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定時を過ぎた19時。
このところ繁忙期だということもあり、雑務に追われ総務も自然と仕事量が増えていた。
時計を見ながら、しかし真衣香は全く別の話題を八木に振った。
「……実は、八木さん、モテるんですね」
ボソッと不服そうに言った真衣香を、トントンっと八木が書類をまとめながら横目で見る。
「あ? なんだいきなり」
「だって、坪井くんに負けず劣らず騒がれてて……」
「いや、坪井と並べんなよ」
坪井の名を出すと、八木は心底嫌そうに眉を寄せて大きなため息を吐いた。
今や、真衣香よりもその名前に敏感なのではないかと思う程だ。
――坪井と八木が不穏に睨み合い、また、八木の急な提案があったのは、週始めのこと。
もう数日が過ぎていた。
噂話とは恐ろしいもので、この数日の間で瞬く間にその内容は変化してした。
『相手は八木さんの方だったんだって』
『一緒に帰りながらすんごいベタベタしてたって!』
『え? 八木さんの方が? 意外すぎる!』
『じゃあ坪井くんは遊ばれてただけなの?』
『え、立花さんが坪井くんを?』
『清楚な感じがモテるんだなぁ』
と、こんな具合に進んで。
そして、今は。
『じゃあ、坪井くんて今、狙い目なんじゃない!?』
『そっか、咲山さんと別れた後に立花さんって話だったもんね』
『昨日聞いたら彼女はいないって言ってたよ』
『マジで!? 久々本気でフリーなんじゃん!?』
そんな声が至るところから聞こえてくる。
標的が坪井に絞られ、真衣香へのチクチク痛い視線も何となく和らいだというか……
(坪井くんに注目が集まっているというか)
そういった話に興味のなかった真衣香なのだが、やはり目立つ坪井に好意を寄せていた人物は少なくはないようで。
今がチャンスだとばかりに、今日1日だけでも何度か見かけた。
仕事の合間、楽しそうに坪井を囲む女の人の姿を。
(しかも、美人だって言われてる素敵な人ばっかり……)
改めて、自分と坪井は全く釣り合っていなかったのだと実感した。
「気になるか」
考え込んでいた真衣香に八木が聞いた。
「……何がですか?」
「女どもが坪井に群がってんのが。 さっきチラチラ見てたろ」
「……あ」と、短く反応を返したけれど、そこから言葉に詰まる
会議室へ八木の忘れ物を持って行った時の話をされているのだろう。
高柳を始め、営業部も数人がその場にいて。
真衣香は、その中に坪井の姿も見つけてしまった。
まだ人数が揃っていなかったフロア内は休憩中のように騒がしく、企画部の女性たちから質問攻めで囲まれている坪井を横目で追ってしまっていたから。
きっと、八木はそんな真衣香を見ていたのだろう。
「まぁ、今の様子で坪井が他を相手にするようにも見えねぇけど」
八木はまとめた書類を真衣香に手渡しながら言った。
受け取りながら、その言葉に返す。
「あ、あれから特に、何も……。話しかけられてもないですし、もう本当に関係ないですよ」
(きっと坪井くんの気まぐれも終わったってことなんだ)
それに……。と真衣香は思った。
気になるもなにも。これも”前に戻った”だけなんだ。もともと坪井は真衣香にとって別世界の人で、遠目に眺めるだけの日々に何の疑問も感じず、過ごしてきた。
ここ一ヶ月が”違った”だけなんだ。
(昨日、今日と遠くから眺めてたら思い出せて冷静になれたよね……よかった)
「まぁ、気になるか、なんて聞かれたらそう答えるしかないわな、余計なこと聞いたわ、悪かった」
「え!? そ、そんな八木さんが私に謝るなんて珍しすぎます……っ」
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