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今日は休館日。都比は図書館としてではなくただの魁家として令夏の家に遊びにきている。
都比「今日はまだ何に入れるのか分からないのか〜」
令夏「たまにはのんびりね。前は結局、何も分からなかったからね…」
都比「令夏の断末魔しか記憶にない」
令夏「私も背中の痛みしか記憶にない…まあなんやかんや思い出」
都比「いい思い出ではないけど」
令夏「でも本当にあんな本が私の代で出るなんて…」
都比「令夏の代?」
令夏「実はここ、私のおじいちゃんが建てた図書館だから。今はお父さんとお母さんでやってるけど。だから私の代でもある」
都比「あ、そうなんだ!」
ちなみに祖父は令夏の両親に図書館を引き継いでもらった後、令夏が生まれる前に亡くなったという。令夏は祖父のことをほとんど知らない。都比も祖母を顔を覚えられるようになるより前に喪ったことを明かした。挨拶する程度だった仲から図書館の謎を解明する仲になり、境遇にも意外な共通点があったのだ。
そんな会話をして数日後。入れる本が出現。
都比「今日は何?もうあんなグロテスクなの嫌だよ?」
令夏「私が一番嫌…今日は夏目漱石の『心』」
都比「夏目漱石の?あの日本でトップクラスの売り上げを誇ってるっていう?」
令夏「いや、そっちじゃなくて… あっちの『こころ』は知ってる人、多いけどこっちの『心』はあんまり知られてないイメージ。あっちはひらがなだけどこっちは漢字だから…」
都比「ややこしいよ!…グロくないよね?」
令夏「いや、グロくはないけど… グロいというか不思議な話。 とりあえず行こう」
都比「なんなんだよ、解説したり、とりあえず行ったり…」
少しペースを掴むのが難しいのは令夏と文学の共通点かもしれない。もう慣れつつある。
やってきた本の中。2階の手すりから日の目の多い春の町を見下ろす。鼓を持った下駄の歯入(歯がすり減った下駄を取り替える仕事)が通りかかった。 向かった先は道を挟んで斜め向こうにある医者の門。 鼓をかんと打つ。
令夏「窓、見てみて」
すると歯入の頭上に真っ白に咲いている梅から一羽の小鳥が飛び出した。歯入は気づかずどこかへ行ってしまった。
令夏「可愛い…」
都比「可愛いって言ってていいのかな…」
と、言っている間に手すりの下まで飛んできた。 しばらくはザクロの細枝に止まっていたが、ふと手すりまで来ている。 身を引き、右手を出すと飛び乗ってきた。
鳥を籠に入れ、日陰が傾くのを眺めていた。
令夏が散歩に行こうというので町を右に曲がったり、左に曲がったり。知らない人とたくさん出会う。
ふとした鈴の音に振り返ると細道の入り口に一人の女が立っていた。 着いてこいというので路地裏へ向かう。 耳にしたその声、漂わせるその雰囲気、相手の顔を見もしないで歩を進めようとする、ある種の事務的な冷淡さ……そうしたものが、都比の中の遠い記憶を刺激し、何かを呼び覚ましたのだった。この人、知っている…?と都比は思った。知っている、確かに知っている、どこかで会った……と。
都比「待って…!」
追いかけて、追いかけて、追いかけて。
都比「行かないで…」
令夏「都比!」
このままでは都比は永遠にあの女とこの世界をさまよいかねないと自分でも少しビックリするくらいの声を出した令夏。気づけば物語は終わり、元の世界に戻っていた。
都比は言葉にしづらい気持ちだった。夢から覚めて、内容はほとんど忘れているのに夢を見ていたということだけを覚えているような。
都比「確かに不思議な話だった。あれは…夢の中の話?夢の世界ってあるのかな?」
令夏「さあ。でも文学の世界は確かにある」
都比「…そっか。確かに」
帰り道。もう夕方だ。この辺はまだ日が昇っているが、家の方はもうすっかり暗い。夜空と夕空の境はまるで青とオレンジのグラデーションのよう。都比は本の中で会った女性のことが頭から離れないまま日を追いかけるように帰る家を目指す。なんのつもりというわけでもないが、一人の砦。空にお願いというやつでもしてみるか。あの人のことを思い出せますように。思い出せる…よね。この言葉は自分のためだけではない。思い出したい人のためでもある。自分でも一人で何をしているのだろうと思う。自分がどれだけ複雑な顔をしているかなんて、逆に嘘なんじゃないかと思うくらい自覚していた。風の冷たさと音が都比の顔に絡みつく。まるでこっちへおいでと声が聞こえるよう。
都比を見送った後、令夏は今日のことを振り返っていた。都比の様子が今までと違う。本当にあの入り込める本はなんなんだ。どうして都比はあの人に反応したんだ。見つけないと。一体、何を?私は何を見つければいい。このモヤモヤはどうしたら消えるんだ。そんなことを考えながら自分で入れた紅茶を飲んで落ち着こうとする。外を見ると日は完全に沈んだ。