しんと静まった職場の休憩室でお昼ご飯を食べていると、ブーっとスマホのバイブレーションが振動した。
束の間の休みを過ごす結婚式場に、その音が大きく響いた。
ロックを解除して通知を確認すると、しょっぴーから連絡が来ていた。
「さっき話してた花はこれで、ケーキはこんな感じがいい」
そのメッセージと一緒に数枚の写真も送られてきていた。
「了解!お花の飾り方のイメージはある?」と返信すると、すぐに
「埋め尽くしで」とシンプルな文字が返ってきた。
「きゃは、しょっぴーらしいな」
先程まで打ち合わせをしていた二人の顔を思い出す。
楽しそうに、ワクワクするように準備を進められていそうで、僕はそんな二人を見て安心した。
二人の打ち合わせが始まる前に、何度も勉強した。
「なんでも聞いて!僕に任せて!」そう自信を持ってしょっぴーとオーナーを引っ張っていけるようにと、先輩にたくさん質問をしたり、本やネットで調べ物をした。
こんなにペンを握ったのは受験の時以来だ、と言うくらいにメモを取っては、手がつりそうなほど痛くなった。
その痛みも、僕にとっては幸せだった。
大切な人が幸せな三時間半を過ごせるように、そう思いながらする準備は、全部嬉しかった。
しょっぴーとの短いやり取りを終えて、僕はトーク画面を康二くんとのものに切り替えた。
なんて送ろうかなぁ、とお箸を置いて両手でスマホを掴むと、そのタイミングで康二くんからメッセージが飛んで来た。
「今日空いとる?」
たった七文字の文面に、これ以上ないくらい嬉しくなる。
僕は足をぷらぷらと交互に揺らしながら、鼻歌混じりに康二くんとの会話に集中した。
「空いてます!なにかありましたか?」
「敬語いやや」
「っ、、かわいい…」
「ごめんね、なにかあったの?」
「敬語は仕事ん時だけがええ。大したことやないんやけど」
「うん」
「あれ?」
既読マークはついているのに、その先が届かない。
電波が悪くなってしまったのかと、画面を確認したが、しっかり4本のアンテナが立っていた。
首を傾げながら、康二くんの応答をじっと待っていると、ポンっと鳴る音の後に、下から文字が飛び出してきた。
「会いたい」
「〜ッ………!!!!!」
今日は結婚式場がお休みの日だから、僕しか出勤している人がいない。
周りに人が誰もいないのを良いことに、僕は顔を伏せてから拳を握り締めて、机をダンダンと叩いた。
かわいい…かわいい……。康二くんが可愛いすぎて息ができない。
僕が机に顔を埋めている間にも、スマホからポンポンと音が鳴る。
腕と前髪の隙間から画面を覗いて、僕はまた拳を何度もそこに打ち付けた。
「やっぱ迷惑やった?」
「急やし、無理せんでええから」
「らう?返事してや…さみしい…」
どうしよう。ほんとに可愛い。
きっと今、康二くんの眉毛はすこく下がっているんだろうな。
そんな想像をしつつ、僕はかろうじて機能している呼吸器官をなんとか動かしながら、僕の返事をずっと待ってくれている康二くんに向けて文字を打った。
「遅くなってごめんね、僕も会いたい。」
康二くんに会える。
その光に向かって、僕はフルスピードで仕事を片付けていった。
静かな空間でよかった。
集中できる環境に感謝しつつ、オーナーの結婚式で使うクロスとナフキン、招待状の発注をかけた。
今日の打ち合わせで決まったアイテムをリスト化した資料を、机の上でトントンとまとめていると、端からバラっと出てきた二枚のスケッチに、ふと目を奪われる。
フルオーダーのタキシードが二つ。
しょっぴーとオーナーを頭の中でたくさん思い浮かべながら、そのイメージを衣裳部の先輩に伝えた。
その人は絵がとても上手で、僕が言った内容をとても綺麗に描いてくれた。
海のように涼しげな青と、包み込むように深い赤のベストをあつらえたお衣裳を、二人ともとても喜んでくれた。
結婚式場で働きたいと思うようになってから、密かに勉強していた衣裳デザインの勉強が役に立ってよかったと思う。
オーナーのものは、特にこだわった。
しょっぴーなら絶対、オーナーにドレスを着せたいと言うだろうなと思っていた。
とはいえ、オーナーが渋る未来しか見えなかったので、どちらも叶うものにしたのだ。
透け感のある純白のフリルは、プリーツの目を細かくしてボリューム感を出した。
腰の付け根からふくらはぎの中ほどまでを覆うくらいの長さにして、小さなウェディングドレスを模した。
頑張ってきたことは無駄にならない、そう感じながら、僕はその二つのデザイン画を大切にファイルに綴って、衣裳部の先輩にチャットを残した。
「描いていただいたデザインですが、新郎新婦様にとても喜んでいただけました!ありがとうございました!このまま制作に進みたいです。」
その伝言を最後に、僕はパソコンの電源を切って、後片付けを急いで進めた。
早歩きで康二くんの家に向かう。
大股でちゃかちゃかと歩くと、あたりの風景があっという間に変わっていく。
「歩くの早くてよかったー」なんて考えながら、ほとんど競歩の要領で足を進めていく。
この間、康二くんを家まで送り届けた時に、ナビアプリにその場所をスポット登録をしておいたので、その案内通りに歩く。
デートの場所は康二くんのお家。
先ほどのやり取りの中で、僕は「康二くんに撮ってもらった僕の高校生の時の写真見せてほしい」と頼んだ。すると、康二くんは「ほんなら家来るか?」と言ってくれた。
康二くんのお家にお邪魔させてもらうのは初めてだった。
そわそわする。どきどきする。
大好きな人のお家で、一緒に過ごすことができる日が来るなんて。想像もしていなかった幸せが、もうすぐ目の前まで迫ってきている。
僕は舞い上がる気持ちを抑えることなく、跳ねるような足取りで、康二くんのアパート階段を駆け上がった。
「わ、制服着てる。懐かしい!康二くん、すっごいかっこよく撮ってくれてたんだね!」
康二くんのお家のパソコンで、高校生の時の僕の写真を見せてもらった。
「せやろ?俺が撮ってんねんで?」
「うん!すごい!」
「…言うても、元がええから、どっから撮ってもかっこええんやけどな…」
「ん?なぁに?」
「ぁや、なんでもないで……んま…」
康二くんは、僕の後ろからパソコンの画面を眺めつつ、ポリポリとお菓子を食べていた。
細い棒の七分目くらいまでチョコレートがコーティングされているものを、一本ずつ齧っている。
康二くんが奏でる音に誘われて、僕は目線をパソコンからそのお菓子の袋に移した。
「ん?食うか?うまいで」
そう言って康二くんは、僕にプレッツェルの束を向けてくれた。
僕は、康二くんのその腕を掴んで引き寄せた。
うん、すごく、おいしそう。
康二くんが咥えたその一本に歯を立てる。
砕けてしまわないように、ゆっくりと端から齧っていけば、康二くんとの距離が縮まっていく。
胸をぐっと押されていると気付いては寂しくなって、僕は康二くんのうなじに手を添えた。
切り揃えられた手触りの良い襟足を、親指で撫でると、康二くんの腕の力が弱まっていく。
ふっと力の抜けた手が、僕の服を掴む。
「んん〜っ…!ん、んぅっ…!」
何か言いたげに、康二くんの喉から声が漏れる。
その瞳には、じわっと涙の膜が張り始めている。
あぁ、かわいい。
大丈夫だよ。
僕に委ねて?
康二くんにそう伝えるように、その目を見つめれば、もっと潤んでいって、その眉が下がる。
あと一ミリ前に進めば触れ合える距離で、僕はお菓子を噛み砕いて、体を後ろに引いた。
「…へ、ぁ……ぇ…?」
さっきまで目の前にあった僕の顔が、また離れたことに困惑している様子の康二くんを眺める。
康二くんはお菓子の袋、床、天井、パソコン、身の回りにある全てのものにキョロキョロと目を配ってからもう一度床を見て、最後に僕をじっと見つめては、無言で耳まで真っ赤に染め始めた。
ほんとかわいい。
康二くんが今何を思ってるのか、手に取るようにわかる。
僕に何されたいのか、僕にどうして欲しいのか、ちゃんとわかってるよ。
潤んだその目が、僕に教えてくれるの。
でも、だぁめ。
ちゃんと言って?僕に教えて?
恥ずかしがり屋なその口が、怖がりなその心が、僕を求めることに怯えなくなるまでは、すぐにはあげない。
でも、最初だから手助けしてあげる。
「なぁに?どうしたの?」
「ぇ、、ぁ…」
「ふふ、言ってみて?」
「ぁ、」
「大丈夫だよ、全部嬉しいから」
「っ、らう…っちゅーしてくれへんの…?」
「よくできました」
僕は康二くんの両頬を包んで、ぷるぷると震えるその唇に口付けた。
ぎゅっと固く目を瞑っているその顔が可愛い。
いつもなかなか前に出てきてくれない、引っ込み思案な康二くんの恋心を少しずつでも安心させていってあげたい。
遠慮がちに僕を好きって思っていてくれるのもとても嬉しいけど、今よりも前のめりに、僕が欲しいって言ってくれたらもっと嬉しい。
僕が今日、高校生の時の写真を見せて欲しいと康二くんに言ったのには、一つの狙いがあった。
それを実行するには、誰にも邪魔されずに、康二くんが安心できる自分のテリトリーという場所が必要だった。
僕と康二くんの二人だけの世界で、康二くんの魔性のスイッチを押したかった。
康二くんが阿部ちゃんたちとご飯を食べた日、その帰り道で僕は康二くんのもう一つの顔に出会った。
あたりには誰もいない夜の帰り道で、康二くんはぺたっと地面に手を付いて、僕を好きだと言ってくれた。
今ままで抑えていたものが爆発した、みたいなそんな声だった。
切なげで、苦しそうで、でも、それ以上に僕を恋しがってくれる、康二くんのその全てにゾクゾクした。
そんな康二くんをもっと見たい。
康二くんの中で何かが弾けた時、自分の気持ち、言うなれば、僕を好きと想う気持ちが前に出てくるのかもしれない。
言えなくて苦しいなら、我慢しないで思ったままに伝えられるようにしてあげたい。
そんな欲望と、親切心があの日から僕の中でずっと喧嘩をしている。
ギリギリまで迫って、康二くんの恋しさと欲をおびき寄せる。
あと少しのところまで近付いて、触れたら、パッと手を離す。
康二くんがしたいこと、僕にして欲しいと思ってること、なんでも聞かせてって促して、康二くんからおねだりさせる。
そこまでできたら、お望み通りのご褒美をあげる。
僕に向けてくれる気持ちなら、何でも嬉しいよって、なんでも言っていいんだよって、康二くんの体に覚え込ませる。
その繰り返しで、康二くんが僕への気持ちを隠さなくなっていったらいいな、と思う。
どんな康二くんも大好きだけど、僕はあの瞬間から、気持ちが溢れて泣きそうになってしまう康二くんの虜だった。
僕のそんな親切と意地悪な気持ちの間で、キスの海に溺れながら涙を溢す康二くんの目尻を指先で拭った。
唇を離してから、康二くんの手を取って、ゆっくりと指を絡めた。
目の前にえげつないほど綺麗な顔がある。
俺の家で楽しそうに、自身の高校生時代の写真を見ていたラウールは、突如くるっと体をこちらに向けて、俺が食べていたチョコ菓子の袋をじっと見た。
自分一人で食べているのも良くないなと思い、食べるかと聞いてみたら、急に腕を引かれて、体を引き寄せられた。
俺が咥えていた細い棒状の菓子を、ラウールがその端から齧っていく。
もう少しで触れ合ってしまうというところまで顔が近付いたと思ったら、パキッと音がして、ラウールの顔が離れていった。
何が起きているのかわからなくて、自分から困惑した声が漏れる。
ラウールは俺の反応を愉しむように眺めながら「なぁに?どうしたの?」尋ねた。
なんで途中でやめたん?
嫌んなったん?
さみしい、触ってや…。
「言ってみて?」
言うても引かん?
冷めん?
嫌いにならへん?
「大丈夫だよ、全部嬉しいから」
ほんまに?
言うた後でドン引きせぇへん?
ここまで近付いたんに…なんで…
「ちゅーしてくれへんの…?」
ラウールは、俺の弱々しい声に艶やかに目を細めてから「よくできました」と言って、その唇で俺に触れてくれた。
何度も落とされる口付けの中で、ラウールに息を奪われているみたいだった。
息継ぎの仕方がわからないからなのか、バクバクと大きく心臓が動くからなのか、どうしようもなく苦しくてクラクラする。
触れ合うたびに気持ちが溢れていく。
ラウールが好きだと、心が叫ぶたびに涙が出てくる。
今ラウールの目を見たら、間違いなく号泣してしまう気がして、俺はずっと目を固く瞑っていた。
ラウールが俺の目尻に滲む粒を拭ってくれたのを合図に、唇が離れる。
遠ざかっていく体温にまた淋しくなって、「ぁ…」と声が出る。
ラウールはその隙に俺の手を取って、指を絡めていく。
恥ずかしくて下を向く俺と強引に目を合わせて迫ってくる。
「な、なんやの……」
「康二くん、好きだよ」
「へっ…?」
「ん?ふふ、康二くん、好きだよ?」
「お、おん…」
好きだと言われるたびに、また距離が縮まっていく。
大きくてまっすぐなその目に射抜かれて、逸らすことができない。
その目を見れば見るほど、また泣きそうになる。
鼻がぶつかるくらい近くで、もう一度「康二くん、好きだよ」と言われて、俺はまた言葉に詰まる。
またラウールが顔を遠ざける。
なんで離れてしまうん…。
さっきみたいにしてや。
「康二くんは?」
俺言うてええの?
それ言うたら、喜んでくれるん?
「お、おれも…、っすきやで………っんん“ッ!?」
「ん…いい子……」
俺がラウールにして欲しいこと、ラウールに思っていることを口に出すたびに、ラウールは俺にキスをしてくれた。
俺が言うことを認めてくれているような、俺が思っていることを受け止めてくれているような、そんな感じがした。
俺が強請るたび、ラウールがご褒美をくれるような、そんな感覚に、自分の気持ちを素直に言ってもいいんだと体が覚えていく。
ラウールの親指の腹で、俺の掌をすりすりとさすられる。
もう片方の大きな手で俺の頭を何度も撫でてくれる。
ゆっくりと、じっくりと俺の舌が絡め取られる。
思考も身体も溶けていく。
肩を軽く押されれば、されるがままに倒れる俺の体。
また真正面にラウールの顔が迫ってくる。
いたずらっ子のような笑みを浮かべて、ラウールは俺にまた尋ねた。
俺を包み隠すように、顔の両側に腕が突き立てられているのを感じれば、もう逃げられないという感覚に陥って、体が勝手にざわめく。
「康二くん、ここからどうされたい?」
焦らすように、ラウールは、ただ視線だけで俺を嬲る。
間接的な触れ合いに、期待と欲が渦巻いていく。
ぐずぐずに溶けた理性じゃ、正しい段階とか歳の差とか、今まであんなに真剣に悩んでいたこと、その全て、何も考えられなくなっていく。
どうされたいかなんて、そんなの、この時間が始まった時から、もう心の中で決まってる。
わかってるくせに。
ずるい。
俺は、自分の喉がまた熱くなっていくのを感じた。
「もういややぁ…っ、いじわるせんとって…」
「こういう僕やだ?」
「ん“ん“ぅ〜ッ!ぐすっ…いややない〜…っぐず…」
「あぁ、泣かないで…ごめんね?やり過ぎちゃったね」
「泣きたないねん…ずびっ…かっこわるいやろ…?」
「ううん、僕のことが好きで泣いちゃう康二くん、僕だぁい好き」
「っ、あ、あほっ……!」
「きゃはは、かぁいぃ…だいすき」
「ら、らう…?」
「なぁに?」
「続き、してくれへんの…?」
「っはぁ〜〜、、わざとやってんの?ってくらい可愛い」
「え、なんが?」
「ううん、こっちの話。でも、そういうのは僕の前だけにしてね?」
「?」
「じゃないと、僕以外の狼に食べられちゃうから」
「っ!?そ、そないなこと、あっ、あらへん…ん“ぅ”〜っ!?っぷはぁ…っ!」
「そんなことないかどうかは、これから教えてあげる」
その言葉を最後に、ラウールはもう一度俺に深く口付けた。
側には、さっきまで手に持っていたチョコ菓子の袋が転がっている。それはどこかのタイミングで全て折れてしまって、袋の中で粉々になっていた。
ラウールの唇には、その甘いチョコレートの味がまだ残っていた。
目が覚めた時、俺は一歩も動けなかった。
「ぅ”う”〜…こしいたいぃ…」
「ごめんね…康二くんがかわいくて…止まらなかった…」
「うごけん…」
「僕何でもするから許してくれる…?」
「怒っとらんよ、やけど、喉乾いた」
「! っお水持ってくるね!!」
若さとは、時に恐ろしい。
何度も意識を飛ばしては、また引き戻されて。
もうこれ以上は壊れてしまう、そう伝えたって止まってはくれなくて。
それなのに、俺を撫でる手が優しくて。
俺を呼ぶ声は、はちみつみたいに蕩けていて。
優しいのに意地悪で。
強引なのに甘ったるくて。
表と裏なのか。
裏も表も無いのか。
よくわからない。
それでも引き込まれる。
あの子が触れてくれるたびに好きになる。
コップに水を汲んで、俺の前に差し出してくれたラウールを眺めながら、俺は唯一動かせる思考回路の中で、漠然と浮かんだ疑問に思いを馳せた。
この子は、もしかしたら天使の皮を被った可愛い悪魔なのかもしれない…と。
To Be Continued………………
コメント
1件
ついに…!!!🤍🧡越えましたね🫣