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いちごみるく
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いちごみるく
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えぇぇぇぇぇ!???!!!!? 待って待って、こんな最高すぎる事ある?? 作るの上手すぎ!! それで、投稿してくれてありがとうございますт т お主さんのペースでいいよ!!!
みぅです🤍🥀 第105話、読み終えました……。 朝の静かな空気と、夜の沈黙が、それぞれ違う重さで胸に残りました。 「帰ってきたな」っていう北斗の一言が、すごく刺さった。 あの数時間がどれだけ長かったか、伝わってきた……。 カップケーキを半分ずつ分け合うとことか、 朝、北斗が「やだ」って裾を離さないとことか、 好きだなあって思うところがたくさんありました。 まだ全部は消化できてないけど、 隣にいるってだけで、少しずつ戻っていく空気が、 すごく丁寧に描かれてて、じんわりしました。 やっぱりこのふたり、好きだな。 次も、静かに読みにきます🌙🤍
マンションに着いた頃には。
二時半を過ぎていた。
エントランスは静かだった。
いつもなら二人で何気なく通る場所。
でも今日は違う。
北斗は荷物を持ったまま。
〇〇の少し後ろを歩く。
〇〇も何も言わない。
エレベーター。
沈黙。
機械音だけが響く。
北斗は横目で見る。
〇〇は壁にもたれていた。
顔色が悪い。
泣いたせいか目も腫れている。
北斗「……眠いだろ」
〇〇「眠い」
即答だった。
北斗は少し笑う。
〇〇「笑わないで」
北斗「ごめん」
〇〇「それ禁止」
北斗「……はい」
久しぶりに少しだけ。
いつもの会話だった。
部屋の前に着く。
〇〇が鍵を開ける。
玄関。
見慣れた家。
数時間前までいた場所。
なのに。
妙に久しぶりに感じた。
〇〇は靴を脱ぐ。
そして。
一気に力が抜けた。
北斗「〇〇」
〇〇「……」
北斗「風呂入る?」
〇〇「無理」
北斗「顔だけでも洗え」
〇〇「無理」
北斗「着替えは」
〇〇「無理」
北斗「全部無理じゃん」
〇〇「無理」
完全に電池切れだった。
北斗はため息をつく。
でも怒らない。
今日は怒らない。
約束した。
〇〇はソファへ向かう。
そのまま倒れるように座る。
北斗はキッチンへ。
冷蔵庫を開ける。
水を出す。
〇〇の前へ置く。
〇〇「ありがと」
北斗「飲め」
〇〇「ん」
素直だった。
コップを持つ。
少し飲む。
北斗はその様子を見ていた。
無事だった。
今ようやく実感する。
探していた数時間。
生きた心地がしなかった。
北斗「……」
〇〇「なに」
北斗「いや」
北斗「帰ってきたなって」
〇〇は少しだけ顔を上げる。
北斗は笑っていない。
本気だった。
〇〇は視線を逸らす。
胸が痛む。
北斗も苦しかったのだろう。
でも。
まだ全部は消化できない。
その時。
北斗がテーブルへ箱を置く。
リボンのカップケーキ。
〇〇「あ」
北斗「食う?」
〇〇「それ北斗の」
北斗「知ってる」
〇〇「……」
北斗「でも半分な」
〇〇「なんで」
北斗「俺のだから」
〇〇「意味分かんない」
北斗「じゃあ全部食う」
〇〇「だめ」
北斗「どっちだよ」
〇〇は思わず吹き出した。
本当に少しだけ。
でも笑った。
北斗はその顔を見て。
胸を撫で下ろした。
今日初めて見る笑顔だった。
〇〇はソファに沈み込む。
瞼が重い。
限界だった。
北斗「寝るか」
〇〇「……うん」
〇〇は立ち上がろうとする。
でも。
足に力が入らない。
ふらつく。
北斗が反射的に支える。
〇〇「……」
北斗「ほら」
〇〇は抵抗しなかった。
今日はもう無理だった。
北斗に支えられながら。
ゆっくり部屋へ向かう。
その途中。
〇〇が小さく呟く。
〇〇「北斗」
北斗「ん?」
〇〇「……探してくれてありがと」
北斗の足が止まる。
数秒。
何も言えなかった。
そして。
本当に小さく。
北斗「当たり前だろ」
そう返した。
〇〇「今日だけ」
〇〇「いて」
声はもう眠気で途切れそうだった。
北斗はベッドを見る。
二人が普段から使っているクイーンベッド。
いつも通り。
同じ場所。
同じ距離。
ただ今日は空気だけが違う。
北斗「分かった」
北斗は部屋の明かりを少し落とした。
〇〇は先にベッドへ入る。
毛布を引き上げる。
そのままごろんと横になる。
完全に電池切れだった。
北斗も反対側からベッドへ入る。
いつもの位置。
いつもの景色。
でも。
さっきまで〇〇がいなくて。
必死に探していたことを思うと。
隣にいるだけで安心した。
〇〇「……」
北斗「寝ろ」
〇〇「ん」
〇〇は目を閉じる。
でも。
すぐには眠れなかった。
静かな部屋。
今日のことが頭をよぎる。
喧嘩。
家出。
涙。
夜道。
怖かったこと。
全部。
北斗も分かっていた。
だから何も言わない。
ただ隣にいる。
それだけ。
数分後。
〇〇が小さく動いた。
そして。
無意識みたいに。
北斗の方へ少し寄る。
北斗は視線だけ向ける。
〇〇は目を閉じたまま。
〇〇「……」
何か呟いた。
でも聞き取れない。
北斗「何」
〇〇「……別に」
北斗は少し笑う。
〇〇は毛布の中に顔を埋めた。
眠い。
でも。
隣に北斗がいることを確認したかった。
そんな子供みたいな気持ち。
北斗は天井を見ながら息を吐く。
北斗「怖かった?」
〇〇は少しだけ黙る。
〇〇「……うん」
北斗の胸が痛む。
〇〇「すごく」
北斗「……」
〇〇「でも」
〇〇「今は大丈夫」
そう言って。
〇〇はようやく力を抜いた。
北斗も何も返さない。
ただ。
その言葉だけで十分だった。
しばらくして。
〇〇の呼吸がゆっくりになる。
寝た。
北斗には分かった。
泣き疲れて。
怒り疲れて。
不安でいっぱいだった一日。
ようやく終わった。
北斗は横を向く。
眠っている〇〇。
目元は少し腫れている。
でも。
無事だった。
それだけでよかった。
北斗は静かに目を閉じる。
今日は何も考えない。
ただ。
隣にいる存在を確かめながら。
二人は同じクイーンベッドの上で。
長かった一日を終えた。
☀️
朝。
カーテンの隙間から光が差し込む。
静かな部屋。
昨夜の騒動が嘘みたいだった。
〇〇はゆっくり目を開ける。
ぼんやりする。
数秒。
どこにいるのか分からない。
そして。
隣から規則正しい寝息が聞こえた。
〇〇「……」
北斗。
すぐ隣。
同じベッド。
昨夜のことを思い出す。
喧嘩。
家出。
涙。
夜道。
探し回っていた北斗。
〇〇「……」
胸が少し痛くなる。
横を見る。
北斗はまだ寝ていた。
珍しい。
普段なら〇〇より先に起きることも多い。
でも今日は違った。
髪も少し乱れている。
目の下には薄くクマ。
疲れているのが分かった。
〇〇「そりゃそうか……」
昨日。
ずっと探していた。
走り回っていた。
帰ってからも〇〇を気にしていた。
そのまま寝たのだから当然だった。
〇〇は起き上がろうとする。
その瞬間。
北斗の手が毛布の上から〇〇の服の裾を掴んでいた。
〇〇「え」
固まる。
しっかり掴んでいる。
寝ているのに。
〇〇「……子供か」
思わず小さく笑う。
逃げないようにしていたのか。
無意識なのか。
分からない。
でも。
少しだけ嬉しかった。
〇〇はそのまま北斗を見る。
昨日はたくさん泣いた。
たくさん怒った。
たくさん傷ついた。
でも。
今はちゃんと家にいる。
北斗もいる。
それだけで少し安心した。
〇〇「……」
しばらく見ていると。
北斗が眉をひそめる。
そして。
ゆっくり目を開けた。
北斗「……」
寝起き。
数秒。
ぼーっとする。
そして。
目の前にいる〇〇と目が合う。
北斗「……いた」
第一声がそれだった。
〇〇「いるよ」
北斗「……」
〇〇「家だし」
北斗は数秒黙る。
そして。
安心したように小さく息を吐いた。
北斗「よかった」
〇〇「大げさ」
北斗「大げさじゃない」
〇〇「……」
北斗「昨日どれだけ探したと思ってんだ」
〇〇は少し気まずそうに視線を逸らす。
北斗はまだ裾を掴んだまま。
〇〇「それ離して」
北斗「やだ」
〇〇「なんで」
北斗「またどっか行きそう」
〇〇「行かない」
北斗「信用ない」
〇〇「失礼」
北斗「夜中に家出した人が言うな」
〇〇「……」
反論できない。
北斗はようやく手を離した。
そして天井を見上げる。
北斗「今日休みだろ」
〇〇「午後から取材」
北斗「は?」
〇〇「午後から取材」
北斗「休めよ」
〇〇「無理」
北斗「昨日あれだけで?」
〇〇「無理」
北斗は頭を抱えた。
〇〇は少し笑う。
その顔を見て。
北斗も少しだけ安心した。
昨日の泣き顔じゃない。
いつもの〇〇だった。
北斗「……腹減った」
〇〇「私も」
北斗「何食う」
〇〇「甘いもの」
北斗「朝から?」
〇〇「昨日カップケーキ半分しか食べてない」
北斗「あれ俺の」
〇〇「私が買った」
北斗「俺のために」
〇〇「違う」
北斗「嘘つけ」
〇〇「うるさい」
北斗は小さく笑った。
〇〇も呆れたように笑う。
久しぶりに。
部屋の空気が少し柔らかくなった。
その時だった。
不意に。
腕を引かれる。
〇〇「え」
次の瞬間。
北斗の腕の中。
〇〇「ちょっ」
突然だった。
北斗は何も言わない。
ただ。
ぎゅっと抱き締める。
〇〇は固まった。
朝。
しかも寝起き。
意味が分からない。
〇〇「北斗?」
返事はない。
ただ離さない。
〇〇「なに」
北斗「……」
〇〇「重い」
北斗「嘘つけ」
〇〇「重くないけど」
北斗「どっちだよ」
でも。
それでも離れない。
〇〇は少し眉をひそめる。
北斗の様子がおかしかった。
昨日からずっと。
探して。
走って。
不安になって。
怒って。
そして安心して。
感情がぐちゃぐちゃだったのだろう。
北斗は〇〇の肩に額を押し付けたまま呟く。
北斗「……もうやめろ」
〇〇「何が」
北斗「夜中に消えるの」
〇〇は少し黙る。
北斗「昨日」
北斗「本当に無理だった」
声が掠れていた。
〇〇は何も言えなくなる。
北斗「電話出ないし」
北斗「どこにもいないし」
北斗「最悪なことばっか考えた」
〇〇「……」
北斗「見つけた時」
北斗「泣いてるし」
北斗は苦笑する。
でも腕の力は少し強くなる。
北斗「もう嫌だ」
〇〇はゆっくり目を閉じた。
昨日。
北斗も苦しかった。
それは分かる。
だから。
今だけは何も言わない。
〇〇「……ごめん」
北斗「それ禁止」
〇〇「北斗が言った」
北斗「俺はいい」
〇〇「ずるい」
北斗「知ってる」
〇〇は小さく笑った。
そして。
少しだけ。
本当に少しだけ。
自分からも北斗の服を掴む。
北斗は気付いた。
でも何も言わない。
ただ。
昨日失いかけた温もりを確かめるように。
静かに抱き締め続けた。
北斗はしばらく〇〇を抱き締めたまま動かなかった。
静かな朝。
昨夜とは違う空気。
そして。
ぽつりと呟く。
北斗「……あのキスマーク」
〇〇「……」
北斗「どうせ後輩だろ」
〇〇は目を瞬く。
北斗はため息をついた。
北斗「分かってる」
〇〇「え」
北斗「最初から分かってた」
〇〇「……」
北斗「お前が自分からそんなことするわけないし」
〇〇は黙る。
北斗「でも」
北斗は少しだけ顔をしかめた。
北斗「腹立った」
〇〇「……」
北斗「めちゃくちゃ腹立った」
〇〇「それは知ってる」
北斗「知ってるならいい」
〇〇は思わず苦笑する。
北斗は天井を見る。
北斗「俺が怒ったのは」
北斗「キスマークだけじゃない」
〇〇「?」
北斗「隠したから」
〇〇は言葉に詰まる。
北斗「お前嘘下手なのに」
〇〇「……」
北斗「後輩庇っただろ」
〇〇「だって」
北斗「だって?」
〇〇「もうすぐデビューかもしれないし」
〇〇「変な噂になったらかわいそうじゃん」
北斗は呆れたように笑う。
北斗「自分は?」
〇〇「え」
北斗「自分は噂になってもいいのかよ」
〇〇は答えられない。
北斗「そういうとこ」
〇〇「……」
北斗「昔から変わんねえな」
北斗は大きく息を吐いた。
北斗「周りばっか守る」
〇〇「別に」
北斗「別にじゃない」
〇〇は視線を逸らす。
図星だった。
北斗は少しだけ声を柔らかくする。
北斗「次からはちゃんと言え」
〇〇「……」
北斗「一人で抱えるな」
〇〇「……うん」
北斗「あと」
〇〇「?」
北斗「キスマーク付けられたらすぐ言え」
〇〇「なんで」
北斗「消し方調べるから」
〇〇「そこ?」
北斗「そこ」
〇〇は思わず吹き出した。
北斗も少し笑う。
昨夜までの重苦しさが。
少しずつ解けていった。
北斗は〇〇の首元を見る。
昨日の言い合いを思い出す。
北斗「……やっぱり目立つな」
〇〇「だから後で隠すって」
北斗「仕事あるだろ」
〇〇「ある」
北斗「コンシーラー持ってくる」
〇〇「過保護」
北斗「うるさい」
北斗は洗面所へ向かう。
寝起きだからか。
昨日までの険しい空気は少し和らいでいた。
〇〇はそんな背中を見ながら小さく笑った。
昨夜はあれだけ泣いたのに。
今は少しだけ安心していた。
北斗は洗面所へ向かった。
数分後。
小さなケースを持って戻ってくる。
〇〇「なにそれ」
北斗「コンシーラー」
〇〇「持ってたの?」
北斗「仕事柄」
〇〇「へぇ」
北斗はベッドの端に座る。
そしてケースを差し出した。
北斗「今日取材あるんだろ」
〇〇「ある」
北斗「じゃあ隠せ」
〇〇「あとでやる」
北斗「今やれ」
〇〇「めんどくさい」
北斗「子供か」
〇〇「眠い」
北斗「それしか言ってない」
〇〇は毛布に顔を埋める。
北斗は呆れたように笑った。
昨日の夜。
泣きながら家を飛び出した人と同じとは思えない。
でも。
こうしていつもの調子に戻っていることが少し嬉しかった。
北斗「朝飯食うぞ」
〇〇「……」
北斗「聞いてる?」
〇〇「パンケーキ」
北斗「勝手にメニュー決めるな」
〇〇「食べたい」
北斗「朝から重い」
〇〇「食べたい」
北斗「……」
〇〇「食べたい」
北斗「分かったよ」
〇〇は勝ったみたいに小さく笑う。
北斗は立ち上がる。
北斗「その代わりちゃんと起きろ」
〇〇「んー」
北斗「返事適当」
〇〇「起きる」
北斗「本当か」
〇〇「たぶん」
北斗「信用ない」
〇〇はくすっと笑った。
北斗が部屋を出る。
キッチンから冷蔵庫を開ける音が聞こえる。
〇〇は天井を見る。
昨日の夜が遠く感じた。
もちろん。
傷ついた気持ちが全部消えたわけじゃない。
でも。
帰ってきてよかった。
そう思えた。
その時。
キッチンから北斗の声。
北斗「〇〇」
〇〇「なにー」
北斗「昨日買ったカップケーキ」
〇〇「うん」
北斗「食べる?」
〇〇「食べる!」
即答。
北斗「元気じゃねえか」
〇〇「甘いものは別」
北斗は思わず笑った。
久しぶりに聞く。
家の中の穏やかな空気だった。
北斗はキッチンに立っていた。
フライパンを温める。
ボウルを出す。
卵。
牛乳。
ホットケーキミックス。
手慣れた動きだった。
〇〇はその横のカウンター席に座る。
そして。
昨日買った箱を開けた。
リボン付きのカップケーキ。
〇〇「かわいい」
北斗「昨日買ったやつだろ」
〇〇「改めて見るとかわいい」
北斗「女子だな」
〇〇「何それ」
北斗は生地を混ぜながら笑う。
〇〇は箱を眺める。
昨日。
泣きながら買った。
あの時は帰るつもりなんてなかった。
でも。
今は家にいる。
不思議だった。
〇〇はそっとカップケーキを取り出す。
クリームの上に小さなリボン。
韓国っぽいデザイン。
〇〇「北斗」
北斗「ん」
〇〇「これ絶対好きそう」
北斗「だから買ったんだろ」
〇〇「違う」
北斗「嘘」
〇〇「違う」
北斗「嘘」
〇〇「……」
北斗「黙った」
〇〇「うるさい」
北斗は声を出して笑った。
その瞬間。
〇〇は少し安心する。
昨日までのピリピリした空気がない。
いつもの家だった。
北斗はフライパンへ生地を流す。
丸い形。
じゅわっと音がする。
〇〇はカップケーキのクリームを少しだけ指ですくった。
ぱく。
〇〇「おいしい」
北斗「朝から甘いな」
〇〇「幸せ」
北斗「安い幸せ」
〇〇「いいじゃん」
〇〇は足をぶらぶらさせる。
北斗はそんな様子を横目で見る。
昨日の夜。
あれだけ泣いていたのに。
今は少し元気そうだった。
それだけで十分だった。
北斗はホットケーキをひっくり返す。
綺麗な焼き色。
〇〇「おー」
北斗「拍手いらない」
〇〇「上手」
北斗「知ってる」
〇〇「うざい」
北斗「うるさい」
〇〇は笑った。
北斗も笑う。
そして。
〇〇は箱の奥を見る。
もう一つ。
リボンのカップケーキ。
昨日食べなかった方。
〇〇は少し考えて。
それを北斗の方へ差し出した。
〇〇「これ」
北斗「ん?」
〇〇「北斗の」
北斗の手が止まる。
〇〇は少し照れくさそうに視線を逸らした。
〇〇「昨日から言ってるじゃん」
北斗は数秒黙る。
そして。
小さく笑った。
北斗「ありがと」
その言葉に。
〇〇も少しだけ笑った。
北斗は差し出されたカップケーキを見る。
リボンの付いた小さなカップケーキ。
昨日。
〇〇が泣きながら買ったもの。
北斗は受け取る。
北斗「ありがと」
〇〇「ん」
北斗は少しだけ笑う。
その顔を見て。
〇〇も肩の力が抜けた。
フライパンから甘い香りが広がる。
北斗「焦げる」
〇〇「あ」
北斗は慌ててホットケーキをひっくり返した。
〇〇は吹き出す。
〇〇「危な」
北斗「お前のせい」
〇〇「なんで」
北斗「見てたから」
〇〇「知らない」
北斗「知れ」
北斗は皿を二枚出す。
焼き上がったホットケーキを乗せる。
バター。
メープルシロップ。
完璧だった。
〇〇「天才」
北斗「知ってる」
〇〇「その返しやめて」
北斗「やだ」
二人でテーブルへ移動する。
向かい合って座る。
久しぶりだった。
こんなゆっくりした朝。
最近はお互い忙しくて。
時間も合わなかった。
〇〇はホットケーキを一口食べる。
〇〇「おいしい」
北斗「だろ」
〇〇「店出せる」
北斗「出さない」
〇〇「なんで」
北斗「めんどくさい」
〇〇「確かに」
北斗は笑う。
〇〇も笑う。
その空気が心地よかった。
テレビもついていない。
スマホも見ていない。
ただ二人で朝ご飯を食べるだけ。
それだけなのに。
最近はなかった時間だった。
北斗「今日の取材何時」
〇〇「三時」
北斗「それまで寝ろ」
〇〇「寝ない」
北斗「なんで」
〇〇「休みもったいない」
北斗「昨日倒れそうだっただろ」
〇〇「若いから大丈夫」
北斗「そういう問題じゃない」
〇〇はシロップをかけながら笑う。
北斗は呆れた顔。
でも。
その顔もどこか安心していた。
昨日の夜。
いなくなった〇〇。
探し回った時間。
あの不安を思い出す。
北斗は静かにコーヒーを飲んだ。
そして。
ぽつりと呟く。
北斗「今日は早く帰ってこいよ」
〇〇「ん?」
北斗「仕事終わったら」
〇〇はフォークを止める。
北斗はホットケーキを見たまま続けた。
北斗「待ってるから」
〇〇は少し目を丸くする。
いつもなら。
そんなこと言わない。
寝起きだからか。
昨日のことがあったからか。
北斗自身も言ったあと少し気まずそうだった。
〇〇は数秒黙る。
そして。
小さく笑った。
〇〇「うん」
北斗は顔を上げる。
〇〇「今日はちゃんと帰る」
その返事に。
北斗も少しだけ笑った。
ーー
15時。
〇〇は取材会場へ向かっていた。
午前中は少しだけ寝る予定だった。
でも。
結局寝なかった。
ソファで韓国の動画を見て。
カップケーキを食べて。
北斗に「寝ろ」と何回も言われて。
そのまま時間になった。
車の中。
マネージャーが後ろを振り返る。
マネージャー「大丈夫?」
〇〇「大丈夫です」
マネージャー「本当に?」
〇〇「たぶん」
マネージャー「その返事不安」
〇〇は笑う。
昨夜のことは誰にも話していない。
話す気もなかった。
会場に到着。
スタッフたちが慌ただしく動いている。
〇〇「おはようございます」
「おはようございます!」
「姫野さんお願いします!」
「先にヘアメイク入ります!」
一気に仕事モード。
楽屋へ入る。
椅子へ座る。
メイクさんが近付いてくる。
そして。
首元を見る。
メイクさん「あ」
〇〇「……」
メイクさん「隠しますね」
〇〇「お願いします」
〇〇は思わず苦笑した。
朝。
北斗に言われた通りだった。
メイクさんが慣れた手付きでコンシーラーを重ねる。
数分後。
完全に見えなくなった。
〇〇「すご」
メイクさん「任せてください」
取材開始。
雑誌。
Web。
動画。
次々と続く。
質問もほとんど同じだった。
「映画『ねえすき』について」
「高橋文哉さんとの再共演について」
「小華という役について」
〇〇は笑顔で答える。
〇〇「沈黙の時間を大切にした作品です」
〇〇「ぜひ劇場で見ていただけたら嬉しいです」
スタッフたちも頷く。
順調だった。
その頃。
北斗。
仕事の休憩中。
楽屋。
ソファに座る。
スマホを見る。
15:27。
既読なし。
北斗「……」
朝。
ちゃんと帰る。
そう言った。
分かっている。
仕事中だ。
返せない。
でも。
昨日のことが頭から離れない。
北斗はスマホを置く。
数秒後。
また見る。
北斗「重症だな……」
自分で呟く。
その時。
楽屋のドアが開く。
樹「何回見んの」
北斗「見てない」
樹「見てる」
北斗「見てない」
樹「スマホ穴空くぞ」
北斗は無言。
樹はニヤニヤする。
樹「〇〇?」
北斗「うるさい」
樹「当たりか」
北斗は額を押さえた。
そんな頃。
〇〇の取材はまだ続いていた。
取材は休憩を挟みながら続いていた。
〇〇は椅子に座る。
スタッフが飲み物を渡してくれる。
〇〇「ありがとうございます」
マネージャー「あと二本」
〇〇「よし」
マネージャー「頑張って」
〇〇はスマホを見る。
通知。
北斗
『終わった?』
その一通だけ。
〇〇は思わず笑った。
五分前。
完全に仕事中だった。
〇〇
『まだ』
数秒後。
既読。
早い。
〇〇
『仕事して』
送る。
既読。
すぐ返ってくる。
北斗
『してる』
〇〇
『嘘』
北斗
『してる』
〇〇
『スマホ見てる』
北斗
『休憩』
〇〇は吹き出した。
マネージャーが不思議そうに見る。
マネージャー「何かあった?」
〇〇「別に」
でも少し機嫌が良かった。
その頃。
北斗の楽屋。
樹「返信来た?」
北斗「来た」
樹「顔に出てる」
北斗「出てない」
樹「出てる」
ジェシー「出てるね」
慎太郎「出てる」
きょも「出てる」
高地「出てる」
北斗「なんで全員いるんだよ」
樹「暇だから」
北斗はため息をついた。
でも。
少し安心していた。
ちゃんと仕事している。
元気そうだった。
それだけで十分だった。
一方。
取材最後の一本。
記者「最近忙しいと思いますが、休日の過ごし方は?」
〇〇「寝ます」
会場が笑う。
記者「意外と普通ですね」
〇〇「最近は本当に寝たいです」
また笑いが起きる。
〇〇も笑う。
昨日の夜のことなんて。
表には一切出さない。
それがプロだった。
取材終了。
スタッフたちから拍手。
「お疲れ様でした!」
「ありがとうございました!」
〇〇「ありがとうございました」
時計を見る。
17時半。
思ったより早く終わった。
楽屋へ戻る。
スマホを見る。
北斗から。
『終わったら連絡』
〇〇「……」
朝。
待ってるから。
そう言っていた。
〇〇は少し考えて。
メッセージを打つ。
〇〇
『終わった』
送信。
数秒。
既読。
そして。
北斗
『何時に帰る?』
〇〇は思わず笑った。
〇〇
『仕事して』
北斗
『してる』
〇〇
『また嘘』
北斗
『今日は早く帰ってこい』
〇〇は画面を見つめる。
昨日の夜。
探し回っていた北斗の顔が浮かぶ。
〇〇
『帰る』
送信。
少し間が空く。
そして。
北斗
『気を付けて』
短い一言。
でも。
昨日までなら気付かなかった。
その言葉にどれだけ心配が入っているのか。
〇〇はスマホを閉じる。
そして立ち上がった。
今日は。
ちゃんと帰ろうと思った。
取材を終えた〇〇は車に乗り込む。
マネージャー「お疲れ」
〇〇「お疲れ様です」
マネージャー「家帰る?」
〇〇は少し考えた。
スマホには北斗とのやり取りが残っている。
『気を付けて』
短い言葉。
でも昨日のことがあったから分かる。
本気で心配している。
〇〇「帰る」
マネージャー「珍しい」
〇〇「何それ」
マネージャー「いつもどっか寄るじゃん」
〇〇「失礼」
マネージャーは笑う。
車は家へ向かう。
移動中。
〇〇は窓の外を見る。
久しぶりだった。
こんな時間に帰れるの。
最近は朝から夜まで仕事。
帰ったら寝るだけ。
そんな毎日。
気付けば何日連続で働いているのかも分からない。
スマホが震える。
北斗。
『出た?』
〇〇
『出た』
既読。
一秒。
北斗
『帰れ』
〇〇
『帰るって』
北斗
『寄り道禁止』
〇〇
『子供じゃない』
北斗
『信用ない』
〇〇
『ひどい』
北斗
『昨日』
〇〇
『……』
反論できない。
北斗
『まっすぐ帰れ』
〇〇は笑う。
マネージャーが見る。
マネージャー「北斗?」
〇〇「なんで分かるの」
マネージャー「顔」
〇〇「顔?」
マネージャー「分かりやすい」
〇〇は首を傾げる。
自覚はない。
そのまま車はマンションへ到着する。
〇〇「お疲れ様」
マネージャー「お疲れ」
〇〇はエントランスへ向かう。
エレベーター。
上昇。
チーン。
扉が開く。
家の前。
〇〇は鍵を開けた。
ガチャ。
玄関の明かりがついている。
〇〇「ただいまー」
リビングから声。
北斗「おかえり」
〇〇は靴を脱ぎながら笑う。
ちゃんと帰った。
今日は。
寄り道もしていない。
リビングへ入る。
すると。
ソファに座っていた北斗がこちらを見る。
北斗「早かったな」
〇〇「帰れって言ったじゃん」
北斗「言った」
〇〇「帰ってきた」
北斗「偉い」
〇〇「子供扱い」
北斗は少し笑う。
その顔を見て。
〇〇は思う。
昨日は色々あったけど。
ちゃんと帰ってきてよかったなと。
その時。
キッチンからいい匂いがした。
〇〇「ご飯?」
北斗「作った」
〇〇「うそ」
北斗「失礼」
〇〇はキッチンを覗く。
テーブルには夕飯が並んでいた。
〇〇「すご」
北斗「冷める前に食え」
〇〇のお腹が鳴る。
一瞬。
沈黙。
北斗。
〇〇。
二人とも固まる。
そして。
北斗が吹き出した。
〇〇「聞いた?」
北斗「聞こえた」
〇〇「忘れて」
北斗「無理」
〇〇「最悪」
でも。
久しぶりに。
本当に久しぶりに。
家の空気は穏やかだった。
〇〇は席に座る。
目の前には北斗の作った夕飯。
湯気が立っている。
〇〇「いただきます」
北斗「どうぞ」
一口食べる。
〇〇「おいしい」
北斗「よかった」
二人で食べ始める。
静かな時間。
でも嫌じゃない。
むしろ落ち着く。
しばらくして。
〇〇がぽつりと言った。
〇〇「ねえ」
北斗「ん?」
〇〇「この前のことだけど」
北斗の手が止まる。
〇〇は箸を置いた。
〇〇「心配してくれたのは分かってる」
北斗「……」
〇〇「本当に」
北斗は黙って聞いている。
〇〇「でも」
少し間が空く。
〇〇「私は束縛されるの嫌い」
北斗の視線が上がる。
〇〇は真っ直ぐ言った。
〇〇「何時までに帰れとか」
〇〇「誰といるとか」
〇〇「ずっと連絡しろとか」
〇〇「そういうの苦手」
北斗は何も言わない。
〇〇「仕事柄色んな人と会うし」
〇〇「後輩とも話すし」
〇〇「スタッフさんとも話すし」
〇〇「それを全部気にされるのは嫌」
静かな声だった。
怒っているわけじゃない。
ただ。
本音だった。
北斗は少し俯く。
昨日の自分を思い出していた。
確かに過剰だったかもしれない。
〇〇は続ける。
〇〇「だから」
〇〇「これからは大丈夫」
北斗「……?」
〇〇「ちゃんと帰るし」
〇〇「連絡もする」
〇〇「心配させるようなことはしない」
〇〇は笑う。
〇〇「だから過保護禁止」
北斗「無理」
即答だった。
〇〇「早い」
北斗「無理なものは無理」
〇〇「だからそういうとこ」
北斗はため息をつく。
北斗「心配するなって方が無理だろ」
〇〇「大人です」
北斗「知ってる」
〇〇「仕事もしてます」
北斗「知ってる」
〇〇「一人で生きていけます」
北斗「それは知らない」
〇〇「失礼」
二人とも少し笑う。
北斗はコップを持ちながら言った。
北斗「分かったよ」
〇〇「ほんと?」
北斗「あんまり言わないようにする」
〇〇は少し驚く。
意外だった。
北斗は頬杖をつく。
北斗「でも」
〇〇「でも?」
北斗「心配はする」
〇〇「……」
北斗「それは諦めろ」
〇〇は数秒見つめる。
そして。
ふっと笑った。
〇〇「まあそれくらいなら」
北斗も少しだけ笑う。
完全に納得したわけじゃない。
でも。
お互い少しずつ歩み寄る。
そんな夜だった。
夕飯を食べ終わる。
〇〇「ごちそうさま」
北斗「ごちそうさま」
〇〇は立ち上がった。
食器を持つ。
北斗も手を伸ばそうとする。
だが。
〇〇「今日は私やる」
北斗「は?」
〇〇「皿洗い」
北斗「いいよ」
〇〇「だめ」
北斗「なんで」
〇〇「ご飯作ってもらったから」
北斗は少し驚く。
〇〇が自分から言うのは珍しい。
〇〇は食器を抱えたままキッチンへ向かった。
北斗もついてくる。
〇〇「来なくていい」
北斗「暇」
〇〇「座ってて」
北斗「嫌」
〇〇「子供」
北斗「どっちが」
〇〇「うるさい」
蛇口をひねる。
水が流れる。
〇〇は袖をまくった。
スポンジを手に取る。
その横に。
当然のように北斗が立つ。
〇〇「近い」
北斗「普通」
〇〇「普通じゃない」
北斗「狭いだけ」
〇〇は横を見る。
北斗。
177cm。
そして自分。
155cm。
改めて並ぶと。
本当に大きい。
〇〇「でかいな」
北斗「今さら?」
〇〇「今日特にでかい」
北斗「意味分からん」
〇〇は洗い物を続ける。
しかし。
上の棚から洗剤の詰め替えを取ろうとして。
少し背伸びした。
届かない。
もう少し。
届かない。
その瞬間。
後ろからひょい。
北斗が片手で取った。
〇〇「……」
北斗「はい」
〇〇「腹立つ」
北斗「なんで」
〇〇「届きそうだった」
北斗「届いてない」
〇〇「あとちょっとだった」
北斗「5センチ以上あった」
〇〇「聞きたくない」
北斗は笑う。
〇〇はムッとする。
その顔を見てまた笑う。
〇〇「笑うな」
北斗「無理」
〇〇「最低」
洗い物を終える。
〇〇は手を洗う。
タオルを取ろうとする。
すると。
上からタオルが降ってきた。
北斗が差し出している。
〇〇「……」
北斗「どうぞ」
〇〇「なんか今日うざい」
北斗「今日?」
〇〇「いつもだった」
北斗は吹き出す。
〇〇も少し笑う。
こうして並ぶたび思う。
身長差。
22センチ。
見慣れているはずなのに。
やっぱり大きかった。
〇〇は手を拭き終わる。
北斗はそのままキッチンのカウンターにもたれた。
〇〇「終わり」
北斗「お疲れ」
〇〇「偉い?」
北斗「偉い」
〇〇「よし」
満足そうに頷く。
北斗は少し笑った。
〇〇はリビングへ向かう。
ソファへ倒れ込むように座った。
いや。
沈んだ。
〇〇「あー……」
北斗「おじさんみたいな声出た」
〇〇「疲れてる」
北斗「知ってる」
〇〇「今日も朝からいた」
北斗「知ってる」
〇〇「眠い」
北斗「寝ろ」
〇〇「まだ寝ない」
北斗も隣に座る。
〇〇「でかい」
北斗「また?」
〇〇「横にいると圧ある」
北斗「失礼だな」
〇〇は横を見る。
長い脚。
長い腕。
広い肩。
どう考えても同じ人類と思えない。
〇〇「なんでそんな大きくなったの」
北斗「知らない」
〇〇「身長分けて」
北斗「無理」
〇〇「5センチだけ」
北斗「どうやって」
〇〇「気持ち」
北斗「無茶苦茶」
二人とも笑う。
しばらくテレビを流す。
静かな時間。
〇〇はだんだん眠くなってくる。
昨日。
ほとんど眠れていない。
今日も朝から仕事。
限界だった。
北斗がふと横を見る。
〇〇。
目が閉じかけている。
北斗「寝ろ」
〇〇「寝てない」
北斗「半分寝てる」
〇〇「寝てない」
言った瞬間。
こくっ。
頭が落ちた。
北斗「……」
〇〇「……」
北斗「……」
〇〇「……」
完全に寝ていた。
北斗は吹き出しそうになる。
数秒後。
〇〇の頭がゆっくり傾く。
そして。
北斗の肩へ。
ことん。
〇〇「……」
北斗は固まった。
〇〇は気付いていない。
完全に寝ている。
北斗「おい」
反応なし。
北斗「〇〇」
反応なし。
北斗はため息をついた。
そして。
そっとテレビの音量を下げた。
普段なら起こす。
でも今日は。
朝から頑張っていたのを知っている。
だから。
もう少しだけ。
このまま寝かせておこうと思った。
その時だった。
テーブルの上のスマホが震える。
ブブッ。
ブブッ。
北斗は画面を見る。
風磨。
北斗「……」
肩には〇〇。
完全に寝ている。
北斗は慎重にスマホを取った。
起こさないように立ち上がる。
そして少し離れた場所で電話に出た。
北斗「もしもし」
風磨『生きてる?』
北斗「いきなり何」
風磨『最近のお前見てると心配になる』
北斗は思わず笑う。
風磨『笑った』
北斗「失礼だな」
風磨『で?』
北斗「で?」
風磨『どうなんだよ』
北斗はリビングを見る。
ソファ。
〇〇は小さく丸まって寝ている。
さっきまで喋っていたのに。
もう夢の中だ。
北斗「寝た」
風磨『早』
北斗「仕事続きだから」
風磨『まあそうだろうな』
少し沈黙。
風磨の声が少し真面目になる。
風磨『最近色々あったんだろ』
北斗「……」
風磨『喧嘩とか』
北斗は壁にもたれる。
そして。
ぽつぽつと話し始めた。
帰ってこなかった夜。
連絡がつかなかったこと。
心配で探し回ったこと。
キスマークを見つけたこと。
口論になったこと。
〇〇が家を飛び出したこと。
風磨は黙って聞いていた。
途中で一度も茶化さない。
全部聞き終わって。
ようやく口を開く。
風磨『お前重いな』
北斗「うるさい」
風磨『いや重い』
北斗「分かってる」
風磨『自覚あった』
北斗「ある」
風磨は笑った。
北斗も苦笑する。
風磨『でもまあ』
北斗「?」
風磨『あいつも悪い』
北斗「……」
風磨『仕事しすぎ』
北斗「それはそう」
風磨『自分のこと後回しにしすぎ』
北斗「それもそう」
風磨『だからお前が心配するのも分かる』
北斗は黙る。
風磨は続けた。
風磨『ただ束縛すると逃げるぞ』
北斗「今日言われた」
風磨『だろうな』
北斗「束縛嫌いらしい」
風磨『知ってる』
北斗「知ってたのか」
風磨『何年の付き合いだと思ってんだ』
北斗は思わず笑った。
風磨『でもさ』
北斗「ん?」
風磨『ちゃんと帰ってきたんだろ』
北斗はソファを見る。
眠っている〇〇。
夕飯も食べた。
皿洗いもした。
帰ると言って。
ちゃんと帰ってきた。
北斗「……ああ」
風磨『なら少し信用してやれ』
静かな声だった。
北斗は返事をしない。
でも。
その言葉は残った。
風磨『じゃあな』
北斗「おう」
風磨『あ』
北斗「?」
風磨『肩貸してるなら風邪引かせんなよ』
北斗「なんで知ってる」
風磨『想像つく』
北斗「怖」
風磨の笑い声が聞こえる。
そして電話が切れた。
北斗はスマホを置く。
リビングへ戻る。
〇〇は相変わらず眠っていた。
髪が少し顔にかかっている。
北斗はしゃがむ。
そっと髪を避けた。
〇〇「……ん」
小さく寝返りを打つ。
北斗は少し笑った。
そして静かに呟く。
北斗「信用な」
難しいけど。
少しずつ。
やってみるかと思った。
北斗はソファの前にしゃがんだまま。
〇〇を見る。
本当に寝ている。
さっきまであれだけ喋っていたのに。
今は静かだった。
〇〇「……」
小さく寝息を立てる。
北斗は思わず笑う。
風磨の言葉が頭に残っていた。
『少し信用してやれ』
簡単じゃない。
でも。
今日帰るって言って。
ちゃんと帰ってきた。
それも事実だった。
北斗は立ち上がる。
時計を見る。
22時前。
このままソファで寝たら絶対身体が痛くなる。
北斗「〇〇」
反応なし。
北斗「寝るならベッド行け」
反応なし。
北斗は腕を組む。
数秒考える。
そして。
〇〇の肩を軽く揺らした。
北斗「おい」
〇〇「……ん」
北斗「起きろ」
〇〇「……」
北斗「ベッド」
〇〇はうっすら目を開ける。
〇〇「……ねむい」
北斗「知ってる」
〇〇「うごけない」
北斗「動け」
〇〇「やだ」
北斗「子供か」
〇〇「むり」
再び目を閉じる。
北斗はため息をついた。
そして。
〇〇の前にしゃがむ。
〇〇「……?」
北斗「立て」
〇〇「?」
北斗「ベッド行くぞ」
〇〇はぼんやりしたまま。
北斗の肩に手を置いた。
立ち上がる。
しかし。
眠すぎる。
ふらっ。
北斗「危ない」
〇〇「……」
北斗「ほら」
〇〇は半分寝ながら歩く。
北斗は横についている。
身長差。
177センチと155センチ。
並ぶとやっぱり大きい。
〇〇は眠そうに見上げる。
〇〇「でかい」
北斗「またそれ」
〇〇「見上げるの疲れる」
北斗「寝ろ」
〇〇「うん」
会話になっていない。
寝室。
クイーンベッド。
〇〇はそのまま倒れ込んだ。
ぼふっ。
〇〇「しあわせ……」
北斗「よかったな」
〇〇「ベッド最高」
北斗「分かる」
〇〇は毛布を抱きしめる。
数秒後。
もう目が閉じそうだった。
北斗は部屋の明かりを少し落とす。
その時。
〇〇が小さく呟いた。
〇〇「……ほくと」
北斗「ん?」
〇〇「今日」
北斗「うん」
〇〇「ありがと」
北斗は動きを止める。
〇〇は目を閉じたまま。
半分夢の中。
〇〇「ごはん……おいしかった」
北斗「……」
〇〇「おやすみ」
それだけ言って。
完全に眠った。
北斗はしばらく立ったまま。
その寝顔を見る。
そして小さく息を吐いた。
北斗「おやすみ」
静かな声。
寝室は静かだった。
昨日までの空気が嘘みたいに。
穏やかな夜だった。
ーーーーーーーーー
☀️朝。
カーテンの隙間から光が差し込む。
静かな寝室。
〇〇はゆっくり目を開けた。
「……」
ぼんやり天井を見る。
まだ眠い。
でも。
なぜか目が覚めてしまった。
時計を見る。
7:02。
〇〇「早……」
珍しい。
本当に珍しい。
普段なら北斗の方が先に起きている。
仕事がない日でも。
なぜか北斗は早い。
でも今日は違った。
〇〇は隣を見る。
北斗。
まだ寝ている。
〇〇「……」
思わず二度見する。
北斗が寝ている。
しかも。
かなり熟睡している。
〇〇は少し体を起こした。
寝癖。
ついてる。
いつもなら見られない姿。
〇〇「珍し」
小さく笑う。
北斗は全く起きない。
昨日。
ご飯を作って。
片付けて。
その後も色々していた。
疲れていたのかもしれない。
〇〇はしばらく眺める。
長いまつ毛。
整った顔。
寝ていると本当に静かだ。
〇〇「……」
数秒。
さらに数秒。
見ていた。
そして。
ふと思う。
起こしたら怒るかな。
いや。
怒るな。
絶対怒る。
〇〇は一人で納得した。
そのままベッドから降りる。
静かに。
音を立てないように。
成功。
北斗は起きない。
〇〇は寝室を出た。
リビング。
静か。
朝の空気。
なんだか新鮮だった。
キッチンへ向かう。
冷蔵庫を開ける。
〇〇「……」
何か作ろうかな。
昨日は北斗が作った。
今日は自分。
そう思った。
しかし。
冷蔵庫を見つめて数秒。
〇〇「何作ればいいんだ」
料理はできる。
でも。
朝ごはんとなると急に分からない。
〇〇は腕を組む。
真剣に悩む。
その姿を。
実は寝室のドアの隙間から。
目を覚ました北斗が見ていた。
北斗「……」
起きていた。
でも。
珍しく先に起きた〇〇が面白くて。
まだ声をかけていなかった。
そして。
冷蔵庫の前で本気で悩む〇〇を見て。
思わず笑いそうになる。
今日の朝は。
いつもと少しだけ違っていた。
仕方なく。
本当に仕方なく。
北斗がフライパンを持った。
北斗「危ないから座ってろ」
〇〇「危なくない」
北斗「さっき卵に負けてた」
〇〇「負けてない」
北斗「勝ってもない」
〇〇「……」
反論できない。
〇〇はキッチンカウンターの椅子に座った。
北斗は慣れた手つきで朝食を作り始める。
卵を割る。
焼く。
ベーコンも並べる。
〇〇はその様子をぼんやり見ていた。
やっぱり手際がいい。
〇〇「なんでそんなできるの」
北斗「生きるため」
〇〇「かっこいいこと言ってる」
北斗「言ってない」
〇〇はスマホを手に取る。
通知を確認する。
LINE。
マネージャー。
事務所。
timeleszのグループ。
色々来ている。
そのままインスタを開いた。
ストーリー。
ぽち。
親友の環奈だった。
〇〇「あ」
楽しそうな動画。
スケートリンク。
笑い声。
リンクを滑る環奈。
その横には大志。
二人で笑いながら手を振っている。
〇〇「……」
次のストーリー。
また二人。
ホットドリンク。
リンクサイド。
楽しそう。
〇〇はじっと見つめる。
北斗は気付かず朝食を作っている。
〇〇「いいなぁ」
ぽつり。
小さな声。
北斗「何が」
〇〇「環奈」
北斗は振り返る。
〇〇はスマホを見せた。
北斗「へぇ」
〇〇「スケートだって」
北斗「そうらしいな」
〇〇「楽しそう」
北斗「楽しそうだな」
〇〇はストーリーをもう一度見る。
羨ましかった。
別に恋愛がどうとかじゃない。
ただ。
普通に遊ぶ時間。
普通に出掛ける時間。
それが羨ましい。
〇〇「最近仕事しかしてない」
北斗「知ってる」
〇〇「休みない」
北斗「知ってる」
〇〇「スケート行きたい」
北斗「行けば」
〇〇「誰と」
北斗「……」
〇〇はスマホを置く。
そしてため息。
〇〇「いいなぁ」
北斗はフライパンを見ながら少し考える。
〇〇は気付かない。
北斗「そんな行きたいの」
〇〇「行きたい」
北斗「転ぶぞ」
〇〇「失礼」
北斗「絶対転ぶ」
〇〇「転ばない」
北斗「転ぶ」
〇〇「転ばない」
北斗は少し笑った。
そして。
焼き上がった目玉焼きを皿へ移しながら言う。
北斗「今度休み合わせるか」
〇〇「え?」
北斗「スケート」
〇〇は瞬きをした。
北斗は当たり前みたいに言う。
北斗「そんな羨ましいなら」
〇〇「……」
北斗「行けばいいだろ」
〇〇は数秒固まる。
そして。
少しだけ嬉しそうに笑った。
〇〇「転んだら助けて」
北斗「最初から転ぶ前提じゃん」
〇〇「保険」
北斗「はいはい」
キッチンには朝ごはんのいい匂いが広がっていた。
〇〇「ほんとに?」
北斗「何が」
〇〇「スケート」
北斗は皿を持ってテーブルへ向かう。
北斗「休み合えば」
〇〇「やった」
北斗「まだ決まってない」
〇〇「やった」
北斗「聞いてた?」
〇〇「聞いてない」
北斗は呆れたように笑う。
〇〇は嬉しそうだった。
久しぶりかもしれない。
仕事以外の予定でこんな顔をするの。
テーブルに朝食が並ぶ。
目玉焼き。
ベーコン。
トースト。
〇〇「おいしそう」
北斗「どうぞ」
〇〇「いただきます」
二人で食べ始める。
〇〇はトーストをかじる。
そしてまたスマホを見る。
環奈のストーリー。
次の投稿。
リンクの真ん中で笑っている写真。
〇〇「いいなぁ」
北斗「まだ言ってる」
〇〇「だって楽しそう」
北斗「まあな」
〇〇は少し黙った。
そして。
ぽつり。
〇〇「最近環奈にも会えてない」
北斗は視線を上げる。
確かにそうだった。
仕事。
仕事。
仕事。
スケジュール帳を見ても。
空白がほとんどない。
〇〇「最後いつだろ」
北斗「三ヶ月くらい前じゃない」
〇〇「そんな前?」
北斗「たぶん」
〇〇は頬杖をつく。
〇〇「人生仕事しかしてない」
北斗「極端」
〇〇「ほんと」
北斗はコーヒーを飲む。
そして言った。
北斗「じゃあ会えば」
〇〇「時間ない」
北斗「作れ」
〇〇「無理」
北斗「作れ」
〇〇「無理」
北斗「作れ」
〇〇「しつこい」
北斗は笑った。
でも。
本気だった。
〇〇は昔からそうだ。
自分の予定より。
人の予定。
仕事。
作品。
全部優先する。
そして気付いたら疲れている。
北斗「環奈も心配してるだろ」
〇〇「……」
北斗「連絡しろ」
〇〇はスマホを見る。
トーク画面。
未読が溜まっている。
その中に環奈。
〇〇「あとで返す」
北斗「今返せ」
〇〇「親?」
北斗「いいから」
〇〇は笑いながらメッセージを開く。
『生きてる?』
『また仕事?』
『休んでる?』
『返事しろー』
何件も来ている。
〇〇は少し申し訳なくなった。
そして短く送る。
『生きてる』
送信。
数秒。
既読。
〇〇「早」
次の瞬間。
着信。
〇〇「え?」
北斗「だろうな」
スマホには。
『環奈』
の文字。
〇〇は思わず笑った。
朝の静かなリビングに。
親友からの着信音が響いていた。
〇〇「早すぎるでしょ」
北斗「待ってたんだろ」
〇〇は通話ボタンを押した。
〇〇「もしもし」
『生きてた!!』
朝から元気な声。
〇〇は思わずスマホを少し離す。
〇〇「うるさい」
『既読つかないから!』
『また仕事で倒れてるのかと思った!』
〇〇「倒れてない」
『本当?』
〇〇「本当」
『顔見せて』
〇〇「なんで」
『確認』
〇〇は呆れながらビデオ通話に切り替える。
画面が映る。
そして。
環奈の顔。
その横。
大志。
〇〇「いる」
『いる』
中川大志が笑う。
『おはよう』
〇〇「おはようございます」
『敬語やめて』
〇〇「癖」
環奈はすぐ言った。
『ねえ』
〇〇「ん?」
『痩せた?』
〇〇「会話それ?」
『痩せた』
〇〇「気のせい」
『気のせいじゃない』
〇〇は視線を逸らす。
北斗はトーストを食べながら聞いていた。
『ちゃんと寝てる?』
〇〇「寝てる」
『嘘』
〇〇「寝てる」
『嘘』
〇〇「なんで」
『顔』
〇〇はため息をついた。
親友は鋭い。
昔から。
ごまかせない。
その時。
環奈の視線が動く。
『あ』
〇〇「?」
『北斗いるじゃん』
〇〇は振り返る。
北斗。
コーヒー飲んでる。
〇〇「いる」
『おはようございまーす』
環奈が手を振る。
北斗も軽く会釈した。
北斗「おはよう」
『生きてました?』
北斗「なんとか」
『お疲れ様です』
大志も笑っている。
〇〇は思う。
なんだろう。
この空気。
平和だ。
本当に平和。
環奈が突然言った。
『ねえ』
〇〇「なに」
『休み取ろう』
〇〇「無理」
『取ろう』
〇〇「無理」
『取ろう』
〇〇「真似しないで」
北斗が吹き出した。
環奈も笑う。
『スケート行こうよ』
〇〇「あ」
『ストーリー見た?』
〇〇「見た」
『楽しかった』
〇〇「羨ましかった」
環奈は少し嬉しそうに笑った。
『じゃあ今度一緒に行こう』
〇〇「休みが」
『取れ』
〇〇「北斗と同じこと言う」
『北斗?』
環奈は目を細めた。
〇〇はしまったと思った。
しかし。
もう遅い。
『へぇ』
〇〇「なに」
『へぇ〜』
〇〇「やめて」
『へぇ〜〜』
〇〇「環奈」
環奈は大爆笑。
北斗は知らん顔でコーヒーを飲んでいる。
でも。
口元だけ少し笑っていた。
久しぶりだった。
こんな朝。
仕事の話じゃなくて。
スケジュールの話でもなくて。
ただ親友と笑うだけの時間。
〇〇は少しだけ思った。
たまには。
こういう朝も悪くないなと。
環奈『じゃあ決まりね』
〇〇「決まってない」
環奈『決まった』
大志『決まったね』
〇〇「勝手」
北斗はコーヒーを飲みながら聞いている。
完全に他人事。
〇〇「助けて」
北斗「無理」
〇〇「なんで」
北斗「俺も行くから」
〇〇「裏切り者」
環奈『よし』
環奈はすぐにスケジュールアプリを開いた。
『来月は?』
〇〇「無理」
『再来月』
〇〇「無理」
『その次』
〇〇「無理」
環奈『働きすぎ』
大志『働きすぎだね』
〇〇「好きで働いてるわけじゃない」
北斗「嘘」
〇〇「……」
北斗「仕事入ったら喜ぶだろ」
〇〇「否定できない」
環奈が笑う。
『ほら』
その後。
四人でスケジュール確認が始まった。
環奈。
『ここ空いてる』
大志。
『俺も大丈夫』
北斗。
『午後なら』
〇〇。
『ドラマ撮影』
環奈。
『ここは』
〇〇。
『CM』
大志。
『ここ』
〇〇。
『雑誌』
環奈。
『忙しすぎない!?』
〇〇「私もそう思う」
三十分後。
ようやく。
全員が空いている日を発見した。
環奈『あった!!』
大志『奇跡』
北斗『本当にあった』
〇〇『あるんだ』
四人とも少し感動する。
環奈『絶対空けといて』
〇〇「分かった」
環奈『前日仕事入れるな』
〇〇「私が決めるわけじゃない」
大志『体調崩さないようにね』
〇〇「はい」
環奈『朝から集合だから』
〇〇「早い」
環奈『寝坊禁止』
北斗「無理だな」
〇〇「失礼」
北斗「起きない」
〇〇「起きる」
環奈『起きない』
大志『起きなそう』
〇〇「なんでみんな敵なの」
画面の向こうで大爆笑。
北斗も笑っている。
〇〇は不満そうに頬を膨らませた。
それでも。
久しぶりだった。
仕事以外の予定がカレンダーに入るのは。
スマホの予定表。
そこにはしっかり。
『スケート』
の文字が追加されていた。
通話が終わる。
〇〇はスマホを置いた。
環奈との約束。
久しぶりのプライベートの予定。
少しだけ楽しみだった。
北斗「遅刻すんなよ」
〇〇「しない」
北斗「する」
〇〇「しない」
北斗「する」
〇〇「しない」
いつものやり取り。
その後。
二人とも支度を始める。
今日はそれぞれ仕事。
朝は一緒だったのに。
気付けば慌ただしい。
玄関。
〇〇「行ってきます」
北斗「行ってらっしゃい」
〇〇「そっちも」
北斗「おう」
そして。
別々の現場へ向かった。
数時間後。
timeleszの楽屋。
〇〇はソファに座っていた。
メイクも終わり。
収録前。
メンバーたちはそれぞれ過ごしている。
その時。
〇〇が突然スマホを取り出した。
〇〇「ねえ」
勝利「ん?」
風磨「何」
聡「どうしたの?」
〇〇は少し嬉しそうだった。
〇〇「今度スケート行く」
数秒。
静寂。
風磨「だから?」
〇〇「環奈と大志くんと」
勝利「あー」
聡「よかったじゃん」
普通の反応。
〇〇は首を振る。
〇〇「違う」
風磨「何が」
〇〇「北斗も」
楽屋。
沈黙。
そして。
風磨が吹き出した。
勝利も笑う。
聡も笑う。
寺西まで笑っている。
〇〇「なんで笑うの」
風磨「自慢したかっただけじゃん」
〇〇「してない」
風磨「してる」
勝利「してる」
聡「してる」
〇〇「してない」
原「絶対してる」
将生「顔がそう」
周杜「嬉しそう」
篠塚「分かりやすい」
〇〇「ひどい」
全員笑う。
風磨はスマホをいじりながら言った。
風磨「よかったな」
〇〇「うんれ」
風磨「お」
勝利「素直」
〇〇「久しぶりだから」
その一言で。
楽屋が少し静かになる。
みんな知っている。
〇〇がどれだけ働いているか。
どれだけ休んでいないか。
だから。
聡「楽しんできなよ」
勝利も頷く。
勝利「仕事の話禁止な」
〇〇「無理」
風磨「無理だな」
寺西「絶対仕事の電話くる」
原「五分で現実戻る」
〇〇「やめて」
また笑いが起きる。
でも。
〇〇は少しだけ嬉しかった。
仕事の予定しかないカレンダーに。
一つだけ。
楽しみな予定が入ったから。
それを自慢したくなるくらいには。
ーーーーーーーーー
収録は順調だった。
バラエティ。
雑誌の取材。
打ち合わせ。
移動。
いつも通り。
〇〇は一つずつ仕事をこなしていく。
忙しい。
でも。
今日は少しだけ気分が軽かった。
スマホの予定表にある。
『スケート』
その文字を見るたびに少し笑ってしまう。
そして21時。
事務所。
〇〇は気まぐれでインスタライブを始めた。
珍しい。
突然だった。
ファンも驚いている。
〇〇「こんばんはー」
コメントが一気に流れる。
『え!?』
『珍しい!』
『仕事終わり?』
『疲れてない!?』
〇〇は笑った。
〇〇「終わった」
〇〇「今日はちょっとだけ」
最近の仕事。
現場の話。
timeleszの話。
後輩の話。
ファンとの何気ない時間。
30分ほどでライブは終了した。
〇〇「じゃあまたね」
手を振る。
配信終了。
スマホを置く。
静かになる。
事務所の廊下。
時間は21時半過ぎ。
スタッフたちも少なくなっていた。
〇〇「帰ろ」
荷物を持つ。
スマホをポケットへ入れる。
そして廊下を歩き始めた。
その時だった。
遠く。
廊下の奥。
会議室が並ぶ方向から。
誰かの声が聞こえた。
〇〇「?」
立ち止まる。
何を言っているのかまでは聞こえない。
でも。
複数人いるらしい。
少し騒がしい。
笑い声も混ざっている。
〇〇は首を傾げる。
こんな時間に。
まだ誰かいるのか。
帰ろうとしていた足が止まる。
再び声。
「───!」
やっぱり聞き取れない。
でも。
なんとなく。
知っている声のような気がした。
〇〇「誰だろ」
気になった。
少しだけ。
本当に少しだけ。
〇〇は声のする方へ歩き出した。
廊下を曲がる。
会議室の前。
明かりが漏れている。
中からまた笑い声。
そして。
聞き覚えのある声がはっきり聞こえた。
「だからそれは違うって!」
〇〇「……あ」
知っている声だった。
しかも。
かなりよく知っている声だった。
〇〇は思わず足を止めた。
聞こえてきたのはSnow Manのメンバーたちの声だった。
どうやら仕事終わりらしい。
会議室の中はかなり盛り上がっている。
〇〇「なんでいるの……」
そのまま通り過ぎようとした。
その時。
「いや、△△絶対〇〇のこと好きじゃん」
〇〇「……え?」
足が止まる。
今。
確かに聞こえた。
〇〇。
自分の名前。
〇〇は思わず振り返る。
中から笑い声。
「いや違うって!」
「違わないだろ!」
「見てれば分かる!」
〇〇は眉をひそめた。
何の話?
そして。
また聞こえる。
「だって△△が〇〇のこと──」
そこだけ。
聞こえた。
でも。
その先が聞こえない。
ちょうど全員が笑った。
〇〇「え!?」
思わず前のめりになる。
聞こえない。
肝心なところだけ。
聞こえない。
「だからあの撮影の時も──」
聞こえない。
「楽屋でだって──」
聞こえない。
「完全に──」
聞こえない。
〇〇「なんなの……」
もどかしい。
すごくもどかしい。
中ではまだ盛り上がっている。
その時。
誰かが言った。
「でも北斗くんいるじゃん」
〇〇「!?」
今度は北斗。
〇〇は目を見開いた。
何の話?
ますます分からない。
気になる。
かなり気になる。
その時。
ガタッ。
椅子を引く音。
〇〇「!」
誰か出てくる。
〇〇は慌てて物陰へ隠れた。
数秒後。
会議室のドアが開く。
笑い声。
足音。
〇〇は息を潜める。
心臓がうるさい。
結局。
△△が〇〇のことをどう思っているのか。
何があったのか。
一番大事なところだけ聞こえなかった。
〇〇「気になるんだけど……」
小さく呟く。
でも。
聞きに戻る勇気もない。
〇〇はモヤモヤしたまま。
エレベーターへ向かった。
〇〇「気になるんだけど……」
小さく呟く。
でも。
聞きに戻る勇気もない。
〇〇はモヤモヤしたまま。
エレベーターへ向かった。
廊下を歩く。
頭の中ではさっきの会話がぐるぐる回っている。
△△が。
〇〇のことを。
その先。
何だったの。
全然分からない。
モヤモヤする。
エレベーターの前に着く。
〇〇はボタンを押した。
チーン。
数秒後。
扉が開く。
〇〇「帰ろ」
そう思って乗り込もうとした。
その時だった。
「お疲れ様です」
後ろから声。
〇〇「え?」
振り返る。
そして固まった。
そこにいたのは。
さっき会議室にいたSnow Manのメンバーたちだった。
〇〇「うわ」
深澤「うわって何」
向井「ひどない?」
ラウール「傷付いた」
〇〇「なんでいるの」
渡辺「それこっち」
目黒「帰るところ」
佐久間「偶然だねー」
阿部「同じタイミングだったみたい」
宮舘「お疲れ様」
岩本「お疲れ」
〇〇「お疲れ様です」
エレベーターの中へ入る。
思ったより人数が多い。
少し狭い。
〇〇は隅に寄った。
その時。
深澤が何気なく言った。
深澤「そういえば」
〇〇「?」
深澤「さっき何か聞こえてた?」
〇〇「……」
向井「あ」
ラウール「あ」
佐久間「あー」
〇〇「聞こえてない」
渡辺「嘘」
〇〇「聞こえてない」
目黒「聞こえてる顔してる」
〇〇「どんな顔」
阿部「今の顔」
〇〇「ひどい」
エレベーターの中に笑いが広がる。
〇〇はため息をついた。
〇〇「だから何の話だったの」
宮舘「気になる?」
〇〇「気になる」
岩本「素直だな」
〇〇「名前出てたから」
その瞬間。
なぜか全員が顔を見合わせた。
〇〇「?」
向井「それはまあ」
深澤「気になるか」
ラウール「確かに」
〇〇「で?」
渡辺「で?」
〇〇「教えて」
佐久間「無理」
〇〇「なんで!」
目黒「面白いから」
〇〇「最悪」
チーン。
エレベーターが一階に着く。
扉が開く。
〇〇はすぐ降りようとした。
その時。
後ろから。
深澤「〇〇」
〇〇「?」
深澤辰哉「気にしなくていいと思うよ」
〇〇「余計気になるんだけど」
向井「それな」
ラウール「もう無理だね」
また笑い声が起きる。
〇〇は最後まで理由が分からないまま。
Snow Manに見送られながら。
モヤモヤを抱えて事務所を後にした。
〇〇はマンションへ戻った。
エレベーターに乗る。
部屋の階へ到着。
まだ少しモヤモヤしていた。
Snow Manのこと。
結局何だったのか。
気になる。
でも。
今さら聞き返せない。
〇〇「はぁ……」
ため息をつく。
そして家の前へ。
鍵を開ける。
ガチャ。
〇〇「ただいまー」
返事が聞こえた。
北斗「おかえり」
〇〇「ただいま」
靴を脱ぐ。
その時だった。
リビングからもう一つ声が聞こえた。
「おかえり」
〇〇「……え?」
聞き覚えのある声。
〇〇は固まる。
リビングを覗く。
そして。
〇〇「なんで!?」
ソファに座っていたのは。
自分のマネージャーだった。
マネージャー「お疲れ」
〇〇「いやいやいや」
マネージャー「お疲れ」
〇〇「なんでいるんですか!?」
北斗はソファで笑っている。
マネージャーは平然としていた。
マネージャー「仕事」
〇〇「家で!?」
マネージャー「家で」
〇〇「なんで!?」
〇〇は荷物を置く。
全く理解できない。
マネージャーはテーブルの上の資料を指差した。
マネージャー「明日の台本」
〇〇「あ」
マネージャー「事務所に置いて帰った」
〇〇「……」
マネージャー「誰が届けると思う?」
〇〇「……」
マネージャー「私」
〇〇「すみません」
マネージャーはため息をついた。
北斗は完全に面白がっている。
〇〇「笑わないで」
北斗「無理」
〇〇「最悪」
マネージャー「あと」
〇〇「まだあるんですか」
マネージャー「ある」
〇〇「嫌な予感」
マネージャーはスマホを取り出した。
〇〇のスケジュール表。
びっしり。
本当にびっしり。
〇〇「うわ」
マネージャー「うわじゃない」
〇〇「見たくない」
マネージャー「見ろ」
〇〇は渋々近付く。
北斗も横から覗き込んだ。
マネージャー「まず来週」
〇〇「はい」
マネージャー「休み消えた」
〇〇「え」
マネージャー「ドラマ追加」
〇〇「え!?」
北斗「ほら」
〇〇「ほらじゃない!」
マネージャー「でも」
〇〇「でも?」
マネージャー「スケートの日は死守した」
〇〇「え」
マネージャー「死守した」
〇〇は目を見開く。
マネージャー「三回断った」
〇〇「三回!?」
マネージャー「四回目で勝った」
〇〇「すごい」
マネージャー「感謝して」
〇〇「ありがとうございます」
深々と頭を下げる。
北斗も少し驚いていた。
マネージャー「だから」
〇〇「はい」
マネージャー「その日は絶対休め」
〇〇「はい」
マネージャー「仕事入れるな」
〇〇「私が決めるわけじゃないです」
マネージャー「体調崩すな」
〇〇「はい」
マネージャー「楽しんでこい」
〇〇は少し笑った。
〇〇「はい」
マネージャーも小さく頷く。
そして。
ようやく立ち上がった。
マネージャー「じゃあ帰る」
〇〇「お疲れ様です」
北斗「お疲れ様です」
玄関のドアが閉まる。
静かになる。
〇〇はソファに倒れ込んだ。
〇〇「びっくりした……」
北斗「怒られてたな」
〇〇「怒られてない」
北斗「怒られてた」
〇〇「違う」
でも。
スケートの日がちゃんと残っていたことが。
少しだけ嬉しかった。
ーーーーーーーーー
〇〇side
スケートの日まで。
本当にあっという間だった。
月曜日。
朝5時起床。
ドラマ撮影。
〇〇「おはようございます」
現場入り。
朝から夜まで撮影。
泣くシーン。
笑うシーン。
走るシーン。
何度も繰り返す。
気付けば22時。
帰宅。
台本確認。
就寝。
火曜日。
映画の宣伝デー。
朝から取材が何本も入っていた。
雑誌。
Web。
動画コメント。
インタビュー。
〇〇「よろしくお願いします」
記者「撮影中の思い出は?」
記者「共演者とのエピソードは?」
記者「見どころを教えてください」
何度も同じ質問。
それでも毎回違う言葉で答える。
終わる頃には夕方だった。
水曜日。
ファッション誌の表紙撮影。
スタジオ入り。
衣装チェンジ。
ヘアチェンジ。
メイクチェンジ。
撮影。
また衣装チェンジ。
撮影。
また撮影。
カメラマン。
「最高です!」
スタッフ。
「かわいい!」
〇〇「ありがとうございます」
笑顔で応える。
でも。
内心は眠い。
木曜日。
CM撮影。
早朝集合。
スタジオ。
監督。
「本番いきます!」
〇〇「お願いします」
同じセリフ。
同じ動き。
何十回も繰り返す。
監督。
「もう一回お願いします」
〇〇「はい!」
撮影終了。
そのまま次の現場へ移動。
金曜日。
timeleszの仕事。
楽屋。
風磨「生きてる?」
〇〇「生きてる」
勝利「目が死んでる」
聡「ちゃんと寝てる?」
〇〇「たぶん」
風磨「寝てないな」
収録開始。
カメラが回る。
すると。
いつもの〇〇になる。
笑う。
話す。
盛り上げる。
スタッフ。
「さすがです」
収録終了。
また次の仕事へ。
土曜日。
地方ロケ。
朝一の新幹線。
移動。
撮影。
移動。
撮影。
移動。
撮影。
食レポ。
観光地紹介。
インタビュー。
気付けば夜。
新幹線で東京へ戻る。
日曜日。
レコーディング。
スタジオ入り。
ヘッドホンをつける。
マイクの前に立つ。
何度も歌う。
ディレクター。
「今のいいです!」
〇〇「ありがとうございます」
そのままダンス確認。
振り合わせ。
フォーメーション確認。
終了した頃には21時。
月曜日。
ドラマ撮影。
火曜日。
映画の完成披露イベント。
水曜日。
CM発表会。
木曜日。
雑誌取材。
金曜日。
打ち合わせ。
打ち合わせ。
打ち合わせ。
〇〇「もう何の打ち合わせか分からない」
マネージャー「分かって」
〇〇「無理」
土曜日。
またドラマ撮影。
日曜日。
映画舞台挨拶。
そして。
その合間。
スマホを見るたび。
スケジュールアプリを見るたび。
〇〇は少しだけ笑った。
カレンダーの先。
唯一のプライベート予定。
『スケート』
環奈。
大志。
北斗。
そして自分。
忙しい毎日だった。
でも。
その予定だけは。
絶対に消えなかった。
気付けば。
約束の日は。
もう明日になっていた。
そして。
当日。
朝。
まだアラームが鳴る前だった。
〇〇は目を開ける。
〇〇「……」
時間を見る。
6:08。
〇〇「早」
休みの日なのに。
自然に目が覚めた。
しかも。
かなり早い。
〇〇はスマホを開く。
スケジュールアプリ。
今日の日付。
そこには。
『スケート』
の文字。
〇〇「ふふ」
思わず笑う。
自分でも分かる。
楽しみなのだ。
かなり。
一ヶ月半。
本当にあっという間だった。
ドラマ。
映画。
CM。
雑誌。
ロケ。
収録。
レコーディング。
打ち合わせ。
毎日働いて。
毎日走って。
気付けば今日になっていた。
〇〇はベッドから起き上がる。
隣を見る。
北斗。
爆睡。
〇〇「……」
起きる気配ゼロ。
〇〇は少し考える。
そして。
北斗の肩を軽く揺らした。
〇〇「北斗」
反応なし。
〇〇「北斗」
反応なし。
〇〇「起きて」
北斗「……ん」
小さな声。
でも。
まだ寝ている。
〇〇は少し笑った。
そして。
もう一度肩を揺らす。
〇〇「朝」
北斗「……」
〇〇「北斗」
北斗「……まだ」
〇〇「今日何の日」
北斗は目を閉じたまま答える。
北斗「休み」
〇〇「その先」
北斗「……」
数秒。
北斗「スケート」
〇〇「正解」
北斗「……」
〇〇「起きて」
北斗「早い」
〇〇「起きて」
北斗「集合まだだろ」
〇〇「起きて」
北斗は薄く目を開けた。
そして。
〇〇を見る。
北斗「……」
〇〇「?」
北斗「楽しみなんだな」
〇〇「別に」
即答。
北斗「嘘」
〇〇「嘘じゃない」
北斗「朝六時」
〇〇「たまたま」
北斗「休みの日」
〇〇「たまたま」
北斗「俺起こしてる」
〇〇「……」
北斗は笑った。
〇〇は少し不満そうな顔をする。
北斗「環奈たちに言うか」
〇〇「やめて」
北斗「朝から起きてたって」
〇〇「やめて」
北斗「絶対笑う」
〇〇「やめてって」
北斗は声を出して笑う。
〇〇は枕を投げた。
北斗「危ない」
〇〇「うるさい」
北斗「はいはい」
そう言いながら。
ようやく体を起こす。
〇〇はその様子を見て。
少し嬉しそうに笑った。
まだ朝は早い。
でも。
今日は珍しく。
時間が過ぎるのが待ち遠しかった。
〇〇は洗面所の前に立った。
鏡を見る。
〇〇「よし」
なんだか朝から気分がいい。
スキンケア。
ヘアセット。
そしてメイク。
普段は仕事用のメイクがほとんど。
でも今日は違う。
完全なプライベート。
〇〇はポーチを広げる。
〇〇「どれにしよう」
リップを手に取る。
置く。
また別のリップを取る。
〇〇「こっちかな」
少しだけ色を乗せる。
鏡を見る。
満足。
少し笑う。
北斗はその様子を横から見ていた。
北斗「楽しそう」
〇〇「楽しい」
即答。
北斗「認めた」
〇〇「あ」
しまった。
北斗は笑う。
〇〇「別に普通」
北斗「普通の人はリップ三回変えない」
〇〇「見てたの?」
北斗「見える」
〇〇は頬を膨らませる。
でも。
機嫌はいい。
服も決まった。
バッグも決まった。
準備万端。
時計を見る。
〇〇「そろそろ」
北斗「行くか」
〇〇「うん」
玄関へ向かう。
靴を履く。
鏡を確認。
もう一回確認。
北斗「まだ見るの」
〇〇「大事」
北斗「はいはい」
そして。
二人は家を出た。
車に乗る。
移動中も。
〇〇はスマホを見る。
環奈からメッセージ。
『あと15分!』
『楽しみ!』
スタンプ連打。
〇〇は思わず笑った。
北斗「来てる?」
〇〇「来てる」
北斗「環奈?」
〇〇「うん」
北斗「テンション高そう」
〇〇「高い」
しばらくして。
待ち合わせ場所へ到着。
〇〇「着いた」
北斗「早いな」
まだ約束の時間より少し前。
でも。
すでに見覚えのある二人がいた。
環奈。
そして大志。
環奈は遠くから気付いた。
環奈「〇〇ーー!!」
大きく手を振る。
〇〇も思わず手を振り返した。
大志も笑っている。
大志「おはよう」
〇〇「おはようございます」
環奈は駆け寄ってきた。
そして。
〇〇の顔を見るなり。
環奈「楽しみにしてたでしょ」
〇〇「してない」
環奈「嘘」
〇〇「してない」
環奈「朝早く起きた?」
〇〇「……」
環奈「起きたんだ」
〇〇「なんで分かるの」
環奈「顔」
北斗が横で吹き出した。
〇〇「笑わないで」
環奈「絶対楽しみにしてたじゃん!」
〇〇「うるさい」
大志「分かりやすいね」
〇〇「大志くんまで」
環奈は楽しそうに〇〇の腕を組む。
環奈「よし!行こう!」
〇〇「子供?」
環奈「今日は全員子供です」
北斗「意味分からん」
大志「楽しそうだからいいんじゃない?」
四人は歩き出す。
久しぶりの休日。
久しぶりのプライベート。
仕事の連絡も。
台本も。
撮影も。
今日はない。
〇〇は自然と笑っていた。
それだけで。
今日来てよかったと思えた。
四人はそれぞれ変装していた。
キャップ。
マスク。
サングラス。
なるべく目立たない格好。
環奈「これなら大丈夫でしょ」
〇〇「たぶん」
北斗「たぶんが一番怖い」
大志「朝早いし平気じゃない?」
実際。
まだ朝早い。
ラウンドワンの周辺も人は少なかった。
〇〇「よかった」
環奈「バレたら即終了だからね」
〇〇「それは嫌」
北斗「楽しみにしてたもんな」
〇〇「うるさい」
環奈「認めた」
〇〇「認めてない」
四人は中へ入る。
平日の朝。
しかも早い時間。
人はまばらだった。
〇〇「空いてる」
環奈「最高!」
大志「快適だね」
環奈は早速館内マップを見る。
環奈「まずスケート!」
〇〇「今日の目的だからね」
北斗「転ぶなよ」
〇〇「失礼」
北斗「運動音痴」
〇〇「違う」
環奈「いや」
大志「まあ」
〇〇「なんで!?」
三人が笑う。
〇〇は不満そうな顔。
それでも。
どこか楽しそうだった。
受付を済ませる。
スケート靴を受け取る。
ベンチへ移動。
〇〇「久しぶりだなぁ」
環奈「私も」
大志「何年ぶりだろ」
北斗「覚えてない」
四人並んで靴を履く。
環奈は慣れた様子。
大志も問題なし。
北斗もすぐ終わる。
〇〇だけ。
〇〇「これどうだっけ」
北斗「そこから?」
〇〇「忘れた」
環奈「ほら貸して」
〇〇「子供扱いしないで」
環奈「してない」
大志「してるね」
また笑いが起きる。
ようやく準備完了。
リンクの前へ向かう。
朝のリンクは広かった。
滑っている人も少ない。
〇〇「うわぁ」
思わず声が漏れる。
久しぶりの景色。
少し冷たい空気。
広いリンク。
環奈「行くよ!」
〇〇「待って!」
環奈は先に滑り出した。
大志も続く。
北斗はリンクへ足を乗せる。
そして。
〇〇だけ。
手すりを掴んだまま。
北斗「何してんの」
〇〇「怖い」
北斗「さっきまであんなに楽しそうだったのに」
〇〇「それとこれとは別」
北斗は笑った。
環奈「〇〇ー!早くー!」
〇〇「無理ー!」
休日の朝。
久しぶりに。
〇〇の笑い声がリンクに響いていた。
〇〇は手すりを掴んだままリンクを見つめる。
〇〇「絶対こんな怖くなかった」
環奈「それ毎回言う人」
〇〇「いや本当に」
昔は違った。
ジュニアの頃。
仕事の合間。
みんなで遊びに行ったり。
企画でやったり。
意外と滑る機会はあった。
だから普通に滑れていた。
転ぶことも少なかった。
でも。
今は違う。
ドラマ。
映画。
CM。
収録。
ロケ。
打ち合わせ。
休みがあれば寝る。
そんな生活。
スケートをする機会なんてほぼゼロだった。
大志「久しぶり?」
〇〇「たぶん何年ぶりか分からない」
北斗「そんなレベルか」
〇〇「うん」
環奈は既にスイスイ滑っている。
大志も問題なく滑る。
北斗も安定していた。
〇〇だけ。
手すりと仲良し。
〇〇「怖い」
北斗「運動神経いいのに」
〇〇「それとこれとは別」
実際。
運動神経は悪くない。
ダンスもできる。
アクションもできる。
身体能力は高い。
でも。
スケートは別だった。
足元が滑る。
それが怖い。
〇〇は恐る恐る一歩出る。
スーッ。
〇〇「うわっ」
即座に手すり。
環奈が笑う。
環奈「全然進んでない」
〇〇「うるさい」
大志「昔もっと滑れてなかった?」
〇〇「滑れてた」
北斗「過去形」
〇〇「滑れてたの!」
北斗「今は?」
〇〇「……」
北斗「ほら」
〇〇「うるさい」
三人が笑う。
〇〇は悔しい。
確かに。
昔はできた。
できたはず。
なのに。
身体が思い出してくれない。
〇〇「絶対思い出す」
環奈「頑張れー」
〇〇「見てろ」
負けず嫌いが発動する。
〇〇は再び手すりから手を離した。
一歩。
二歩。
三歩。
お。
少し進めた。
〇〇「できるかも」
北斗「そのまま」
〇〇「うん」
四歩。
五歩。
六歩。
〇〇「いける」
次の瞬間。
ぐらっ。
〇〇「わっ!」
北斗「危な」
慌ててバランスを取る。
転ばなかった。
でも。
かなり危なかった。
環奈はリンクの向こうで大笑い。
環奈「危なかったー!」
〇〇「笑うな!」
大志も肩を震わせている。
北斗まで笑っていた。
〇〇「なんでみんな笑うの」
北斗「面白いから」
〇〇「最悪」
それでも。
何周かするうちに。
少しずつ感覚が戻ってきた。
〇〇「待って」
環奈「ん?」
〇〇「思い出してきた」
北斗「本当か」
〇〇「本当」
今度は手すりなし。
ゆっくり。
でもちゃんと進める。
大志「おぉ」
環奈「戻ってきたじゃん!」
〇〇「でしょ!」
さっきまでとは顔が違う。
自信満々。
そして。
調子に乗った。
〇〇「ほら!」
北斗「その顔危ない」
〇〇「大丈夫だって」
環奈「あ」
大志「あ」
次の瞬間。
ツルッ。
〇〇「うわあああ!!」
ドンッ。
盛大に転んだ。
環奈「はははははは!!」
大志「大丈夫!?」
北斗は思わず顔を背ける。
肩が震えている。
〇〇「笑ってるじゃん……」
北斗「いや」
〇〇「笑ってる」
北斗「無理」
〇〇は氷の上に座り込んだまま。
お尻が痛い。
そして。
思った以上に立てない。
〇〇「……」
環奈「立たないの?」
〇〇「立てない」
大志「え?」
〇〇「滑る」
環奈「そりゃスケートだから」
〇〇「そういうことじゃない」
また笑いが起きる。
〇〇は立とうとする。
でも。
足が安定しない。
〇〇「待って」
ぐらっ。
〇〇「無理」
北斗「何してんの」
〇〇「立てない」
北斗「そんなことある?」
〇〇「ある」
北斗はため息をつきながら近付いてくる。
そして。
〇〇の前で止まった。
北斗「ほら」
そう言って。
手を差し出した。
〇〇「……」
北斗「早く」
〇〇「転ぶかも」
北斗「いいから」
〇〇は少しだけ迷う。
でも。
大人しくその手を掴んだ。
北斗の手は大きい。
自分よりずっと。
〇〇「お願いします」
北斗「はいはい」
ぐっ。
軽く引っ張られる。
〇〇「わっ」
立ち上がる。
でも。
足元はまだ不安定。
ぐらっ。
反射的に。
〇〇は北斗の腕を掴んだ。
〇〇「危なっ」
北斗「だから言っただろ」
〇〇「今のは仕方ない」
北斗「仕方なくない」
環奈「手繋いでるー」
〇〇「違う」
大志「しっかり掴んでるけど」
〇〇「転ぶから!」
環奈「言い訳だ」
〇〇「違う!」
北斗は呆れながらも。
〇〇が安定するまでそのまま支えていた。
北斗「もう大丈夫か」
〇〇「たぶん」
北斗「たぶん?」
〇〇「たぶん」
北斗「不安しかない」
〇〇は手を離す。
一歩。
二歩。
意外といける。
〇〇「ほら」
北斗「調子乗るなよ」
〇〇「乗らない」
そう言った次の瞬間。
ぐらっ。
〇〇「わっ!」
北斗「ほら」
再び体勢を崩す。
今度は咄嗟に。
北斗が手首を掴んだ。
〇〇「危なかった……」
北斗「だから言った」
〇〇「まだ感覚戻ってないだけ」
北斗「十分戻ってない」
環奈「〇〇ー!」
〇〇「なに!」
環奈「面白い!」
〇〇「帰れ!」
大志が笑いながら首を振る。
大志「それは無理」
〇〇「なんでみんな味方してくれないの」
北斗「だって面白いし」
〇〇「北斗まで」
北斗は笑いながら手を離した。
〇〇は少しだけ頬を膨らませる。
でも。
気付けば自分も笑っていた。
転んで。
笑われて。
また転びそうになって。
こんな時間。
本当に久しぶりだった。
仕事のことも。
台本のことも。
スケジュールのことも。
今だけは忘れていた。
リンクの上には。
四人の笑い声がずっと響いていた。
ーーーーーーーーー
北斗side
正直。
朝から落ち着かなかった。
理由は分かっている。
初めてだった。
こうして。
〇〇とプライベートでスケートに来るのは。
仕事じゃない。
撮影でもない。
企画でもない。
ただ遊びに来ただけ。
それだけなのに。
妙に緊張していた。
リンクの上を見る。
〇〇がまたふらついている。
〇〇「わっ!」
北斗「危ない」
反射的に手が出る。
腕を掴む。
〇〇「助かった」
北斗「学習しろ」
〇〇「してる」
していない。
絶対していない。
でも。
そんなやり取りすら楽しかった。
問題は。
自分の気持ちだった。
好きな相手が目の前にいる。
しかも。
今日はずっと一緒。
楽しそうに笑う。
転ぶ。
怒る。
また笑う。
全部かわいい。
そして。
困ったことに。
環奈と大志がいる。
二人とも勘が鋭い。
かなり鋭い。
絶対バレる。
北斗はそう思っていた。
その時。
環奈がこちらを見る。
環奈「北斗くん」
北斗「なに」
環奈「優しいね」
北斗「普通」
環奈「へぇ」
嫌な予感がした。
その横で。
大志も何か察したような顔をしている。
北斗「何」
大志「別に」
北斗「その顔やめて」
大志「何も言ってないよ」
絶対何か思っている。
北斗は確信した。
一方。
当の本人。
〇〇。
〇〇「できた!」
〇〇「見て!」
〇〇「転ばなかった!」
環奈「子供?」
〇〇「うるさい!」
全く気付いていない。
北斗は少しだけ安心した。
でも。
環奈は違う。
〇〇が少し離れた瞬間。
環奈「分かりやすい」
北斗「何が」
環奈「何がじゃない」
北斗「知らない」
環奈「嘘」
大志が苦笑する。
大志「頑張って隠してるけどね」
北斗「だから何の話」
環奈「〇〇」
北斗「……」
一発だった。
北斗は黙る。
環奈は吹き出した。
環奈「ほら!」
大志「分かりやすいなぁ」
北斗「声でかい」
環奈「安心して」
北斗「何が」
環奈「〇〇全く気付いてない」
北斗「……」
それは知っている。
嫌というほど。
環奈「本当に気付いてない」
大志「びっくりするくらい」
北斗「知ってる」
環奈と大志は顔を見合わせる。
そして笑った。
北斗は遠くを見る。
リンクの向こう。
〇〇が一人で滑っている。
正確には。
滑ろうとしている。
次の瞬間。
ぐらっ。
〇〇「わあああ!」
北斗「危ない!」
思わず動く。
環奈「ほら」
大志「ね」
北斗は返事をしなかった。
できなかった。
だって。
気付けばもう。
〇〇の方へ向かっていたから。
ーー
〇〇は何度挑戦しても上手く滑れなかった。
〇〇「無理」
環奈「もう?」
〇〇「無理」
北斗「早い」
〇〇「だって滑れない」
大志「さっきよりは上手くなってるよ」
〇〇「本当に?」
大志「本当に」
〇〇「でも怖い」
〇〇は再び手すりを掴む。
完全にへっぴり腰だった。
環奈は笑いながら近付く。
環奈「じゃあ手繋ぐ?」
〇〇「お願い」
環奈「はいはい」
〇〇はすぐ環奈の手を握る。
環奈「子供みたい」
〇〇「うるさい」
二人でゆっくり滑り始める。
〇〇「安心」
環奈「単純」
しばらくそのまま進む。
すると。
環奈が急に後ろを見た。
北斗がいる。
環奈「北斗くん」
北斗「ん?」
環奈「お願い」
北斗「は?」
環奈「交代」
〇〇「え?」
環奈は〇〇の手を北斗の方へ押し出した。
〇〇「ちょっと!」
環奈「大丈夫大丈夫」
大志は既に笑っている。
北斗「なんで」
環奈「一番滑れるじゃん」
北斗「大志も滑れる」
大志「俺は見てる係」
環奈「そうそう」
北斗「勝手に決めるな」
環奈「じゃあよろしく」
〇〇「待って」
環奈「頑張ってねー」
環奈と大志はそのまま先へ行ってしまう。
〇〇「逃げた」
北斗「逃げたな」
二人だけ残された。
〇〇「……」
北斗「……」
〇〇「どうするの」
北斗「どうするも何も」
北斗はため息をつく。
そして。
〇〇の前に手を差し出した。
北斗「ほら」
〇〇「……」
北斗「転ぶだろ」
〇〇「転ぶ」
北斗「知ってる」
〇〇は素直にその手を掴んだ。
北斗の手は大きかった。
しっかりしていて。
不思議と安心する。
〇〇「離さないで」
北斗「子供か」
〇〇「転ぶから」
北斗「はいはい」
北斗は〇〇のスピードに合わせる。
速くない。
本当にゆっくり。
〇〇「待って」
北斗「ん?」
〇〇「思ったより安心」
北斗「それはよかった」
〇〇「環奈より安心」
北斗「環奈に言うぞ」
〇〇「やめて」
北斗は笑う。
その笑顔を見て。
〇〇も少し笑った。
遠くでは。
環奈と大志が並んで見ている。
環奈「見た?」
大志「見た」
環奈「完全にデート」
大志「本人たちだけ気付いてない」
環奈「特に〇〇」
大志「うん」
二人は苦笑いする。
一方。
北斗は必死だった。
〇〇の手が自分の手の中にある。
転ばないように支えるたび。
距離が近くなる。
心臓がうるさい。
でも。
そんなことは顔に出せない。
〇〇「北斗」
北斗「ん?」
〇〇「ありがと」
北斗「……」
〇〇「助かる」
北斗「別に」
〇〇は何も気付いていない。
だからこそ。
北斗は余計に困るのだった。
〇〇「ありがと」
北斗「別に」
〇〇「助かる」
北斗「転ぶなよ」
〇〇「大丈夫」
北斗「その言葉信用できない」
〇〇「ひどい」
そう言いながら。
〇〇は少しだけ後ろへ下がった。
その瞬間だった。
ツルッ。
〇〇「えっ」
足が滑る。
バランスが崩れた。
〇〇「わっ!」
北斗「〇〇!」
反射だった。
北斗は咄嗟に手を引く。
でも。
勢いが強すぎた。
二人とも体勢を崩す。
〇〇「きゃっ!」
北斗「危なっ」
ドサッ。
二人はそのままリンクへ倒れ込んだ。
ただ。
〇〇が氷にぶつかることはなかった。
北斗が咄嗟に体を入れたからだ。
〇〇「……」
北斗「……」
数秒。
時間が止まる。
向かい合った状態のまま。
〇〇は北斗の上。
北斗の腕が自然と〇〇を囲う形になっていた。
〇〇「え」
北斗「大丈夫か」
先に口を開いたのは北斗だった。
〇〇「う、うん」
北斗「どこか打った?」
〇〇「大丈夫」
〇〇はそう答える。
でも。
なぜか動けない。
近い。
思った以上に近い。
北斗も同じだった。
心臓がうるさい。
聞こえてしまうんじゃないかと思うくらい。
〇〇「ごめん」
北斗「謝るな」
〇〇「でも」
北斗「怪我してないならいい」
〇〇「……」
北斗「ほら」
〇〇「?」
北斗「起きろ」
〇〇「あ」
我に返る。
〇〇は慌てて離れた。
〇〇「ご、ごめん」
北斗「だから謝るなって」
北斗も起き上がる。
その時。
遠くから。
環奈「キャー!」
大志「環奈静かに」
環奈「無理無理無理!」
〇〇「?」
環奈は大爆笑していた。
大志も笑いを堪えている。
〇〇「何笑ってるの」
環奈「いや別に?」
〇〇「絶対別にじゃない」
北斗は顔を逸らす。
環奈はそんな北斗を見てさらに笑った。
環奈「大丈夫?」
北斗「何が」
環奈「何でもない」
大志「頑張れ」
北斗「だから何が」
〇〇だけが。
状況を全く理解していなかった。
〇〇「?」
環奈「何でもないよ」
〇〇「絶対何かある」
環奈「ないない」
そう言いながら。
環奈と大志は顔を見合わせる。
そして。
同時に笑い出した。
北斗はため息をつく。
〇〇は首を傾げる。
結局。
分かっていないのは本人だけだった。
環奈「せっかくだし競争しようよ!」
〇〇「競争?」
大志「面白そう」
北斗「何するんだ」
環奈はニヤリと笑った。
環奈「二人一組」
〇〇「うん」
環奈「男が前」
大志「うん」
環奈「女が後ろから掴まる」
〇〇「え?」
北斗「は?」
環奈「その状態でゴールまで競争!」
大志「なるほど」
〇〇「絶対難しい」
環奈「だから面白いの!」
北斗「誰が考えた」
環奈「私」
大志「予想通り」
環奈はさっさと大志の後ろへ移動した。
環奈「よし!」
大志「やる気満々だな」
環奈「負ける気ないから」
〇〇は北斗を見る。
北斗も〇〇を見る。
〇〇「やる?」
北斗「やるしかないだろ」
〇〇「転ぶ気しかしない」
北斗「俺も」
環奈「位置についてー!」
〇〇は渋々北斗の後ろへ行く。
そして。
北斗の服を軽く掴んだ。
環奈「違う違う!」
〇〇「え?」
環奈「それじゃ弱い!」
大志「ルール厳しいな」
環奈「ちゃんと掴まって!」
〇〇「競技じゃないんだけど」
北斗「ほどほどにしろ」
環奈「はいはい」
〇〇は少し困りながら。
北斗の後ろにぴったりつく。
北斗「準備いいか」
〇〇「たぶん」
北斗「その返事不安なんだよ」
環奈「スタート係やる!」
大志「自分も参加者だろ」
環奈「細かいことは気にしない!」
リンクの端。
人はまだ少ない。
四人だけで盛り上がっていた。
環奈「よーい!」
〇〇「待って待って」
北斗「今度は何」
〇〇「怖くなってきた」
北斗「今さら?」
環奈「スタート!」
四人が一斉に動き出す。
〇〇「速い速い速い!」
北斗「叫ぶな!」
〇〇「だって怖い!」
北斗「だったらもっとしっかり掴まれ!」
〇〇「こう!?」
〇〇はバランスを取るため。
思わず北斗にぴったりしがみつく。
北斗「……」
〇〇「?」
北斗「いや」
〇〇「何」
北斗「何でもない」
北斗は前を見る。
心臓がうるさい。
後ろから伝わる体温。
距離が近すぎる。
でも。
そんなこと言えるはずもない。
一方。
前では。
環奈が大はしゃぎだった。
環奈「いけー!大志ー!」
大志「だから暴れるなって!」
環奈「勝つ!」
大志「危ない危ない」
それでも。
二人とも安定している。
〇〇「待って!」
北斗「ん?」
〇〇「環奈たち速くない!?」
北斗「速いな」
〇〇「負ける!」
北斗「今さら気付いたか」
ゴールはもうすぐ。
環奈「見えた!」
大志「このまま行くぞ!」
〇〇「北斗!」
北斗「無理!」
〇〇「頑張れ!」
北斗「だから応援だけするな!」
環奈は大笑い。
大志も笑う。
そして。
そのまま。
先にゴールラインを通過した。
環奈「やったーー!!」
大志「勝ったな」
〇〇「負けたー!」
北斗「予想通り」
数秒後。
北斗と〇〇もゴール。
〇〇「悔しい!」
環奈「勝ちー!」
大志「おめでとう」
環奈は満面の笑みでガッツポーズ。
〇〇は不満そう。
環奈「罰ゲームね」
〇〇「聞いてない」
環奈「今決めた」
北斗「絶対言うと思った」
大志「俺も思った」
〇〇「ずるい」
環奈「勝者の権利です」
〇〇「横暴」
四人は顔を見合わせる。
そして。
同時に笑った。
久しぶりの休日。
久しぶりの何も考えなくていい時間。
リンクの上には。
ずっと笑い声が響いていた。
環奈「罰ゲームね」
〇〇「だから聞いてない」
環奈「今決めたから」
北斗「嫌な予感しかしない」
大志「俺も」
環奈はニヤニヤしている。
その顔を見た瞬間。
〇〇と北斗は同時にため息をついた。
環奈「負けた二人は」
〇〇「うん」
環奈「お互いを褒める」
〇〇「え」
北斗「それだけ?」
環奈「ただし」
大志「絶対続きあるな」
環奈「顔見て」
〇〇「無理」
環奈「見て」
北斗「小学生か」
環奈「見て」
〇〇「はぁ……」
〇〇と北斗は向かい合う。
環奈は満足そうだった。
環奈「じゃあスタート」
〇〇「急だな」
北斗「早く終わらせよう」
〇〇「うん」
数秒。
沈黙。
〇〇「……」
北斗「……」
環奈「早く!」
〇〇「北斗は」
北斗「うん」
〇〇「優しい」
北斗「……」
〇〇「以上」
環奈「短い!」
大志が笑う。
北斗も少し笑った。
環奈「北斗くんも!」
北斗「〇〇は」
〇〇「うん」
北斗「頑張り屋」
〇〇「それは知ってる」
北斗「自分で言うな」
〇〇「事実」
環奈「だめだ」
大志「だめだな」
環奈は腕を組む。
そして。
何かを思いついた顔をした。
北斗「その顔やめろ」
環奈「第二ラウンド!」
〇〇「増えた」
環奈「今度は手を繋いで褒める」
〇〇「は?」
北斗「却下」
環奈「勝者の権利」
大志「横暴だな」
環奈「ほら!」
〇〇「意味分からない」
環奈「いいから!」
〇〇は呆れながら北斗を見る。
北斗も同じ顔だった。
でも。
逃げられそうにない。
〇〇「……」
北斗「……」
恐る恐る。
手を出す。
北斗も手を出した。
指先が触れる。
〇〇「……」
北斗「……」
環奈「何その反応」
大志「初めて会った人みたい」
〇〇「うるさい」
北斗「黙ってろ」
環奈は爆笑。
〇〇は少しだけ視線を下げた。
普段は何とも思わない。
でも。
こうして改めて向かい合うと。
少しだけ変な感じがする。
北斗「ほら」
〇〇「ん?」
北斗「終わらせるぞ」
〇〇「うん」
北斗「〇〇は」
〇〇「うん」
北斗は少し考えた。
そして。
北斗「仕事に本気なところがすごいと思う」
〇〇「……」
北斗「誰より頑張ってるし」
〇〇「……」
北斗「尊敬してる」
〇〇は少し目を丸くした。
予想していなかった。
北斗の言葉は。
思ったより真っ直ぐだった。
〇〇「ありがと」
少しだけ。
胸がくすぐったくなる。
環奈はその様子を見てニヤニヤ。
大志は苦笑い。
環奈「〇〇も!」
〇〇「えー」
環奈「早く」
〇〇は北斗を見る。
少し迷う。
そして。
〇〇「北斗は」
北斗「うん」
〇〇「一緒にいると安心する」
北斗「……」
〇〇「優しいし」
〇〇「なんだかんだ助けてくれるし」
〇〇「頼れる」
言い終わる。
北斗は少しだけ視線を逸らした。
環奈「はい優勝」
大志「環奈静かに」
環奈「無理」
〇〇「何が」
環奈「何でもない」
〇〇は首を傾げる。
ただ。
ほんの少しだけ。
胸がドキッとしたのは事実だった。
理由はよく分からない。
でも。
北斗の言葉が。
いつもより少しだけ。
心に残っていた。
環奈「何でもない」
〇〇「絶対何かある」
環奈「ないない」
大志「そろそろ勘弁してあげなよ」
環奈は不満そうに頬を膨らませた。
〇〇は首を傾げる。
結局。
最後までよく分からなかった。
リンクの中央を見る。
さっきより人が増えている。
家族連れ。
学生。
友達同士。
朝の静かだったリンクが少しずつ賑やかになっていた。
大志「結構増えてきたね」
北斗「本当だ」
環奈「もうこんな時間?」
〇〇も時計を見る。
〇〇「うわ」
気付けばかなり滑っていた。
転んで。
笑って。
競争して。
気付いたら時間が過ぎていた。
環奈「楽しかったー!」
大志「久しぶりだったな」
北斗「だいぶ滑ったな」
〇〇「お尻痛い」
環奈「それは転びすぎ」
〇〇「三回しか転んでない」
北斗「五回」
〇〇「三回」
大志「五回」
〇〇「なんでそっちも」
環奈は大爆笑。
四人はリンクから上がることにした。
靴を返却して。
ベンチに座る。
〇〇「疲れた」
北斗「楽しそうだったけど」
〇〇「楽しかった」
即答。
環奈「認めた」
〇〇「あ」
また言ってしまった。
環奈「今日は素直だね」
〇〇「休みだから」
大志「珍しいな」
〇〇は笑う。
本当に楽しかった。
最近は仕事ばかりだった。
朝起きて。
現場へ行って。
帰って。
寝て。
また仕事。
そんな毎日。
だからこそ。
今日みたいな時間は特別だった。
環奈「写真撮ろう」
〇〇「撮る」
大志「記念だね」
北斗「バレない程度にな」
四人は人の少ない場所へ移動する。
マスク。
キャップ。
変装したまま。
スマホを構える。
環奈「いくよー!」
〇〇「はーい」
パシャ。
もう一枚。
パシャ。
環奈「完璧」
大志「いい写真」
〇〇も画面を覗く。
自然に笑っている自分が写っていた。
最近。
仕事以外でこんな顔をしたのはいつだろう。
そう思うくらいだった。
環奈「次どうする?」
大志「ご飯?」
北斗「昼も近いしな」
〇〇「お腹空いた」
環奈「じゃあ決まり!」
四人は顔を見合わせる。
そして。
また笑った。
まだ休日は終わらない。
久しぶりの何も考えなくていい一日が。
もう少しだけ続くのだった。