◻︎健介と日下
それからは、プロジェクトを成功させるために仕事に明け暮れた。この会社のアットホームな雰囲気を感じてもらって、新分野への事業開拓を進めるためのキャンペーンが、このプロジェクトの目的だ。
「というわけで、企業紹介のパンフレットやホームページにも、お母さんやお子さん向けの製品開発を始めることを記入します。それから、リアルなお母さんの意見として、公式なサイトを作って意見を発信していってもらう予定です」
会議室に集められた、この会社に勤める妊婦さんとママさんたち4人。資料を見て、それぞれ顔を見合わせている。
「あの…意見というか要望でいいんですよね?こんなものが欲しいとか、ここをこうして欲しいとかの」
「はい、そこからアイディアを出して開発に繋げたいと思います」
ざわざわと小声で何かを話し始める。その中から早絵が手を上げた。
「はい、進藤さん、どうぞ」
「お母さんと子どもも大事だけど、おじいちゃんおばあちゃんのことも意見として出していいでしょうか?子育てはいつか終わりますが、その頃には父母の介護問題も出てくるかと思うので…」
「おー、さすがベテランですね。貴重な意見をありがとうございます。この際育児から介護まで広げてみますか?ね?チーフ」
後ろの方に同席していた新田健介から声がかかった。
「そうすると予算がとても足りませんから、改めて計画を立てないと…」
「そこをなんとかするのが、チーフの腕の見せ所では?なんならご相談にのりますよ」
_____これは、嫌な流れになりそうだ
「いえ、チームで話し合ってから、資料を提出します」
簡単な説明だけでその日は終わった。片付けようとしたら、小走りで日下がやってきて、耳元で囁いた。
「チーフ、お願いします、私を新田さんに紹介してください」
「なんて?一度紹介したでしょ?」
「それとは別に、改めてですぅ。ただの紹介だけでいいですから、ほら、早く、行ってしまうから」
_____まったく、何を考えているのか…
「新田さん、すみません、ちょっといいですか?」
ドアを開けようとした、健介を呼び止める。くるっと向き直って、歩いてきた。なんだか顔がニヤついているように見えて、目を逸らす。
「なんでしょう?チーフ。早速相談ですか?」
「いえ、その件ではなくて。こちら、うちのチームの日下千尋です。これから色々と関わりが出てくるかと思いまして、今一度、あらためて紹介しておこうかと」
私から一歩下がった位置で、モジモジしている日下。
「日下千尋といいますぅ。新田さんを初めてみた時から、素敵だなぁと思ってましてぇ。チーフにお願いして、紹介してもらいました」
相変わらず語尾に小さな母音が入っていて、甘ったるい喋り方だ。
「日下、さんね。可愛いね、いくつ?」
「可愛いだなんてぇ、えっと、23になりました」
チラッと私を見る健介。
_____何が言いたい?
「そうか、森下チーフは口うるさくないかな?なかなか厳しい人だから。何かあったら俺に直接相談にきてもらってもいいからね」
そう言って、名刺を差し出す。
「うわ、うれしいですぅ、まだわからないことばかりなので、よろしくお願いしますねっ!」
ねっ!の時に小首を傾げるのは、チワワだけかと思ってたけど。これをあざといというのだろうか。
そして健介の鼻の下が伸びたことも、見逃さなかった。
なんだかニヤニヤした二人を会議室に残して、私はさっさとデスクに戻る。先に出て私を待っていた早絵に追いついた。
「なんだったの?アイツを呼び止めるなんて」
「あー、あれ?日下の千尋ちゃんがね、紹介して欲しいって言うから紹介だけしておいた。そしたらなんかアイツも鼻の下、こーんなに伸ばしちゃってさ。あれ絶対、何か起こるよ間違いなく」
「ウザいアイツがそれで離れていけばいいけど、でも、既婚者だよね?」
「そのはずだよ。もう、知らないや、私は私のことを考えることにする」
5分ほど遅れて、日下が戻ってきた。
「チーフ、ありがとうございましたぁ。新田さん、とてもいい人でぇ食事に誘われちゃいましたよ」
_____すぐに食事に誘うやつがいい人?
「早速、餌付けされるのね」
「え?」
「ううん、なんでもない。私には関係ないから」
「チーフには、結城先輩がいるからですかぁ?」
「だから!なんで結城君が出てくるのかな。このまえ誤解は説明したよね?」
「えっ、じゃあ、結城先輩もロックオンしとこぉ」
ロックオン?この子は一体何を考えているのだろう?
「なんでもいいけど、仕事はきちんとやってね」
「はぁーい」
◇◇◇
帰宅してご飯を食べる。仕事帰りに食べに行くのもいいけど、やっぱり自分の家は落ち着く。
_____一人は気楽でいいなぁ
急病の時の恐怖はまだ残ってるけど、この気楽な生活もまだ捨てられないと思う。
ぴこんと音がして、早絵からLINEが届いた。
『これ、どう?参加してみたら?』
何かへのリンクが貼ってあった。タップしてみる。
【結婚したい人、この指とーまれ!】
_____なに、これ、婚活サイト?
スクロールして詳細を読む。いわゆる街コンというイベントの参加要項だった。
【結婚したいのになかなか相手が現れないあなた!白馬の王子もシンデレラも、じっとしていては現れません。さぁ、自分から探しに行くのです。きっと、意外なところにあなたの運命の人はいますよ!】
_____ホントかね
どこかの公園のオープンスペースで、結婚したい男と女がおしゃべりしたり、ゲームをしたりして親交を深めるというイベントらしい。
ゲームで?ということは、あの綱渡りのハラハラが恋のハラハラと似てて、勘違いしてしまうというやつか。
『面白そうでしょ?年齢制限ないから、行ってみたら?』
「うーん、若い子ばかりのような気がしない?」
『でも、結婚したい人ばかりが集まるなら、手っ取り早く相手が見つかると思うよ。それこそ、お付き合いなんてすっ飛ばしてさ』
_____なるほど!
「それもそうね。こうなったら、思い切ってやってみるか!」
『頑張ってね!』
そして私は、そのサイトに登録した。
こういう出会い方なら、好きだとか愛してるとか言わなくても、いきなり結婚!でもアリだよね、と思った。
_____あれ?私、なんで結婚したかったっけ?
あ、そうそう、孤独死が嫌だからだった。
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