テラーノベル
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突然のことだったと思う。
意識の外からの横槍。
それによる予想外によって、一部分の記憶は見事に吹き飛び、ウイルスに侵されたかのように思考が澱んでいる。
バックアップが取れるような頭の構造ではないため、消し飛んだ記憶を手繰り寄せる術はない。
しかし、一つ確かなことがあるならば。
自分は今、とてつもなく危うい場所にいるということだろう。
『故意犯手折るは鈴の花』
いつかと言われれば言葉を濁す他ないし、何をしているんだと言われれば本当にその通りだと自己嫌悪した。
過去の自分を責める余裕がないにも関わらず、ぼやけた半覚醒の脳は、要らない事柄ばかりをピックアップしてくる。
落ち着いて、今自分の置かれた状況を俯瞰しろ。
目を開けても暗闇に包まれているということは、目隠しでも装着されているのだろう。
顔を見られたくないのか、拷問のためか。
妙に頭の覚醒が遅いのは、後頭部に痛みがないためおそらくは薬の類。
腕は後ろ手に二重…いや三重に縛られている。縛られた箇所の痛みからして、そこまで時間は経っていない。
座らされているのはパイプ椅子か。
腕は動かせなくとも、足先なら動かすことができる。
足先で床を蹴ると、突っかかりもなく奥まで響いた。
音の反響具合からして、人の気配はない。
現在地は物が少ない広い部屋といったところだろう。
ーーここまで考察したは良いものの、やはり気がかりなのは、己の上司の存在だった。
まさか、上司と作戦の打ち合わせをしている時に攫われるとは思いもしなかった 。
しかも道路から横を通り過ぎる車にだ。
あの人のことだ。 今頃「僕の部下は何をしているんだ帰ってきたら背負い投げでもしてやる」と思案していることだろう。
そこまで考えて肩が震えたのは、間違いなくあの一件が起因していた。
そうだ。五体満足で帰ることができたら、あの人に酒の一杯でも奢ろう。
きっとそんなことでは誤魔化されてくれないが。
今の状況には些か不似合いな想像に、思わず笑いが込み上げそうになる。
いい歳して誘拐された公安の男が突然笑い出すなど、どこのホラー映画だ。
まずは無傷で帰って、一つでも落雷を少なくしよう。
ギュッと気を引き締めて、唯一動かすことができる足先で思い切り床を蹴飛ばしてみる。
音が響くのみで、人が来る気配はない。 見張りはつけていないのか。
静観している可能性はある。
ここは慎重に行動しなくては。
「いつまで監視するつもりだ。コソコソ 隠れてないで出て来い」
少しの煽りと苛立ちを含めて言葉を叫ぶと、奥からカタンと細い音がした。
次いで革靴と床の摩擦音。
おそらくは部屋の隅からこちらを見遣っていたのだろう。 音の反響に引っかからなかったのはそのためか。
そこまで気が回らなかったのが悔しい。
「気付いていたのか」
「そこはどうでもいい。
話す気があるならもう少し近くに来い」
「国の犬が。口の聞き方に気を付けろよ」
カチャと、金属と硝煙の音がこだました。
目隠しをされた状態で鉛弾を避けられるほど、己の身体能力が常人離れしていないことは知っている。
それこそ、あの人であれば避けられるのだろうか。
ふぅと重くなった息を吐くと、少しだけ息がしやすくなった。
熱くなりすぎないようにしなくては。
「俺を殺したところで、そちらに利益などないだろう。人質にすらならない駒の一つだ」
「嘘は吐かないほうがいい。てめぇが”ゼロ”のお目付け役であることは知っているぞ」
その言葉に、一瞬肝が冷える。
「…ゼロ? なんのことだ。言葉遊びに付き合う気はない」
「こっちには信頼に足る情報屋がいるんだ。”ゼロ”を庇うほどお高くとまれる立場か?」
…知っている。
一国を縁の下で支え続けてきた彼らを庇うなんてことができるような、対等な関係ではないことぐらい。
「…ゼロの連絡役だから、なんだと言うんだ。情報を漏らす気などないし、代わりなんていくらでもいる」
「違うな。”あの”ゼロの支柱になりつつあるてめぇを殺すことで、国を傾けることだってできる。知らないとは言わせねぇぞ」
ドスの効いた地の底を這うような声が、魂の尾を引っ張り上げていく。
タマヒュンとまではいかないが、それに近い衝撃だ。
公安として情けない。
「……交渉する気はあるのか」
「ないと言えば嘘になるな。てめぇこそ要求を飲み込む気はあるのか?」
「条件次第だ。ゼロや公安の情報が目的なら渡す気はさらさら無い」
「なら交渉成立だ」
先程まで殺気すら感じさせるほどの低い声だったにも関わらず、突然訳の分からないことを言い出した声は喜色を孕んでいた。
「は、? 待て、なにを言っている」
「名前は何がいい。ダセェ名前じゃ格好付かねぇだろ」
「だから、おい。待てと言ってるだろうが」
あまりにも突拍子の無さすぎる事態に、平静を努めていた脳は限界に達した。
誘拐されたかと思えば銃を向けられ、銃を向けられたかと思えば勝手に交渉を成立させて、名前がどうたらこうたらと嬉しげに話しかけられる。
なんだ、この状況。
「空いてる部屋がいくつかある。縄張り意識が強いウォッカの部屋の近くは避けるか」
「だから、待て…聞こえていないのか」
「気の強い女だ。目を合わせりゃ荷物持ちに駆り出されるから気を付けた方がいい」
「動物園みたいに補足説明をするな…」
目隠しによって相手の顔は見えないが、口角の上がった声からして笑顔なのだろう。
もう何を言おうが無駄かと察して、相手の顔があるであろう場所を見上げる。
「何か考えているところだろうが、目隠しを取れ。これでは何もできない」
「あぁ…いや、それは後でだ」
「ふざけるな。これでは移動ができないと言っているんだ」
「俺が担げばいいだろ」
「は?」
何を言っているんだ、と続けるはずだった言葉は、突然見舞われた浮遊感によって喉の奥にしまわれた。
考えるまでもない。担ぎ上げられているのだ。
「おい、だから待て。名前やら部屋やら聞かれたところで「はいそうですか」と受け入れられるわけないだろ」
「国の犬は躾けが効く。そうだろ?」
「誰がお前達の躾など聞くか!」
今すぐにでも逮捕するべき敵組織のボスである以前に、こいつに話は通じるのか。
うまくまとめられない思考を無理やり起こしてフル回転させていた影響か、もう既に脳は限界を訴えていた。
薬の余韻か今すぐにでも寝てしまいたいが、そんなことをしている暇はない。
一命を取り留めたにしても、まずどうやって降谷さんに情報を渡す? ハックできる情報機器は? ここはどこだ? 仲間と監視の数は?
今自分にできる最大限を、絞り出せ。
公安としての勤めを、少しでも仲間への足がかりを残せ、風見裕也。
「そうだ。ギムレットなんてのはどうだ? 」
「……もう好きにしてくれ…」
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