コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
あまり目立たないようにと思っていたのに、路地から街の通りに、少し出てしまっていた。
それに気が付くのが遅かったし、咄嗟の行動とはいえ、もう少し周りを見て路地に戻ってからにしていれば……こんなことにはならなかっただろう。
「おい、あの子いま、治癒魔法使ったよな」
「見た見た。あんな死にかけのネコを回復したんだ。間違いない」
「おばあちゃんが、聖女様の話をいつもしてたから分かる。あんなことが出来るなんて、あの人は聖女様よ」
街の人達が、遠巻きにだけど私を囲んで口々に、治癒魔法を使った、聖女だ、という話をしている。
「どうしよう、シェナ。にげよう」
路地に戻ってとにかく逃げなければ。
顔は見られたけど、人の多そうなこの街なら、後でなら何とでも誤魔化せるはず。
「いいえ、お姉様。手遅れのようです」
ネコを抱き上げたまま、立ち尽くすしかない状況にまでなっていたことに、その言葉でようやく理解した。
「そこの娘! 話がある!」
きつく命令を飛ばしたのは、街の衛兵らしい。鉄製の胸当てと剣を帯びていて、何かの腕章も付いている。
(大柄な人だけど、本気で逃げれば逃げ切れる――)
いや、でも私の荷物を持ってくれているシェナが、捕まってしまうかもしれない。
衛兵がすぐに来るなんて、運が悪い。
騒ぎを聞いて、すぐさま飛んできたのだろうか。それにしては早かったから、偶然近くに居たのか。
せめて、顔を隠すフード付きのものを着ていれば良かったと、改めて後悔した。
そして少し後退りしつつ、転移してしまおうかと悩んだ末に、これ以上目立つわけにはいかないなと諦めた。
……もう、逃げるという選択はなくなっていたのよね。
「おい、そんなキツイ言い方をするんじゃない。丁重に扱えと言っただろう」
大柄な衛兵の後ろから、金髪の男性が姿を見せた。
貴族のような気品ある立ち振舞いと、そこらの街人と同じような恰好とが、どうにもアンバランスな人。
「部下が失礼した、お嬢さん。ただ、少し話をしたいんだ。構わないかな?」
その碧い瞳は優し気ではあるし笑顔なんだけど、どこか有無を言わせない圧を感じる。
「……選択権はなさそうですね」
「よく言われる」
この人……なんか腹が立つのに、許せてしまうような。
「お姉様。ここは大人しくしていましょう」
「そちらの可愛らしい侍女は、事態を飲み込んでいるようだが」
確かに、街の人に包囲されたあげくに、聖女だ何だと騒がれ過ぎている……。
「わかりました。お話だけなら――」
そう言いかけた時だった。
「聖女様! 私の娘を! 娘の目を治してくださいませんか! この間、物取りに巻き込まれてナイフで顔を……それも運悪く、両目とも切られてしまったのです。どうか、どうかお願いします!」
人ごみをかき分けて、まだ若い女性が半ば叫ぶような、悲痛な声で現れた。
その胸には、フードで顔を隠した子どもを抱えている。
「ダルバんとこの子か。確かにありゃあ、かわいそうだった」
「せ、聖女様! この子は俺達からも頼む、治してやってくんねぇか!」
街の人達も口々に、似たようなことを訴えだした。
場は騒然としていて、治癒しないことには身動きさえ取れないような状況だ。
「静まれ! この娘が聖女と決まったわけではない! 仮にそうであったとしても、治癒には凄まじい集中と疲労を要する! 勝手な物言いは私が許さん!」
金髪の男性がそう一喝すると、瞬く間に静かになった。
だけど、街の人達のヒソヒソ声がかすかに聞こえてくる。
「あの人は、第二王子じゃないか。こんなところまでお忍びで……まだ聖女様を探してたのか」
「本当だ。国王の容体は良くないんだろうか。あれから数カ月経つというのに……」
王子……?
「すまないね。お嬢さん。どうやらもう、皆、君のことを聖女だと思い込んでいるらしい。そのネコを癒した直後だ、無理なら断ってもらって構わないんだが……可能なら、そこの子どもも治してやってくれないだろうか」
……これは本当に頼まれているらしいけど、どちらにしても、だよね。
「わかりました。でも、治せるかどうかは分かりません。それでも怒ったりしないでくださいね。そこのお母さんも。私はまだ、自分に何が出来るのか……分からないんですから」
そう伝えると、王子と呼ばれた人は「もちろんだ」と言った。
そして、子どもを抱いたお母さんも、私の緊張が伝わったのだろう。無言でゆっくりと、私の目をじっと見つめながら頷いた。
「ちょっと、めくるわね」
ネコをシェナに預けて――。
お母さんの前まで進んで、そっとフードをめくって覗き込むと……無残にも横一文字に、両目とも鼻筋と一緒に、深く切り裂かれただろう傷が包帯越しに分かった。まだ新しい、生々しい血の痕が滲んでいるから。
「……少しだけ、触れさせてね?」
私の声に、少女は弱々しく頷く。
……治って。お願い。
「――ヒール」
この言葉に、治癒の効果などはないと思う。
でも、その想いを乗せるには都合が良くて。
ただ癒えて欲しいと、願いを込めて魔力を通した。
「……痛くない」
それは小声で、言った本人でさえ、半信半疑の声色だった。
でも、次ははっきりと、確信めいた声で「痛くない」と言った。
「ほ、ほん……ほんとに、痛くないのね? 包帯、取ってみるよ?」
お母さんは震える声で、抱いていた子を降ろして包帯に手を掛ける。
「剥がす時、痛かったらすぐに言うんだよ?」
張り付いた包帯は、普通なら傷口に響く。
けど、途中からはむしろその子自身が手を添えて、早く取ってと言わんばかりに、むしるように外していった。
「ママ。まぶしい」
それは、ずっと目を閉じていた上に、包帯まで巻いていたから。
つまり、目が見えないことには、眩しさなど感じない。ということは――。
「見える? 見えるのね?」
少女は両手を目に当てながら、少しだけ開いた指の隙間から、母親と視線を合わせた。
「うん。みえる。いたくないし、みえる」
「あああぁ! リサ! 良かった! よかった!」
うん。ほんとに良かった。
私自身も、半信半疑だったから、ホッとしたし……。
「聖女様! ありがとうございます! ありがとうございます! 私に出来ることなら何でもお申し付けください! 絶対に! 必ず何でもいたしますので! ああ! 聖女様! ありがとうございます!」
その様子を、固唾を飲んで見守っていた街の人達はようやく、目の前で起きていることが、目が治ったらしいということが皆に一気に伝わったらしい。
『うおおおおおおおおおお! 聖女様の再来だ! 聖女様ぁああああああ!』
感極まった街の人達が、徐々に輪を詰めて、我も我もと私を見るためか、じりじりとにじり寄って来だした。
「やば……どうしよう、これ」
「お姉様。危害はなさそうですから、収まるのを待ちましょう」
私はシェナに身を寄せて、今こそ転移で逃げようかなんて考えていた。
すると、王子らしいその人が私の手を取って、「あちらに馬車を待たせてある」と言って連れ出してくれた。
衛兵も、その大きな体を存分に使って、「道を開けろ!」と、人の輪を開いていく。
「さあお嬢さん、彼に続こう」
私は、掴まれた手とは反対の手で、必死にシェナの腕を掴んで離さなかった。
そんなことをしなくても、シェナはついて来られたかもしれないけれど。
「シェナ!」
「はい。大丈夫でございます」
私は心細くて、今からどこに連れていかれるのかとか、いきなり目立ってしまったこととか、何もかもを無かったことにしたくていっぱいだった。
魔王さまは側に居ないし、お爺さんも居ない。
シェナしか頼れる人が居ない。
そのシェナは、少し前まで私に頬を摺り寄せて、甘えてくる可愛い妹みたいな存在だったから。
「……いやだ。私を勝手に連れていかないで」
小さく、ひとりつぶやいただけのつもりだった。
けれど私の手を引いていた彼は、ぴたりと立ち止まった。
もう、一応は人の輪を抜けきったから。
さすがに、王子が連れていったその先まで、街の人は誰も追いかけて来なかった。
だから、逃げる必要性が無くなってのことかもしれない。
「少し、乱暴だったかな。聖女よ。強引なことをして申し訳なく思う」
そう言って私に向き直ると、彼は跪いた。
「私にも、その力を貸してほしい。だからどうか、私について来てくれないだろうか。決して悪いようにはしない。客品として、最大限のもてなしもさせてもらう」
そう言って上目遣いに、真剣な眼差しで私を見つめた。
「……お姉様。王子殿下というのはきっと本当です。ここは従いましょう」
シェナを見ると、もう慣れたのか、ネコを器用に肩にかけて、その腰を撫でていた。
「ずるい……」
それを見た私は、さっきまでの不安が急に消え去ってしまった。
「お部屋に通して頂いたら、一緒に撫でましょう。お姉様」
そう言われたら、急に部屋でゆっくりと休みたくなった。
他のもろもろの不安は、今はもう感じない。
だって、きっと私の力なら、人間に負けるはずがないのだし。
そう思い直してきたら、王子の言葉は少し、魅力的な気がした。
空き部屋住まいよりも、客品で良い待遇を受けた方が楽しい……もとい、後々良い結果になるかもしれない。
「わかりました。それでは殿下に、ついて参ります」
――差し出されていた手に、そっと手を乗せて承諾の返事としたのは、少し照れ臭かった。