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blos-somが提示した最終デザインは「漆黒のバックスクリーンに横たわった半裸の結城紅、全体的に|柘榴《ざくろ》を配置、《《略奪する赤》》のブランドを前面に押し出して欲しいというものだった。
「結城紅のイメージ通りですね」
「蒼井さん、今の感情を紅に投影して下さいね」
「今の感情、ですか」
「毎晩《《お盛ん》》だとお聞きしましたが」
「ほ、報告ですか」
拓真は息を呑んだ。
「いえいえ」
「じゃあ、どうして」
「スタッフの部屋まで丸聞こえだそうで」
「えっ」
「若いヤツも居るんで気を付けてやって下さいよ」
「も、申し訳ありません」
「これはセクシャルハラスメントになりますかね」
マネージャー日村は「はっはっはっ」と笑いながら暗幕の向こうへと消えた。それと入れ違いに結城紅が頬を赤らめながら入ってきた。
「ごめんなさい」
「気を付けようか」
「うん」
撮影が進むにつれ二人の距離は近付いた。生い立ちや思い出を語り、時には個人的な悩みを相談する離れ難い存在となっていた。
「美由」
「なに」
拓真は美由に指輪を贈った。
「そんなに高価な石じゃないんだけど」
「綺麗な赤」
「ガーネット、美由の誕生日1月21日だよな」
「なんで知ってるの」
「ウィキペディア」
「ーーーーーーー」
「怒るなよ」
「だって、そんなネットで調べた情報なんて嘘かもしれないじゃない」
「え、違うの!?」
結城紅は拓真にしなだれ掛かり呟いた。
「あってる」
「良かった、驚かすなよ」
「誕生石ね」
「ガーネット、奇遇だよな柘榴石なんだそうだ」
「柘榴」
拓真は別珍のケースから赤い貴石が並んだプラチナの指輪を取り出すと結城紅の左の薬指に嵌めて優しく口付けた。
「え」
「俺の気持ちだ」
「だって奥さまは」
拓真は自分の名前、本籍、住所、印鑑が押された婚姻届をテーブルの上に置いた。そして美由にボールペンを差し出した。
「結婚しよう」
「え」
「気が向いたら書いて」
「どういう事なの」
「証人は紺谷さんと日村さんにお願いしようと思っている」
その時、部屋の扉がノックされた。
「蒼井さん、宜しいですか」
「ーーーーはい」
「蒼井さんにご面会の方がいらっしゃっています」
(まさかーー 青 がここに!?)
object《オブジェクト》 紺谷組では 青 の存在や詳細な事情は共有済みだった。然し乍ら、撮影要員として雇われたアルバイトにその情報が伝わっていない可能性も考えられた。
「拓真、大丈夫、大丈夫よ」
拓真は心臓が鷲掴みにされ、捻られるような痛みと動悸を覚えた。
「はぁ、はぁ、はぁ」
「大丈夫」
呼吸は次第に荒くなり、結城紅はその背中を摩りながらその顔を覗き込んだ。目は見開き、額に汗が滲んでいた。
「拓真、大丈夫、私が守るから、大丈夫、落ち着いて」
「蒼井さん、どうなさいますか?」
「ーーーじょ、女性ですか」
「いえ、男性の方で羽場勝己さんと仰る方です」
「羽場ーーー」
「はい」
結城紅が立ち上がると扉のドアノブに手を掛けた。
「私が確認してくるわ」
「ーーーーー」
「座っていて」
母親の死体が発見されて以来、拓真は異常な興奮を覚えるようになっていた。日村の勧めで心療内科を受診し精神安定剤と入眠導入剤が処方された。
結城紅は拓真がなんらかの《《秘密》》を抱えている事に薄々気が付いたがその件については敢えて触れないようにしていた。
扉の向こうから結城紅が声を掛けた。
「マイナンバーカードと運転免許証で確認したわ。羽場勝己さんで間違いないわ」
「そ、そうか、羽場が」
「ええ、お通しして良い?」
「あぁ」
程なくして力強い足音が階段を駆け上って来た。拓真から連絡を受け、スタジオに駆け付けた羽場はスーツ姿だった。
「おい、大丈夫か!」
会社の退勤後に立ち寄ったのだろう、羽場は襟元のネクタイを緩めながら胡座を掻いた。
「おまえに連絡しても繋がらねぇし」
「悪い」
「連絡が来たかと思えば、ここはなんなんだよ」
「世話になっている会社の撮影スタジオだよ」
「マンションには帰っていないのか」
「帰っていない」
羽場がチラリと横目で見ると結城紅は軽く会釈をして部屋から出て行った。
「ーーー警察が来たぞ」
「え」
「鳥越の事件、おまえの関係者なんだってな」
「ーーーそうなんだ」
「佐原の事を聞かれた」
「 青 の、 青 のなにを」
「おまえの実家に佐原が出入りしているのを見た奴がいる」
「そうか」
「だから話したぞ」
拓真の表情が凍り付いた。
「なにを話したんだ」
「佐原がおまえのストーカーだった事だよ」
「その事か」
「指紋がどうとか警察のジジィが叫んでた」
「指紋、指紋が出たのか!」
「ーーーおまえ、なにがあったんだよ」
「ーーー」
「やっぱりおまえが薄気味悪ぃ写真ばっか撮るようになったのは佐原が原因じゃねぇのか」
「青い花の事か」
「それだよ」
羽場はセカンドバッグから《《自分の写真》》を取り出して拓真の目前に押し付けた。
「これが蒼井拓真の撮った写真だ!青い花は佐原の写真だろう!」
「それは」
「撮られていた俺だから分かる!あれはおまえが撮った写真じゃねぇ!」
「おまえが佐原に頼んだのか!」
「違う!」
「なら、どうして佐原の写真を蒼井拓真の写真だと言った!」
「それは」
「金が欲しかったのか!地位か!名誉か!なんなんだ!」
「そんなもの、そんなもの俺はどうでも良かった!ただ《《撮れれば》》良かった!」
「佐原となにがあった」
「それは」
「俺に隠し事はしないでくれ」
「 青 が」
「佐原がどうした」
「 他の人間や物を見る事は許さないと言った」
「見るな、カメラで撮るなって事か?」
拓真は力無く頷いた。
「俺の目は《《私のもの》》だと言った」
「なんだよそりゃ」
「代わりに《《私の目をあげるから》》撮るなと言われた」
羽場は信じられないといった表情で拓真を見た。
「だから佐原の写真がおまえの写真って訳か」
「そうだ」
「そんなもん、断りゃ良かっただろう!」
「出来なかったんだ」
「どうして」
「《《黙っている》》その代わりに言う事を聞けと言われたんだ」
「おまえ、なにを隠してるんだよ」
「ーーーすまん、今は言えない」
羽場は大きなため息を吐いた。
「おまえ、ひでぇ顔してるぞ」
「そうか」
「いつでも連絡してくれ」
羽場は拓真の肩を二度叩くと立ち上がり、ドアノブに手を掛けた。廊下には申し訳なさそうな結城紅の姿があった。
「聞いてたのか」
「ごめんなさい」
「拓真の事、頼むわ」
「はい」
二人は軽く会釈を交わした。
結城紅が扉から顔を覗かせると拓真は入室を断った。
「ごめん、一人にしてくれないか」
「でも」
「一人になりたいんだ」
ベッドに寄り掛かると薄暗い天井をぼんやりと見つめた。
(あの店で)
あのウィスキーバーで紺谷信二郎が拓真に声を掛けていなければ事態はなにも変わらなかった。
(そうだ)
青 から毎月定期的に手渡される青い花が記録されたSDカード。
(そして)
拓真がその写真をパソコンに取り込み画像処理を施して世間に発表する。
(ーーー 青 には敵わない)
青 の写真は、花弁《かべん》や花糸《かし》、柱頭《ちゅうとう》や花柱《かちゅう》、子房《しぼう》、花軸(茎)《かじく》の一つひとつが息付き、自我の薄い膜で覆われた儚さと妖しさを漂わせていた。
( ーーー結局、俺は)
拓真は 青 に言われるがまま奇妙な取引をした。拓真はカメラを捨て、 青 は自身の栄光と引き換えに拓真の自由を奪い我が物とした。
この歪な10年、その間に「青い花の写真は佐原 青 の写真だ」と真実を打ち明ける機会は幾らでもあった筈だ。
(ーーー結局、俺は 青 になりたかったんだ)
あの日、マンションで床に叩きつけたフォトグラファーAOの写真集、薙ぎ倒した受賞トロフィーや盾、リビングにばら撒いたSDカードは自身を束縛し続けた 青 への憤りだった。
然し乍らそこには才能溢れる 青 に対する嫉妬心と 青 になりすましていた自身への嫌悪が渦巻いていた。
(今しかない)
半月後、blos-somの秋の化粧品新作発表会が行われる。告知ポスターや商用写真が公開され、 object《オブジェクト》 紺谷組制作のドキュメンタリー映画も上映される。
(今しかない)
拓真は《《自身の写真》》が作品として評価されるその場で、 青 との偽りの日々を告白しようと心に決めた。