オーナーとしょっぴーとお打ち合わせをした日から、もう一週間が経った。
今日は仕事が終わったら、オーナーのお家で、オーナーと阿部ちゃんと康二くんとのお泊まり会がある。
朝からすごく楽しみにしていた僕は、朝からウキウキする気持ちが抑えきれずにいた。
自然と鼻歌が喉を抜けていってはハッとする。
いけない、今はお仕事中だった。
と、気持ちを入れ直して、目の前のパソコンの画面にもう一度集中した。
今日はご結婚式は入っていない日だから、事務作業が中心だ。
もうすぐ、大切なあの二人の結婚式の日がやってくる。
他にどんなことをしたら、もっといいものが作れるだろう。
今の準備に足りないところはあるだろうか。
残りわずかな時間で、僕にできることはまだあるだろうか。
そんなことを考える。
二人のためにできることは、なんでもしたかった。
オーナーとしょっぴーは、みんなに恩返しがしたいと言っていたが、それは僕も同じだった。
僕も二人に何か返したかった。
僕に「社会人」というものが、どんなものなのかを教えてくれた。
働くことの難しさと楽しさを教えてくれた。
人を愛することの尊さを教えてくれた。
直接何かを教わったわけではないけれど、オーナーとしょっぴーを見ては、僕はいつもそんな風に感じていた。
いつだって大人で、無理していなくて、心の底からお互いを尊敬して大切に思っている二人は、僕の憧れだった。
僕も二人みたいになりたいなって、いつだってそう思わせてくれる。
そんな大好きな二人に、僕ができることがまだあるなら、なんでもしたいんだ。
結婚式がない日でも、この職場にいると一日が目まぐるしくて、あっという間に終わってしまう。
キリのいいところまでで終わりにしたくて、顔を突き出して明るい画面と見つめ合っていると、背後から急に声を掛けられた。
「背中痛めんで〜?」
その言葉と共に、誰かが僕の背中をツンツンとつついた。
その主は康二くんだったようで、僕は突然のことに、背筋をぴゃっと伸ばした。
「む、向井さん…っ!驚かせないでください!」
「んははっ、頑張るんもええけど、たまには気ぃ抜かんとパンクしてまうで?」
「そうですよね…。でも、僕そんなに力入ってましたか?」
「あと少しでパソコンに頭突っ込むんちゃう?ってなくらいに前屈みやったで?」
「わ…気を付けます…!」
「もうちょっとで終わりやろうから、ほどほどに気張りや?」
「はいっ!」
お仕事中の康二くんは、とってもかっこいい。
仕事の仕方も向き合い方も、人としての考え方も、全部がかっこいい。
いつだって周りを見て、みんなに声を掛けている。
それでいて、自分の仕事はいつの間にか完璧にやり切っている。
僕は、康二くんのそんなところを尊敬している。
ただ、いつも帰りが遅いところだけは、心配しているのだが…。
康二くんから声を掛けられて一時間後、光の速さで定時になった。
十分だけ、明日やることの整理をしたくて、パソコンの電源を切ってから、今度は手帳と向き合った。
短い単語で箇条書きにして簡素的なTo Doリストを作り、今日一日の振り返りと、明日の目標を書き込んだところで手帳を閉じた。
「仕事とプライベートは分けたい」
康二くんのそのお願いを叶えてあげたかった。
だから、職場では「向井さん」と呼ぶし、基本的に仕事以外のコミュニケーションは取らない。でも、僕は寂しくない。
個人的に話したいことは、お仕事が終わった後に伝えたり、時間が合わなければ連絡をしたらいいと思うから。
それに、お仕事している日も、時間が合うお休みの日にも、康二くんに会えるのだから、僕はそれだけで十分に幸せを感じる。
僕は荷物を纏めて、職場の人全員に聞こえるくらいの大きな声で、「お先に失礼します!」と挨拶をしてから、事務所を出た。
事務所の中で、先に出ると康二くんに伝えるのもなんだか不自然だったから、特に何も言わなかった。
従業員用の出入口を出てからスマホを開いて、康二くんにメッセージを送った。
「先に出てきちゃったけど、康二くんは終わりそう?僕、外のベンチで待ってるね」
僕の吹き出しの横に、すぐに既読のマークがついて、下からポンっと康二くんからのメッセージが出てきた。
「あと五分で出る」
シンプルな文面に、通知が鳴らないタイプのリアクションスタンプを返した。
最後の詰めをしている時に、何度も連絡が飛んできたら気が散ってしまうだろうな、と思っての選択である。
それから康二くんは、本当に五分後に僕が座っていたベンチの前まで駆け寄ってきてくれた。
「すまんすまん!遅なって」
と言いながら、申し訳なさそうにしていたが、僕は康二くんを本当にすごいと思った。
時間の管理と感覚の把握が完璧なこと、自分が言った約束を必ず守ること。
それは簡単なことのように思うけれど、仕事となると、これがどうして、実行するのはなかなかに難しい。
僕はまだ、この領域に行けていないから、余計にそう思う。
「もうちょっと」「あと少し」で、延長に延長を重ねてしまうことがまだ多いのだ。
お客様のために、自分の成長のために。その意識が自然と僕の中にあるからだろうとは思うが、こういう部分を感じ取って、康二くんは先ほど僕に声を掛けてくれたんだろうなと思う。
まだまだ修行中だな、と感じる。
オーナーとしょっぴーのためにできることはまだあるか、と考えることも大切だけれど、自分の仕事の仕方をもっといいものにできる方法はないか、ということに気を向けるのも大切だと、康二くんは気付かせてくれた。
「ううん、待ってないよ!本当に五分だったからすごいなって思ってた!」
「ほうか?」
「うん、とってもすごい!康二くんはどうやって時間の管理をしてるの?」
「特になんも意識はしとらんなぁ。長くやってれば、何になんぼ時間がかかるかは大体わかんねや」
「そっかぁ…経験の差かぁ…頑張ろう」
「まぁ、時間測りながら仕事してみるんも一個の手やな。そんなら目で見て分かるやろ?そっから始めてみたらええんちゃう?」
「あ、それいいかもしれない!やってみる!康二くんありがとう!」
そんなことを話しながら、それぞれの自宅へ向かった。
いつもの分かれ道で、一度立ち止まる。
「ほな、またここ集合で」
「はーい!慌てなくていいからね?康二くんが転んじゃったら大変だから」
「転ばへんわ!俺んこと何歳やと思うとんねん!」
「えー?僕と初めて会った日に転んでたの覚えてるよ?ドジっ子さんなんだろうなってずっと思ってた」
「ぎくっ!気付いとったんか!?あれ誰にも見られてへんって安心しとったんに…」
「すごい大きな音と、すごい大きな康二くんの声、僕の方まで聞こえてきてたよ?すごく衝撃的だったし、何よりも康二くんとの大切な思い出だもん。ずっと忘れないよ」
「うっ…眩しい…、さらっとかっこええこと言わんでや…。恥ずかしいやんか…。」
「えへへ、康二くん可愛い。じゃあ、また後でね?」
ぽぽぽ…ってほっぺたをピンク色にした康二くんの頭をポンポンと撫でてから、額にキスをして、僕たちは一度解散した。
自宅に着いて、まずスーツから普段着に着替えた。
仕事用の鞄と、今日の朝まとめておいたお泊まり会用の荷物とを持ち替えてから、すぐに家を出た。
大きめのボストンバッグの中に、お気に入りの手帳を入れることはもちろん忘れない。
学びや発見とは、いつ出会えるかわからない。
それにいつだってこの子とも一緒にいたい。
少し色が濃くなってきた手帳の皮を手で撫でながら、歩みを進めた。
先程まで立ち話をしていた場所で康二くんを待っていると、すぐに可愛い恋人の姿が遠くに見えてきた。
少しでも早く距離を詰めたくて、僕は康二くんに駆け寄って、 すぐさまその手を取った。
「楽しみだね」
「おん」
「近くのケーキ屋さんに、お土産買いに行く?」
「そやね」
康二くんが、僕の手を、僕の気持ちを、真正面から受け取ってくれるようになった幸せを感じながら、僕たちは歩き出した。
今日はお店がお休みだけど、鍵は開けてあるから着いたら自由に入ってきてね、と事前に舘から連絡を貰っていたので、遠慮なくカフェの扉を開けた。
「だてー、おるかー?」
「こんばんわー!遅くなっちゃった!!」
一階はシンと静まり返っていたので、おそらく二階にいるであろう舘に聞こえるように、声を少し張った。
すぐに階段を降りる音が二人分聞こえてきた。
舘と阿部ちゃんが、俺たちを迎え入れてくれる。
「二人とも久しぶりだね!元気だった?」
「阿部ちゃん久しぶりー!元気だったよ!」
「阿部ちゃん!もう着いてたんやね!この通りピンピンしとるで!」
「みんな今日もお仕事だったのに来てくれてありがとうね。立ち話もなんだし、早速ご飯食べようか」
舘の後に続いて、二階に上がっていく。
リビングまで到着して、ダイニングテーブルの上に広がるものを見て、俺は驚いた。
「たこ焼き機あるやん!」
舘は笑いながら、「康二に本場の味、作ってもらおうと思って」と言った。
上京してからはしばらく食べていなかったので、これはとても嬉しかった。
持ってきた小ぶりな旅行鞄を部屋の端に置いてから、俺は袖を捲った。
「まかしとき!」
そうみんなに伝えてから、俺はキッチンで手を洗った。
俺たちの何気ない会話はずっと止まらなくて、楽しい話と美味しい料理に、いつの間にかお腹は膨れていた。
順番にお風呂に入って、最後にシャワーを浴びに向かった舘が帰ってくるまで、阿部ちゃんとラウールと、また話に花を咲かせる。
「阿部ちゃん、こないだはほんまおおきにな?」
「いえいえ!康二と仲良くなれて嬉しかったねってあの後蓮くんと話してたんだ」
「ほんま楽しかったで!」
「今度は僕も阿部ちゃんと目黒くんとご飯食べたいなー!」
「もちろん!今度は二人一緒においでよ、蓮くんも絶対喜ぶから」
「わーい!」
そんな話をしていたところで、舘が戻ってきた。
これは偶然だが、みんなモコモコのパジャマを着ていたことがなんだか面白くて、四人で笑い合った。
ラウールと買ってきたケーキと、阿部ちゃんが買ってきてくれたコーヒーをお供に、クイズ大会をした。
阿部ちゃんがクイズの本を持ってきてくれていたようだった。
その本をバッグに詰める阿部ちゃんの様子が、目に浮かんでくる。
大人になってから、修学旅行みたいなことができるとわくわくしている阿部ちゃんを想像すると、みんなの言う通り、それはとても可愛らしい光景だと俺も感じた。
ケーキが乗っていたお皿も、コーヒーが入っていたカップも空になってしまったところで、俺たちは歯を磨いてリビングに布団を敷いた。
一面に寝られる場所が広がっていると、自然とそこに飛び込みたくなるもので、俺はラウールと一緒にその大きな羽毛の海にダイブした。
阿部ちゃんも、ラウールのとなりの布団の上にちょこんと正座をする。
棚の前でガサゴソと何かを取り出していた舘が、くるっとこちらを振り返って、手に持っていた三枚の紙を俺たちの前に差し出した。
受け取ってから、何が入っているんだろうと蛍光灯の光にかざしてみたが、よく見えなかった。
ラウールはこの封筒の中に入っているものの正体を知っているのか、驚いた様子で、口元に手を当てながら舘を見ていた。
「俺から、みんなに招待状です」
舘の言葉を合図に、俺たちは一斉に手紙の封を切った。
中には、 「二次会のお知らせ」と書かれていて、日時をよく見ると、その日はしょっぴーと舘のご結婚式の日だった。
“当日は俺が写真撮りたいから、参列はできひんねん。ごめんなぁ。”
二人にはそう伝えていた。
式場スタッフとして、そして二人の友人として、絶対に俺が撮影に入ると決めていた。
つい一週間前、写真部署のリーダーに担当させて欲しいと申し出て、快く了承をもらったところだった。
参加はできないけれど、間近で二人の大切な人生の門出を見送ることができるから、俺はそれだけで十分幸せだったのに。
いつだって舘は、「今以上」の幸せをくれる。
こんなに優しい人には、きっとこの先出会わないだろう。
そのくらい、舘はいつでも、どこまでも優しい。
舘に出会えてよかった。
心の底からそう思う。
今だって、俺たちへの恩返しをしたいと言う舘の義理堅さと人情深さに、俺の目は潤み始めている。
俺ができる恩返しは、きっと、最高の写真を残すことや。
そう思いながら、俺はもらった招待状を丁寧に封筒に戻した。
オーナーから、とっても素敵な招待状をもらった。
当日は参加できないけれど、スタッフとしてずっとそばにいるからね。と伝えていた矢先のことで、僕にとってそれは、とても嬉しいお知らせだった。
僕は心の中で、しょっぴーとオーナーが一日中幸せな気持ちでいられるように、絶対に成功させるぞ、ともう一度強く思った。
招待状の話が落ち着いて、オーナーがリビングの電気を消した。
まだ気持ちが落ち着かなくてそわそわしていても、今日一日の疲労と布団の温かさが、僕の眠気を誘う。
瞼を下ろしてはまた上げて、を繰り返していると、オーナーと阿部ちゃんの寝息が聞こえてきた。
僕は小さな声で、「康二くん、起きてる?」と聞いてみた。
「起きてんで」
と囁く声が聞こえてきたのを受け取って、僕は康二くんの方に体を向けた。
康二くんも、横向きになって僕を見てくれた。
「ねぇ、康二くん」
「なんや?」
「絶対いいお式にしようね」
「俺もそう思ってたとこや」
「毎日、あとは何ができるかなって考えてるんだ。僕上手くできるかな…」
「上手くやろうとせんでいい。できることはもう無いってぐらい準備したら、あとは楽しむだけや。ラウがガチガチやったら、あの二人も不安になってまうから」
「そうだね、うん。明日からも準備頑張る!当日、集まった人全員が楽しめるように」
「おん、それがええよ」
「でも康二くん、今日はやっぱりちょっと不安が消えなさそうだから、手繋いで寝てもいい?」
「ええけど…恥ずかしいから布団の中でにしてや?」
「ありがとう!」
僕は、康二くんの手を探して、触れ合った瞬間捕まえた。
眠くなるたびに温度が高くなる僕たちの手が重なる。
康二くんが、僕の体温につられて目を閉じるのをずっと見ていた。
それからすぐに、康二くんの小さくて可愛い寝息が聞こえてくる。
子供みたいな可愛い寝顔に愛しさが込み上げてきて、僕は康二くんの額にまた口付けを落とした。
僕のかっこいい先輩は、世界中の誰よりも可愛い恋人。
「おやすみ、康二くん」
眠りに落ちた康二くんにそう伝えてから、僕も目を閉じた。
To Be Continued…………………………
コメント
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甘々カップルだけどちゃんとオンオフ分けててほんと…すきーーー🤍🧡