車の走行音が響き、時々街灯が眩しく車内を照らした。
進んでいく道のりの中で、八木と真衣香。二人のあいだには何の会話もなかった。それぞれに胸の中に浮かぶ想いへの葛藤に忙しかったからだ。
やがて、ゆっくりと車が停車した。
暗がりだった先程までの工場地帯の一角とは違い、街灯が眩い。人通りも、夜の11時になろうとしているが多かった。
「……車降りて、真っ直ぐ大通り出て。目の前の信号渡ったらすぐ駅。さすがに坪井のとこまで送ってやるとは言えねぇけど、ま、行って来い」
静かに、一定の声色で八木は真衣香の方を見ないで言った。一瞬返答に迷ったが、やはり”ありがとうございます”とは、返せなかった。
「八木さん……、今日は本当にごめんなさい」
「謝られてもな、勝手にやったことだし」
真衣香が謝ると、予想通りの答え。
「……どうして、ここまで協力してくれるんですか。いつもいつも八木さんにメリットなんて何もないじゃないですか」
感情が昂りすぎているのか、声が涙を抑えるために震えている。
八木は「おい、頼むから泣き出すなよ」と、やはり真衣香の方は見ないままで。念を押した後、ゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。
「んー、何でって、なぁ。そりゃ惚れてるとかの前に、感謝してるからだよ、お前には」
「……え?」
感謝はしても、される覚えなどなくて驚きの声を返す。
「俺は、飽きっぽいんだよ昔から」
笑いながらそう言った八木は、やっと真衣香の方を見た。しかし、その言葉のどこが八木のメリットに繋がるというのだろうか。
何も言葉を返せないままの真衣香に「まあ、そういう顔するわな」と軽く肩をすくめた。
「家にさ、反抗してたのもあるけど。それ抜きにしても仕事、基本続かねぇ奴だったんだよ。だから今の会社もさ、すぐ飽きるわ親戚の目もめんどくせぇわで」
時々、視線を下に向けて。でもまたすぐに、真衣香を見つめて。
ゆっくりと思い返すように、それを大切に噛み締めるように、言葉にしていく八木の姿を。
真衣香もまたジッと見つめ返した。
「でも、お前の世話焼きはじめたくらいからはマジで楽しかったなって、思い出してた」
「せ、世話……」
「きっかけは、お前がいると飽きねぇなって、総務での毎日からだけど。でも今は、ちゃんとやっていこうって思えてる。だから異動も受けたし」
言いながら八木の長い指が、しなやかに真衣香の髪を梳いた。
「間違いなくお前のことは特別だし、惚れてんだけどさ。ただ……なんつーか、坪井の隣でバカみたいに嬉しそうにしてるお前が1番可愛かった」
「……っ!」
真っ直ぐに届く優しい声。真衣香の胸は奥底から何かにきつく掴まれてしまったかのように軋んで、痛んだ。
「それがお前の質問への答えだ」
やけにキッパリ言い切って、触れ続けていた真衣香の髪から指を離した。そして、その指でうつむく真衣香の顎をグイッと持ち上げる。
「いーか、俺は俺のやりたいようにした。お前も、やりたいようにやれ」
「……私だって八木さんがいなきゃ、そ、総務続いてなんか……!」
真っ直ぐに八木を見上げて、涙をこぼす真衣香。気持ちには応えられずとも、この二年の感謝だけは嘘偽りなく真実で。どう伝えたなら、いいのだろうか。わからなくて流れてしまう涙。
それを見て、困ったように八木は笑った。
「わかってるっつーの。俺がついてねぇと全然ダメだったよ、お前は。マジでつい最近までな。あー、ほら泣きやがって」
大きな手が「しょうがねぇな」と真衣香の顔を包むようにして触れ、溢れる涙を拭う。
そして何かを思い出したように「あ」と声をこぼし、次は気まずそうに顔を背けて小さな声で言った。
「あー、あと悪い。下着、ホックな。自分で留めといて」
「え!?」
慌てて八木に見えないように……といっても今更なのだが。窓に背を張り付けるようにして背中に手を突っ込み、慌てて金具を重ね合わせた。
そういえば、乱された着衣は真衣香が茫然としてるあいだに八木が整えてくれていたのだったが。
(そりゃ、そりゃさすがに……ブラのホックは自分で気づかなきゃ)
大人の女が遠ざかってゆく思いだ。
「さっき悩んだんだけど、手突っ込んだら……さすがに揉むわ、って思って」
「も、もも、も!?」
八木のからかうような口調に、どこかホッとしていつもの調子で返していると。一点、強張った声に変化した。