コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
期待に満ちた夜が過ぎて、また訓練が……。
と思ったけど、そういえば打ち切られたんだった。
午後からは、いつもシェナと一緒に、この世界の常識というものをお爺さんから教わっている。
今日はそれまで眠っていよう。
そうだ、服をどうにかしてもらうチャンスかもしれない。
これまでは訓練で破れてしまうから、もう布紐でいいかと思っていたけど、今日からは普通の服を着せてもらえるようにお願いしよう。
**
「やっぱり普通の服があるんじゃないですか」
魔王さまに少し非難の言葉をぶつけると、その服は俺の趣味じゃない、と言われた。
長袖の白いシャツに、濃い青のハイウエストフレアスカート、足元はブラウンのアンクルブーツ。
こういうのでいいじゃん。私は断然、こっちの方がいい。
あんな、布を紐で留めただけのものをこの数カ月、その類似品を毎日着せられていたのは魔王さまの趣味だったというショック。
何が気に入らないのか聞いたら、すぐに体を触れないから、と。
服装だけは、諦めずに死守しようと誓ったのは言うまでもないわね。
「冗談だ。訓練ですぐダメになるだろう」
「うそです。魔王さまはつい今しがた、露出の少ない私を冷めた目で見ていましたから」
本気で怒ってはいないけど、少しばかり引いたのはしょうがないと思う。
だけど、これから日中はずっと冷めた目で見られるのかと思うと、それはそれで悲しい。
私はじぃ~っと魔王さまを見つめて、「それなら、どのくらいまでならお互いに妥協できるかを考えましょう。私はなるべく露出を増やしますから、魔王さまはどこまでなら隠していいのかを考えてください」という提案をした。
しぶーーい顔をされたけど、私にはまだ、『恥ずかしい』っていう概念はあるんですからね。
**
シェナは随分としっかりした。
私の主観で言うなら、だけど。
召喚憑依したての頃は、私を見るなり「おねーちゃん、おねーちゃん」と甘えて、離れたら泣き出してしまう子だったのに。
今では(なぜかメイド服を着て)キリっとして賢そうに見えるし、挨拶もきちんと「お姉様、本日もお疲れさまです」という風にきっちりとしている。
アップにまとめた銀髪が、少しばかり威厳もプラスしていて。
私の方がしどろもどろになりそうなくらい。
「シェナもお疲れさま。今日も一緒に勉強、がんばろうね」
「はい。お姉様」
……すこ~し、距離感が遠くなってしまったのは仕方がない。
私とシェナは主従関係だし、力の差もあるから。
……うん? 力の差……あるよねぇ?
シェナは、魂は人のものだけど、体は元々、険しい大山脈の主の巨大で恐ろしいネコ……のようなものだった。名前は知らない。
目の前にしたとき、私は身動き出来ずに固まってたけど、今は……大丈夫、かな?
まぁいいや、どっちが強くても。
それより――。
「お爺さん。私、治癒魔法を勉強したいんですけど、指南書みたいなものはありますか?」
素質があるはずの治癒魔法を、全く学べていないのよね。
魔族に再生能力があるせいで、治癒魔法を必要としないから誰も使える人がいない。
だから、教えてくれる人もいないので、自分勝手に「ヒール!」とか言ってみてるだけ……効果はもちろん不明。
「書物くらいは、もしかすれば……魔王様が所持しておられるやも、しれませんなぁ」
……きっと魔王城の中で一番博識なお爺さんでさえ、こうなんだもの。
**
「ないぞ。あるわけないだろう。そもそも、魔族で治癒魔法が使えた者などいない」
「……ハイ」
そりゃあ、たぶん治癒魔法をかけるよりも早く完治してしまうんだから、仮にもし使えたとしても知らないフリするわよね。
夕食を、シェナと魔王さまとの三人で食べている時に聞いた結果だった。
普段は魔王さまの部屋で二人で食べているけど、今日はシェナも一緒だからか、食堂に居る。
学生食堂のような広い空間で、なんだか懐かしい。
普段はお辞儀されるだけですれ違ってしまう人たちも、この空間では無礼講らしい。
気さくに挨拶してくれるし、何気にオススメ料理を教えてくれたりする。
(というか、男の人は上半身裸か半裸の筋肉自慢が多いけど、ちゃんと長ズボン履いてるし、女性も胸元を軽くはだけさせている程度で……布紐で来てたらめちゃ浮いてたわよね)
……コホン。見せてもらったので目に留まったのは、刻み野菜の甘辛いソースが絡んだ厚切り肉や、葉物野菜で包んだひき肉料理。ねぎまのような串肉料理もあった。皆それぞれ、自分の好きなものを見せていってくれる。
私がこの世界の新参だと聞いていて、それでだと思う。皆、いい人たちだ。
見かけないのがご飯もので、しいて言えばパンか、小麦粉を練って茹でたすいとんらしきものしかない。それらも一品として成立したもので、何かをおかずにそれを食べる、なんてことは誰もしていない。炭水化物は……と思っていたら、甘味もうっすらとあるスープがとろとろしているので、それに入っているのかもしれない。一品のどれかとスープは、皆絶対に飲んでいるから。
ご飯好きなら泣いたかもだけど、ご飯に未練のない私はこれまでも困ったことがない。というか、「そんなこと」なんて気にならないくらい、どのお料理も美味しい。味の濃さも絶妙で、その一品だけでお口が満足してしまうのだ。
と、治癒魔法のことを忘れて、『肉包み』なる、お肉で刻み野菜ソースを包んだ美味しいものを満喫していると、魔王さまが話の続きをしてくれた。
「補助魔法の指南書は色々残っているはずだが……」
「んんっ、んぐっ……んうっ。ほ、補助……というと、筋力の限界以上を引き出す、とかですか?」
ちょっと欲張って大きめを口に入れたタイミングだったけど、ワザとじゃないですよね?
「そうだ。魔族にそういうのがあれば、誰にも負けんだろう? まあ、使う機会もほとんどないのだがな」
「そ、そういうのでもいいです。せっかくだから、もし私に使えるなら使いこなしたいです」
私だって、才能じゃないけど、目に見えて何か力があるなら、育てたいし役立てたい。
「そうか……サラがそんなに自分の力を伸ばしたがっていたとはな。嫌々訓練を受けていると思い込んでいて、すまなかった。ならばこうしよう、サラ。人間の王国が隣にあるのは教わっているな? 心苦しいが、そこに潜入して来い」
「ごっほごほ! げほげほ……ケホッ」
すっごいむせた。びっくりするくらいむせた。
潜入って、スパイってことよね?
「お供いたします。お姉様」
「え、ちょっとシェナ? 話を勝手に進めないでよ」
「絶対について行きます」
「そうじゃなくってぇ……」
この子、今までずっと黙って静かに、厚切りのロースト肉を頬張っていたのに。
口の端にソースつけたままで、決意固そうな顔してないでよもぅ。
「王国にはたまに、転生者が聖女として担ぎ上げられる時代がある。聖女の残した治癒魔法の資料や、指南書も残っているだろう」
「ちょ、ちょっと待ってください。私、ここを追い出されるんですか? い……いやです。いやだいやですむりです!」
ついこの間……夫婦になったばかりなのに。
毎日お顔を見て、少しだけどお話して、それから……毎日のように抱かれているうちに、完全に心も許したし、ものすごく好きになってしまったのに――。
離れたくない。
「魔王さま……離ればなれになっても、寂しくないんですか?」
私のこと、可愛いとか好きだとか、そこまで思ってくれてなかったってことですか?
「何を言っている。何のために転移から教えさせたと思っているんだ。こういう時のためだ。お前はここから通えるし、時には俺もそちらに行ってやる。それに、剣を持たせてあるだろう。一人になどせん」
そういえば、剣には魔王さまの魔力が練り込まれていて……いつでもすぐに、助けてくれるんだった。
それに、転移のことをすっかり忘れてた。いつでも帰れるんだ……。
あ……これ駄目。なんか、もっと好きになっちゃうやつだ。
――突き放されたのも、むしろエッセンス的な。
「お姉様。私もご一緒しますので」
「あ、う、うん。忘れてないよ?」
**
数日後に私とシェナは、国境を越えた隣国の、つまり人間の国の辺境伯の館に来ていた。
無骨な造りの要塞然とした館ではあるものの、応接室は荘厳よりの豪奢な装いにしてある。
そこの主である辺境伯は、過去に魔王さまに敗れ、スパイとして生きる道を選んだ裏切り者。
人間でありながら魔族に与し、その生涯を魔族のために使う――。
「これはこれは、魔王様。今日はそちらの女性お二人の保証人になる、というお話でございましたね」
がっちりとした壮年の……というにはまだ少し若い。
髪は白くなってはいるけど、まだまだ精力的な男性であることが、顔つきからもその肉体からも感じ取れる。きっと強い。
違和感があるのは、その軽い感じの腰の低さだ。
「保証書はこちらになります。私の従者だったけれど、有能なので王国で学ばせたいという書簡をすでに送ってあります」
「用意がいいな。助かる」
「いえいえ、これも魔王様のため、世のためでございますから」
「それで、どこに決めた?」
「学園と図書館を自由に行き来出来ます。が、学生寮住まいはお勧め出来ませんので、私の元部下が部屋を貸してくれるということで、そちらに。決して狭くはありませんが、お城に比べると格段に落ちるのはご容赦ください」
「仕方のないことだ。無理をさせたか?」
「いえ! 決して無理など。信用の置ける部下なのと、そこは今空き家にしているということですので、自由にお使いくださいませ」
「そうか。……ということだ。良かったなサラ」
「は、はい。ありがとうございます」
かくして、私とシェナは、王国に飛ばされることになった。
そう。それが次の瞬間だとは思いもしなかったわよ。
**
「うそでしょ?」
「お姉様、魔王様はこういうお方です。最初から」
いたって冷静なシェナは、私の着替えなどが入った大きな四角い旅行カバンをしっかりと手に持ち、そして保証書もちゃんと入れていた。
「聞いてたの? あの後すぐに飛ばされるって」
「いいえ。ですが予想していました」
「そ、そうなんだ……」
それならそういうものかと思えてしまう私は、すでにシェナくらいに毒されているのかもしれない。
しかも今夜帰ったら、いっぱい甘えてやるんだとしか、思っていないのだから……。
「お姉様、お顔が赤いです。風邪を召されたのかもしれません」
「いっ、いや、ちがう、違うのよ。大丈夫」
などと言いつつも、余裕ぶっている場合だろうかと、服装を再確認した。
いつもと同じような、シャツにロングスカートにアンクルブーツ。シェナも同じくメイド服。
これって、人間の国でも目立たない服装なのかしらと、一応は冷静に考えてみる私。
知らない街に飛ばされて、緊張はしているから当然よね。
「お姉様、あそこに瀕死のネコがいます。人間に虐待されたんでしょう」
「えっ?」
シェナの指差す方向には、間違いなく投げ捨てられた血の跡と、すでに痙攣し始めているボロボロのネコが居た。
血まみれで、無残にも足首から先を四本とも、切り落とされている。
「なんて酷い――」
――自分達のいる場所が薄汚い路地で、おそらくはスラムのような所で、そのネコが捨てられているのは開けた感じの道路との交差点近く、というのは何となく、頭に入っていた。
そこを飛び出して拾い上げて膝の上に乗せ、すぐに「ヒール」とつぶやき、魔力を流し込む。
なぜ、こんなに酷いことが出来るのか。
人間というのは、どこにでもこういう残虐なことをする輩がいるのかと、怒りと無念さで胸がいっぱいになった。
同時に、今まで治癒魔法など使っても、効果など確認できない状況に居たから、ネコを救えるだろうかと緊張が走る。
心臓がバクバクと大きな音を立てていて、余計に私を焦らせる。
もう一度唱えるべきか、もっと魔力を流し込むべきか。
いや、それなら両方とももう一度、するべきだ。
「お姉様、すでに完治しておりますよ」
後ろから、シェナが私の肩に手を置いて教えてくれた。
ハッとなって振り仰ぎ、頷いたシェナを見て、またネコを見た。
すると、切り落とされた足先がきちんとついていて、ネコも何事だろうかと確認しているのか、前足をぺろぺろと舐めている。
まん丸のおめめで、私の方をちらちらと見ながら。
「よかったぁ…………」
そして、ようやく落ち着いてきて、自分が起こした奇跡を反芻して振り返った。
自分の体がすぐに再生するから、当然のようにも思えるけど……。
これを、再生などしない生き物を再生させたのなら?
「これって、めっちゃすごい?」
もう一度振り仰いで、シェナの顔を見た。
コクリと小さく頷いて、ぐっじょぶです、と言ってくれたのがまた、喜びをこみ上げさせる。
すごいんだ……私。
声にならない嬉しさと、そして何よりも――ぶっつけ本番で治癒魔法を使えたことは、声にならないどころではないくらいに、驚いている。
もう少し遅れていたら、このネコは死んでいたのだから。
そして本当に驚いた時って、頭が真っ白になっていて……叫んだりしないのね。
どうでもいいような事、例えば――茶トラのネコって、この世界にも居るのね。という、そんなことが頭の中をグルグル回るくらいに。