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「俺たちが出逢ったきっかけ、覚えているかい?」


小さな咳払いの後になされた話題転換に、青年は視線を前に見据える。それに倣うように、高橋も目の前にある通りを、じっと見つめた。

道の両側に、飲み屋の派手な看板やネオンがきらきらと瞬いていた。だがふたりが見つめる先にある一本道は街灯がなく、真っ暗闇に包まれていて、そこに何があるかわからない状態だった。


(きっとこの道は本社に勤務してからの、俺の生末そのものなんだろうな――)


お先真っ暗な、自分の人生を想像していた高橋に、青年は消え入りそうな声で語りかける。


「高校の卒業式で、告白した話をしましたよね」


そのセリフで、長文で書かれたネットでのやり取りを、ぼんやりと思い出した。青年とのやり取りをきっかけに、他の男たちと交わしたコメントも、なぜだか頭の中に流れていく。そのどれもが、自身の恋に悩んだものだった。


「俺さ恋って、簡単にできるものだと思っていたんだ。はるくんと違って俺は、両方を愛することができるから。これって、人の倍は恋することができるだろ?」

「そうですね……」

「それなのに、人を好きになるっていう感情がないせいで、恋する意味がわからない」

「えっ!?」


高橋の言葉に驚いたのか、青年の足がぴたりと止まった。それでも数歩先に進んだ高橋は、立ち止まった青年に向かって振り返り、優しげに微笑んだ。


(見慣れない俺を見て、はるくんは何を考えているんだろう? 面食らってぽかんとしてる顔、結構可愛いじゃないか)


「俺がこんな話をするのが珍しい?」

「……はい。意味がわからなくて、返事に困ってしまうくらいに驚きました」

「ははっ。俺もよくわからないからな。狙った相手を落としてヤることヤっちゃえば、好きになれると思ったのに、現実はそう甘くなくてね」


浮かべた微笑みを絶やさずに、肩をひょいと竦めるなり歩き出すと、青年は止めていた足を急いで動かし、隣に並んできた。


「好きって、なんだろうな……」


自分の中にある疑問が、囁きみたいに漏れ出た。とても小さな声だったのに青年はそれに反応して、高橋の顔を穴が開きそうな勢いでじっと見つめる。青年からの食い入るような視線を感じていたが、スルーしてそのまま歩き続けると、不意に彼が口を開いた。


「その人の存在を感じたり、ふと目が合ったときに胸が高鳴るとか」


たどたどしく語っていく言葉を聞いて、高橋は驚きのあまり、自分よりも少しだけ上にある顔を何も言わずに眺めた。


「他にも同じものを共感して、笑ったところを見るだけで、幸せを感じたりして、そんな顔をずっと傍で見ていたいなぁと思ったり……」


すると青年は高橋と目が合うなり俯き、それでも好きという想いについて、熱心に教えてくれる。ひたむきなその姿に、胸がどんどん熱くなっていった。


「え、えっとその、抽象的すぎてわかりにくいですよね。他の表現が思いつかなくて」

「いいや。はるくんの好きはなんだか、あったかい感じがする。相手を包み込むような優しさがあるね。そんなイメージだよ」

「ありがとうございます……」


青年の持つ、好きという気持ちや優しさに全身で包まれたいと思ったら、躰が勝手に動いて、自分よりも大柄な躰をぎゅっと抱きすくめてしまった。


「え――!?」


大勢の人が行き交う繁華街の道のど真ん中だったが、そんなことにはまったく気にならなかった。別れたくない思いと一緒に、これまで酷いことをした、自分の悪事を後悔する気持ちがない混ぜになって、高橋の中で渦巻いていく。


「あ、あの石川さん。大丈夫ですか?」


青年は高橋を介抱するように見せかける言葉をかけながら、上着の背中をぐいぐい引っ張ったが、腕の力をさらに強めて、離れられないようにした。


「……はるくんのドキドキ、体に感じるよ」

「そんなの感じられても、人目がですね」

「俺はね、全然ドキドキしていないんだ。むしろ、しくしくと痛んでる」


呆然と立ち尽くす青年に見えるように、高橋は顔を上げて、悲しげな笑みを浮かべた。


「優しくてあったかい、はるくんに酷いことをしたというのに、好きの意味がわからない俺に理解させようと、必死になって考えてくれたよな」

「あ、はい」

「なんて可哀想な人なんだと、同情心から教えてくれたんだろう?」


(最後の最後まで、俺は君に優しくできない悪い男だ。こんなことを言ったら素直なはるくんは、それを認める発言をするだろうに――)


「なぁんて言ってみたけど、ごめん。わかってる、君の黒い部分を引き出すようなことを、わざと言ってしまって。綺麗な君を、貶めたくないのに……」


後悔の念が、涙という水分にじわじわと変わっていく。


「石川さん?」


高橋の瞳に涙が溜まっているのを目の当たりにして、青年は口を開いたまま顔を凍りつかせた。

そんな高橋の対処に困ったのだろう。首を動かしながら辺りを見回していたが、やがて上着を掴んでいる手を使って、背中を撫で擦りはじめた。

これまで何度も凌辱した自分に優しく接する青年の行動に涙が止まらず、高橋の頬を濡らしていく。

互いに肌を合わせていたときよりも、布越しの今のほうが、温もりを感じることができた。表面上だけかもしれない青年の優しさだったが、それが嬉しくて堪らなかった。


「君が好きになる相手は間違いなく、幸せになれるだろうな。はるくんの中にあるあったかいことを知れば、きっと手放せなくなる。これから出逢う、心から愛した人と、一緒に幸せになれよ」


涙ながらだったが、最後には笑顔で告げた高橋を、青年は何も言わずに聞き入った。


その後馴染みの店に連れて行き、店長に青年の相談相手になってくれと頼み込んだ。頭を下げた高橋に店長は二つ返事で了承し、緊張している青年と仲良くなるべく、和やかな会話をはじめる。

そんなふたりを、ハイボール片手にじっと眺めた。自分には見せない笑みを時折湛える、青年の顔を忘れないように、脳裏にしっかり刻み込む。

店を出てから交わされた、ふたりきりで逢うことはない永遠の別れの挨拶をした高橋に、顔色ひとつ変えずに青年はあっさりと別れた。

自分に背を向けてどんどん距離をとる躰に、そっと右腕を伸ばしてみる。振り返らずに暗闇の中を歩いて行く青年の姿が、拳に隠れるくらい小さくなった。それを掴むように、ぎゅっと握りしめた。


「俺のことは忘れて、幸せになってくれ。はるくんの幸せが、俺の幸せになるから……」


高橋の願いは誰にも届かず、闇夜に吸い込まれて儚く消え去ったのだった。

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