉っていうの」
「⋯⋯」
「ねぇ、朧くん。また、会える?」
「⋯⋯二度と来るな。ここは、お前のいる場所ではない」
「そっか⋯⋯」
少女は少し寂しそうに笑った。
「でも、私は忘れないよ。月のない夜に出会った、優しい”影の人”のこと」
少女を送り届けたあと、朧はひとり、境の前に立っていた。
(⋯⋯柚葉⋯⋯か)
(あの笑顔が、なぜか胸に残る)
その夜、空には月がなかった。
けれど、朧の胸には、小さな光が灯っていた。
(⋯⋯もう一度、会いたいと思ってしまった)