藤澤さんのスクーターは、風を切って走るというようなものでなく、とことこと走る。本当にその表現がしっくりくるリズム感と、時折頬を撫でる暖かく柔らかな風が心地よい。目的地とする善光寺までは駅からそう遠くなく、当初の緊張がほぐれるころにはもう到着してしまった。
駅にいたときはあまり気にならなかったが、藤澤さんが今日は長野も異常なくらい暑い、と話していたのは本当のようだった。原付を停めて歩き出すと、日差しが思いのほか強いのがわかる。しかし、東京のそれよりはずっと柔らかく、爽やかなもののような気がして不快ではない。参道が楽しいから、と事前に藤澤さんが話してくれていたが、石畳で舗装された門前通りの両サイドにはいろいろなお店が立ち並んでいて、なるほど、と腑に落ちる。
「そこのお蕎麦屋さんが美味しいんだよ~、あともう少し上がってったとこにおやきが美味しいお店があって……、あっ、焼き立てのアップルパイ食べれるお店もあるよ。あとは珍しいのだと七味ソフトとか」
「食べもんばっかり」
きらきらとした表情で話す藤澤さんの様子に思わず笑いをこらえきれなくなって吹き出すと、でも本当に全部おいしいんだよ~と口を尖らせる。なんとなくこれまでの感じから察してはいたが、藤澤さんは見た目の印象とは裏腹によく食べる人だ。おなかまだ空いてない?と聞かれて、その時初めて自分の空腹を実感した。昨日楽しみと緊張が相まってあまり眠れなかったせいか朝はお腹が空いておらず、ヨーグルトだけで済ませたせいもあるだろう。空いてます、と答えると彼は嬉しそうに笑った。
「よかった、僕実はお腹ぺこぺこだったんだ。何食べたい?」
「え~どうしよう、迷っちゃうな。でもおやきは絶対食べてみたいです」
「じゃあ、僕イチ押しのお店がこの先にあるから、ほかのお店も見つつ行ってみよう」
にこにこと笑う横顔に、よかった、いつも通りの藤澤さんだ、と安堵する。実を言えば、今日会うのはすごく楽しみだった反面、ある心配もあったのだ。
その理由は先日キーボードを弾いてもらったときのこと。藤澤さんの作った「自信あるやつ」を聴かせてもらい、楽しくなった俺は他にもあれこれリクエストして弾いてもらった。少しだけだけど、大森君も何か弾いてみてよ、なんて言われて調子に乗って即興で簡単なフレーズを作って弾いてみたりもした。藤澤さんもワクワクしているのが肌で分かった。
「次は何弾こう」
ふと思いついたことがあり、それを口にする。
「あっ、じゃあ、こないだ見せてもらった学祭の。オリジナル曲のやつ聴いてみたいです」
あんなに楽しそうに弾いていたし、てっきり快く了承してくれるものだろうと思ったが、途端に藤澤さんの顔から笑顔が消える。あれっ、と思う間もなく
「ごめん、結構前にやったきりだし、忘れちゃった部分が多いから……」
と口早に言葉を紡ぎ、いつもと変わらない笑みをみせる。俺が何かを言う前に
「そしたら最近耳コピ頑張ってる曲あるんだよね~○○ってバンドの新曲!それちょっと聴いてみてくんない?」
俺は黙ってうなずいた。話題を変えようとしているのは明らかだったし、動揺が見て取れる。忘れた、なんてのは嘘だろう。俺はおそらく、藤澤さんの触れられたくない部分に踏み入ってしまったのだ、ということがはっきりと分かり、後悔の念が込み上げた。その後も藤澤さんはいつもと何ら変わりない態度で接してくれたが、そこには少しだけ、俺に対するよそよそしさみたいなものが感じられた。
今、俺の横でおやきの中身を何にするか真剣に悩む彼の顔に、あの日の翳りのようなものはない。そのことにひどく安心している自分がいた。
「えっ、大森君はもう決めた?」
「野沢菜がおすすめだってさっき藤澤さんが言ってたじゃないですか。俺それにします」
「う~んやっぱ野沢菜は外せないよねぇ。でもここ茄子もおいしいんだよ。あずきあんも自家製だし……」
「……野沢菜ひとくちあげましょうか?」
えっ、いいの、と藤澤さんが目を輝かせる。
「そしたら茄子とあんこにしよう、ひとくちずつあげるね」
二個食べるんかい。まぁいいや。
注文して出てきたおやきは、見た目はどれも白い饅頭といった感じで区別がつけにくいが、ここで食べていく旨を伝えたためかどれも半分に切ってくれてある。軒先に用意されたベンチに座ると、お店の人が厚意で冷たい麦茶を出してくれる。
「だぁ~生き返る~」
麦茶を口にした藤澤さんは大げさに息をついてみせる。やっぱ今日暑いよね、と彼は額に浮かんだ汗をぬぐいながら笑った。
「ささっ、食べよう~」
せっかく半分になっているなら、と俺の野沢菜と藤澤さんのあんこを半分ずつトレードする。茄子も半分食べるよう勧めてくれたが、胃の大きさにあまり自信のない俺は藤澤さんの厚意に甘えてひとくちだけもらうことにした。
初めて口にするおやきは、少しもっちりとした皮の中にぎゅうぎゅうに野沢菜漬けの炒めたものが詰め込まれていて、程よい塩加減が食欲を刺激してくる。
「うんまっ!なにこれ」
「でしょ~」
口いっぱいにおやきをほおばった藤澤さんが得意げに笑う。あんこのほうもひとくち食べたが、優しい甘さと皮の食感がこれまた絶妙に合う。
「うわ~、俺これ普通の饅頭より好きかも。なんだろ、皮の感じがいいのかな」
「おっ、さすが大森君」
実は同じおやきでも、皮の感じはお店によって違うのだという。
「もともとは同じ県内でもその地域によって主流の作り方があると思うんだけどね、僕も詳しくはないんだよね~。でもこうやって蒸して作るものでもふくらし粉が入ってふんわりしたやつや、これみたいにもちもちして固めのやつ、あと焼いてから蒸すとか、灰焼きにするとかいろいろあるんだって。僕はこういう、固めのやつがおきにいり」
興味があったらほかのものも食べてみよう、と提案され頷く。でもなんとなく、俺もこれが一番好きなんだろうな、という気がした。
※※※
長野県のおやき、好きです。茄子が一番好きです。
過去に涼ちゃんがふわふわのやつじゃないのが好き!みたいなのをミセスロックか何かで言っていた気がして……(記憶違いかも)
今回はふくらし粉を使わないもっちり蒸しタイプに登場してもらいました。
読者様の中には長野県出身の方や長野に行かれたことのある方もいらっしゃるかもしれません。
作者は過去に訪れた遠い記憶で善光寺の描写をしているので「実際とは違う!」ということもあるかとおもいますが広い目でみてください🙇♀️
コメント
8件
うわぁ~あらゆる描写がうますぎて、、、おやき私も食べてみたくなりました!二人の会話も距離が縮まってきてて最高~ 涼ちゃんの過去も気になりすぎて!続きが楽しみです✨
わぁ長野に行ってみたい✨
おやき…美味しそう🤤食べてみたいですね☺️2人がほんわかしてて可愛いし色々脳内で再生出来ますね🫠