テラーノベル
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◇
ティモシーの声が、海岸に集まった人々の間へ静かに響いていく。
昼間の喧騒とは打って変わり、海岸にはどこか厳かな空気が漂っていた。
砂浜には、祭りのために用意された小さな灯篭がずらりと並べられている。
丁寧に作られた灯篭は、まだ火が入っていないにもかかわらず、夕暮れの淡い光を受けて白く浮かび上がっていた。
その数は、全部で千個。
今日、この海へ流される灯篭は一つたりとも欠けることなく、必ず千個でなければならない。
村人たちの話し声も、少しずつ小さくなっていく。
「えー皆さま、第75回、千夜の漂着祭にお集まりいただき、誠に感謝申し上げます。」
ティモシーの言葉に、海岸のあちこちから拍手が起こった。
「今年もこうして、無事にこの時を迎えることができました。」
その声を聞きながら、祭りの準備を手伝っていた者たちは、顔を見合わせる。
何日も前から続いた準備。 灯篭を一つずつ組み立て、飾り付けをし、海岸を整え、祭りのために必要なものを運び込んできた。
決して華やかな作業ばかりではなかった。
それでも、今日この場所に立ってみれば、その苦労さえも少しだけ遠いものに感じられる。
「まずは、今日まで不眠不休で完璧な準備を整えてくださった職人の皆さん。」
再び拍手が起こる。
「そして、私の至らない指示を支えて動いてくれた若者たちに、心から感謝を申し上げます。」
テルも小さく拍手をしながら、隣に立つ仲間たちへ視線を向けた。
その一方で、テルたちに無理やり連れ戻された鈴凛は腕を組んだまま、どこか不機嫌そうにそっぽを向いている。
「リンちゃん……リンちゃん?」
ラテが小声で何度も呼びかける。
「……まだ拗ねてるにゃ…。」
「黙るアル。」
「にゃ……。」
ぴしゃりと言われ、ラテはしょんぼりと肩を落とした。
その様子を横目で確認したテルが、小さくため息をつく。
「ちゃんと村長さんの方は向いてくださいね……。」
「…分かってるアル。」
そう言いながらも、鈴凛はしばらく海の方を向いたままだった。
その横で、ソフィアが小さく笑っている。
そんな小さなやり取りも、祭りの夜には不思議と穏やかなものに感じられた。
「さて。」
ティモシーが話を続ける。
「皆さんもご存知の通り、この千夜の漂着祭は……。」
一瞬だけ、彼の視線が海へ向けられた。
それにつられるように、周囲の人々も海を見る。
水平線の向こうには、もう太陽の姿はない。
空は青から紫へ、紫から少しずつ暗い色へと変わり始めていた。
「海の向こうにあるとされる神域へ、願いを届けるための祭りです。」
「……神域……。」
ニアが小さく呟いた。
その言葉を聞いたナターシャも、何も言わず海の向こうへ視線を向ける。
「……。」
「……綺麗ですわ〜……。」
プリムローズがぽつりと呟く。
その隣でナターシャも小さく頷いた。
「……うん……。」
夕暮れの海は、昼間とはまったく違う顔をしている。
「今から皆さんには、お一人につき一つずつ灯篭をお配りします。」
村の若者たちが、並べてあった灯篭を一つずつ手渡していく。
受け取った灯篭は思っていたより軽かった。
白い紙の向こう側に、小さな火を灯すための空間が作られている。
「灯篭には、願い事を込めてください。」
その言葉に、あちこちから小さなどよめきが起こった。
「願い事……って、なんでもいいんですか?」
ラグドールが灯篭を眺めながら尋ねる。
「はい、決まりはありませんよ。」
イリアも灯篭を受け取り、頷く。
「じゃあ……『美味しいものがいっぱい食べられますように』とかでも?」
#一次創作
37,808
しがない佃煮
56
うらうら
34
「もちろんです。」
「ラグドールちゃん……?」
ローラが少し困ったように笑う。
「……もっと他にないの?」
ララビットも呆れたように口を挟んだ。
「じゃあ『毎日美味しいものが食べられますように』?」
「そういう問題じゃないでしょ……。」
「ふふ…でもそれもいいと思うわよ。」
ローラに肯定され、ラグドールは少しだけ嬉しそうに灯篭を抱え直す。
「………。」
「やっぱやめときます…。」
その横では、ミシェルが灯篭を指先で軽く回していた。
「願い事……じゃ、俺は『早く終わりますように』とか。」
「ミシェルさん?」
「冗談だってー。」
「やめてください……?」
イリアが苦笑する。
祭りの始まりを待つ緊張感はありながらも、まだ空気は穏やかだった。
そして、少し離れたところでは。
「……あ、ヴェルクさん。」
「何、イリアさん。」
「ヴェルクさんは願い事、何にするんですか?」
「何も。」
「え?」
ヴェルクは手元の灯篭を見つめたまま、淡々と答えた。
「願い事とか、思いつかなくて。」
「毎年こうだったし。」
「そうですか……。」
イリアが少し残念そうに眉を下げる。
プリムローズもヴェルクの方を見た。
「もったいないですわ……!」
「…何が?」
「せっかくの機会ですもの。何か一つくらい願ってみてもいいのでは?」
ヴェルクは少しだけ黙った。
手の中の灯篭へ視線を落とす。
「……もうちょっと考えとく。」
「そうしてください。」
イリアが嬉しそうに笑った。
一方、ニアは灯篭を両手で抱えながら、真剣な顔で悩み込んでいた。
「うーん……何にしよう……。」
「もう決めたアル。」
鈴凛は迷う様子もなく筆を手に取る。
「何にしたにゃ?」
ラテが興味津々に聞く。
「内緒に決まってるアル。」
「にゃ……。」
「あたしは…『毎日煮干しが食べられますように』!」
ラテが元気よく宣言する。
「……ら、ラテちゃんらしくていいね……。」
ソフィアが微妙に笑いながら頷いた。
「これこそが馬鹿アル。」
「あなた、煮干しならほぼ毎日食べてるじゃないのよ……。」
リーナが呆れた表情で言う。
「……そうだったにゃ…。」
ラテは数秒考えた後、しょんぼりと筆を置いた。
その隣では、ルカが灯篭をじっと見つめていた。
「……願い事。」
誰に言うでもなく、小さく呟く。
「……願いって、叶うの?」
テルは少し考えてから答えた。
「うーん……どうでしょうね。」
確かな答えを持っているわけではない。
神域が本当に存在するのかも、灯篭がそこへ辿り着くのかも分からない。
それでも。
「叶うかどうかは分かりませんけど……。」
テルは海へ目を向ける。
「願いを込めて灯篭を流すこと自体に、意味があるんじゃないでしょうか。」
「……そっか。」
ルカは静かに灯篭を見下ろした。
その横では、イリアもまた灯篭を前に悩んでいた。
「……うーん。」
「イリアさん、まだ決まりませんの?」
「はい……。」
「こういうの、いざ考えると難しいですね…。」
「わたくしはもう決まりましたわよっ。」
「もうですか?」
「えぇ!」
プリムローズは嬉しそうに灯篭を抱きしめた。
「秘密ですけれど…。」
「えっ、教えてくれないんですか?」
「それでは願い事ではなくなってしまいますもの…!」
「た…確かにそうですね……。」
イリアは納得したように頷く。
けれど、その表情には少しだけ気になる様子が残っていた。
プリムローズはそんなイリアを見て、くすりと笑った。
気がつけば、海岸のあちこちで灯篭を抱える人々の姿が増えている。
誰かは家族のために。
誰かは友人のために。
誰かは自分自身のために。
それぞれが違う願いを、小さな紙の上へ託していく。
やがて、海岸の時計へ視線を向けていたテルが口を開いた。
「……あと五分ですね。」
「もうそんな時間?」
リーナが驚いたように呟く。
「はい。」
テルは時計を確認する。
「十九時になったら、一斉に灯篭を流すと…。」
「……一斉に、ね。」
リーナは海を見る。
その先には、暗くなり始めた水平線。
今はまだ何もない。
けれど五分後には、そこへ千個の灯りが流れていく。
それを想像すると、不思議と胸が高鳴った。
やがて、村人たちはそれぞれ灯篭を手に、海岸へ並び始める。
波打ち際には、灯篭を置くための場所が用意されていた。
風が少し吹く。
プリムローズの髪がふわりと揺れ、イリアが押さえようとしていた灯篭の紙が小さく音を立てた。
空はすっかり夜になっていた。
◇
「皆さん。灯篭の準備はよろしいでしょうか?」
ティモシーの声が響く。
人々が一斉に手元を確認する。
プリムローズは自分の灯篭を胸元で大切そうに抱えた。
「………届きますように。」
その声は、波の音に紛れてしまいそうなほど小さかった。
「プリムさん?」
「……ふふっ。なんでもありませんわ。」
イリアは少し不思議そうにしながらも、それ以上は聞かなかった。
海岸に集まった人々の視線が、一斉に村長へ集まる。
ティモシーがゆっくりと息を吸った。
「……それでは。」
「第75回、千夜の漂着祭を開催いたします。」
コメント
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作者コメント┊︎ 願い事は言うと叶わないらしい
第34話『開幕』、読んだよ!千夜の漂着祭、すごく温かい雰囲気でいいなあ。それぞれのキャラが灯篭に願い事を書いてるシーン、みんなの性格が出ててほっこりした。ラテの「毎日煮干しが食べられますように」には笑ったし、ヴェルクが「何も」って言ってたのにイリアに言われて「もうちょっと考えとく」ってちょっと変化する感じも良かった。千個の灯篭が一斉に流れる瞬間、想像するだけで胸熱だわ。続きが楽しみ!