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灯りの落ちた居間。外はもうとっくに暗く、窓の外には隣家の灯りがぼんやりと滲んでいる。
遥は、ソファにもたれたまま、毛布の端を握っていた。
全身に残る鈍い痛みと、昼間の暴言、視線、命令の残響。
何もかもが皮膚に張り付いて、消えなかった。
「……いる?」
玄関から聞こえた女の声に、遥はわずかに身体を強張らせた。
日下部が廊下を出て応対する声がかすかに聞こえる。
そのままドアの開く音、足音。
そして、現れたのは──玲央菜だった。
「……なんでおまえが」
遥は思わず口に出した。
玲央菜はスウェットの上にパーカーを羽織り、手には何かの紙袋を提げていた。
無造作に入ってきて、そのままテーブルに袋を置く。
「一応、“預けた側”だから」
そう言って、遥の顔を覗き込む。
「顔、ひどいな。思ったよりきてんな」
「勝手に……」
「勝手じゃない。あんた、あのまま家いたら壊れてたでしょ。
まあ、ここでも壊れるかもしんないけど。選ばせただけ、まだマシじゃん?」
遥は言葉を呑み込んだ。
玲央菜の態度は一貫していた。甘さも、優しさも、憐れみも──まるで存在しない。
「父さんにも晃司にも言っといたから。『一週間、あんたこっちにいる』って」
「……どうやって説得した」
「知らない。言葉はテキトー。あんたが“壊れかけてる”ってことだけは、ちゃんと伝えといた」
遥は下唇を噛んだ。
玲央菜が本気で動いたときの言葉の重さは知っている。
それを“自分のために”使われたことが、どうにも気に入らなかった。
「そんな顔すんなよ。私があんたの味方したとか、思ってんの?」
「……思ってねぇよ」
玲央菜は鼻で笑った。
その笑いの意味は遥にはわからなかったが、日下部には伝わっていた。
玲央菜は遥を一瞥したあと、日下部に向かって低く言った。
「こいつ、もう学校行けないよ。たぶん。
体もメンタルも限界超えてる」
「……だろうな」
日下部はソファから立ち上がり、窓際に視線を向けた。
「明日、休ませる。文句言わせねぇようには、こっちで言っとくわ」
「お願い」
玲央菜はそれだけ言って、袋から薬と栄養ドリンクを取り出した。
テーブルに並べて、最低限の確認だけして、さっさと帰ろうとする。
「なあ……おまえ、何がしたいんだよ」
遥の声が、玄関に向かう玲央菜の背中にぶつかった。
「知らなきゃダメ? 別に、助けようとか思ってない。
あんたがどうなろうが、私のせいじゃないし。……ただ──」
言いかけて、玲央菜は振り返らなかった。
「“まだ潰れるな”ってだけ。潰れるなら、もっと後にしろ。
潰す側になるなら、考えてやってもいい」
そのまま、静かにドアが閉じられた。
遥はうつむき、膝に落ちた手を強く握り締める。
何も救われていない。
けれど──支配の手綱だけは、しっかりと握られていた。