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季節外れの豪雨で土砂崩れを起こした崖は大岩を伴い崩れ落ち、雑木林を薙ぎ倒して一棟のコテージを押し流した。捜査員が生存者が居ないか土砂を掘り起こしているとコテージの裏手で警察犬が激しく吠え始めた。
「おい、これ」
程なくして青いビニールシートに包まれた白骨遺体が掘り起こされ、現在、検死台の上で身体検査を受けている。
石川県警捜査一課、井浦《いうら》警部補は頭に白いヘアキャップを被り、革靴には足カバーを履き、マスクとエプロンを着けて《《撲殺遺体》》の検死に立ち合っていた。
「ーーーーっ」
遺体は白骨化し、青いビニールシートに包まれ遺棄されていた。衣類は着用していなかった。
「死後5年から10年といったところですね」
「井浦警部補、どうされたんですか?」
井浦は検死台から離れた壁に寄り掛かり、眉間には皺が寄り、骨張った頬は真っ青、もう片方の手でマスクの口元を押さえていた。
「見なくて宜しいんですか?」
「おまえが見ろ」
「はぁ」
「後で教えてくれ」
「本当に良いんです、か」
そこまで言い掛けたところで自分を見上げた井浦が鬼の形相だったのでその刑事は目を背けた。
(や、もう勘弁してくれ)
遺体は骨盤から推定して女性、年齢不明、身長165cm、歯型治療痕などから行方不明者リストに該当者がないか照合中との事だった。
「鈍器のようなもので額を一撃」
「凶器、長細いなぁ、なんだろうなぁ」
「バットとか」
「それにしちゃ細くないか」
「痛かっただろうなぁ」
死体に薄緑色のビニールが被せられたところで井浦が立ち上がった。
「痛えもクソもあるか!さっさと現場行くぞ!」
マスクとエプロンを剥ぎ取りゴミ箱に勢いよく捨て革靴の音を鳴らして逃げるように立ち去ろうとする井浦に部下が声を掛けた。
「警部補!頭!頭!」
指摘されて気が付き、白いヘアキャップを掴むと蛍光灯の明かりが映るビニールの廊下に叩きつけた。グレージュの髪はボサボサに逆立っていた。
ーーー二時間後ーーー
「うおっえ、うおっ」
「あぁ!井浦さん、現場保存!現場保存!外に出て下さい!」
井浦はポケットから紙袋に入ったビニール袋を取り出しその中へ吐瀉物を吐いた。井浦が警部補から警部へ昇進出来ない理由はここにある。凄惨極まりない犯行現場や腐乱死体などの死臭に拒否反応を起こしてしまうのだ。
「だ、大丈夫ですか」
「うおっえ」
「は、はい」
コテージの玄関の突き当たり、長い廊下の奥には一枚の扉が折れ曲がった状態で口を開けていた。扉の前には一脚の木製の椅子と細長い花瓶が置かれ、異様な雰囲気を醸し出していた。
「なんだこりゃあ、薄気味悪ぃな」
「墓や仏壇に供える花にも見えますね」
「てめぇ、信心深いんだな」
「いや、それ程でも」
「この花と花瓶、科捜研にまわしとけ」
仏花、そう言わしめるには理由があった。扉の向こうは明らかに《《殺害現場》》でダブルベッドの頭部あたりを中心に、別珍のカーテンや黄ばんだ壁紙にドス黒い筋が飛び散っていた。
「うっつ」
「井浦さん、出ていって下さい!」
「うぇ」
ハンカチで口元を押さえた井浦が屋外に出ようとリビングを通り過ぎた時、暖炉の灰の中に刺さった《《火かき棒》》が目に留まった。
(あいつ《白骨死体》のデコ《額》は細長いモンで一発だったな)
ハンカチで掴んだその先はドス黒かった。
「おい!」
「はい!」
「これ、大至急まわせ!」
「はい!」
玄関ポーチを抜け階段を降りると一人の警察官が歩み寄って来た。
「この家の持ち主は分かったか」
「はい、蒼井 真希《あおいまき》52歳、息子が一人います」
「その息子もこん中に居るのか」
「捜査中です」
「だよな」
「息子の名前は」
「蒼井 拓真《あおいたくま》28歳です」
「蒼井ぃ?」
「はい」
「なんか聞いた事ねぇか?」
「いえ、私は存じ上げません」
「まぁ、そんなもんすぐに分からぁ、帰ぇるぞ」
「そ、捜査は」
「こいつらに任せりゃ良い」
「ちょーーーっ」
このコテージは拓真の生家だった。
何度愛し合ったか分からない。ベッドルームの床には開封済みの避妊具のパッケージが散乱している。
「あっ、あっ」
ベッドにうつ伏せになった結城紅の腰を掴んだ拓真は一心不乱に下腹を打ち続けた。淫靡な音、滴る体液、流れる汗、結城紅は挿入されたまま自身の突起を弄り何度も絶頂を迎えていた。
「うっ」
その都度、呼吸をするように締め付ける内壁に捕らわれた拓真は尾骶骨から脳髄へと駆け上がる激しい快感に腰を震わせた。
「んーーーーっ、んっ」
白濁した液をゴムの中へと吐き出す。
「ーーーーー」
そして美しい背中に崩れ落ちた拓真は無意識に呟いていた。
「美由、俺たち付き合おう」
「ーーーーえ、だって奥さまが」
「大丈夫」
「仕事は」
「勿論続ける、今度のblos-som新作発表会が終わったら結婚しよう」
結城紅は肘を突き身を起こすと拓真へと振り向いた。
「私たち出会ったばかりよ」
「美由の目を見れば分かる」
「本当に、良いの」
「美由しかいない、これからは美由だけを撮りたい」
二人は抱きしめ合い唇を重ねた。
「撮影に響くだろう、ちょっと休め」
「もう十分響いてるわ」
「ごめん」
賑やかなカラスの鳴き声、やがて白々と夜が明ける。
「一度帰る、じゃ、また後で」
「うん」
拓真は 青 の待つマンションへと向かった。
拓真は金沢駅西口の男子トイレで着替えて財布の中身を入れ替えた。購入したジャケットやワイシャツ、ジーンズ、靴はそのままコインロッカーへと戻し700円をコイン投入口に入れた。
肩に担いだカメラバッグが酷く重かった。部屋の鍵をポケットで|弄《まさぐ》りながら金沢駅東口タクシープールから自宅へと向かった。
(ーーーーふぅ)
黄色い朝日が眩しく目を細めた。流れる車窓、職場へと向かう急ぎ足のサラリーマンの群れは何処か非現実的で拓真の足元も落ち着かなかった。
(母さんが見つかった)
赤信号の白線でタクシーの乗車運賃メーターが上がった。
(もうなにも隠すことはない)
豪雨の土砂崩れ、発見された白骨遺体の身元は直に分かるだろう。全てお終いだ。全て終わらせよう。タクシーはマンションの車寄せで運賃を精算し、交差点の向こうへと消えた。
(ーーーーやっぱり)
マンションを振り仰ぐとガラス張りの廊下で 青 が手を振っていた。
(全てお見通し)
玄関の鍵は開いていた。ドアノブを持った瞬間なにか引っ掛かりを感じ力を込めて引くと扉の向こう側に無表情な 青 の顔があった。もうこんな馬鹿げた事はお終いだ。
「ーーー驚かないのね」
「いつもの事だろう」
青 は薄暗いリビングのソファに腰掛け、拓真は両手で勢いよくカーテンとベランダの窓を開け放った。陰鬱な空気を取り祓うかのように犀川から清々しい朝の風が駆け上がって来た。拓真はそれを大きく吸い込んだ。
「今日は直接スタジオに行くんじゃなかったの」
「 青 と話したい事があったから、戻った」
「ーーーーなに」
「もう止めよう」
「ママが見つかったから?」
階下の歩道を子どもたちの笑い声が通りすぎた。
「そうだ」
「《《あれ》》が誰かなんて分からないわ」
「今日、明日、警察がここに来てもおかしくない」
「そうなの」
「そうだ」
「それは嫌だわ」
「もう終わりにしよう、 青 、自首してくれ」
「私、拓真を助けたのよ」
「頼んでいない!」
「だって嫌だったんでしょう」
拓真はリビングの本棚に並べられた写真集、<蒼井 拓真の世界><AO>を次々と取り出して床に叩き付け、トロフィーや盾をなぎ倒した。
「ーーーきゃっ」
そして踵を返して仕事部屋へと向かった拓真はファイルからSDカードを引き抜いてばら撒くと悲痛な声で叫んだ。
「《《こんなもの》》見たくもない!」
「なに言ってるの、拓真の写真じゃない」
「これは 青 の写真だ!」
拓真はカメラバッグのポケットから<週間フォトコンテストユース部門>で入選した、色褪せて皺だらけのL版写真を取り出した。
「これが俺の写真だ!」
「あら、まだ《《そんなもの》》持っていたの」
「おまえが俺から全部奪った!全部奪った!」
「守ってあげたのよ」
「もう止めてくれ!」
肩で息をした拓真はカメラバッグを担ぐと玄関へと向かった。
「何時に帰るの?」
「分からない」
「今夜は拓真の好きなビーフシチューよ」
この日のスケジュールはフォトスタジオで14:00から商用写真についてblos-somスタッフと最終調整を行い、ドキュメンタリー撮影について object《オブジェクト》 紺谷組での会議に参加する予定だった。
(出来る限りの事をやり遂げよう)
拓真は限界まで足掻き、その後全てが頓挫しても構わないと考えた。
(ーーーもしかしたら、母さんの身元が判らないかもしれない)
一縷《いちる》の望みに縋り付いた。拓真はコインロッカーに預けた服に着替え、それまでの物は全て金沢駅のゴミ箱へと捨てた。
「解約して下さい」
そしてその姿は携帯電話会社のサービスカウンターの椅子に腰掛けていた。
「電話番号やメールアドレスはどうされますか」
「新規で、新しい電話番号で契約します」
「かしこまりました」
十年以上利用してきた携帯電話、電話番号、メールアドレスを解約、 object《オブジェクト》 紺谷組、紺谷信二郎、日村隆信、結城紅、そして友人の羽場勝己の連絡先以外のデータ、全てのアプリを削除した。
拓真が大豆田のフォトスタジオに着くと object《オブジェクト》 紺谷組のトラックがスタジオ裏の搬入口に横付けされ照明機材などが積み込まれていた。そこにはマネージャー日村の姿もあり「僕の車に乗って下さい」と手招きされた。
「どうしたんですか」
「紺谷の指示です」
「なにがあったんですか」
「蒼井さん、あなた紅の部屋に泊まりましたね」
拓真の心臓は跳ね上がり、顔は真っ赤に色付いた。
「どうしてそれを」
「ーーー紅から《《報告》》がありました」
「報告、報告、それは一体どういう事ですか」
「私たちは今回の企画で蒼井さんと紅が恋愛関係になる、スキャンダラスな話題性を求めました」
「スキャンダラス」
「商品のイメージが《《略奪する赤》》でしたからね」
「略奪」
「我々が無理強いせずとも二人がその位置に収まり助かりました」
「美由、結城さんは」
「あぁ、心配ご無用です。紅はあなたに本気ですよ」
思わず安堵のため息が漏れた。
「驚かせて申し訳ない」
「いえ」
「それで、奥さまの件もありましたのでスタジオを移動します」
「移動」
「はい、よくある一戸建ての地下スタジオです。気付かれ難いかと思います」
「そうですか」
オーライオーライ オーライオーライ
「それでは、途中で車を乗り換えます」
「はい」
「機材なども引越し業者のトラックに積み直します」
「慎重ですね」
「蒼井さんの奥さまは執着心がお強い方のようですから紺谷の配慮です。必要があればその住宅の一室を蒼井さんにお貸しする事も可能です」
「はい」
オーライオーライ
紺谷信二郎の懸念は当たった。その数十分後、拓真の《《足跡》》を見失った 青 がその姿を探し、大豆田のフォトスタジオ周辺を徘徊していた。
石川県警捜査一課、井浦《いうら》警部補は<鳥越《とりごえ》コテージ殺人事件>の捜査本部でパイプ椅子に腰掛け、長机に脚を投げ出していた。
「ふーーーん」
ホワイトボードには複数枚の写真が貼られている。白骨化した遺体、蒼井真希の頭蓋骨は暖炉の灰の中から発見された火かき棒で一撃されていた。ベッドシーツや壁に飛び散っていた血痕はAB型で本人のものと断定され、検死の結果、喉骨の一部が折れている事が判明した。
「こりゃあ生きてる間に締められたのか?」
「蒼井真希さんは骨になっているので分かりません」
「名前で呼ぶんじゃねぇ、生々しいだろーが」
「すみません」
加えてブルーシートの脇から革のストラップが付いたカメラが発見され、内部に残されていたSDカードの解析が行われた。
「こいつの職業はなんだ」
「カメラマンです」
「カメラマンはこんなモンも撮るのか」
「ーーー性癖ではないかと思われます」
「相手は誰だ」
「息子の蒼井拓真です。高等学校の卒業アルバムと照会、確認済みです」
そこには拓真と性行為に耽る中年女性、蒼井真希の醜い姿が残っていた。
「拓真は養子なのか」
「実子です」
「最悪だな」
長机から脚を下ろした井浦は襟足を掻いた。
「で、その拓真は何処にいるんだ」
「金沢市若宮のドムズ犀川というマンションに住んでいます」
「良いとこ住んでるじゃねぇか」
「任意同行を求めていますが消息不明との事です」
「タイミングが良いこったな」
警察官は一冊の卒業アルバムを取り出して井浦の前に広げて見せた。
「なんだよ」
「蒼井拓真には同居人がいます」
「こん中にいるのか」
「この生徒です」
そこには三つ編みを垂らした少女が微笑んでいた。
「えれぇ、別嬪《べっぴん》さんだな」
「はい」
「佐原、あお?」
「はい」
「妙な名前だな」
「拓真と同じ写真部に所属していました」
「拓真も撮ってたのか」
「あれ、言いませんでしたか?」
「聞いてねぇわ、ボケ」
井浦は足で長机を蹴飛ばし、周囲はその音に飛び上がった。
「親子でパチパチ撮り合って、今度はその女とパチパチ撮り合ってんのか」
「ーーーーーそれは分かりません」
「冗談だよ、ボケ」
「こいつの任意同行は」
「拒否しています」
「拒否ぃぃ?」
「はい」
警察官の言葉通り、 青 は警察の任意同行に応じる事なくマンションで拓真の帰りを待ち侘びていた。