テラーノベル
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「……水樹、もうやめな」
その声は、優しかった。
だからこそ、遅すぎた。
地下の通路。
壁に滲んだ文字が、目を逸らした瞬間に配置を変える。
佐藤水樹は、いつもの癖でポケットに手を伸ばした。
煙草。
ライター。
指が、止まる。
「未成年だろ」
「身体に悪いしさ」
「それ、逃げてるだけじゃないのか?」
仲間の言葉は、正しい。
正しすぎた。
水樹は、困ったように笑った。
「……あー…そう、すよね」
火をつけない。
煙を吸わない。
境界線が、引けない。
代わりに、音が入ってくる。
壁の裏で、爪が擦れる音。
自分の呼吸と同じリズムで、何かが数を数えている。
十三。
十四。
十五。
「……おい、聞こえるか?」
誰も答えない。
聞こえていないのだ。
煙を吸っていないのは、水樹だけだから。
視界の端で、人影が揺れる。
地下室でトンカチを振るったあれが
まだ形を保ったまま、立っている。
『ほら!!』
『こっちだよ、▓▓〜!!』
「……あ」
引き金を引きかけて、止まる。
ここで撃てば、仲間も巻き込む。
分かっている。
分かっているのに、距離感が壊れている。
煙が、無い。
仲間が叫ぶ。
「水樹!!」
振り向いた瞬間
世界があの夜と重なった。
骨の感触。
潰れる音。
次に気づいた時
床に血が落ちていた。
怪異ではない。
仲間の、血だった。
「……あー……はは」
水樹は、ようやくポケットから煙草を出した。
でも、もう誰も止めなかった。
止める声を、出せなかった。
火をつける。
肺に煙が入る。
数が、合う。
正気が戻る。
現実が、確定する。
目の前にいるのは
倒れた仲間と
自分の手についた血。
「……言ったっすよね」
声が、震えた。
初めて。
「これ、逃げじゃないんすよ……」
優しいお兄ちゃんは
煙を吐きながら、理解してしまった。
それを奪うってことは
引き金を、代わりに引かせるってことだ。
それ以来。
誰も、水樹に「吸うな」とは言わなくなった。
それが正解だったのかは
今も分からない。
ただ一つ確かなのは
煙草を止めさせる方が
よほど多くを壊したという事実だけだった。
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