善光寺は長野市の一大観光地らしく、GWのために多くの人で賑わっていた。参道を歩いていた時からそんな感じは何となくしていたが、大きな山門をくぐり抜けると、人の多さは一層増した。
「今日は鳩よりも人のほうが多いかもしれない……」
と人ごみにやられた藤澤さんが力なく呟く。確かに言われてみると鳩も多い。先ほどの山門に掲げられた「善光寺」の字の点がいくつか鳩を模したものになっていたのと何か関係があるのだろうか。
「ちょっと並ぶかもだけどせっかくだしお戒壇巡りやってこうか」
と藤澤さんに提案され、なにかと尋ねると
「なんか本堂の地下?みたいなところに入って行って真っ暗な中を壁伝いに歩くんだけど、その時にカギ?に触ることができたら願いが叶うとかなんとかってやつだったと思う」
元気よく答えてくれた割には説明がふわっとしているが、まぁなんだかおもしろそうだしいいか、と提案を受け入れる。お参りをした後にお戒壇巡りの受付をしに行くと、意外と混んでおらず、少し待っただけで案内係の人に呼ばれた。
「真っ暗だから足元気をつけてね」
といいながら階段の段差に躓いた藤澤さんに、僕が不安を覚えたのは仕方のないことだろうと思う。お戒壇巡りの間は言葉を発してはいけないらしい。藤澤さんは小学生の時に一度、体験しているらしいので彼に先頭を任せることにしたが、地下に入ると本当に真っ暗で何も見えない。前に微かに人の気配がするので、藤澤さんがいるのだという安心感があるが、一人で入ったら子供だったら怖くて進めないんじゃないだろうか。
右手を壁に添えながらゆっくりと歩いていく。普通に歩いたら5分ほどだと言っていたからあっという間のはずだけれど、この暗闇がいつまでも続くような不思議な感覚がある。すこし大きめに息を吸って吐く。自分の呼吸の音がやけに大きく聞こえる気がする。その時、少し離れた前方からカチャ、と金属がこすれるような音が聞こえた。藤澤さんの言っていたカギ、だろうか。あの音が彼によるものだとしたら思ったより間が空いてしまったのかもしれない。
そういえば、願い事考えてなかったな。どうしようこのまま行けばもうすぐ自分もそれに触れることになる。つ、と指先に冷たいものが触れたとき、これが藤澤さんの言っていたカギに違いないと確信した。その時、あらかじめ用意されていたかのように願い事がぱっと頭に浮かんだ。
『藤澤さんと音楽がしたい』
きっとそれは、今のような閉じられた世界で作り出されるぬるま湯のように心地いい時間を思うものではない。
遠い記憶の隅に追いやったつもりでも、いつになっても鮮やかに思い出すことのできる記憶。会場を埋める音が観客のボルテージを上げていくあの高揚感。声の出し方ひとつ、仕草ひとつに反応が返ってくる臨場感。それぞれの奏でる音がひとつの音楽になって駆け抜けていく疾走感。
あの空間を切望している自分はどうしたって消せないままで。
でもそれは、ギターにすら触れない今の自分には不可能なことで。
だんだんと視界が明るくなってきて、もうすぐ出口なのだと知る。ひときわ明るい光の向こうに導かれるように俺は歩を進めた。
いつの間にか差が開いていたらしく出口で待ってくれていた藤澤さんが俺を見るなり慌てたように「大丈夫?」と肩を掴まれる。何をそんなに動揺しているのか分からず、首を傾げると
「もしかして暗いとこ苦手だった?泣くなんてよっぽどだったんだよね」
「えっ」
藤澤さんの言葉に慌てて頬を拭うと、確かに濡れている。恥ずかしさでかぁっと顔が熱くなるのがわかる。
「ち、違いますっ、これ眩しさにやられただけなんでっ」
暗いとこが苦手とかじゃないですから、と説明すると、とりあえずは納得してくれたようだが、心配そうな表情は変わらない。しかし涙を流した理由は自分でもわからないので、うまく説明しようと思ってもできない。気を逸らそうと
「七味ソフト!食べ行きましょう」
と勢いよく彼の手を引いて歩き出した。
暑さのせいもあるだろうが、妙に喉が渇いていたこともあり、ソフトクリームの冷たさに救われる。七味ソフトは、チョコレートベースに唐辛子の辛さが若干効いており、意外とおいしい。信州りんごソフトを選んだ藤澤さんが、よかったらとひとくち分けてくれる。少しシャーベットみたいな食感ですっきりとしていて、こんな暑い日にはぴったりだ。藤澤さんにも七味ソフトをひとくち試してもらうと
「おいしい!あっ、からぁ……おいしいけど、ちゃんとからさが来る……」
と、悶絶する様子がなんだかおかしくて笑ってしまった。
その後は土産物屋や雑貨屋などを冷やかしつつ、元来た道を戻りスクーターの停めてある駐輪場へと向かう。
「藤澤さんのおうちはここからどれくらいかかるんですか?」
「ん~、20分もかからないくらいかな」
藤澤さんのスクーターの後ろに乗せてもらう感覚がかなり気に入ってしまった俺は、意外と近いんだな、と少し残念に思う。高校生の頃とかいわゆる原チャ通学してたんだろうか。藤澤さん、高校生の頃はどんな感じだったんだろう。そういえば、ヘルメットが2個あるってことは、よく誰かを乗せていたりするのだろうか。友人とか、恋人とか……。
まだ出会って日が浅いから当然と言えば当然なのだが、俺は藤澤さんのことを意外と何も知らないな、と気づく。
藤澤さんが「さ、出発しよう」と渡してくれたヘルメットを、なぜか俺はこみあげてくる複雑な思いをおさえきれないまま受け取った。
※※※
長野編はターニングポイントと伏線をいくつか含んでいます
コメント
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さりげなくアイスわけあってる2人が尊いいいい 長野編がどう展開していくか楽しみです!
泣いてるもっくんを心配している涼ちゃん可愛( ´ཫ`) ヘルメットの2つの意味が気になります 続きが楽しみです⸜( ˶'ᵕ'˶)⸝
わくわくしますね!✨