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「そんなわけだから、早く行け。さすがに、そろそろ引き止めたくなる。そういう男に、させないでくれな」
切なげに響いた声こそが、きっと八木が押し留めてくれている本音なんだろう。
ぐっと唇を噛んだが、口の中に嫌な味が広がるばかりで。そんなことをしても何もできることなどない。
(私は……本音を引き出してもらって、なのに八木さんの本音には応えずに行くんだ……)
恋する気持ちが重なり合うこと、それがどれほどの奇跡なのかを思い知る。
だったら、せめて、逃げないで。坪井と向き合って話して、後悔のない笑顔で『ありがとうございました』と伝えられる自分でいよう。
「……い、行きます、八木さん。坪井くんに会えるかわかんないけど、突撃してみます」
言い切った勢いで、バッグを強く掴み、コートは手に持ったままドアを開けた。やはりコートには袖を通していなくて正解だ。冷たい冬の空気が今だけは心地よくて、ほんの少し目を閉じた。
すると、不思議と心の声がよく響く。
そうだ。
もう、怖がってばかりは嫌だ。まだ間に合うならあなたの全てを知りたいのだと真衣香の心は叫んでいるんだ。
振り返ると、きっと走り出せなくなってしまうから。真衣香は大通りを目指し真っ直ぐに走り出した。ただ、ただ、八木に言われたとおりに。
***
一方、振り返らずに駅に向かって走り出した真衣香の後ろ姿。それを横目で見つめるにとどめた八木が深く息を吐いた。
「あー、無事耐えたな、奇跡だろ俺の理性マジで鉄壁」
欲情を隠しきり、ホッと胸を撫で下ろす八木の姿を真衣香が見ることは、なかった。
もしも振り返ることがあったのなら見えたかもしれない、ほんの一瞬の、八木の本音だったけれど。